来訪者
ホゥ、ホゥ・・・
月夜にフクロウの鳴き声が静かに響く。
パチ、パチ・・・
それに合いの手を入れるように、目の前の焚き火が小気味よい音を出しながら小さく爆ぜている。
「・・・」
ゴソゴソと焚き火にトングを突っ込みながら、番をしている男はふぅ、と息をついた。
「(王都マラッカまで、後十キロ程度か)」
このまま行けば、明日の昼には辿り着くだろう。そうすれば久しぶりに野宿を避ける事が出来る。野宿が続いているせいで、一、二箇所穴が開いているテントを買いなおすことも出来るだろう。
「(まぁ、こんな風体の男を泊めてくれるか、疑問ではあるが)」
と、次は少し自嘲じみた思考が流れる。
実際、彼の姿は少々奇妙な所があった。別に傾奇者のような恰好をしている訳では無い。彼の姿は青のローブを纏った普通の旅装束だ。
ただ、そのローブには不自然な穴が三個所程空いており、少しみすぼらしい感じを与える。そして彼が背負っているマシェットも特徴的だった。まるで根元から溶かされたような、どう見ても使い物にならないマシェットを彼は背負っていたのだ。
だが誰が何と言おうとも、彼はこのマシェットを捨てるような真似をしない。この剣は彼の相棒だからだ。
しかし現実問題として、刃物としての機能は有していない。
だから彼が今一本の木に向けて投げたのも、懐から取り出した投擲用のナイフだった。
「誰だ?」
抑揚のない声を、木に向けて投げる。その後ろ側にいる何者かがこちらを注視している事に、男は気が付いていた。
「・・・」
これといった返事はない。男は溜息を一つつくと
「では、こちらから行こうか」
と立ち上がる。
チリン・・・
すると微かな鈴の音と共に、木陰から一人現れた。
「あらあら、やっぱりバレちゃったのね」
クスクス、とこちらを挑発するように笑いながら出てきたのは頭から紫のローブを羽織った女だった。
フードの部分を目深に被り、尚且つ伏し目がちである為相手の表情は読み取れない。だが、その声色から楽しげな表情が読み取れた。
「何者だ」
武器は構えず、それでも警戒は解かずに男は尋ねる。
「・・・」
その質問に直接は答えず、女は一枚のカードを投げた。
男はそれを取ると、そこに書かれた文字を覗き込む。
そこには『大陸同盟調査室主任―アリス・クレバー―』と記載され、右下には尻尾を飲み込む大蛇を模した印がされていた。
普通の人間であれば、彼女の名前だけが確認できる。だが彼は違った。この名刺を持つものが『どういう所』に所属しているのか、彼は知っていた。
「・・・何の用だ」
今度は臨戦態勢で、男が尋ねる。が、女はそれを手で制す。
「待ちなさい。私は別に、貴方を捕縛する為に来たんじゃないわ」
「何?」
では何だ。
「少し、私達に協力して欲しい。そのお願いにやって来たの」
「・・・」
誘うような甘ったるい声音に少々嫌気を差しながら、男は構えを緩めた。
「貴方も知っての通り、私達は凶悪な危険因子を追いかける組織。その活動は大陸中に及ぶ。そう、文字通り大陸中に」
「・・・それで?」
「私達は少数精鋭で、国家・大陸レベルの危険因子を追跡する。・・・ただ、最近その数が増えて来ているの。一時的にね」
「・・・フン」
ここで男は納得がいった。
「つまりは人手不足の貴様らに手を貸せという事か」
「話が早くて助かるわ。貴方のプロフィールを簡易的に調べたけれど、中々に優秀なエージェントの様だったから声を掛けさせて貰ったの。それで、受けてくれるかしら?」
「・・・」
暫し男は沈黙したが、
「良いだろう」
答えを出すのに、さほど時間を掛けなかった。
理由は『断る理由がない』という消極的なものだった。それにプロフィールを調べられているとなれば、断ると厄介な事になる可能性もある。
「良かったわ。貴方なら、組織のメンバーと同等の働きが期待出来そう」
「いや、それ以上を保証する」
「頼もしいわね。それじゃあ細かい事項は明日の昼、その名刺の裏に書かれた場所で」
そう言い残すと、女―アリスはふわりと月夜に浮かび、マラッカの方角へと飛んでいった。
「(あの女、魔術師かあるいは・・・)」
そこまで男が思考した時、
「んー」
ガサガサと音を立てながら、テントから一人の少女が這い出して来る。ぼさぼさになったピンクのショートヘアの下で寝ぼけまなこをこすりながら、彼女はきょろきょろを辺りを見回した。
「・・・どうした?」
「・・・いや、何だか誰かがいたような気がして」
「それは間違いではないな。さっきまで依頼人がここにいた」
「依頼人って事は・・・」
「あぁ、明日マラッカに着いたら早速仕事の様だ」
「・・・」
その言葉を聞いて、少女は少し苦い顔を作る。
「ま~た、危険な仕事じゃありませんよね?」
「・・・詳細は明日聞くことになっている。取り敢えず今は寝ろ」
「・・・いまいち信用出来ない」
