二章 十三話
街の近郊にオーク、現る。
つい数日前に衛兵によってもたらされたその情報は、瞬く間に街全体に広がっていった。この話を聞いて一番に動き出したのはギルド……ではなく、領主である。街の人間に危険が迫るだけではなく、数少ない貿易関連にも影響が出る可能性が高く、放置すればした分だけ損害が発生する。領主としてだけではなく、一人の商人としてもそれは無視できないことだった。
即座に編成された調査隊には、街の衛兵だけではなく、領主の私兵も混じっていた。数にすれば500人前後。多くは無いが、このグルグラの規模を考えると、相当な数の兵士を動員していることが分かる。
そして、当然のことながら、調査・討伐の話はギルドへも届けられ、すぐさま対応する事を命じられる。
ギルドは領主の直轄ではないが、少なからず街から援助を受けているため、こういった話を届けられると無視する事が出来ない。例え不可能でも、形だけは体裁を整える必要がある。
が、ギルドへと届けられた依頼を確認した冒険者たちは、皆一様に参加を表明する。それもそうだろう。街としてはそこまで大きくないがため、こういった大討伐とも言えるイベントじみた依頼はそうそう出てこない。一般冒険者としては、これ以上ない腕の見せ所だろう。普段はあまり討伐依頼を受けられない新米冒険者も、こういった場合は話が別であり、参加は自由となっている為か、おこぼれをもらおうとしたり、自らの実力を再認識してもらおうと奮起する者が多く現れる。
しかし、大勢での大討伐とはいえ、その内容はオークの討伐依頼である。そこまで実力が伴っていない冒険者や、新米では時に命を落とすことも少なくはない。万全の準備が求められるのだが、やはり冒険者全体で見ると浮足立っている者の方が多く見られる。
そして、それはもはやマルシアと固定パーティと言ってもおかしくはないあの少年少女達も同じ事であった。
「へへん、俺は今度の大討伐依頼でオークを五匹狩ってやるぜ」
「あ、じゃあ俺は十匹!」
「なんだと! それなら俺は十五匹だ!!」
「ヤメテよ二人とも」
少年が二人もいるとこうなるのは目に見えていた事だ。周囲の目を気にして少し恥ずかしげに二人を叱りつける少女の後ろではマルシアが苦笑いを浮かべている。
「そもそも、街の近くに現れたオークは五匹だって話だったでしょ? どこからそんなにたくさんオークがやってくるのよ」
「わかんねぇぜ、もしかしたら森の奥には大量のオークがいて、今回街の近くに出たのは斥候なのかもしれねぇじゃん!!」
「恐ろしい事を嬉しそうな表情で言わないで!!」
「あはは……」
ある程度分別のついた大人なら、そういった事に対して諌める言葉を持っているものだろう。が、ここでは、彼らを含め、そういった大人たちが皆同じ事を考えているため、迂闊に口走ると一気に空気が冷めたものへと変貌しかねない。あまり自信の有益に繋がることを考えていないマルシアにしてみれば、この場の空気はあまり心地いいものではなかった。
「ごめんなさい、マルシアさん。あいつら本当に馬鹿ばっかりで……」
「あぁ、うん……。仕方ないよ……」
「マルシアさん?」
少女の問いかけに、どこか上の空のマルシア。ここ最近、彼女はこうやって何かを考えているようで、実際は何も考えていないような状態が続いている。流石に討伐依頼等を受けていると、そうそう意識がどこかに飛ぶなどという愚行は犯さないものの、それでもこうして暇な時は上の空になっていることが多い。心配して声をかけても、こうして適当に帰されることがほとんどだ。
原因として考えられるのは、少し前から姿を消している一刀の事が第一に挙げられる。一時とはいえ、それなりに目をかけられていたにも関わらず、なんの一言も無しに突然姿を消したのだ。マルシアが彼を心配に思っていてもおかしくはない。
また、先日受付嬢から聞いたところ、一刀は単身でオークを討伐に行ったとか。街の近くに現れたオークの事もあり、もしかすると群れにでも当たり、殺されたのではないかという想像が頭をよぎる。受付嬢も、一刀がギルドに帰ってきていない為、最悪の結果になっていると思い込んでいるのか、あれから普段よりも更に熱心に依頼書の紙面を確認し、間違って依頼に承認してしまわないよう細心の注意を行っている。
そうやって、消えた一刀に対し後悔や心配を向ける少女の周囲の人間達だったが、何故か少女には一刀が死ぬところを予想する事が出来なかった。あれだけの実力や、人にあらざる殺気などを備えた人間が、そうそう死ぬはずがない。
