二章 八話
「……ん?」
夕刻、まるで棘のように刺さる視線を感じながら、グルグラへの帰路に着いていた一刀達。そろそろ街と外とを隔てる関所が見えるかというところで、一刀があるものに気付いた。
「カズト君?」
マルシアから声がかけられるも、無視する形で何やら関所の前で言い争いをしている人物へと近づいて行く。
「何やってんの?」
「だから会いにいくだけ……、って何? 後にしてくれ……カズト君!?」
「俺だけど?」
関所の番と言い争いをしていたのは、つい先日エルフの隠れ里へとルナを連れて行った筈のファラナだった。その容姿から、どうやら関所の番にあれこれ言い訳を付けられ、どうやら個人の趣味の為にこの場に留まらせられていたようだ。関所の番をしている男は先ほどからファラナの体に視線が釘付けになっている。
「良かった……。そろそろ魔法使って強引に突破しようかと思ってたから……」
「そいつは僥倖。知り合いが不法入国なんてしてたら、俺にも飛び火がかかってこないとも限らないからねぇ」
「私の心配じゃないのね……」
気をかけてでももらいたかったのか、あからさまに肩を落とすファラナ。
「で、こんな所まで来たからには何かあるんでしょ?」
ファラナのそんな様子に全く気にもせず、本題を切り出す。ルナと共にエルフの里へと向かったファラナだったが、当分戻れないようなことを言っていたにも関わらず、ここにいるということはそれなりに理由があるからだろう。流石に無碍にする訳にもいかない。
「おっと……、本題を忘れるところだったわ」
「カズト君?」
ようやく本題に移ろうかと思った矢先、背後からの呼びかけによってファラナの言葉は遮られる。
「……チッ」
「え?」
「いや、なんでも。それよりもどうかした?」
「ん? あぁ、いや……、その人は誰かなぁって思って。見たところエルフみたいだしさ」
正直なところ、マルシアには素通りして欲しかった一刀ではあったが、ファラナがいる手前、そうそう邪険には出来ない。漏れてしまった舌打ちには、とぼけた様子で返しておく。
「知り合いのエルフ。それだけ」
「知り合いの、ね……。もしかして、カズト君の実力云々に関係があったり……」
「知り合いの、それだけだけど、なにか文句があるなら聞くよ。まどろっこしいのは嫌いなの。イライラするからなぁ」
「前々から思ってたんだけど、カズト君の沸点がよく分からない。結構酷いこと言われてるのに気にしてないと思ったら、些細な事でキレるって……」
「マイペースなんだよ」
「どっちかと言うと、情緒不安定って言わないかな、それ……」
「なんでもいいよ。興味無いし。……それよりも」
ちょうど良くマルシアの追求から外れた内容に移行したのを見計らって、ファラナを連れてマルシアから距離を取る。
「ちょっとちょっと、私をこんな所に連れてきて何を……、ハッ! まさか、いやらしいことする気ね!? そうでしょ! とうとう私の魅惑のボディがカズト君を射止めて……アイタッ! ちょ、無言で叩かないで……アイタッ!」
変に身をよじるファラナを咎めるようにその辺で拾った木の棒で叩きまくる一刀。無表情でいるのが変に怖い。
「そんなことより、ここに来た理由をさっさと話しなさいな」
「もう……、せっかちなんだから。どうせこれからしばらくは会うことが出来ないんだから、少しくらいは浸らせてよぉ……」
「……? どういうこと?」
「長老会の決定でね、ルナの潜在能力が予想以上に高くて、現状ではそのまま置いておくにはもったいないってことになってね、しばらくは修行に専念させるってこと。これに関しては私も予想はしてたけど、その修行の内容の中には、私が指導するものもあって、これが結構時間がかかりそう。だからルナもそうだけど、私もしばらくはカズト君に合流出来そうにないわ」
「修行……ね」
「ルナフィリアの特徴ね。魔力量が多く、それを制御する事にも長ける……。単純な魔法技術ならルナフィリアの方が上よ。長老達も、ルナのそういうところに目を付けたんでしょうね。下世話な話だけど」
