ふ
半村一家を沈めたところで、加瀬谷は続いて細軒を見る。
「次は細軒さん、貴方です」
「はい」
細軒は落ち着いた様子だった。諦めがあるわけではない。受けて立つといった好戦的な意思も見受けられない。何を考えているのかわからない表情だった。
「貴方は二十七年前の調律師殺害事件の犯人です」
「そうですか」
動揺の欠片も見えない細軒に内心戸惑いつつ、加瀬谷は続けた。
「二十七年前の事件を暴いたところで法的に犯人を裁くことはできません」
「まあ、時効ですからね」
「けれど、僕はその真実を知ることに意味があると思います」
「意味、ですか?」
そんなものがあるのか? ──細軒の視線は言外にそう問いかけていた。
「ありますよ。調律師にとっては、とても重要な意味です。
では、まず二十七年前の事件をおさらいしましょう」
二十七年前、このコンサートホールのピアノ調律を担当していた調律師が何者かに殺害されているのが発見された。死因は後頭部の傷。鈍器のようなもので殴られた跡があったという。
容疑者は当時勤めていた警備員二人。そのうちの一人が今加瀬谷の前に立つ細軒責である。
しかし、決定的な証拠がなかったため、迷宮入りとなった。
「この事件は容疑者が二人にまで絞られていたにもかかわらず、犯人が逮捕されることはなかった。二人のどちらかが犯人という決定的な証拠がなかったのと、あろうことか、その頃から"コンサートホールの幽霊"の噂が流れ、あやふやになったからです。それに最近になって外部犯の可能性も出てきましたからね。そこの灯くんが夜中に誰にも見つからずに抜け出しても騒がれなかったという例がありますから」
警備員が三人である今ですらこの始末。二人だったときなら、もっとあってもおかしくはないだろう。
そんな加瀬谷のコメントに細軒が苦虫を噛んだような顔をする。
「私が警備員の仕事を抜かっていたと?」
「そうとは限りません。けれど、貴方がしたことはそれ以上ですよ」
加瀬谷はピアノの屋根を押さえ、突き上げ棒を外す。片手で屋根を支えながら、屋根のある箇所を示す。
よく見てください、という加瀬谷の言葉に細軒以外の四人がピアノに近づく。灯が真っ先に何か気づいたようで、あ、と声を上げる。
「なんかちょっと、ぺこってなってる」
触ってもいい? と紗菜絵が断り、加瀬谷が示した部分に触れる。
「本当だわ。へこんでる」
一人ずつ触れ、全員が納得したところで加瀬谷は屋根を静かに閉じる。
「ピアノでやってはいけないことの一つに、屋根と呼ばれるこの部分を乱暴に閉めてはいけないというのがあるんですよ。灯くん、なんでかわかりますか?」
「え? それってただの板じゃないの?」
ピアノを弾いていないとなかなかわからないことであるが。
「ちゃんと役割のある板なんですよ。これはへこみのせいで他のピアノよりわかりづらいですが」
加瀬谷は屋根をそのままに音階を弾く。
「うちのピアノとあんまり変わらないね」
「うん」
続いて屋根を上げ、突き上げ棒を突き立てる。それで同様に滑らかに音階を弾く。
わーん、と音が重なり、響いた。
灯が敏感に反応する。
「なんかさっきより音がおっきい」
「そう、それが屋根の役割なんです。音を反射して広げる。アップライトピアノとの大きな違いです。屋根の角度一つで音がどういう風に響くか、どこまで届くかまで決まります。通常は閉じたままだと音は中にこもって響きませんが」
説明を終えると、加瀬谷は話を戻す。
「つまり、屋根を傷つけると音の広がり方も変わりますし、音量を出したくないために閉じても音が必要以上に漏れてしまうという問題点があるんです。ですから」
加瀬谷は細軒に視線を向けた。
「人の頭の上に落とすなんてもっての外ですよ、細軒さん」
「……なるほど」
細軒は神妙な面持ちで呟いた。
「ピアノの屋根は重かったでしょう?」
「ええ。殺せるものなんですねぇ。びっくりしましたよ」
時効を過ぎているからか、隠すつもりはないようだ。その上、余裕の表情である。
「簡単でしたよ。その突き上げ棒を倒すだけでよかったので。でも、こんなことを今更暴いてどうするつもりですか?」
「もちろん」
加瀬谷はにこやかに細軒の前に立ち──
がっ
半村のときと同様、殴りつけた。
「痛いですねぇ」
殴られたというのに、にこやかな表情のまま細軒は立ち上がる。
「いきなり殴るのは酷いですよ。場合によっては傷害罪で訴えられますよ?」
そう言って肩を竦める細軒。牽制のつもりなのだろう。
しかし加瀬谷は怯む様子もなく、どうぞとまで言う始末。
「訴えたいなら、どうぞ。半村さんもいいですよ。捕まったらまず、事情聴取されるでしょうね。僕はそこで、事件のあらましを喋りますかね」
その一言に半村の肩がびくんと跳ねる。細軒も表情を険しくした。
「そんなことをしたら……」
「困るのは、半村さんでしょうね。何せ他の二人は余裕で時効が成立していますが、貴方はぎりぎり法に引っ掛かります。せっかく都市伝説のおかげで世間の目が離れていたのに」
「そ、そんな!」
愕然とする半村に一瞥もせず、加瀬谷は細軒と沈黙を保っていたもう一人──叶李を見る。
「まあでも、貴方たちは一蓮托生でしょう? 時効が成立していても、殺人犯と噂が立てば、世間から白い目で見られることは確実です」
「そうかもしれませんね」
黙したままの叶李の前に出、細軒が穏やかに相槌を打つ。
ところで、と彼は話題転換をした。
「ちょっと気になっていたんですが、クリスマス事件はどうしたんです? あなたの口振りから、てっきりこの中の誰かが犯人だと思っていたのですが」
細軒の疑問に加瀬谷はふっと笑みをこぼす。
「今この場で告げる必要はないと思いましたが、やはり気になりますか。では説明しますが……貴方たちはもうわかっているのではありませんか? だって貴方たちは一蓮托生なのでしょう?」
加瀬谷の言葉の意味を計りきれなかったらしく、この場で最も現状を理解してあるだろう細軒が「はて?」と疑問符を浮かべる。
「同じホールで罪を犯した人間がたまたま四人共同じハイツに住んでいる、なんて妙じゃありませんか?」
「四人? 私と半村さんに灯くん、叶李さんのことかい?」
「いいえ」
加瀬谷はきっぱりと告げた。
「細軒さん、半村さん、叶李さん、梶さんの四人ですよ」




