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 加瀬谷は本日何度目か、鞄をがさごそとした。中から出てきたのは大学ノートである。

「大変便利なものがありましてね。実は僕の調律師の師匠・紫埜浦夜嘉多先生がここに勤めていた際、このコンサートホールで起こった事件について、独自に調べていたそうで。このノートはそれをまとめたものなんです。細軒さんがかつて警備員だったこととかもしっかりメモされていますよ」

 皮肉で放たれたその言葉に細軒はひきつった笑みを浮かべた。

 それでですね、と加瀬谷はノートをぱらぱらとめくる。あるページでその手は止まり、他五人の方に向けて見せた。

 そのページはクリスマス事件についての見解が書かれている箇所だった。

「師匠はクリスマスに劇場近くである男性と鉢合わせたそうです。その男性から、クリスマス事件の原因は自分が約束をすっぽかしたことにあると聞いたのだと言います。男性の潔さが気に入ったらしく、師匠は名前を伏せました」

「それが何故梶さんと断定できる?」

 半村の疑問はもっともだった。加瀬谷に五人の視線が集中する。

「あくまで僕の推測ですが」

 そう言い置いて、加瀬谷は淀みなく述べた。

「引っ越してきて、挨拶に伺ったとき、細軒さんが教えてくれましたよね。一〇二号室の梶さんはひきこもりだと。年に二日ほど家を空けるが、郵便以外には出て来ない、でしたっけ?」

「ああ、そのとおりだよ」

 細軒を含め他四人もそれがどうした? と問いたげである。

「その二日間というのは、クリスマス前後では?」

「!!」

「何故それを」

 先程から正体を暴かれたショックで口が滑りやすくなっている半村に、細軒と叶李が鋭い目線を送る。自業自得だが、半村は縮こまった。

 対する加瀬谷は嬉しそう──でもなく、ほぼ無表情でそうですか、と頷く。

「ではほぼ間違いないでしょうね。師匠が会った男性は梶さんです。亡くなったご友人を悼み、毎年来ているそうです。事務の方にも聞きましたら、彼の顔を覚えている方はたくさんいらっしゃいました」

 何故なら、と加瀬谷は胸ポケットから小さいものを取り出した。よく見るとそれはとても小さな折り鶴。

「鶴? が何故」

「毎年彼は亡くなったご友人のために折り紙で花を折って献花としていたそうです。そのついででしょうかね。受付に毎年何羽かずつ折り鶴を届けているそうです。クリスマス事件の翌年からずっと。最初は三羽だったそうですが、いつからか四羽になり、今では八十二羽だそうです」

「ほう、それは大した数ですね」

「その数から計算してみたんですけど、どうやら彼、十七年前のクリスマスから、四羽にしているようなんですよ。まるで十七年前に起こった警備員の事件を知っていたかのように」

「それが何かおかしいんですか?」

 五人が全員訝しげな表情で加瀬谷を見る。加瀬谷はええ、と少々大仰に見えるほど深く頷いた。

「おかしいですよ。だってひきこもりの彼にはテレビなどという情報源はないのですから」

「……何ですって?」

 これには細軒も驚愕する。

「事務員の方であのハイツに越してくる前から梶さんを知っている方がいまして。梶さんは一〇二号室に来る前から、ひきこもり……というか、数年前から注目されている内職系のお仕事をされているそうです。皆さん知ってのとおりそれの受け取り受け渡し以外では外に顔すら出しません。そんな彼は内職に集中するため、テレビはおろか、ラジオすら持っていないそうです。内職だけの稼ぎでは、月々の家賃を稼ぐのでいっぱいいっぱい。新聞を取る余裕もないと仰っていたと言います。

 その上、ご近所付き合いは皆無。そんな彼がいくら近場の一大ニュースだったとはいえ、どうして事件のことを知ることができるのでしょう?」

 場の空気は完全に凍っていた。演奏会が終わってしばらく経つからか、空調の音すらない。

 沈黙が支配するホールに加瀬谷の声はよく響いた。

「それはあのハイツに住む皆さんが自分たちの罪を覆い隠すために結託していたから、その間で情報交換が成された、と僕は思うのですが、何か間違っていますかね?」

 誰かが息を飲んだ音がやけに大きく聞こえた。

 誰も何も答えない。沈黙は肯定──暗黙の了解を元に加瀬谷はそう認識した。

「貴方たちと梶さんはそうして自分たちの犯した罪は他言無用ということにした。けれどその隠蔽を、梶さんは嫌がったんじゃないですか? 梶さん自身が罪に思っていることは法によっては裁かれないものです。それを罪と思い、背負っていくほどの責任感のある人が、本当の犯罪の隠蔽をよしとするはずがない。

 そんな彼を貴方たちはどのように説得したのでしょう? 簡単です。情報を漏らしたら殺す、とでも言っていたのでしょう。二〇二号室の彼も同じような脅迫を受けていたのだと僕は思います。叶李さんが"りんちゃん"と呼んだ彼が、一体どんな罪を犯したかまではわかりませんが」

 叶李の手がびくりと反応する。

 二〇二号室の"りんちゃん"。叶李はずっと茶を濁し続けていた。どうやらその人物に関してはハイツ内でも知られていないらしく、叶李以外の四人はきょとんとしている。

「まあ、彼のことはいいです。叶李さんにはそれより聞いてほしいことがあります」

 そんな加瀬谷の話題転換に他四人は更にわけがわからなくなる。

「何だえ?」

 いつもより俄に険の滲んだ声で応じる。

「貴女が起こした三十年前の事件についてです」




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