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加瀬谷が叶李、細軒、半村一家の五人と対峙しているのを由依はステージの袖から見守っていた。
「貴方たちは、罪人なのですから」
五人に向かいそう告げる加瀬谷。由依はとうとう始まるのね、と固唾を飲んだ。
数時間前に遡る。
地下の練習室で加瀬谷を見つけた由依は加瀬谷が奏者を見送ったのを見計らい、呼び止めた。
「大変よ!」
「あ、由依さん。大変って……それよりその手は」
まだ赤く腫れたままの手を由依は慌てて背中に隠す。それより、と続けた。
「叶李秋子、細軒責、半村由行、紗菜絵、灯って名前に心当たりはない?」
「同じハイツに住んでいる方たちですが、どうして由依さんがあの人たちの名前を?」
「その人たちはここで起こった事件の犯人よ!」
由依の言葉に加瀬谷の表情に緊張が走る。
「どういうことですか?」
由依は知っていることを端的に話した。
「数ヶ月前の子ども凍死事件。あれは一緒に肝試しに来た灯という子どもが喘息の発作で苦しむ友達を置き去りにしたから起こったの。あの事件の翌朝、灯は母親の紗菜絵と一緒に事件現場に来た。捜査に来ていた刑事の姿を見て二人共怯えていたから、母親も息子からことの真相は聞いていたはずよ。共犯ね。
十七年前の警備員自殺事件。あれは現場を見ていないけれど、半村由行って男がやった。あの人は一時期ここの調律師をしていたの。そのときにピアノ線を一本切るのを見たわ。
二十七年前、調律師殺害事件。その犯人は細軒責。警備員をやっていたの。見回り中に……犯行現場を見た。
そして……叶李秋子は、三十年前の最初の事件に関わっている」
最後の一言がどうしても震えてしまう。由依はこのコンサートホールで起こった事件を全て目撃している。最初から、全て。
加瀬谷はクリスマス事件を除く全ての事件について語ったために何か気づいたようだが、何も言わず、先を促す。
「それで?」
「その人たちが今このホールに来てる。貴方の命を狙って」
由依の発言に加瀬谷は訝しげに眉をひそめた。
「また唐突ですね。どうして僕がその五人に狙われるんです?」
由依は一瞬言葉に詰まった。それは一言で説明するには難しい上に、由依の推測が多分に含まれる。ほぼ正解に近い推測ではあるが。
少し迷いはしたが一拍の間を置いて、由依は語り出した。
「都市伝説は知ってる?」
「このホールのですか? ピアノの幽霊が人を殺すとか、夜にピアノを聴くと死ぬとかいう」
「それ、貴方はどう思う?」
「どうって……人間らしい噂話ですね。大半が出鱈目でも、たった一つの事実が含まれているだけでぐっと信憑性が高まってしまう。それを体現したような話だと思います」
いつの世もそう。"人の噂話ほど当てにならないものはない"という言葉がありながら、人はまず最初に耳にした噂を信じる。矛盾した事象のように思えるが、それが横行しているのも事実。
特に都市伝説などというものは人の噂から生まれ、広がっていく。伝言ゲームに例を見るように、いらぬ尾ひれや間違いを纏って。
このコンサートホールの都市伝説も同じだ。
「ピアノの幽霊……つまり私は存在するけれど、これまでの事件で亡くなった人たちは私が殺したわけではないわ。夜その人たちがピアノを聴いたのも偶然に過ぎない。都市伝説は犯人たちのカモフラージュに利用されただけよ。本当に事件を起こしたのは、犯人たちなのだから」
後ろに隠した手をきゅ、と握りしめる。じん、と痛みが走ったが、それをこらえて由依は言葉を次ぐ。
「けれどそこに貴方がやってきた。貴方はこのコンサートホールに勤めるようになって、"死なない調律師"という新たな都市伝説を生み出し、既存の都市伝説を打ち消そうとしている。都市伝説で犯罪から逃れていた犯人たちにとって貴方という存在は脅威なの」
新たな都市伝説"死なない調律師"。本人である加瀬谷には何も特別なところなどない。けれど、以前からある都市伝説に則って死なない。その事実が新たな都市伝説として広まり、以前の都市伝説を打ち消した。
以前の都市伝説の信憑性がなくなってきたのだ。
その信憑性を取り戻し、罪を隠し続けるために犯人たちは新しい都市伝説を──死なない調律師・加瀬谷縁を殺そうとしている。
「なるほど。これで繋がりました」
由依の必死の訴えを加瀬谷はようやく理解した。
「ありがとうございます。僕の中にあったいくつかの疑問が解けました。……あとは、罪を暴くだけですね」
「え?」
「実は、犯行の手口は大体わかったんです。貴女と共に三十年間ホールを見つめ続けた"彼女"が教えてくれました。
これで、僕はあの人たちを負かせます」
つまり、あの五人と対峙するということ?
由依は混乱する。
「だめよ! あの人たちは貴方の命を狙ってるのよ。近づいちゃ」
「大丈夫です」
加瀬谷は優しい眼差しで由依を見つめる。そっと後ろに隠れた手を取った。
優しい手に腫れぼったい手が包まれる。不思議と痛みは感じなかった。
「"死なない調律師"が都市伝説に終止符を打ちます。だから貴女はそれを見ていてください」
澄んだ声が優しく鼓膜を震わせる。
「はい……」
吐息のように呟きが零れた。




