二章 一話
「そういえば……、カズト君、あの剣はどうしたの?」
ゴトゴト……、と鈍い音を立てながら木製の車輪は、地肌むき出しの街道をゆっくりと進んでいく。一応、この辺りの街道はまだ整えられている方らしいが、近代においての道路を知る一刀にとっては果たしてこれが道路と言っていいものなのか、疑問に思っていた。
そんな中、ファラナに投げかけられた質問に、一刀は手元に視線を向けながら答える。
「あの剣……、あぁ、宗近の事?」
「ムネチカ……って言うの? 聞いたことが無い名前だけど、今はいいや。何も持ってなかった筈なのに、いつの間にか持ってたり、今はどこにも装備してないからどうしたのかな? って思って」
ファラナの言う通り、現在一刀の装備は普段のコートと腿に縛り付けたベルトに差した短剣のみ。一般的な冒険者としてはかなり軽装であると言える。あの謎の少年を圧倒した際に使用していた宗近はどこにも見当たらない。
「ん~……、説明するのもメンドクサイし、企業秘密って事で納得してくれない?」
「キギョウヒミツ……? どういう意味か分からないけど、秘密なら、まぁ仕方ないわよねぇ……、って、納得出来るか!!」
「なにさ、情緒不安定だなぁ……」
だが、ファラナが叫びたくのも仕方の無いことだろう。一刀が行った事は、彼にとっては日常の行動と同じような行為の一つではあるが、傍から見ていた者達にはこの世界にとっては稀有な魔法の一つに入る召喚魔法を使ったように見えていた。おそらく、ファラナも含め、あの場にいた全員がそう思っていただろう。それ故に納得しきれるものではなかった。
「それにしても貴方達、いつの間にそんなに仲良くなってたのよ?」
御者台に座って見事に悪路を走る馬を操ってみせているファラナは、チラリと荷台の端に座る二人に問いかける。
その二人は一刀とルナだが……、妙にその距離が近い。馬車の中は狭いとはいえ、一刀やルナ程度の体の大きさなら大の字になって寝転がってもまだ余裕があるほどの広さはある。別に、端に固まって座る理由も必要性もないのだ。
ルナが必要以上に一刀に近づいているのは、主に彼女の精神的な理由からだが、それをファラナが知る事はない。
捕らわれていた際、その極端なまでに特徴的な容姿が災いし、本来であれば被害者同士手を取り合うべき場面でもその中に入る事は出来なかった。また、被害者的な心理としては、加害者の興味を一身に受けていたルナは彼らに目を逸らさせるには十分な的として機能していた。それ故に、ルナ以外の被害者達は彼女を擁護したりはせずに、完全に放置、もしくは蚊帳の外に置いていた。そういった経緯があるためか、ルナはその容姿に対しての反応や、自分の種族やその過去を聞いても全く気にしない一刀の傍に居心地の良さを感じていた。それ故の現在の行動なのだが、自らそれをひけらかす事も、気付いて貰う事もない。本人自体、それでいいと思っているのだから、今は問題無いのだろう。
だが、そんな事を露とも知らないファラナは、ポッと出のエルフモドキに愛しの一刀を盗られた、などと思っているのか、御者台の上でどこから取り出したのかハンカチの端を噛んで恨みがましい視線を二人に送っている。
流石にファラナの視線を感じて多少の遠慮があるのか、流石にゼロ距離の密着はしない。ファラナの視線がある事が関係しているのは当然だが、ルナ自身も一刀をそういう対象として見ていないか、もしくは貞操観念がそれなりに高いのかもしれない。
何はともあれ、ファラナの予想する最高だか最悪だかの状態は回避しそうだ。本人達の思惑は別として。
現在、一刀達が乗っている馬車は、目的地への位置的に考えてほぼ中間地点と考えていい場所を走っている。あまり快適とは呼べない旅ではあるものの、当の一刀さして気にしてはいない。今もガタガタと揺れる馬車の中で、何やら小物を弄っている。どうやら手の中に収まる程度の大きさの懐中時計のようだ。その見た目から、元の世界から持ってきた物の中の一つ、とは考えにくい。見た目もそうだが中身も元の世界の物とは大きく異なる。魔輪駆動と呼ばれる特殊な円運動魔道具を使用し、魔道具の回転数によって時間を刻む為、正確性に欠け、尚且つ機構があまりにも複雑な為、量産が出来ず、作成者自身が無駄の極みと言うほどの多彩な技術をつぎ込んだ一品である。前述の通り、内部機構が複雑であるため動かなくなったとしても修理は困難なうえ、部品自体も市場に出回っている物ではない故に、まさしくガラクタも同然の物だ。
