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 夜。

 加瀬谷はしばらく自宅には帰れない。

 ということで。

「ただいま……でいいのかな?」

「おかえりなさい、縁くん。あら、おうちに帰ってきたら"ただいま"が常識ですよ」

 加瀬谷は電車で卯月町の紫埜浦家に帰った。箕舟には昨夜のうちに事情を説明している。

 昨日「いってきます」と出ていって一日も経たずに戻ってきたので、何か気恥ずかしかった。

「それにしても、物騒ねぇ。お部屋に死体、だなんて」

 全くだ。さすがの加瀬谷も一瞬頭が真っ白になったくらいだ。

 部屋の鍵は持っていたのに、何者かに侵入され、自殺(?)(かっこはてな)された。

 (?)(かっこはてな)がつくのは、まだ警察が自殺と断定していないからである。一応、部屋に散らかっていた紙ひこうきは全て回収され、"遺書"という方向で分析されそうだ。

 正確には加瀬谷に向けた"警告"だろうが。

 まずをもっての問題は、あの首吊り男が正体不明なことだろう。あの紙ひこうきから見て隣の二〇二号室の住人だと思われるが、二〇二号室には男の身分を証明するものが一切なかった。

 一応隣の住人かもしれないという推測と二〇一の叶李が何か知っているという可能性は警察に話してはきたが、果たして捜査が無事に進むかどうか。

 とりあえずわかりきっているのはしばらく二〇三号室には帰れないということだ。鍵は警察に預けてきた。

「今日は冷やし中華作ったの。食べる?」

「はい、いただきます」

 居間の前で一旦別れると、加瀬谷は自分の部屋──ピアノ部屋に行った。

 目の前のピアノにコンサートホールのピアノを重ね合わせる。

 おそらく、何も違いはないのだ。あれとこれは。

 しかし、あのピアノは歪められてしまった。人の手によって。正常なピアノを見て確信を持つ。

 加瀬谷はその事実に唇を噛みしめ、愛しげに屋根を撫でた。

 とたとたと足音が近づいてくる。戸を開けて、箕舟が顔を覗かせた。

「縁くん、仕度できたわよ」

「ありがとうございます。今行きます」

 加瀬谷は名残惜しさを紛らすように突き上げ棒を立ててから立ち去った。


「お仕事はどうなの? 上手くやってる?」

「まあ、ぼちぼち……でしょうか」

 そんな他愛ない言葉を交わしていると、なんとなく懐かしさが込み上げてくる。

 子どもの頃は学校から帰ってくると、夕飯時に似た質問をされていた。


「縁くん学校はどうなの? お友達と上手くやってる?」

「……」

「いじめられたりしてない?」

「だい、じょぶ……です」


 ぎこちない言葉ばかりで、箕舟にはたくさん心配をかけてしまった。

 今は大丈夫。ただ周りがどこかおかしい。

 二〇一の叶李は引っ越し当初から二〇二の住人のことを隠そうとしていた。一〇三の半村もコンサートホールに関しての反応がおかしかったし、紫埜浦の日記から加瀬谷が抱いていたイメージとかなり違う人物であることもわかった。一〇二の梶に至ってはまだ会っていない。一〇一の細軒は好意的な印象だが、コンサートホールの事件に何か関わりがありそうだ。

 極めつけはやはり今回の二〇二の人物の事件だろう。自殺(?)(かっこはてな)もそうだが、数日前にあった紙ひこうきのメッセージ。あれがとても気になる。

 それに、二〇二の事件が唯一加瀬谷の私生活に多大な影響をもたらしている。

 だからといって近隣トラブルがあったわけでもないのだが。

 それに職場は比較的皆好意的に接してくれる。富貴屋のふてぶてしい言動や柚花梨の心境は気になるところだが、直接的な問題とはならないと踏んでいる。

 それらを踏まえて加瀬谷が出した"ぼちぼち"という答えに箕舟はくすくすと笑った。

「ぼちぼちって。縁くんったらそんな言葉を使うような年になったのね」

「? 何かおかしかったですか?」

「いいえ、面白かったの」

 ほぼ同義ではなかろうか、と麺をすすりながら呑気思考に浸りかけたそのとき。


 ばたーん


 扉よりも重いものが勢いよく閉まるようなそんな物音がした。突然の大きな音に両者、びくりとする。

「な、なんの音かしら?」

「……おそらく、ピアノの屋根が崩れた音ですね」

 声は冷静だが、しまった、という表情で加瀬谷が口にした。

 出がけに立てた突き上げ棒が屋根にちゃんと引っ掛かっていなかったのだ。なんたる失態。

 ピアノが傷ついていなければいいが。

 加瀬谷は席を立ち、ピアノ部屋に向かった。案の定、屋根が閉まっていた。

 この部屋は防音になっているが扉が開け放しつあったため、さっきの音が聞こえたのだろう。そんなことを考えつつ、屋根に傷がないことを確認する。よかった、と胸を撫で下ろした。

「それにしても、すごい音だったな……ん?」

 何か脳裏に閃くものがあった。とんでもないことを思いついたような気がする。

 何を考えたか。今後こんなことがあってもピアノが傷つかないように、その場を離れ、突き上げ棒を立てていくときはクッションを敷こうとかそんなことを。

 クッション。

 どんなクッションがいいだろうか。平和なことを考えていて、何故かふと、春加コンサートホールの第二の事件"調律師殺人事件"を思い出す。

 頭を強く殴打され死亡。凶器は見つからず。

 コンサートホールのピアノはおそらく、屋根が欠けるか何かして傷ついている。

 屋根が欠けるほど強い衝撃、固いクッションがあったとしたら。

 その可能性に加瀬谷はぞっとした。

 第二の事件の凶器が見つからないはずだ。






 それは、ピアノなのだから。




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