二章 二話
「あふぁ……、よく寝た……。ん? どしたの? そんな微妙な顔して」
「微妙って……あなたね……」
目的地である、辺境都市ヴァーニラへと着いた一刀達。ようやく奥から出てきた一刀は、小さなあくびを漏らしながら馬車の外へと降り立った。
男たちの盗賊未遂以来、ずっと臥せっていたかと思いきや、何かを考えるでもなし、ただ寝ていただけのようだ。思い出してみると、この道中一刀は睡眠時間が短くなる後半の夜番を担当していた。このヴァーニラまで、要した日にちは交易都市とは近い街であることもあり、四日程度だったがその間の一刀の睡眠時間は合計で一日にも満たない。それに加えてあの盗賊騒動で激しい動きをしたため、限界へと達したのだろう。そこから十時間ほど熟睡していた、というわけだ。
どうやら満足する程度には疲れが取れたらしく、別段寝起きが悪いなどといった事もない。至って健康体だ。
「とりあえず、私とルナはこのままエルフの里へと向かうわ。カズト君には悪いのだけど、エルフの里は外部者の場合特別な理由があるか、何らかの事情がある者しか入れない事になっているの。これは、実際に魔法でそういった者以外を遮断する効果を張っているから、どうこう言ったところでなんとか出来る物じゃないわ。残念だけど、しばらくこのヴァーニラで待ってて貰うけど、いい?」
「問題無いさ。時間つぶしに依頼でも受けてるよ、出来るだけ簡単なの」
「そうしてもらえると助かるわ」
さて、と一刀は大きく伸びをすると、とりあえずは宿から探そうとその場を離れようとした。
「おうっ!?」
……が、突然背後から服を引っ張られ、前に進めずその場でたたらを踏むことになる。振り返ると、ルナが何か言いたげな目をして一刀を見上げている。さながら雨の中、捨てられた子犬の様な印象を受ける表情だが、何を言いたいのかはっきりしてもらわないと一刀としても困るのだろう、珍しく困惑の表情を作る。
「……どうかした?」
たっぷりと五分程の間を置き、ようやく口を開いたのは一刀の方だ。が、どうやらルナも正直なところ何故咄嗟に一刀の服を掴んだのか分かっていなかったらしい。視線を忙しく泳がせ、落ち着きを失って何かを言おうとするも、上手く言葉が出てこない。
「う~ん……、気持ちは分からなくもないかなぁ……」
「分かんのか?」
「まぁね」
もともとエルフとルナフィリアは種族的にかなり近い。その外見がお互い似通っているのはそれぞれの種族の祖先を辿ると、とある精霊族にあたる。その精霊族は固有の種族ではなく、漠然と精霊族としか呼ばれることのない種族で、言ってしまえば現在におけるエルフやルナフィリアの始祖と呼べる種族である。現在では、その存在は確認されず、エルフの伝承や古い書物、お伽噺といった語り草程度でしか知られておらず、実際には存在しないのではないかと言われるほどのものだ。
それが関係している、とは一概には言えないが、祖を一種とするエルフはどこかテレパシーのようなもので繋がっており、流石に完全にとはいかないが思考のみで意思疎通を行う事が出来る事もある。ただし、前述の通り完全には不可能であるし、あくまで出来る事もある、程度であるため、それ自身をコミュニケーション手段として使用するのには無理がある。が、些細な事でたまたま繋がり、相手が何を言いたいのかを察する事があったりもする。
ファラナの場合はたまたま少し繋がってしまった程度だろう。ルナの表情にそれほど変化がないところを見るに、知られても問題は無い内容のようだ。
しかし、肝心の要件を言ってもらわなければ一刀としてもどう扱えばいいのか分からない。依然一刀のコートの裾を引っ張ったままのルナは口を閉ざしている。
「……居心地がいいのよ、カズト君の傍は」
「居心地? どういうこと?」
「カズト君、人の事をあまり詮索しないでしょ? この子の事もそうだし、私がどうしてエルフの里を出たのか、とかね」