ぶつぶつと言葉にならない文句を言いながらも、睡魔が勝ったのか少女―ミランダ・クレデンタ―は大人しくテントに戻っていく。
「(恐らくは、危険な仕事だろうな)」
少女がテントに戻った後トングでもう一度焚き火をつつくと、男―バンブス・ツェントルム―は名刺の裏側を火の明かりに翳した。
***
ゴルド王国、王都マラッカ。人口一千二百万強とされる王国の中心であり、国の人口の二割弱がこの王都に住むとされている。丁度一年前にクーデターが起こりかけ、その中で国王も病死するという、国が崩壊するレベルの事変が起こったのだが、
「(まるでそんな様相は感じさせないな)」
王都の北側にある王宮から離れた、南部の路地を見ながらバンブスは思う。普通そんな事が起きれば王の膝元はともかく、王宮から距離を置いたこのような場所は真っ先に荒廃し兼ねない。
しかしこの路地には全くそんな荒廃を感じない。むしろ、今まで彼が見てきた街の中でも活気に溢れている方だ。
行き交う若者は次の試験の話やら、意中の異性の話やらで盛り上がり、主婦たちは井戸端会議に花を咲かせている。ふと見れば『王政を打倒せよ!』という看板を掲げた無政府主義者が何かを訴えているが、雑踏の中で彼に耳を貸す者はいないようだった。
「(この様子から見るに・・・)」
新しく王となった者は、相当に優秀な人物なのだろう。
「(一体どれ程・・・)」
王の人物像に考えが移ろうとした時、
「バンブスさん!」
ミランダの声が、バンブスの意識を引き戻した。
「何だ?」
「何だ、じゃないですよ。ここじゃ無いんですか、待ち合わせ場所って」
ミランダが指さす看板には大きめの文字で『レート・カフェ』と書いてあった。この国で一番出店数の多いコーヒーショップのチェーンだ。
「あぁ、そうだな。危うく通り過ぎる所だった」
「全く、しっかりして下さいよ。ここ最近野宿が続いて疲れがたまっているのは分かるんですけどそれは私も同じで・・・って置いていかないで下さいよー!」
声もかけずに店に入っていくバンブスに抗議を述べながら、ミランダも後を追って店に入っていった。
店に入ると二人はそのまま二階に上がる。そして指定された席、窓から最も離れた奥の席に目をやると、果たしてそこにはアリスがいた。だが彼女一人ではない。その横に、長身の男が座っていた。
「あぁ、こっちよ」
バンブスを見つけると、アリスは手招きをして彼を呼び寄せる。ローブを取った彼女の顔を、バンブスは初めて見る。銀髪のロングに、真紅の双眸。アイシャドウはシャーマンらしさを感じさせるようにキツめで、両耳に3つずつピアスをぶら下げている。
「あら、その子は?」
ミランダを見つめながら、アリスが問う。
「旅の連れだ。あの時はテントの中にいた」
「へぇ」
もの珍しそうに、アリスがじろじろとミランダを見つめる。
「な、何でしょうか・・・?」
たじろぎながら、ミランダが言う。
「あ、ごめんなさいね。貴女みたいな子を連れているなんて思ってなかったから・・・」
「コホン」
と、アリスの隣の男が軽く咳払いをする。
「あ~そろそろいいかな、アリス君?」
ニッコリと笑いながら、その男は言う。紫のスーツに身を包んだ男の見た目は二十代前半と言った所か。
「(いや、実際はもう少し年上だろう)」
とバンブスはその男をみて思う。というのも、その男は所々身だしなみを小奇麗にしており、実際よりも若く見えるようにしているからだ。
「あ、すみません室長」
「全く、世間話をしに来たんじゃないんだよ?本当はここでの仕事が終わったらさっさと帰る予定だったんだから」
室長と呼ばれた男は軽く笑うと、
「あぁ、すまないね。まま、座ってよ。それと何か注文したまえ。あぁ大丈夫、勘定は僕が持つからさ」
愛想よく、バンブスとミランダに話しかけた。
ミランダは「は、はい、すみません」とぎこちなく座り、さっと立てかけてあるメニューを取る。
一方バンブスは表情一つ変えずに座り込むと
「アイスコーヒー。ブラックで頼む」
素っ気なくそう言った。
「バ、バンブスさん。奢って頂けるんですからもう少し態度というものを・・・あ、私はアップルジュースでお願いします」
「いやいや構わないよ。むしろエージェントはこれ位無愛想な方が信用がおける」
笑って、男はミランダをフォローするが、
「(エージェント?)」
その言葉に彼女は反応していた。やはり危険な仕事ではなかろうかと。
「おっと、自己紹介が遅れてしまったね。僕はこういうものだ」
すっ、と手慣れた手つきで男は名刺を取り出して二人に渡す。
『大陸同盟調査室室長―ジェイド・ウィール―』と、その名刺には書かれていた。そしてアリスの名刺と同じように右下には尻尾を飲み込む大蛇を模した印がされていた。
