一章 第九話
「で、結局あれはなんだったんだ?」
一刀の失踪及び、ヴァルヴィルドの暴走行動から二日後の朝。昨日……、事件が起こってから翌日はとてもではないが落ち着いて話など出来る時は一時もなかった。その為、ようやくひと段落したこの日、分かる事、話せる事は全て話しておこう、という事で全員が起床し、宿近くの酒場で朝食を摂るついでに話しあいのテーブルを用意する事となった。
各々がその胸に疑問を抱きながらも、口には出さず、重苦しい空気の中ようやく口を開いたのはオルゴだった。
「あれとは、どれの事だ?」
答えたのはラッツ。だが、普段の彼は口にしない、疑問に疑問で返すその言葉に、オルゴは少しばかり眉をひそめる。
「正直なところ、一から十まで全部聞きたいところだけどね……。一先ずは、ヴァルヴィルドの件、ってことでいいんじゃないかな?」
あまり良くは無い雰囲気を醸し出したオルゴをフォローするように、ナイードが提案を出す。その提案に乗るかのように、それぞれはその口を噤むが、誰ひとりとして再度口を開かないところを見ると、あまり良い状況ではないようだ。
あの日、男性と少年があの場から消え去った後、周囲で呆けていた残党を狩るべく動いたラッツ達だったが、その数は予想外に多く、最終的に残党の捕縛、及び討伐が終了した時には既に太陽が空高く昇っていた。その後、捕縛したはいいがどうするべきかと悩んでいると、鉱山都市の住人から通報を受けた交易都市が、憲兵隊を派遣。街に入ると同時に制圧。彼らの助力によって事なきを得た。
また、一刀達が護衛を行い、共に街へやってきたモンドリアン夫妻だが、彼らの馬車の中には二、三人ほどの憔悴したどこかの村人らしき男女が箱の中に入れられて載せられていた。おそらくは、今回の事件に関わる事なのだろうが、モンドリアン夫妻が既に鉱山都市にはおらず、その身をくらましていた為、真実は闇の中に葬られる事となった。
当然、一刀達は彼らの件も含めて事情を聴取されたが、ただの護衛対象であること、ギルドがそれを保証している事から、その件に関しては特に追求されることもなかった。
ただ、その後の事情聴取や誘拐されていた人達の解放に一手間かかり、解放されたのは夕方過ぎ。疲れ果てていた一同は皆、ベッドにダイブしたと同時にその意識を手放した、ということだ。
ちなみに、ヴァルヴィルドは現在、交易都市の治安維持部隊によって拘留されているが、付けられた大層な拘束具が本当に必要なのかと疑いたくなるほど、意識が朦朧としていた。いや、その姿は既に廃人となっており、会話はおろか、自分で立つことすら出来ないような状態だった。
果たして、それが感覚強化の副作用なのかどうかは分かってはいない。ただ一つだけ言える事は、今回の各地で行った誘拐は誰の指示なのか、何の目的なのか、そういったものが一切分からなくなってしまった。
牢に捕らわれていた人達から話を聞こうとしても、その大半がただ連れて来られて何もされず何も分からないまま放置されていただけ、と話している。理由も用途も分からずじまいだ。その為か、最も分かりやすい事柄として、ヴァルヴィルドの体の件については……、今のところ何も分かってはいない。
結局は手詰まり、ということだ。
「どのみち、ヴァルヴィルドの件についてもほとんど分かってはいない。判明したのは、奴の脳の一部が『欠如』してしまっている、というところか」
「おそらく、あの感覚強化のせいだろうね。本来であれば過程に来る筈のものが結果になってしまっている……。今までに何度か使用したのかもしれないけど、結末があれじゃあ使おうって気にもなれないよ」
「その辺は力を持つ者の性ってやつだな」
惨状をその目に焼き付けていたラッツ達は、食事を前にしながらもその光景が目に浮かび、食欲が失せていた。
「まぁ、大きな問題はまだある訳で……、どうするんだ、この子の事は?」
そう言って視線を向けたのは、ファラナと一刀に挟まれるようにして席に着いているルナだ。彼女は目の前に置かれた食事にも目を向けず、ただ居心地が悪そうにその身を縮こまらせている。
「まさか、ルナフィリアがまだ生きていたとはね……」