確かに、一刀は基本的に他者の事情に踏み込む事はしない。単純に興味が無い、ということもあるが、一刀自身いちいち他者の事情を考慮して動く気が無い。情に厚い、もしくはお節介な人物から見れば、冷たい、と評価されそうだが、逆に言えばそういった物を含めても特別扱いや差別などをしない、とも取れる。居心地がいいとはそういうことだ。
そういってくれるのは、一刀にとって悪い気分ではない。が、現在ルナはその種族上、あまり世間の目に触れさせるわけにはいかない状況だ。彼女にとって居心地がいいからといって、このまま一刀の傍に置いておくわけにもいかない。ルナ自身もそれは分かっているのだろう。服の裾を掴んだまま、どうすればいいのか分からないのか、少しうろたえた様子を見せる。
「……どうする?」
「え……?」
一刀がルナに向かって問いかけると、驚いた表情を見せる。
「ファラナと一緒にエルフの里に行くか、このまま俺と来るか、って事。正直、俺はどっちでも問題ないよ」
「……」
悩む。その言葉には、ルナがどのように答えようとも受け入れる、という意味に取られるが、逆にいてもいなくても気にはならない、とも受け取れる。
だが、この言葉には、一刀が仕掛けた小さな罠がある。
簡単に言ってしまえば、今この場で悩む程度のものしかないのなら、俺はお前には興味を示さないぞ、と。
その意味を察知することが出来るのか? 普通に考えたら無理だろう。
「……悩むんなら、最初から選択肢に入れない事だよ。分岐点でいちいち迷っているようじゃ、この先いざという時に判断を誤る。その状態で隣にいたとしても、俺は手を貸さないよ」
「う゛……」
もはや試す気などさらさら無い、とでも言うかのように冷たく言い放つ一刀に、思わずルナは表情を崩す。なんにしろ、今のルナには一刀と共にいられるほどの力はない。また、一刀自身、元の世界にいたころの実力に遠く及ばない為、いざとなった時対処が出来ない可能性もある。そういった理由からこうやって突き放しているのだが、果たしてルナは理解したのだろうか?
「……わかった。エルフの里に行く」
観念した、というよりもどこか決意を込めた表情でファラナについて行く意思を告げる。少し意外そうな様子を見せた一刀。ルナは一刀をはっきりと見据えると、続きを口にする。
「だから、必ず強くなるから、その時は隣にいさせてほしい……」
彼女にとって今最も望んでいる事、それは自身の存在を否定せず、また色眼鏡で見てくることのない人物。それは目の前にいる少年以外には務まる事はない。だからこそ、最大限の努力をし、いずれはその隣に並び、必要とされるために……。
「……ふぅむ、いいの? ファラナ」
「いいの、って聞かれてもねぇ……。相応の覚悟が出来ているのなら、それを叶えてあげるのが一番だと思うしね……」
ルナが自力で答えに至る事は予想外ではあったが、今現在この場での保護者的存在であるファラナからは概ね快い回答を頂いた。
まぁ、最終的な判断を行うのはルナ自身だ。ここでこれ以上挟む口を一刀は持っていない。また、これ以上の問答を行ったところで、逆に一刀が得られる物もある筈がない。
少しばかり考え込んだ一刀だったが、静かに見つめてくるルナの視線の圧力に流石に根負けしたのか、小さく溜息を吐いた。
「はぁ……、分かった、それでいいよ。特に期限とかは決めないからさ、満足するまで頑張って頂戴……」
「……うん!」
認めてもらえた。そう感じたルナは、今まで引き締めていた表情を満面の笑みに変え、一刀に向ける。その笑顔に凄まじい圧力を感じた一刀は、たじろぐ。無表情少女が見せる、偶の笑顔にこれほどの威力があるとは……!! ……もちろん、そんな事は考えてはいない。
結局、その後やる気に満ち溢れた表情をしたルナを連れながら、ファラナがエルフの里へと向かうのを見送る一刀だったが、後々に待ち受けているであろうルナの逆襲がどのようなものになるのか、それを思い浮かべて嘆息していた。
純粋な好意がこれほどまでに疲れるのもか、と久しぶりに精神的に疲労を感じた一刀だった。