直感ではあったが、少女のそれは実に的を射ているものである。そして、そこまで分かってしまう少女の勘は、既に一般人のそれではなく、冒険者として大成し始めている証拠でもあった。
「マルシアさん」
もし一刀が見つかった場合、どうしてやろうか等と不穏当な事を考えていた少女の対面、呆けているマルシアに向かって誰かが彼女の名を呼ぶ。
「あ、フェロさん」
「お疲れ様です」
柔らかな笑みを浮かべてマルシアに近づいて行くのは、グレーに近い銀髪をオールバックにしたフェロと呼ばれる青年。普段ギルドという場所ではあまり見ない美しい容姿と物腰柔らかな表情に、周囲にいた女性冒険者たちがその顔に見惚れている。それは、あの少女も例外ではなかった。
「珍しいですね、ここで声をかけてくるのは」
「少しですね、予想外の事が起きまして……。どうやら裏で動いている人がいるみたいです」
「裏……ですか」
フェロ―フェラルド・オーリアが言いたいことは恐らく今回の大討伐依頼の事だろう。あれが自然発生的なものではなく、人為的に起こされた事を見抜いている、ということだ。
現在フェラルドが行っている事をマルシアは知らない。いや、知らない、わけではない。ただ、肝心な部分をぼかして伝えているだけだ。現在フェロが行っているのは、教会に対し不信心を抱いている領主を説得すること。そう、マルシアは教えられている。
実際には、この街そのものが転覆しかねない状況を作り出そうとしていたのだが、その前に何者かによって似たような状況を作られることとなった。更に言うと、フェラルドの目的は領主を混乱させ、教会の力を以ってしてこれを鎮静させることであり、今のような領主が真っ先に対応する事は予想の範疇外であった。全くの計算外であると言える。
この現状を作り出している人物が誰かは未だに分かっていない。あの司教が進行状況を事細かに聞いてくることもあり、なかなかその姿が掴めないでいる。
この間から違和感を感じている領主の対応もそうだが、もしかすると本当に領主の近くには”誰かが”いて、事態をコントロールしている可能性がある。
「少し厄介な案件が増えているのかもしれません。任務を完了するにはもう少しかかりますかねぇ」
「そうですか……」
フェラルドの言葉もほどほどに、マルシアはその場で目を伏せる。
「何か心配ごとでも?」
「え? あ、いや……その……」
彼女にしては珍しいイマイチ歯切れの悪い返答。伏せられた目がフェラルドを見ることはなく、ただ床の一点へと集中している。
「そういえば、最近お気に入りのあの少年がいないようですが?」
お気に入りの少年、そうフェラルドが口にした瞬間、傍にいた少女の眉根が歪みに歪む。
「最近音沙汰無しです。先日オークの討伐依頼を受けた、って言ってましたから、もしかしたら今回のオークの群れに遭遇してやられちゃったのかもしれませんね」
「オークの討伐……ですか……」
「ちょっと……、そういうこと言っちゃだめだよ」
何やら考え込んでいるフェラルドに対し、マルシアは見て分かる程の動揺を見せる。流石にそこまで反応するとは思わなかったのか、少女は多少反省した様子を見せるものの、その目は別にあり得ない話ではないと暗に語っている。
「彼が、オークにねぇ……。確かにあり得なくはないね」
「ちょっと……、フェロさんまで!?」
心強い仲間を得て少し嬉しそうな表情を作る少女だったが、反対にフェラルドの表情は硬い。
「万が一、いや、億が一が本当に存在するのなら、ね」
「「??」」
以前、フェラルドが感じた一刀の気配は歴戦の勇士、なんてものじゃない。この世界で言う、英雄や勇者なんて称えられるほど綺麗なものでもない。
何を考えているのかも分からないまま、ただ近くに立っているだけで喉元に剣の切っ先を当てられているような感覚。しかもそれが、敵意や殺意を持つ者に対してのみ効果を表すという出鱈目具合。
まず確実にオーク等に遅れを取る事は無いだろう。むしろ、オークの討伐どころか、殲滅すらしそうな感じがする。
だからこそ、フェラルドは一つの結果に思い至る。
もしかすると、今回オークが街の近くに現れたのは、彼が仕組んだ事ではないのか? いや、むしろそれ以上に、近くにオークが現れたのをわざと衛兵に見つかるまで仕組んだ可能性もある。
先日、司祭の家で感じた人間の視線。それが彼であれば、司祭の目的とフェラルドが取ろうとしている手段は既に彼に知られている恐れがある。それを踏まえた上で、先回りされたのだとしたら?
