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「まずは半村灯くん、君からです」

 加瀬谷に名を呼ばれ、びくんと肩を跳ねさせる灯。加瀬谷は冷たい眼差しで告げた。

「君は真夜中に亡くなった友達とこのホールに肝試しに来ていたようですね」

「な、何言ってるのお兄ちゃん。変な言いがかりはよしてよ」

「そうです。そもそもこの子が夜中にいなくなっていたら、私が気づきますよ!」

 灯と紗菜絵は二人がかりで加瀬谷に反論する。しかし、加瀬谷は淀みなく続けた。

「二人がある理由から共犯になったなら、その言い訳はたやすくできるようになります」

「!!」

 二人は言葉を失った。

「さて、灯くん。君はここに来て、ピアノを開けて弾きましたね」

「な、何を」

 加瀬谷は鍵盤蓋を開ける。

「音はたぶん、こう」

 だんっ

 耳障りな不協和音が響く。その音に灯はびくりと震え、同時に驚愕する。

「な、なんで……」

 あのとき、適当に弾いたはずの音が忠実に再現されていたのだ。

 加瀬谷の顔を仰ぐと、彼は淡々と説明した。

「調律師の作業は大きく分けると三工程あります。調律師だった半村さんならわかりますよね?」

「整音、調律、整調」

 加瀬谷に水を差し向けられ、半村はぼそりと答える。

「そのとおりです。整音は全体的な音のバランス、音量などを整える作業。調律は皆さんご存知かと思いますが、音程を合わせる作業です。そして三つ目の整調。これはピアノの弾き心地を整える作業です。意外とこれが重要な作業で、奏者がいかに気持ちよく弾けるかに関わってくるんです」

 ぽろんぽろんぽろん、と加瀬谷が鍵盤を叩いていく。

「例えば、鍵盤を叩くとき、鍵盤が重かったり、鍵盤が戻ってこなかったりすると、音のタイミングがずれたり、変な不協和音になったりして、演奏に支障が出るんです。それで、整調作業をしていて気づいたんですがさっき弾いた音」

 だんっ

 加瀬谷は再び同じ不協和音を奏でる。ガーンという鋭利な音がその場の者の鼓膜を引き裂くように響き渡った。

 なかなか止まない音に灯が耳を押さえて顔をしかめる。

「いつまで弾いてるのさ、お兄さ」

 不満は途中で途切れた。

 何故なら加瀬谷はとうに鍵盤から手を離していたから──つまり、鍵盤がいつまでも沈んでいたのだ。

「この鍵盤、どうも重いんですよね。灯くん、随分乱暴に弾いたんじゃないですか?」

「そんな……そんなことって……」

 打ちひしがれる灯をそのままに、加瀬谷は続いて半村に目を向ける。

「次は半村さん、貴方です。十七年前、貴方はここの警備員さんを殺害しました。自殺に見せかけて。……まあ、トリックというには随分お粗末なものでしたが」

 半村の眉が加瀬谷の挑発的な物言いにぴくりと跳ねる。しかし半村は特段慌てた様子もなく応じる。

「ほう、それは興味深い。一体どんなトリックだったんだい?」

 加瀬谷は鍵盤から離れ、屋根を持ち上げる。突き上げ棒を引っかけると、中を示した。

「あの事件、公には警備員の首吊り自殺とされていますが、首にはロープ以外の跡が残っていました。ちょうどこの──ピアノ線のような」

 びぃん、と一本弦を弾く。

「貴方は以前、調律師をしていた。このコンサートホールは一年あたりの演奏会の回数が多く、また、ピアノ自体が音程の乱れが激しいため毎日調律師を呼んでいます。専属の調律師もいましたが、毎日毎日来られるわけでもありません。その間に臨時で雇われた調律師も何人かいたようです。その中に貴方の名前がありました」