さて、ファラナ達と別れた一刀ではあったが、これから何をすべきか今一度考えなおす。新しい街に来たのならまず最初にすることと言えば宿探しだろう。この街を探索するにしろ、これから先冒険者家業を行っていくにしても、やはり拠点というものは必要だ。帰る家が欲しいということではないが、行動を起こす以前に基点となるべき場所が無ければ意味が無い。根なし草、という言葉もあるが、あれはただ単にその地に深く根付かないという意味であって、拠点を持たない、という意味ではない。実際、一刀が元の世界にいた頃、様々な場所を移動する根なし草状態ではあったが、各地に拠点を設けており、いざ行動を起こす際にはそこを基点にする事がほとんどであった。
ただ、元の世界では組織としての形をとっていた為、施設の規模がそれなりのものを要求されていたが、こちらの世界では現在一刀一人である。わざわざ専用の建物を建設及び入手する必要はない。そう考えると、一番手っ取り早いのはやはり宿屋を拠点にすることだろう。金さえ払えば、何泊しようが咎められる事はない。また、不要になれば即座に引き払えるうえに、面倒な付き合いなどを強要されることもない。まさに一刀にとってはこれ以上は無い環境だ。
早速宿を探そうとする一刀だったが、この街には到着して間も無い。お勧めの宿屋を街の関所の兵士に教えてもらい、当面はそこでを拠点とすることと決めた。
翌日、兵士お勧めの宿屋「風見鶏」を後にした一刀は、その足で冒険者ギルドへと向かう。仕事を得るためだ。
ヴァルヴィルドの一件での報酬金はまだ多少は残っているが、この辺境都市ヴァーニラに向かう直前での旅支度でそれなりに使用しており、更に趣味の一環として購入した懐中時計がこれまたかなり値の張る物であった為、実質的に一刀の懐はかなり寒い。いくら一刀一人だけだといっても、現在の所持金だけでは一月持つかどうかすら疑わしい。出来れば早めに収入源は確保しておきたいが、現状一刀に出来るのは冒険者として細々と依頼をこなしていく程度だ。間違っても散財できるような余裕は無い。
宿屋で聞いたところ、この街のギルドの規模はそれほどでもないらしい。宿の主人が言うには、街の少し離れた場所にあるエルフの里へと続く森にはエルフの監視の目が行き渡っており、人間がその足を踏み入れる事を許さないのだそうだ。
この街の住人にとって、街から少し離れた場所で育てられている畑と家畜が唯一の収入源且つ生命線であることは周知の事実だ。また、この街を治める領主は、街の実態をよく理解しており、重税などをかけることはないが、逆にこの街に対して大きな貢献もしていない。
噂では、領主は何やら裏の稼業に手を染めているとか何とかいう話もチラホラ出ているが、今の一刀には特に関係のある話でもない。
宿から出て十五分ほど、教えられた道筋通りに行くと目的の建物が見えてきた。なるほど、確かに交易都市のものと比べると一回り二回りどころか四回りほど小さな建造物で、表に『GUILD』の看板さえ無ければ喫茶店と間違ってもおかしくはない風貌だ。これでこの街の依頼の全てを担当しているというのだから、大したものだろう。
早速一刀は正面ドアから中に入る。ギルドの中は閑散としており、人の気配がほとんどしない。いるとすれば、カウンターで頬杖を付いている二十代中頃かと思われる女性くらいだ。その女性も、ギルド内に他の人間がいないためか、随分とくつろいだ格好をしている。
「あの~……すみません……」
「あん?」
睨まれた。決してたじろぎはしないが、それでも驚きはする。何せ、今会ったばかりの見ず知らずの女性に睨まれているのだから。
「依頼をですね……、受けたいんですけど……」
女性の眼力が想像以上に強かったためか、つい低姿勢モードで接してしまう一刀。
「あ~……、ならそこに貼ってあるの適当に持ってきな。ランクを照合して許可出すかどうか決めるから」
かなり適当である。交易都市では、ランクや要望に沿った依頼をギルド側から紹介してもらえるなどのサービスがあったが、ここではそういった方針は取っていないのか、受け付けの女性はあくまで自分で依頼を持ってこいと言った感じだ。一刀としては、問題があるわけではないが、自分のランクに沿ったものを持ってこいと言われても、依頼の適正ランク等分かるはずもない。異常に多い採取系の中から、適当に目に入ったものを掲示板から剥がして持っていく。