「人間もエルフも変わらないってことかね。下手に自我の強い生き物はこれだから面倒くさいんだよ。まぁ、俺がそれを言っても仕方が無いか。しばらくって言ったけど、実際にはどれくらいかかる算段で?」
「多分、一月や二月じゃ終わらないと思う。私達エルフでも修行自体は年単位でやることが多いから、いくら適正が高いとはいえ、ルナも結構時間を取られるんじゃないかな」
「それでしばらく、ね……。修行が終わるころには、俺の寿命が限界を迎えてるかもしれないね」
「そんなに長くはかからないわよ……、多分」
言いきれないところを見るに、彼女自身その修行にかなりの時間をかけたのだろう。若干ばつの悪そうな表情を浮かべながら、視線を逸らす。
「……納得はどうあれ、理解はしたよ。元々こっちからどうこうするつもりはなかったから、時間がかかるのは気にしなくてもいいよ。せいぜい中途半端にならないように精進しろとしか言いようがないね」
「どんな言葉であれ、掛けてもらえるならあの子は喜ぶと思うわ。それじゃ、エルフの仲間を待たせてるから行くね。じゃあね~!」
「あぁうん、それじゃ……、ってもういない。そこまで急ぐ必要があるのなら、なんでこんな所に来たのやら……。手紙でも書き置きでも問題はないと思うんだがねぇ」
ボソリと呟いた言葉がファラナに届くはずも無く、ただ宙に溶けていく。ふと、視線を感じ振り向くと、何やらマルシアが鋭い視線で一刀を睨みつけている。普段見せることの無い表情なだけに、彼女のその目つきは一層険を帯びている。……だからと言って、はいそうですかとなる一刀ではない。
マルシアに一瞥もせず、関所の番をしていた青年にギルドカードを見せると、いかにも残念です、とでも言いたげな表情を浮かべて一刀に中に入るように促す。そのまま街の中に入ると、その足で一直線にギルドへと向かう。なんだかんだ言って、二日に渡る依頼だったのだ。疲れていない筈がない。
「証は?」
「……証?」
それなのに、ギルドに入って受付に行った途端これである。
詳しく聞くと、討伐依頼を受けた際には、討伐対象を討伐した証として体の一部を持ち帰るらしい。グレイウルフならば牙、ゴブリンならその特徴的な耳などだ。
討伐は少女達に任せていた。果たして彼女達はその証を剥ぎ取っていたのだろうか? その場面を目撃していない一刀には分からない。
「それに関しては問題無いよ」
そう言って受付へとやってきたのはマルシアだ。彼女の手には、小さな麻袋が握られている。
「ん、確認する」
受付嬢は麻袋を受け取り、そのまま受付の上でひっくり返した。すると、中から五センチ程の長さと反りを持った鋭い牙が受付の上に広がった。
「確かにグレイウルフの牙だな。きっちり五匹分、依頼の最低ノルマも五匹だったか? ノルマ分は確認出来たから、規定の料金だな。……そういや共同依頼か、分割するか?」
「あぁうん、たのみま……」
「いいよ、そのままで」
受付嬢の厚意に乗ろうとした一刀の言葉にかぶせるようにマルシアが言う。受付嬢は一瞬訝しげな視線を一刀へと送ったが、すぐさま目を逸らし、受付カウンター上に三枚の1000ルクス硬貨を置いた。
「ありがと」
その三枚を掻っ攫うようにマルシアは懐に入れ、さっさとギルドから出て行こうとする。
「その中に、俺の分の報酬も入ってるんだけど?」
1000ルクス硬貨が三枚、つまり3000ルクス。単純に日本円に換算すると3000円となるが、この世界の物価は一刀が元いた世界の十分の一程度しかない。1000ルクスもあれば、一日二日の宿代や食費としては十分過ぎる額となる。
それ故に、マルシアの行動は見過ごせない。後で山分けにするにしても、ここで分割しておいた方が後々楽になる。が、彼女はそれをしなかった。それが意味するのは……
「グレイウルフを討伐したのはあの子たちだよ。カズト君はそれに付き添っただけ。この報酬はあの子たちがこれから先、冒険者として大成する為に使うの。それに……、修行する時付き合ってくれなかったじゃない。このお金がその分だと思ってよ。それじゃ」
振りかえらず、ただ淡々と背中越しに一方的に言葉を投げかけたマルシアは、そのままギルドから出て行ってしまう。