一刀がその手に持っているのは、そういった”壊れた”物の一つだ。当然、動かないしそれを修理出来るほど一刀は魔道具に精通している訳でもない。
ならば何故、そんなものを所持しているのか? 簡単な話だ。言ってしまえば単なる道楽である。
壊れた物に価値を見出すような審美眼は持ち合わせてはいない。が、こういった物をちょっとした暇を見つけて触ることで、そこに使われている技術やその物自体から見ることが出来る文化など、得る物は多い。人を忌み、否定してきた一刀だが、人が生み出す物に関してまで否定するつもりはないのか、意外とその手で触ってきた物は多い。今回の懐中時計もその内の一つなのだが、無駄遣いをしたと思われていたのか、一刀が買い物をしていた時、ラッツ達からは非難を散々浴びた。ヴァルヴィルドの一件で報奨金が出たとはいえ、流石にその安いとは言えない買い物に、周囲は終始苦い顔をしていたが、それらを黙殺した挙句、ファラナがいきなり語りだした、女の子を振り向かせる買い物指南に対して一言
「五月蠅いなぁ、斬るよ?」
と言ったところで、全員が完全に黙ることとなった。後にオルゴが「あれはヤバい」と冷や汗を流しながら言うのだが、それはまた別の話。また、流石に世話になったラッツやオズワルのその懐中時計は無駄の極致を集めたものだ、と言う説明には耳を貸したのだが、一刀の「必要だから」の言葉で説得を諦めた。それに、誰にだって意味のある無しに関係なく、趣味の一つや二つは必要だ、と逆に説得をされてしまった。
そんなこんなでファラナ主催の講座は全力でスルーし、懐中時計を手に入れて現在に至る。
現状、各々そういった方法で時間を潰しながら旅を続けているため、比較的暇は潰せている、と言える。一刀は前述の通り、懐中時計をいじり倒しており、ルナは指先から光の玉を発生させてそれを何やらこねくり回している。本人曰く、特訓なのだそうだが、魔法に対しての知識が皆無な一刀にしてみれば、奇奇怪怪な行動にしか見えない。また、ファラナに関しては、ハンカチの咀嚼という奇妙極まりない行動に徹しているため、こちらも一刀からすれば特に暇そうには見えない。
何にしろ、今のところは順調と言える旅路であった。
その夜。見張り兼火の番ということで、約四時間のローテーションを組んだ一刀達。当初、ファラナは一刀と一緒に番をするなどというとち狂った事を言いだしたが、常識的に考えてそれでは見張りの番がまともに回らない、ということでファラナとルナ、そして一刀一人、という順番になった。
こういった夜番は、基本的に後に寝る方が長く寝られる事が多く、ルナの体力を考えた一刀が決めた順番だが、やはりファラナは文句が多かった。とはいえ、口だけで実際に行動に移すほどファラナも非常識ではない。最初の四時間を持ってきていた砂時計で確認し、時間になると一刀とファラナ達が交代する。流石に夜中も遅いため、ルナは既に落ちる寸前であった。
彼女達が寝静まると、昼間と同じように一刀は懐中時計を取り出し、中身を出したり嵌めたりを繰り返しその機構や仕組みを眺めている。
どれくらい経っただろうか。
未だ懐中時計を眺めている一刀の背後、木々の合間に敷きつめられた闇の中から、薄らと何かが這い出てくる。音も無く、まるで忍び足でもするかのようにその影は一刀に近づき、そしてその手に持った月の光を鈍く反射するソレを付きつけようとした。
「それ以上近づいたら、斬るよ」
ビクッ、と影が小さく震え、その場で停止する。一刀は手のひらの中の懐中時計に視線を向けたままだ。背後三メートル程の距離にいる影には一切何も向けていない。なのに、その影は地面に縫い付けられたようにその場を動かない。いや、動けない。
「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ……、五人か。単純に包囲するだけならもっと大勢の方がいいよ。それと、気取られずに近づきたいのなら、別の場所に気を取らせるか、風上からの襲撃は止めた方がいい」