「え~っと……、『薬草調達』? また地味なの持ってきたな~……。近頃の男共はみんな魔獣の討伐やら盗賊の討伐やら選びまくんのにさ。何? 多感な年ごろなの?」
どうやらここのギルドでは、男の冒険者のほとんどは討伐系の依頼ばかり行っているようだ。道理で先ほど掲示板に行った時、採取系の依頼が多いわけだ。
「まだFランクなんで……」
正確にはEランク直前だ。ヴァルヴィルド討伐のおかげで後はランクアップ試験を受けるだけにはしてもらったが、直接ランクアップには至っていない。これは、ギルドがヴァルヴィルドを倒したのはファラナ達だと判断し、一刀は彼女達に随伴してそのおこぼれを頂いた、という認識となる。一刀本人としては特に問題はないのだが、ファラナやラッツ達はかなり難しい表情をしていた。どうやらギルドの判断に納得してなかったようだ。
本人が気にしておらず、且つ一般人の目撃証言が全く無い事から、ファラナ達の抗議は通らず、妥協案としてEランク直前の状態にすることで落ち着いた。そもそもギルドはあくまで金策の為の手段である以上、一刀にランク云々を気にする気はない。故に、それ以上はファラナ達が言える事は何も無かった。
現状では試験を受ければ次からはEランク依頼が受けられるものの、現在その予定はない。したがって、受けられる依頼はFランクのみであり、大体が採取や雑用といった細々としたものが多い。が、一刀も受けた随伴依頼のおかげで最近低ランクの依頼がなかなか消化されないとのことだ。
「助かるっちゃあ助かるんだけどなぁ。まぁいいや。薬草がある場所は知ってるか?」
「いえ、この街に来たばかりなもので……」
「見かけない顔だと思ったら、旅の冒険者かい。……ふん、何か理由があんのか?」
「何のことですか? それよりも薬草が取れる場所の説明をお願いしたいのですが」
「……まぁ、人には色々と聞かれたくない事もあるだろうしな。で、薬草だけど、街の東門から出て一時間程行った場所に広がる森の中に群生してる。ま、そんな大量にとは言わないけど、出来ればそれなりの量は欲しいな。回復薬に必要な素材の目安は分かる?」
「いえ、そういった知識は……」
「まだ新米らしいねぇ。いいさ。とりあえずは、十本を一束として、五十束程持って帰ってきてくれれば、それで十分だからさ」
「百束ですか……」
薬草の大きさがどれほどかは知らない。が、常識的に考えて、そこいらに生えている野草とさして変わらない大きさだろう。そう考えると五十束なら一キロにも満たない。問題があるはずもない。
「分かりました。薬草は、こちらに持ってくればいいでしょうか?」
「それでいいよ。薬草の鑑定なんかもあたしらでやるからさ」
「ではその通りにします。ありがとうございました」
「……」
なにやら受け付けの女性が目を大きく開いて一刀を見ている。いや、あれは驚いているのだろうか?
「あの、何か……?」
「あぁ、いや……。少し珍しくてね」
「珍しい……?」
「冒険者の癖に賢く纏まった話をするからな、普通の冒険者じゃあまずあり得ない話し方だし……、やっぱあんた、どっかいいところのお坊ちゃんだろ?」
「よく言われます。……が、別段そういった家の出ではありません。近いものではありますが、至って普通の身分ですよ。こちらでは」
「ふ~ん、そう。まあいいけどさ」
流石に必要以上に踏み込む気はないのか、一刀の言い訳に適当に相槌を打つ。
女性の反応を見るに、これ以上の説明は無いようだ。とりあえず、森に向かう前に準備だけは万全にしておく為、ギルドを後にする。
「……あ、そういえば最近魔獣の動きが活発化してるから気を付けて……、って、もういない……」
女性が唐突に思い出しかのように口に出すが、既にギルドの中には女性以外の人影はない。
「……まぁ、浅い場所で出たなんて報告も無かったし、いいか」