確かに、マルシアとあの少女たちの修行には付き合わなかったし、あのグレイウルフを討伐したのも、”主には”少女たちだ。
だが、その少女達をフォローしていたのは一刀だったし、一匹とはいえ死角から忍び寄っていたグレイウルフを仕留めたのも一刀の筈だ。報酬を受け取る権利は十二分に存在する。
やはり先ほどのファラナの件が関係しているのか? いや、おそらくは違う。あれは決定打ではあったものの、直接的な要因ではない。となると何が原因だったのか。
ここで一刀は、帰路についている最中、あの少女からのクレームは数多くあったものの、マルシアとほとんど話していない事に気付く。つまるところ、大元の原因はあの村にいた時にあったのかもしれない。
「いいのか?」
「別に、構わないさ」
背後から気の抜けた声音で声をかけてきた受付嬢に対し、一刀もまた振りかえらずに答える。
「一度与えたチャンスをふいにしたんだ、これ以上は知った事じゃあない。正直なところ、興味も無いしな」
普段とは異なる、底冷えのするような低い声。声変わりすら行っていないような歳の少年が発する声だとしても、まるで喉元に剣先でも突きつけられたかのような錯覚に陥る。
「あぁ、そういえば」
いつの間にか、依頼を物色していた一刀が思い出したように口を開く。
「こう、オークよりも一回りほど大きくて、真っ赤な体した魔物って、なんて言うんですか?」
言葉通り、マルシアの件に関しては一区切り付いたのか、その声音に先ほどまでの寒気は感じない。が、受付嬢は、一刀の機嫌よりも彼が発した内容に驚愕を示す。
「ちょっと待て、今、一回り大きな赤いオークって言ったか?」
「要約すればそういうことだけど……、そこまで気にするようなことなんですか?」
「当り前だ!! お前が今言ったオークより一回り大きな赤い個体はオーガって言って、一体出ると街規模のギルドが総出で討伐に出るような奴だぞ!? 小さな村の近くにでも出れば、その村は後はもう壊滅する事を待つしかない……。討伐依頼にしても、Bランクが半数以上を占めるレギオンを組んで討伐するんだ、オーガに対する危機感は並じゃないんだぞ。……もしかして、出たのか?」
受付嬢の必死な表情を見て、流石に倒しましたとは言えない。どうやら、一刀が相手をしたあの”鬼”はとんでもない奴だったようだ。
「いえ、気を付けた方がいい魔物の中に、そんな感じの奴がいたな、と思って聞いてみただけなんですが……」
「なんだよ、ったく……、驚かせるな。悪戯でも、オーガが出たっていうのは絶対にするなよ。冒険者の中には、オーガに故郷を襲われて家族を失った、なんて奴も少なからずいるんだ。悪戯だってばれたら、痛い目に会うなんてものじゃなくなるからな」
おそらくは親切で言ってくれたのだろう。もしくは、新人の冒険者にはありがちな事だからか、受付嬢の立場で忠告しておかなければならなかった、とか。
一刀にしてみれば、”鬼”の正体が知りたかっただけで、そこまで大きな話にするつもりはない。ここは、受付嬢の忠告通り迂闊に言葉を漏らさないように気を付けるべきだろう。
そんな事を考えながら依頼を物色していた一刀はあることに気付く。
「……随分と討伐依頼が多くないですか?」
そう、普段の依頼の数に比べると、何故か討伐依頼が圧倒的に多い。雑用系の依頼も相変わらずの数があるが、それを置いたとしてもその数は前日と比べると天地の差だ。とはいえ、一刀もこの街に来てからまだ一週間と経っていない。もしかすると、これが普段の討伐依頼の数なのかもしれない。
「あぁ、それな、最近魔獣が多いとかで結構依頼が来てるんだ。流石に街の中にまで入って来ないが、外だと結構畑とかが荒らされてるみたいでな、どうにかしてくれって依頼が多いんだよ」
「魔獣、ねぇ……」
依頼を見つめ、何かを考え込む一刀。最近多くなってきた魔獣の被害や、比較的人里近くに出没するオークやオーガ等の大型の魔物。あまり関係が無さそうに見えるが、これが結構関連性を持っていることが多い。