大陸同盟調査室。それは国境を越えた犯罪対策室だ。犯罪といっても窃盗や殺人など、日常的に起こるものでは彼等は動かない。彼等が動くのは国家転覆や戦争の煽動等、世界の秩序に関わるレベルのものに限られる。組織の起源はゴルドの北側にある国、魔法都市エンパスにて発足した特殊警察だ。その能力と実績の高さに対する評判が各国を駆け巡り、各国から精鋭を集めた『秩序の守り手』を作ろうと王たちが合意形成を行い現在の調査室が出来上がった。
普通の生活を送っていれば彼等の名前すら耳に入れる事無く一生を終える。が、バンブスは違った。彼もまた、裏の世界でエージェントとして活動していた経歴がある。その活動の中には、彼等に目をつけられてもおかしくないものが入っていた。
目の前に置かれたアイスコーヒーを見ながら、そんな思索にバンブスは耽る。が、それもそこまでにしておいた。今はそういう事を考えている時ではない。
「しかし、大陸同盟調査室がこんな白昼堂々と交渉を行うとはな」
「下手にコソコソしないのが上手くやるコツさ。流石に窓際には座れないけどね。さて、じゃあ早速本題に入ろうか。アリス君?」
「はい」
ジェイドが合図をすると、アリスが無駄のない手つきで一枚の紙片を取り出す。
「今回の依頼だけど、この男を捕えて欲しいの」
「・・・」
黙ってバンブスは紙片を受け取る。そこには目の前にいるジェイドと同じくらいの年齢(こちらは特に着飾っていない為年相応に見える)であろう男の写真が貼り付けてあり、
『―トロン・クラック―』
と男の名前であろう記載があった。
「成程、こいつが『危険因子』とやらか」
「えぇ、この男は過去にエンパスの国家転覆を図った。そこを私達が何とか抑えたんだけど・・・」
「今度はゴルドに来ている、という訳か。一年前のクーデターとやらもソイツが絡んでいるのか?」
「いえ、その件に関しては彼は完全なシロよ。そもそもクーデターだったかどうかも怪しい事件だったけどね、あれは」
フフッ、と怪しい含み笑いをアリスは見せる。
「・・・まぁ、いい。それで、これ以上の情報は?」
「えぇ、勿論あるわよ。と、言ってもそんな大量の情報がある訳じゃないけど」
と、アリスはまた一枚の紙片をバンブスに渡す。
「少ないな」
「これでも集まった方よ。これじゃあ足りないかしら?」
「いや、十分だ。残りは俺の腕で補える」
「・・・貴方、やっぱり面白いわね」
至極個人的な感想を述べ、アリスが又妖艶な笑みを浮かべる。
「取り敢えず、ターゲットに関しては承知した。後は」
そこまで言いかけた所で
「あぁ、分かってるよ。報酬の事だね」
ジェイドが口を挟んできた。いくらか不機嫌な顔をバンブスは見せたものの、確かに報酬の話をしようと思っていた所なので、場の空気に任せておくことにした。
「今回の報酬だが・・・百万テネ(一テネ=五十円程の価値)でどうだろう?」
ぶごっ!、とストローから息を逆流させたのはミランダだった。
「ひ、百万ですか?」
「ええ。この男が世界秩序にもたらしている影響を考えれば、決して高い金額ではないと私は考えますよ、お嬢さん」
「・・・それだけ危険という事なんですね」
恐る恐るといった感じでミランダが問う。
が、その答えを待たずに
「いいだろう。その依頼、正式に受けさせてもらう」
バンブスは正規の了承を二人に向けて返していた。
「バンブスさん・・・良いんですか?」
「どの道放っておけばこちらにも厄介事が降り注ぐ。それに・・・」
「それに?」
「俺に出来ない事は無い」
「・・・」
最早呆れたといった表情をミランダは作り、その向かいでまたアリスがくつくつと笑っていた。
「ありがとう、助かるよ。それにしても君は随分と自分の力に自信があるみたいだね。君のような人間には初めて会ったよ」
「事実を正確に認識しているだけだ」
「そうか・・・だが、このトロンという男に油断は禁物だぞ。我々も彼を後一歩の所まで追い詰めた事がある。その時彼はどうしたと思う?」
「・・・」
「逃げたんだよ。勝ちの目が薄い事を一瞬で悟り、我々と一切対峙することなく背中を向けて逃げたんだ」
「・・・強者の様だな」
「それが伝われば何より。それじゃあ、早速今日から頼むよ。あぁそうそう、アリス君アレを・・・」
ジェイドが言うと、アリスは懐から何かを取り出してバンブスに渡す。
「連絡用の魔導水晶だ。この件に関してはアリス君にも情報収集に当たって貰うから、定期的に連絡を取ってくれれば嬉しいな」
「・・・」
バンブスは黙ってそれを懐にしまう。それを見て再度笑顔を作ると、
「それじゃあ、よろしく」
机の伝票を持ってジェイドは席を立った。
「じゃあ、また」
その後を、アリスも追っていった。
「・・・何だか、大事になりそうですね・・・」
不安の声色を交えたミランダの言葉を、
「・・・あ、バンブスさん置いてかないで下さいよ、まだ飲んでるんですからー!」
軽く聞き流して、バンブスはマラッカの街に躍り出た。