ようやく懐中時計から顔を上げ、振り返った一刀の視線の先には、一刀よりも二、三歳程上だと思われる少年の姿があった。いや、本来なら既に青年と呼ぶべきだろうが、そう呼べる程の肉付きが無い。身長こそ百七十近くあるものの、腕、足、腹、頬など本来盛り上がるべき場所にへこみが出来ている。予想するまでも、彼らの食事事情が分かってくる。
「……食べる物か、金目の物を置いていけ」
目の前の少年は唸るように低い声でそう言うと、手に持っているナイフと思しき物を一刀へと向けてくる。その目には敵意が宿っているが、一刀にしてみればどうにも殺意が足りない。殺す気の無い相手に対して剣を抜くのは面倒以外の何物でもない。
どうしようかな、と一刀が考え始めたころ、寝床となっている馬車の中から物音が聞こえた。
「随分物騒な状況ね……。一掃しようかしら」
いつの間にか起きたのか、ファラナが馬車の中で呟く。物騒なのはどちらだ、と一刀は口に出しそうになったが、この場合対処としては正しいのはファラナの方だ。どうにも反論がしづらい。
そうこうしているうちに、少年達は痺れを切らしたのか、一刀の目の前以外の少年たちが徐々にその距離を詰めていく。
「逆巻け怒涛。我に仇名す……」
その様子に不快感を露わにしたファラナは、小さく詠唱を行う。明らかにこの少年たちを一撃で沈められそうな魔法の詠唱に、暗がりからはギョッとした様子が感じられた。
「てい」
「吹きあ……、きゃんっ!」
が、魔法が発動する前に、一刀は拾って傍に置いていた薪を放り投げ、それはちょうど目を閉じて集中していたファラナの額にクリティカルヒットした。
「ストライク」
小さくガッツポーズを取る一刀に唖然とした表情を向ける少年たち一同。
「ちょ、何してんだ!?」
「ちょいと五月蠅いから黙ってもらった」
「黙ってって……、えぇ……」
もはやどちらが味方なのやら……。一人は昏倒、一人はこれだけの騒ぎを起こしても起きない程熟睡している状態で、むしろこんな態度を取れる一刀が異常なのか。それとも自分達がどこかで対応を間違えたのか。少年は本気でそんな事を考え出した時、不意に一刀が何かを少年に向かって放り投げた。
慌ててそれを受け取った少年に対し、一刀は一つ嘆息する。
「君ねぇ……、それが何かの攻撃だとか思ったりはしないのかな?」
「っ!?」
そう言われることで、初めて自分のとった行動がどれほど危険なものであるかに気付いた少年だったが、受け取った時点で既に遅い。……が、特に何も起きない。それもそうだろう、一刀が放ったのはただの麻袋。中に何か固い物が入っているのが音と感触から分かる。そして、その固い感触は、少年たちが求めてやまなかった物を錯覚させるものだった。
「とりあえず、それだけ持ってさっさと行きな」
「え、ちょ、これって……!?」
「お望みの物だよ。あんまり量は無いけど、それだけあればここにいる全員しばらくは問題無いはずだ」
少年が中を覗くと、そこには確かにいくつかのハイルクス金貨が十枚程入っている。遊んで暮らせる……なんて量ではないが、一月ほど誤魔化すには十分な量だ。
「……いいのかよ、そんな簡単に渡して」
少年は怪訝な表情で一刀を見る。これだけの物を貰っておいて、とは思うだろうが、少年が向ける疑いの眼差しを否定出来る者はここにいない。会って数分、どころか盗賊まがいの事をやっている相手に、そうホイホイと金を渡すなど、そんな事をするのはこの世界でも一刀くらいだろう。
「求めるなら施す。それくらいの気概は持ち合わせているつもりだよ。まぁ、相手の質は見定めるけどね。今回は俺のお眼鏡に適ったとでも思っておくといいさ」
「……」
少年は麻袋から目を離し、一刀を探るような目で見る。が、笑っているように見える一刀の表情だが、どうにも感情が読みづらい。少年には、目の前にいる自分よりも年下でありながら、こうやって他者に簡単に施しを行える一刀の思考が理解出来ない。だからといって、この手のひらの上に乗せられた金を突き返せるほど、満足な生活を送ることが出来ている訳でもない。
どうするか、などと考える余地は無い。この金は戦利品だ。少年は開き直り、そう思う事にした。
「……行くぞ」