魔獣の襲撃の多さに関しては、これはおそらく人里近くにまで出没するようになった大型の魔物の影響だろう。これらが本来のすみかから出張ることで、他の魔獣の生息域を狭めている可能性が大きい。本能的な行動を取るグレイウルフ等が顕著だろう。結果として、大型の魔物は人間の生活域に降りて来て、更には小型や中型の魔獣まで同様に人に近づいてくる。
だが、そうなると湧いてくる疑問がある。それは、どういう意図があって大型の魔物が人里の近くへと降りてきたのか、ということ。食糧が無い、ということはまずあり得ない。小型、中型の魔獣が生息している時点で獣や自生植物が生息しているのは確かだ。そして、大型の魔物に関しても同じことが言える。ならば、天敵が現れた可能性もあり得る。こちらに関しての方が、食糧問題よりも確かだが、いかんせん先ほど聞いた話の中だと、オーガの天敵等はほとんど存在しないようにも思える。また、万が一にそんな魔物がオーガの生息域を侵しているのだとするならば、それなりに周囲の環境にも影響が出るはずだ。それが無い、ということは必然的にオーガ達は自分の意思か、もしくは何かに指示されて生息域から出てきていることが分かる。
「ここまで来ると、もうギルドだけじゃ辛い気がするんですけど……、この街には冒険者以外の戦力はいないんですか?」
「領主のところに私設の騎士団はあるけどな。正直充てにはならないよ。その証拠に、報告書を上げてるのに、一切調査隊とか組まないからな。このまま魔獣が街に雪崩れ込んででもしたら、この街は終わりなのになぁ……。何考えてるんだか」
「報告書、ねぇ……」
何か思うところがあるのか、一刀が顎に手を当てて天井へと視線を向ける。
「前の街でも依頼こなしてたのなら、討伐依頼を受けてもいんじゃないか? こっちも手が回らないから助かるしよ」
「残念ですけど、前の街では自分は一度しか依頼は受けていません。しかも、随伴依頼で失敗してるし」
「随伴依頼で失敗ぃ? どういう事だよそりゃ」
「まぁ、その辺は複雑な事情ということで一つ……。一応、これ受けといてもいいですか?」
そう言って一刀が受付へと差し出したのはゴブリンの討伐依頼。依頼ノルマは五体で、報酬は1000ルクスと、グレイウルフに比べると三分の一程しかない。が、どうやらゴブリンに関しては街の近くの森に出るらしく、そこまで遠出することがないところに一刀は目を付けた。
ただひたすら薬草採取や、雑用をするのも嫌いではないが、ここは一つ能動的にこういった依頼を受けることで”変わった見習い冒険者”のレッテルをはがそうという魂胆だ。
既にこの時点で手遅れのような気もしないことはないが、そこは周囲を常に見ているようで実際はほとんど分かっていない一刀の事である。適当に討伐依頼でもこなしときゃいいや、と考えたのは良かったが、残念ながらそれは初期にやることに意味があるのであって、今更やったところで意味が無いことにいつ気付くのだろうか。
「明朝にもう一度来てくれ。そん時に受注扱いにするからな」
「朝……、ですね。分かりました、そのようにします」
ひとまず要件が済んだ一刀は受付嬢に背を向けてギルドから出て行こうとする。
「あっと……、あんまりマルシアの事悪く思わないでくれよ。アイツ結構下に対
しての面倒見がいいから、私らとしてもあんまり強く言えないんだよ」
受付嬢の言葉は最もだろう。実際、マルシアがいなければ他の冒険者たちが少年少女の面倒を見ていたと思われるが、それでもあそこまで世話が出来るとは思えない。
それが世間一般でのマルシアの評価。だが、一刀は彼女の態度に面倒見の良さではない別の感情を見ていた。
「着せかえるだけなら人形でも問題はありません。世話をしたいだけなら家畜でも構わない。見習いだからってあそこまで干渉するのは過剰ですよ。つまるところ、あの女は新人達をただ見下しているだけです」
「それは少し穿ち過ぎじゃないか? あんな事があったばかりだから、少し悪く言いたくなる気持ちも分からないでもないが……」
「そう、思いますか?」
振りかえって小さく口の端を持ち上げる一刀。その表情は言葉とは裏腹に楽しそうな笑みを浮かべていた……。