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 また暗喩文。

 "一番手のかかる別嬪さん"とは間違いなく春加記念コンサートホールのピアノのことだ。それがあるのは"パンドラの箱の中"らしいが。

 仰々しい表現だ、と加瀬谷は溜め息を吐く。要するに何かの中に納められているのだろう。

 パンドラの……開けてはならない箱。

 そういえば、と思いついた加瀬谷は紫埜浦の部屋に戻った。

 日記を閉じた以外は散らかったままの机の上を色々まさぐる。目的のものがなかなか見つからない。さすが師匠、片付け下手は最後まで治らなかったか、などと失礼なことを考えつつ、机の隅にあったペンケースを開けた。

 その中に鉛筆に紛れて小さな鍵が一つ入っている。それを机の一番下の引き出しに差し込んだ。かちゃん、解錠。

「わ」

 中を見て思わず声を上げる。一番大きな引き出しの中にびっしりと大学ノートが納められていた。三十冊はあるだろうか。

 とりあえず、一冊引っ張り出してみると、"春加記念コンサートホールピアノ調律日記(一)"とあった。当たりのようだ。

 紫埜浦がいつからあそこのピアノ調律を請け負っていたかは知らないが、結構な冊数である。まあ、あのピアノだ。毎日通っていただろうから、無理もない。

 順番に読んでいくことにする。


「あの曽根崎春加の愛用ピアノだというから、どんなピアノだろうと楽しみにしていたが、案外普通のどこにでもあるピアノだった。

 正直がっかりだったが、よくよく考えるとこれはすごい。曽根崎春加が幼少から使っていたピアノなのに一切年季を感じさせない。見た目は新品にも見劣りしないと思う。あるときから全然見た目が年をとらなくなる奥さんみたいだ。

 ただ、音が酷い。

 声は井戸端会議の好きなそこらのおばさんみたいな残念さ。

 まあ、それを美女にするのが仕事だ。

 解せないなぁ。見た目がこんだけ綺麗なのに、なんだこの中身との差は。人に例えるわけじゃないが、普通なら年齢と中身は比例するはずだ。これまでこの別嬪さんを見てきた調律師がここまであからさまな手抜きをするとは思えない。その上これは"あの"曽根崎春加のピアノだ。一生かかっても触れないかもしれない貴重な別嬪さんを丁重に扱わないなんてどうかしている。

 そもそも調律師というやつはそういう変人がなるものだ」


 変人を公言した自らの師に加瀬谷は苦笑するしかない。

 しかし、あのピアノは紫埜浦が担当した当初からあんな感じだったのか、と唸った。

 薄いとは思っていたが、これで紫埜浦が担当していた時代に異変が起きたという可能性はなくなる。

 日記には細々と日毎にどのような変調に対してどのような対処を行ったかが綴られている。かなり調整をしたらしく、日記の大半は作業内容となっている。

 その結果、僅か半月でノートが埋まった。

 読みながらピアノの変調についての推理を展開しようとするのだが、どうもピースが揃わず、はかどらない。

 二冊目、三冊目を読み終え、四冊目を引っ張り出したとき、加瀬谷は自分のミスに気づく。

 というのも、四冊目のタイトルが"春加記念コンサートホール事件簿(三)"だったからだ。

 師匠が整理下手であることをすっかり忘れていた。

 日記の最初が一から三まで順番に並んでいたことは奇跡といっても過言ではないほどなのだ。他が順番どおりに並んでいるはずがない。

 仕方ない、と加瀬谷は全てのノートを出し、タイトルごとに分けて順番に並べ替える。

 調律日記を後回しにし、事件簿の方を読み始めた。


「春加記念コンサートホール開演記念公演自殺事件

 芸のないタイトルだがまあいいだろう。

 全てはここから始まったというような事件だ。これなしには巷で有名な"都市伝説"は語れない。

 図書館で調べた過去の新聞やら雑誌やらの記事だけではほとんど情報がないこの事件。さらっとおさらいすると春加記念コンサートホール設立記念の初コンサートに抜擢された新人ピアニストが公演初日終了後の夜にホールで自殺したという話だ。

 このピアニストに関しての情報がまあ驚くほどない。年齢もわからなければ男か女かすらわからないという。その情報量の少なさに"幻のピアニスト"と呼ばれているくらいだ。

 だが、色々調べてみたら、知り合いがその公演のピアニスト選考に携わっていたらしく、おぼろげではあるものの記事以上の情報を仕入れたのでメモしておく。

 選ばれたピアニストは二十代女性。ピアニストとしては駆け出しだったが、選考審査会の演奏で同じ曲を三パターンで弾き分けたそうだ。

 同じ曲のはずなのにそれぞれ違った魅力を持ち、聴き手を全く飽きさせない。そこに才能を感じた選考委員たちが、満場一致で彼女に決定したという。

 と、俺が聞いたのはそこまで。それ以上のことは覚えていないらしく、何故かそのピアニストの名前に関する資料は残っていないという。

 その選考委員会の本部が置かれていた場所で小火騒ぎがあった際に紛失したんだとか。

 どうにもきな臭い話だが、その小火は会議室のコンセントに傷がついていたところにたまたま委員が紙の資料を落としたために起こった偶発的なことらしいが」


 紫埜浦が語るとおり、明らかにきな臭い。何か仕組まれている気がする。

 まあ、加瀬谷がここで推測したところで始まりはしないのだが。

 ピアニスト自殺事件に関する資料はそこまでのようだった。ページをぺらりとめくる。

 次はやはり時系列順らしく、調律師殺人事件に関してだった。


「ピアノ調律師殺人事件。時系列的に自殺事件の次にあのコンサートホールが舞台となった事件だ。

 同じ畑の人間が殺されたと聞くとあまりいい気はしない。

 この事件が発覚したのは朝。明け方にホールを巡回した警備員が見つけた。

 夜、閉館時間中に管理していたのは当時は二人の警備員。この事件があってから警備員を三人に増やしたらしいが、今はそのことはいいだろう。

 見張るのが人間の目ならば、いくらか抜けていても仕方ないとは思うのだが、一応、あのホールは夜九時以降は警備員室脇の非常出入口からしか出入りできないようになっている。九時以降に出入りした人物に関しては管理ノートに名前の記入をするよう徹底して管理していた。

 さすがにそんなに遅くまでいる人物は多くない。

 その日の九時以降、館内に残っていたのは警備員以外だと殺された調律師だけらしい。その調律師ってのは俺の前任なわけだが。

 一応、俺の他にも何年かの間何人かの調律師にピアノ調律を依頼したらしいが、毎日根気強く通うような奇特なやつはなかなかおらず、俺にお鉢が回ってきたとのこと。

 ピアノが頻繁に変調を起こすようになったのは最初のピアニストの自殺事件かららしいが。幽霊の仕業とかふざけた噂が横行している。全く、馬鹿馬鹿しい話だ。

 と、話が随分それた。調律師殺人事件の件は迷宮入りしただけあって、素人が簡単に犯人を見抜けるような証拠はなかった。俺は犯人探しをしたいわけじゃないからいいが。

 でもまあ、参考までに、当時から勤めている警備員と話をした。その日警備を担当していたやつだ。外から入れないんじゃ、真っ先に容疑者に挙がるのは警備員しかいない」


 そう書かれた下に綴られた警備員の名に加瀬谷は目を見張った。


「その男は細軒責といった」




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