少年が周囲を囲んでいた仲間達に向けて小さく呟くと、木々の間に佇んでいた気配が一つ、また一つと消えていく。最後に目の前の少年が一刀に警戒を示しながらも、ゆっくりとその場から離れる。
結局、少年達が完全に姿を消すまで、一刀が行動を起こすことは無かった。
「なんだか頭がガンガンする~……」
翌朝、起床したファラナはちょうど一刀が薪を投げつけて命中させた部分を押さえながら涙目になって馬車から這い出てきた。その後ろには、小さくあくびをしながら未だ眠気の取れない眼を擦っているルナもいる。ぐっすり眠れた、というほどの睡眠時間はとれてはいないが、それでも必要十分な英気は養えたはずだ。ただ、三人の中で最も睡眠時間が短かったのは一刀であるが、その一刀は昨夜同様ケロッとした表情で懐中時計を見つめている。
「おはよう……」
「おはよう。よく眠れたようで何よりだよ」
一刀は視線を懐中時計から上げて、起きてきた二人に向ける。
朝食の準備は既に出来ている。とは言っても、火の魔法を封じ込めた魔石を使用して起こした火の上に、持ってきた小さめの鍋の中で温めているスープと固い黒パン、そして円盤状の形のチーズくらいだ。一刀がやったのはただ火を起こすだけ。それ以外はただ持ち物の中から引き摺り出してきただけだ。
「……」
「あ! ズルイ!!」
当然のように一刀の横に座るルナ。それを見たファラナがルナに抗議の視線を送るものの、ルナの視線は既に目の前の朝食に捕らわれている。
「……カズトくぅん、わたしぃ、朝が弱くてぇ……」
「おっと、テガスベッタ」
「あああぶなああいいい!!」
「あぁ、ゴメンゴメン」
「ちょっと、いきなりナイフ投げるのはやめてよ!! 流石の私でも今のは危なかったわよ!!」
「唐突に変な事を言うからだよ。朝に弱いんならもう一回寝る? 今度は長め永めの睡眠になるだろうけど」
「恐ろしい事を言わないで!!」
朝っぱらから飛ばすファラナに対し、もはや呆れた表情しか浮かばない。相手をするのも疲れたのか、用意されていた朝食へと手を伸ばした。
朝食後、移動を開始する。
形としては昨日と変わらず、ファラナが御者台、一刀とルナが馬車の中だ。相も変わらず一刀の傍にはルナがおり、その様子を見てファラナが悔恨の視線を送るという前日と全く変わらない光景が展開されている。
このまま、平和且つ平穏な旅が目的地に着くまで続けばいい。そう思っていた矢先にそれは現れる。
「……カズト君」
「ん、分かってる」
「??」
ファラナが背後に控えている一刀に声をかける。先ほどまでのどこかおどけた感じの声色ではなく、警戒の色に染まったものだ。声をかけられた一刀も、普段とさして様子は変わっていないが、どこか身構えているようにも思える。
そういった経験の薄いルナも、この二人が警戒する何かがある事を察知し、邪魔にならないように一刀の傍から離れて馬車の奥へと籠る。
馬車の進行先にあるのは一本の木。その大きさは街道に沿うように生えている物と大して変わらないが、他の木と違うところは唯一横倒しになっている事だ。……つまり街道が塞がれている、ということになる。
他にも生えている木々には一切倒れる要因が見られない事から、これは人為的な物であることは火を見るより明らかだ。
はたして、その事実を証明するかのように、倒れた木の向こう側や周囲の木々の隙間から現れた男たち。簡素な皮の防具と見るだけで手入れを怠っているのが分かる武器を装備しているところを見ると、もしかしなくても賊の類だろう。
男達は木の前で佇んでいる馬車と、その御者台に座ったファラナを視界に入れると、非常に不快感を煽らせるような笑みを浮かべる。
「へっ、あいつらの言った通りだな。おい、お前ら! ここから先に通して欲しけりゃ、金目の物を置いて行きな! あと、女もだ!!」
リーダー格の男が馬車に向かってそう叫ぶ。ファラナはその声を聞いてあからさまに不快感を表情に表し、馬車の中にいるルナも、あまりいい顔をしていない。むしろ、どこか小さく怯えるような表情が見える。対して一刀はというと、つまらなそうに馬車の入り口から、周囲を取り巻いている男たちを眺めている。ファラナはいつでも魔法を放てるように魔力を活性化させているが、流石に襲われる前からいきなり攻撃を仕掛けるわけにはいかない。昨夜の少年達とは異なり、目の前の男たちは完全に盗賊を生業としている者達だ。魔法後の硬直に死角から襲撃があった、なんて可能性もないわけではない。