「厄介ですね……。これは実に厄介ですよ」
改めて、この街に潜む”敵”を再認識したフェラルドは、マルシアへの挨拶もそこそこにギルドから出ていく。
仕込みは既に今回の大討伐依頼でおしゃかになった。ならば、それを上回る手段を講じなければならない。
が、その前に、やらなければならない事がある。
「不確定要素は、排除しないといけませんねぇ」
ギラリ、と腰に差された細剣の柄が光った。
「で、ここまではある程度予想通りかな? ただ、少し想定外だったのは、話が大きくなりすぎたことだと思う」
「思うって……、断定出来ない事を想定外だなんて言うんじゃないよ!!」
とある宿の一室。一刀は現在起きている事態を冷静に分析する。事は滞りなく進んでいる。それはもう、上手くいきすぎていると感じるほどに。
一刀としては、ただ街側にオークの存在に気付かせ、それを例の司祭とあの銀髪の青年への牽制とするだけでよかった。それがどこでどう変化があったのか、いつの間にやら街を挙げての大討伐にまで発展している。あまり冒険者に対して優遇されているとは言えないこの街にしては、随分と大盤振る舞いであるようにも感じる。やはり表だって見えないだけで、ある程度この街の人間も冒険者に思うところがあるのか。そこかしこに彼ら向けの店が乱立しているのが、ここ最近になって目立ってきた。
「問題なのかい?」
「いや、どちらかと言うと都合はいい。このまま押し切ってしまえば、オークの討伐達成と共にこの街は教会の庇護が無い状態でこの窮地を救った、という事実を植え付けることが出来る。最終的には、あの司教の居場所がこの街から消える事が目的だから、今の状態は実に順調極まりないと言ってもいい」
「その割には不満そうだね?」
「まぁ、俺も別に感情が無いとか、聖人とかじゃないからねぇ。この街の冒険者連中が得するのが少しばかり癪なだけだよ」
「あぁ、そういえば……。あの子に頭下げさせたせいで冒険者連中には散々言われてたみたいだね。でも意外だね、そういうことは全く気にしないものだと思ってたけど?」
「言われるだけなら気にはしないさ。実害があるなら話は別だが……」
「この街のギルドはもう使えないもんね。金策する為には、他の街に移らないとまともに依頼も受けられない訳か……。小さい街だから、ああいった場所での騒動はすぐに広まるだろうしねぇ」
オーク討伐依頼を受けたあの日以来、一刀がギルドの敷居を跨いだ事は無い。国や街単位での事柄なら動く必要性もあるが、個人に対してのやっかみや因縁等で動く気はさらさらない一刀にとって、今のギルドは行く必要性の感じない場所でもある。
依頼は失敗しても、一カ月は報告しなくても受注扱いされ、失敗したとはみなされない。が、一カ月以上経過すると同時に、受注事実が消滅し、再びフリーの依頼へと還元される。ようは、よっぽどの事が無い限り、失敗した依頼は報告の義務性が発生しないということだ。恐らくは、今回一刀が受けたオークの討伐依頼も、一カ月もすれば他の腕きき冒険者が受けることになるだろう。とはいえ、その一カ月の間にギルドも依頼者も何らかの損害が発生する事は必須であるため、ある程度期間が経過し、報告がされなかった依頼に関しては、再度依頼書が出される仕組みになっている。そう、この街に来る道中でファラナが言っていたのを一刀は思い出す。
よって、失敗したからと言って、ギルドに報告する必要もない。挫折した人間から、無理やり情報を搾りだそうとするほど、ギルドも非情ではないということか。まぁ、メリットデメリットで考えた場合、失敗した人間等、失敗した理由以外に価値など無いものだ。それならば、更に腕の良い冒険者を送りこむことを先決とするだろう。
だが、ここで一つ一刀は大きな思い違いをする。こういった小さい街では、輪は小さいものの、個々の繋がりが非常に深いということに。例え、一週間、二週間程度の付き合いであっても、非常に強い仲間意識を持つことに……。
「さて、それじゃあ次の段階に行きましょうか」
「うん? 次の段階って? これが最終的な目的じゃなかったの?」
「まさか。今の状況はあくまで過程が生み出した副産物に過ぎない。裏で蠢いている奴をあぶり出すための、ね」
「ということは、次はその炙り出すパートに移るわけかい?」
「そんなところ。叶うならば、後は自滅していってくれるに越したことはないけど、そうはいかない理由もあるからねぇ。出来れば不安要素は排除しときたいし」
「あの銀髪の青年か。実力もさることながら、多分情報収集能力も相当なものだと思うよ。下手すれば、もう君の事に気付いているかもしれない」
「その可能性は無きにしもあらず。……だからこそ、その懸念材料を潰しに行くんだよ」
「まさか……暗殺とかしないよね?」
「さぁ? それはどうだろうね」
ニヤリ、と笑みを浮かべる一刀の表情は、誰がどう見ても悪役のそれにしか見えない。これが、この街の救済の一端を担う人の笑み等と誰が思おうか。
一抹の不安を抱えながらも、端末は一刀の懐の中で揺られるしかなかった。