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 その日も由依は姿を見せなかった。柚花梨ともなんだか気まずい雰囲気になり、加瀬谷は戸惑うばかりだった。

 加瀬谷は不安を抱えながらも帰宅途中に図書館に寄る。

「あら、加瀬谷さんいらっしゃい」

 柄仁枝が明るく声をかけてきた。この感じはかなり久しぶりかもしれない。

 近頃はあまり図書館にも来られず、来てもなかなか柄仁枝と会えるタイミングではなかった。

 柄仁枝の朗らかな笑顔を見て、加瀬谷はなんとなくほっとする。コンサートホールにいる間はなんだか息が詰まっていたのだ。

 それに、柄仁枝に相談があった。柚花梨のことで。

「久しぶりね。最近忙しいの?」

「そうなんです。なんか夏になった途端輪をかけて忙しくなったようで」

「あー、夏ね。確かに夏になると多くなるのよね。毎年だよ。でも、ちゃんと理由があるんだ」

「あるんですか?」

 意外だ。

 頷くと、柄仁枝は加瀬谷を先導して歩き始めた。暗黙の了解でコンサートホールのブースに向かう。

 ブースに着くと、柄仁枝は話を再開した。

「実は曽根崎春加の誕生日と亡くなった日が夏だと噂されてるんだよ」

「誕生日? 曽根崎"春"加なのにですか?」

 親のネーミングって本当にわからないわよねー、と柄仁枝が呟く。

「でも正確なことは不明。曽根崎春加自身に謎が多いから、多くの人が彼女に惹かれるんでしょうね」

 どうやら曽根崎春加という人物は世界的な有名人であるにもかかわらず、正確な生年月日がわかっていないらしい。

 有名になったときには既に家族は亡く、天涯孤独だったそうだ。彼女が亡くなった際は友人が葬儀を開いたのだとか。

「夏が誕生日なんだか、亡くなった日なんだか、それとも両方かは噂だから正確かわからないけど、春加コンサートホールが毎年お盆に慰霊コンサートをやるのは曽根崎春加の追悼もあるのよ。まあ、単にお盆だからかもしれないけど」

 お盆は先祖などの霊が一時的にこちらに帰ってくる日だ。曽根崎春加の霊を慰めたい──そんな思いから始まったであろう毎年の慰霊コンサートを、果たして曽根崎春加は見ているだろうか。

 ブースの"伝記系"の本が立ち並ぶ中に加瀬谷は手を伸ばす。ぱらぱらとめくってみると、曽根崎春加はやはり謎めいた人物らしく、どの伝記でも違うことが書かれていた。

「今日は事件記事じゃないんですね」

 加瀬谷の手にしている本を見、柄仁枝が言った。

「里帰りして、師匠の家で事件の記事はあらかた読んできたんですよ」

「え、加瀬谷さんってサングラスのおじさんと親戚なの?」

「養子なんです」

 柄仁枝はここが図書館であることも忘れ、大声で驚く。直後にしまった、と思ったらしく、手で口元を押さえた。

「全然似てない……」

「血は繋がってませんから」

「そういうことじゃなくて、性格が」

 性格や習慣は育ての親に似る場合が多いからだろう。柄仁枝は不思議そうに加瀬谷を見つめた。

 加瀬谷はふと思い返す。紫埜浦といた時間はどれくらいだっただろうか。……紫埜浦はいつも仕事で忙しく、調律のことを教えてもらう以外はあまり顔を合わせていなかったように思う。

「いやぁ、でもまさかあのおじさんの養子だったとは。苗字違うから全然気づかなかった」

 柄仁枝の言うとおり、それは加瀬谷も以前から妙に思っていた。何故元の親の姓のままなのか。割と好きなのでかまわないが、常識から考えるとおかしかった。

 幼い頃に一度理由を聞いたが、確か「友人(ダチ)の名前、嫌いじゃないからな」と言われてごまかされたような。

「確かに、加瀬谷って苗字はあたしも好きだな。同じ"ゆかり"でもうちは"笹木"だもの」

「そうですか? 笹木というのも素敵な名前だと思いますが」

 加瀬谷のコメントに柄仁枝は渋面を浮かべる。

「うちは"笹の木"って書いて"笹木"だけど、発音は結局"ささき"じゃない。一般的な"佐々木"さんとよく字を間違われるのよね。あたしはそれが嫌だ」

 なるほど。確かに世の"ささきさん"は圧倒的に字は笹の木じゃない方が多い。

「人の名前書き間違えるのってすごく失礼でしょう? でも、そっちの佐々木の方が一般的なのもわかるからあまり強く言えなくて。そのもやもやしたのが嫌なんですよー。その点で言ったら、春加コンサートホールの富貴屋さんは間違いがなくていいですけど」

 意外な名前の登場に加瀬谷はえっ、と声を上げた。

「富貴屋さんって富貴屋礼司館長ですか?」

「そうそう。ちょっとふんぞり返ってるけど、本当は礼儀とか心得てる人なんだ。柚花梨とはそりが合ってないみたいだけどね」

 やはり、柄仁枝は姉妹なだけあって、柚花梨の状況を知っていたようだ。

「偉そうにしてるからわかりづらいんだけどね、あの人、悪い人じゃないよ。柚花梨がお弁当忘れて届けに行ったとき、すごく丁寧に挨拶してくれたし。笹木ですって名乗ったら最初、別な佐々木さんが出てきちゃったんだけど、あたしの名前を聞き直して、柚花梨にちゃんと繋いでくれたし、名前間違えたのきちんと謝ってくれたのよ。あまり気にしてなかったんだけど、やっぱり気を回してもらったら悪い気はしないですから」

 加瀬谷も記憶を呼び起こすと、今日はスーツ以外にも言葉遣いについて注意していたような気がする。

「偉そうにして鼻につく言い回しばかりするから周りから好かれてはいないようだけど。こう、みんな割り切っちゃえればいいのにね」

「そうですね」

 柄仁枝は寂しげな面持ちになった。

「柚花梨は特に真面目だから、富貴屋さんに色々言われて気に病んで、若干富貴屋さんを嫌ってるのよね」

 若干どころではなさそうだが、と加瀬谷は昼間の柚花梨の"独り言"を思い起こす。

「変な風にならなきゃいいけど……」

 柄仁枝の呟きが波紋のように場の空気を震わせた。




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