普段とは違った鋭い視線を向け、ファラナはリーダー格の男に問いかける。
「退きなさい。今ならこのまま大人しく消えれば見逃してあげる。手を出してくるなら、容赦はしないわよ」
ファラナの警告混じりの問いかけに、返ってきたのは男たちの嘲笑だった。
「おいおい姉ちゃん。強がっても結末は変わんねぇぜ。その馬車の中にいんのは、どこかの貴族のお坊ちゃんだろ? んで、姉ちゃんはさしずめそのお坊ちゃんの護衛ってところか? 確かにエルフってのは魔力が人間よりも強いしよ、使える魔法も人間のモンよりつえぇけどな、た~いせつな護衛対象がいる状態で、大規模魔法なんてぶっ放せやしねえよな? 俺達の仲間がどれだけいるのかも分からねえんだしな!!」
男の言葉に相槌を打つかのように周囲から向けられる罵声。それらを向けられているファラナにとっては吐き気すら覚えるような男たちの態度は、彼女の琴線のギリギリを刺激する。
「しっかしよぉ、あいつらには感謝しないといけねぇな」
流石にそろそろファラナの堪忍袋の緒が切れそうになった時、男たちの一人が大声で言いだした。あいつら、と。
「……何の事かしら?」
「あ? 何言ってんだてめぇ。お前らが金渡して逃がしたガキどもがいただろ。そいつぁ俺らの下っ端だよ」
「……」
男のその言葉を聞いて、一刀は眉をひそめる。昨夜逃した少年達、彼らを逃がしたのは一刀であり、その少年たちに施しをしたのも一刀だ。自らの目で見、自らの直感に従った一刀にとっては大きなミスだろう。まさか、自身が見誤るとは思っていなかったのだから。
「……なるほどね。それで、その子達はどこにいるのかしら? もしよければこうなったお礼をしたいんだけど」
「礼、礼だってか!? ギャハハ!! いらねぇよ、んなもん!」
「む……、何がおかしいのよ?」
「だってよ、そいつらみんな、もう死んでるんだぜ!!」
「……なんですって?」
男たちは何がおかしいのか、全員大声を上げて笑い転げている。耳障りなその声に、一刀は目を細め、ルナは耳を抑える。
「当り前だろが! あいつらはどこから手に入れたかも分かんねぇ大金持って俺達からずらかろうとしやがったんだ。その場で金は取り上げて、後は犬の餌ってやつだ。なぁ、どういうことか分かるだろ?」
「それで……、私達の事を知ったと……?」
「んなとこだ。それより、さっさと金とてめぇの体置いてけや! こちとらもう我慢の限界なんだよ!!」
「……」
こんな奴らに手加減は要らない。ただ力のままに吹き飛ばす。ファラナはそう決めて、体中から活性化させていた魔力を迸らせる。
「……?」
しかし、魔法を放つ寸前だったファラナの肩を押さえる手があった。いつの間にか、馬車の入り口にまで出張っていた一刀だ。いつもと同じく、表情に大きな変化はない。だが、思わずファラナは背筋が凍るような悪寒を感じた。それも、目の前にいる少年の目を見た瞬間に。
固まったファラナを余所に、馬車から降りた一刀は、目の前の男たちに目を向ける。すると、男たちはいかにも馬鹿にしたような笑みを浮かべ、馬車から降りてきた自分たちよりも頭二つ分程小さな一刀へと視線を向けて何かを口にしようとしたが、その瞬間、男の目は地面を映していた。
「……あ?」
力無く倒れていく男の体。その傍には、いつの間にそこに移動したのか、一刀が立っていた。右手には抜身の刀。そして、その左手は倒れようとしている男の腰に差さっている剣の柄を握っている。
「え……、あ……?」
一刀から一番近い場所にいる男は目の前の光景を認識出来ないのか、言葉にならない音が口から漏れている。それに対し、一刀はその男に一瞥すら向けずに右足を一歩前に踏み込んだ。
「……なっ!?」
男が気付いた時にはもう遅い。近いとはいえ、その距離は5メートルは離れていた筈だが、一刀の一歩は5メートルすら一瞬で詰める。咄嗟に男は剣を抜いて迎撃をしようと袈裟切りに剣を振るうも、右手で逆手に持った刀をその刃に沿って軌道をずらした一刀はいつの間に持っていたのか、先ほど斬った男の鞘から抜いたロングソードを後ろ手にそのわき腹に突き刺した。
