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 由依の思いを知っているのかいないのか、加瀬谷は春加コンサートホールについて、事件を一つ一つ調べていた。世間をかなりざわつかせた事件ばかりだったため、刑事事件でも案外資料はあるのだ。

「閉館までそんなに時間はありませんよ」

 柄仁枝が傍らで忠告する。加瀬谷は頷きながら部屋の時計を見上げた。七時四十五分。閉館時間は八時である。

 加瀬谷は春加コンサートホールのブースでメモを取りながらさささっとページをめくっていく。走り書きの割に字は乱れていない。

「時系列順に並べると、三十年前、ピアニスト自殺事件。これが最も資料が少ない。二十七年前の調律師殺人事件。刑事事件となった割に一般メディアに対する情報提供がなされている。二十三年前、クリスマス事件。あれは死因が不明……というか心不全とされていてぼかされている。その割に現場写真とか普通に残っているのが不思議だなぁ。ここまでは時効で」

 ぴらり。メモ帳の新しいページを開く。すらすらとまた書き綴った。

「十七年前、警備員が首を吊って自殺した事件がありました。その自殺事件、一見すると自殺だけれど、ガイシャさんの首に残っていた痕が括っていたロープのものと一致しない。よって殺人事件の操作に移行されたが、犯人どころか凶器も手掛かりも見つからず。これは時効制度がなくなるぎりぎりのところの時系列にあったようですが、時効なしとなり、未だ捜査が続いている……はずですが、迷宮入りなんでしょうね」

 コンサートホールの警備員には加瀬谷も何度か会ったことがある。現在の警備員は十七年前の者たちからすっかり変わってしまったという。館長は変わらずあの富貴屋なのだそうだが、警察はここ数年、この事件に関して捜査に来ていない。事務方の人々から教えてもらった。

 事務の方々から色々聞き込んでいたら「加瀬谷探偵!」などと呼ばれたが、そんなつもりは毛頭ない。そもそも加瀬谷は娯楽として推理小説を楽しめない人間だ。

 そんな人間が何故この謎めいたコンサートホールの事件を気にするのか。それは事件の謎ではなく、ピアノの謎を解きたいからである。

 加瀬谷はピアノは起こった全ての事件をただ見ていたわけではないと思っている。主体的かどうかはともかく、直接的に関わっていたのではないか。

 例えば、屋根の一部が欠けるような事態が起こったとか。

 けれど未解決のままの事件から答えを導き出すのなら、やはり推理まがいのことをせねばならず。

 よって資料の情報を書き取れるだけ書き取っているのだ。

 ブースの中のものは特例であっても借りられないものがある。故に写す。

 そうしているうちに閉館時間がやってきた。

 仕方ない。帰ろう。

 メモを仕舞い、図書館を出た。


 何週間経とうと、加瀬谷の部屋は家具もなく、殺風景なままだった。必要最小限、小さな冷蔵庫とテーブルがあるだけ。一人暮らしだからそれで充分かもしれないが。

 帰ってくるのはいつも空が暗くなってから。コンサートホールの仕事はさっくり終わらせてくるのだが、図書館に閉館時間まで粘るせいである。まあ、翌日午前に演奏会を控えていると図書館に行く余裕すらないのだが。

 帰ってきて、まず加瀬谷のすることは電気を点ける、だ。

 といっても家に元々ついている蛍光灯ではなく、テーブルの上のLEDライトである。加瀬谷はそのテーブルで調べてきたものの整理をしながら仕事道具の手入れをするのがここのところの日課となっている。

 今日は一応、雑誌を一冊借りてきた。十七年前の警備員首吊り事件の関係資料だ。

 さすがに遺体の写真などは載っていないが、代わりに警察から説明があったと思われる遺体の様子が図に描き起こされていた。わかりやすかったため、借りてきたのだ。

 まず、春加記念コンサートホールはホール以外に受付窓口奥にある事務室、館長室などいくつかの部屋がある。

 表玄関と反対側にある非常出入口があり、わかりやすく裏口と呼ばれている。裏口のすぐ脇には警備員室があり、夜遅くまで館内にいた場合は必ず警備員室でサインをしなければならない。入るときもまた然り。

 他にはホール近くにソファがいくつか置かれた休憩所がある。二階の客席外にも同じようにあるが、ある部分から吹き抜けになっているため、二階の方は若干狭い。

 一階にも二階にも一つずつ放送室があり、一階は音響の管理、二階ではライトの管理を行っている。

 あとは地下にある楽屋と練習室。特に違いはないのだが。それぞれ三部屋、計六部屋あるため、名称が分かれている。練習室の方が広いだろうか。

 被害者は普段あまり人の通らない第二練習室で亡くなっていた。楽屋にも練習室にもそれぞれピアノが一台置かれている。このコンサートホールの公演は大半がピアノ演奏会なのだ。奏者の待機中のときのために置いてある。

 先程言ったとおり、楽屋に比べて練習室は広い。奏者の中には閉塞感を好む変わり者もいるため、練習室には楽屋と同じくらいの広さになるようにカーテンが取り付けられている。

 十七年前の警備員はカーテンレールに縄を引っかけて首を吊っていたという。随分と器用なことをしたものだ、と加瀬谷は感心した。

 感心しても仕方ないのだが。

 記事を読むに、どうも本当に首絞めに使用されたのはピアノ線らしい。

 ピアノ線と明記されてはいないが、首への食い込み痕や太さを見ていると、ピアノ線のように思えてくる。似たような太さの頑丈な糸や紐はあるかもしれないが。

「被害者の首には浅く鋭い切り傷がついていたという」

 浅く鋭い切り傷──それはただの紐や糸では難しいだろう。

「けれど、ピアノ線が凶器だとして、どのピアノの線が使われたかはわかりません。ピアノ線を取り除いたら、元に戻すのは至難の業ですし。……ああ、そもそもあそこのピアノの線を使ったとは限りませんか」

 どうも思考が偏っていけない。が。

「あれ? そういえば、ピアノ線って一台につき何本でしたっけ?」

 二百三十本前後である。

 一音につき低音は一本、高音になるにつれて二本、三本と増えていく。

 ちなみにピアノの鍵盤は八十八あり、ピアノ線は低音で一本のものは銅線を巻きつけた巻き線弦を使っており、高音の二本以上の場合は何も巻かない裸線を使っている。

 もちろん加瀬谷も基礎知識として学んでいたため知ってはいるが、彼はあくまで調律師であって、ピアノを作るわけではない。調律の際に数えることなどほとんどないため、総数はあまり覚えていないのだ。

「総数を……あ」

 少し閃くものがあったが、いやまさか、と口を閉ざす。聞いている者などいないだろう。自分の中にその考えを封じておくことにした。

 ピアノを愛する調律師としてはそれはあり得てほしくなかった。


 弦が一つ、切られたかもしれない、など──




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