 ちょうど十七年前です、と加瀬谷は鞄からノートを取り出し、開いて見せる。そこにはずらりと日付と人名が並んでいた。

「これは?」

「事務室で管理している調律を依頼した調律師の帳簿です。ちょっとお借りしてきました」

 専任の調律師が決まる前から様々な調律師に依頼をしていたため、主に給料の振り込みなどで連絡を取り合うために管理していたらしい。

 十七年前の日付で"半村由行"の名もあった。

「この日付、ちょうど事件のあった前日のものなんですよ。それであれば、二百三十本もあるピアノ線のうち一本くらいは切れるでしょう」

 言うと加瀬谷はおもむろにぽーん、と一つ鍵盤を叩いた。

「この音でしょうね。切られた弦のあたりは」

「は?」

 わけがわからないという顔をする半村を見、加瀬谷は仕事鞄をがさごそとする。

 中から取り出したのは掌大の四角い機械。スイッチを入れ、また同じ音を鳴らす。すると液晶画面の中に現れた棒が真ん中より左側の部分でゆらゆら揺れていた。

「半村さん、これが何だかわかりますか?」

「……さあ?」

「貴方が結局買わなかったチューナーです。この音はいつも不安定で、かなり調整をしなければなりません。それがあまりにも不自然だと僕は常々考えていました。けれど、ピアノ線が切られたと考えると合点がいきます。幸い切られたのは弦三本で構成される高音域。残りの二本を調整すればどうにか音程はとれます。けれど」

 もう一度加瀬谷は同じ音を弾く。チューナーはやはり左寄りのところでぶれていた。

「一本弦がないだけでこうも音が不安定になります。この一音を整えればいいじゃないか、というだけでは済みません。

 先程説明したとおり、調律師の作業の中には整音という全体の音のバランスを整える作業があります。わかりますか? 一音変えるだけで、他の音も微調整をかけなくてはならなくなるんです。不自然な音のバランスにならないように。つまり貴方がピアノ線を一本切ったことが、このピアノの調律が難しいと言われる原因の一つになっているんです」

「はっ」

 加瀬谷の主張を半村は一笑に伏す。

「それが何になるというんだね? ピアノ線を切ったのが私だと、断定できる証拠にはならないじゃないか」

「そうですね。証拠はここにはありません」

 それ見ろ、というような視線を半村は向けてくるが、加瀬谷は怯むどころか鋭く睨み返した。

「ここにはありませんよ。でも、()()()()()()()()()

「……何?」

 加瀬谷の断言に半村が動揺する。

 加瀬谷は視線を紗菜絵と灯の方に移した。

「僕がいつか、貴方たちの家のアップライトピアノを調律したのは覚えていますよね?」

「え? ええ」

 突然の話題の変化に戸惑いながらも頷く紗菜絵と灯。

「あのときピアノを弾いたのも聴いていましたよね」

「うん、お兄ちゃん、仮面舞踏会上手だった」

「褒めても何も出ませんし、君の罪がなくなることはありませんよ?」

 純粋に褒めただけかもしれないが、加瀬谷は灯に釘を刺す。容赦のなさに灯は凍りついた。

 それはさておき、と加瀬谷は続ける。

「あのとき実は変な音がしていたんですよね。ピアノを弾く中で微かに何かが干渉して出す音。ギターを弾いたときなんかに聴く音とよく似ていた気がするんですが、何でしょうね?」

 問いかけの形で加瀬谷が言葉を向けると、半村の顔面は蒼白になった。

 そうそう、と加瀬谷は付け加える。

「自殺した警備員の首筋にはロープ以外の紐の跡と共に、切り傷が見つかったんです。これもあったから、僕はピアノ線が凶器と踏んだんですが。……もし、そのピアノ線が見つかったら、血液なんかが付着しているかもしれませんね」

「あ、あ、あああっ!!」

 半村が錯乱したように頭を振って叫ぶ。加瀬谷はそこに近づき、目の前に立った。

 たんっ

 軽く踏み切り──

 ごっ

 拳を思い切り半村の頬に叩き込んだ。

「あなた!」

 紗菜絵が吹き飛ばされた半村を抱き起こす。悠然と佇む加瀬谷をきっと睨み付けた。

「いきなり何するんですか!」

「何もかにもありません。こう見えて僕は腸煮えくり返っているんですよ」

 加瀬谷は穏やかな声音で、しかし瞳には確かな怒りを湛えて告げた。

「ピアノ線を切る……ピアノを傷つけるなんて、ピアノ調律師になりたいと言っていた人がするようなことではありません。わかっていますか? 貴方は紫埜浦先生に破門される以前から、調律師失格なんですよ、半村由行さん!」

 微かに拳を震わせて言い放った加瀬谷に、半村が返せる言葉はなかった。




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