「ぐっ……ぎぃあ……!!」
流れるような一連の動作に、男は一切の抵抗も許されずにその身体から力が抜けていく。
「て、めぇ!!」
すると一番近くにいた男が二人目がやられた事でようやく我に返ったのか、手に持っている錆びた斧を振り上げて一刀へと迫ってくる。が、一刀は二人目の脇腹に刺さった剣から手を離すと、振るわれた斧をかいくぐり斧男の背後からうなじ目がけてカトラスを振り下ろす。刃越しに骨の固い感触を感じると、一気に刀を横に引き抜いた。首の前半分が繋がった状態で斧男は絶命している。そもそも生きていたとしても、脊椎を斬ったので動ける筈もない。
瞬く間に三人を瞬殺した一刀。男たちは、リーダー格も含めて中心人物と思われる仲間がやられた為か、一刀を見る目にはどこか恐怖と戸惑いのようなものを感じる。恐怖は一瞬で仲間がやられた事と、戸惑いはリーダー格がやられた今、どう動けばいいのか分からない為だ。
ただ、それと同時に男たちは気付くべきであった。もともと数十メートルは開いていたその距離を、ただの一瞬で詰め、斬殺したということは、今呆けている彼らすら既に一刀の間合いに入っているのだ、ということ。
「……求める為の凶行なら見逃そう。だが、快楽を持って悪意と成すのなら、容赦はしない。一切を、斬り伏せる」
その一分後、男たちは一人の例外もなく全員が血の海に沈む事になる。
「……また随分と派手にやったわねぇ」
目の前の惨状をどこか遠い目で眺めながら、ファラナはボソッと呟く。言葉の内容的には一刀にこれをどうするのかを聞いている感じだが、本人の耳には届いていない。つまりは独り言だ。そもそも、茂みや少し離れた場所で別働隊として控えていた男達も合わせるとかなりの数になる。これはもはやそれなりの規模を持った盗賊団ではないのだろうが? と思ったくらいだ。それが瞬く間に制圧された……、いや、生存者が見込めない以上、皆殺しにされた、と言うべきだろう。男たちの中には、気付いたら死んでいた、という者達も少なくはない。
一体何が一刀にそこまでさせる要因となったのか? 彼らの言動? それとも行動か? 唯一心当たりがあるとすれば、昨晩一刀が金を渡し、見逃した少年たち。男たちの言動によると、少年たちは男たちによって一刀から与えられた金とその命を奪われたのだろう。外道、その言葉を体現したかのような悪行への制裁か、もしくはただ自分が折角与えた金を奪われた事への憂さ晴らしか。いずれにしろ、その真意が分かる筈もない。
この惨状を引き起こした本人はというと、既に馬車の中に戻っている。何故だか分からないが、奥の方で何も言わずに寝転がっており、同じくして馬車の中にいるルナはそんな状態の一刀をどう扱えばいいのか分からずオロオロしている。
少しナイーブになっている、とは思い難いが、声をかけようにもかけづらいのが事実だ。
男たちについては、この場に放置しておくのが一番楽だろう。だが、後にここを通る者の事を考えると、そういうわけにもいかない。仕方がないので、溜息を吐いたファラナは一言二言、小さく呟くと倒れている男たちの周囲を激しい風が吹き荒れだした。風は男たちを巻き上げ、茂みの奥へと吹き飛ばす。ものの数十秒ほどで、街道上から男たちの姿が消えた。ついでとばかりに、その指先を馬車の進路上に横たわっていた木へと向けると、凄まじい突風が木の下へと潜り込み、掬い上げる。
茂みからはズン、と低く思い音が聞こえてくる。一仕事やり終えたファラナは、なんでもない表情で馬車の方へと視線を向ける。本来、これだけの事を魔法でやろうとすると、数人がかりで行うのが常識なのだが、それはファラナがエルフである時点でその常識は通用しない。
―一刀の扱いも、これくらい簡単だったら楽なのに……。
そんなことを考えたところでどうしようもない。障害の排除が済んだので、後は進むだけだ。
「はぁ……」
何度目になるか分からない溜息を吐きながら、馬車へと戻るファラナ。
以降は何の障害も無く目的地まで平穏な旅が続いたファラナ達だったが、これまでずっと馬車の中では懐中時計を弄っていた一刀が全くというほど馬車の奥に寝転がったまま動かず、それに対しどう接していいか分からないファラナとルナは、かなりの精神力を摩耗した事は言うまでも無い。