―ルナフィリア。別名、月光族とも呼ばれる。美しい見た目と高い魔力が特徴的で、外見がエルフに似ている事からエルフの亜種ではないかと思われている。この種族は現在存在していない、と世間では認知されている。その理由の一つとしては、五百年前に起きた戦争において、人間族と獣人族に追われることになった魔人族を擁護、及び匿ったからだ。その為、彼らは人間族達の標的となり、ある者は捕まりある者は殺され、その数を急激に減らしていった。やがて、戦争が終わる前にルナフィリアの姿は消え、唯一生存している者も、人間族の貴族などに奴隷に落とされた者のみになり、奴隷になった者たちも自決や、主の意向によりその全てが死に絶えたとされている。
そして現在、その完全に絶滅したはずの種族の末裔が自分たちの目の前にいる。何故生き残ったのか? 他にも残っている者はいるのではないか? これからどうやって生きていくのか? など、ラッツ達の疑問は尽きないが、少なくとも彼女を人間族の集まる所に連れて行ってはいくわけにはいかない。確実に何らかの見世物や研究対象にされてしまう。となると、どこかに隠すのが一番なのだが……。
「……仕方ない、エルフの里に連れていくわよ」
「いいのか? エルフは外では友好的だが、里に対しては極端に排他的になると聞くが?」
「確かに、エルフの里に入れる別種族なんて極端なまでに限られているわね。でも、流石に今回は例外だし……、長老になんとか出来ないか話してみるわ」
「……まぁ、それくらいしか方法は無いか。これ以上我々がその子に関して出来ることもないしな、一番適切な方法だろう。それはそれとして……」
チラリ、とラッツはとある一点を見る。そこでは先ほどから黙々と目の前に並ぶ朝食と呼ぶには少々重めのレパートリーが並んだ食事を口に運んでいる一刀がいた。食べる速度自体はそこまで速くはないものの、ラッツやファラナが話している間もただひたすら食べていたところを見るに、彼らの話を全くと言っていいほど聞いていない可能性がある。
「おい、聞いてんのか?」
隣に座っていたオルゴに頭を小突かれて、ようやくその手を止める。が、オルゴへと向けられた表情は不満げだ。
「いや、正直なところ、ヴァルヴィルドやルナの件よりも君の事の方が余程問題なんだよ……」
「問題って……、何が?」
食事を中断させられたことで不機嫌さを隠しもしない一刀に、逆にナイードやオルゴ達の方が悪い事をした気になる……が、実際にこの場で最も不適格な事を行っているのは一刀である。彼自身、この話し合いには参加する必要はないと判断しての行動だろうが、ラッツ達にとっては一刀の存在もまた、重要な問題点であった。
「お前……何者だ?」
「何者……? どういう意味さ」
一刀には、出会った当初の猫かぶりをする気はない。既に隠すべきものは披露してしまっているので、行う必要が無いためだ。だが、ここで一刀に一つの疑問が浮かぶ。確かに、自らの力は披露した。例え、それが実力のほんの一端だとしても、だ。それだけで何者か、などと聞かれるのは腑に落ちない。一刀の行った事は、人間に出来る範囲のものだ。その程度でこのような問い詰められ方をされるのは実に不愉快なのだろう、先ほどから口に咥えたフォークを上下に揺さぶりながらジト目でラッツの事を見ている。
「何者、なんて聞かれてもねぇ……。俺としてはナマモノとしか答えようがないんだけど」
「ナマモノって……、まぁ確かに生だけどさ……。そういうのじゃなくて、実は有名な剣士の弟子だったり、どこかの国が秘密裏に育て上げた戦士だったりとか……、そういった背景とかないの? ってことだよ」
背景があるかないか、と問われるとあると答えるべきだろう。だが、ここで自分は別世界から来た人間で、とある人物からこの世界の神を殺してくれ、と頼まれた~などと答えても信じられるどころか、頭のおかしい人物として病院的なところに連れて行かれるのが関の山だ。それどころか、下手に実力があることが災いし、どこかの機関やら組織によって捕えられ、体の良い駒として扱われる可能性も少なくはない。
結局は、謎の冒険者Aとして生きていくほかはないのだ。
「どう言え、なんて言われても、ホントに”辺境”から出てきた世間知らずとしか言いようがないからねぇ……。むしろ、どう説明すれば納得してくれる?」
「それは……」
「でしょ? だったら別に無理して聞かなくてもいいじゃない? こっちとしてもそこまで馬鹿正直に教えるつもりもないしさ」
「そ、そうか……」
言いたくない訳ではないが、そもそも信じられる可能性など皆無に等しいのだ。それ故に信じてもらう気もないし、信じる必要も無いと感じている一刀の内心に気付いているのは何人いるだろうか。
何はともあれ、ほぼ強制的に一刀に対する言及を切られたラッツ達は、今後の予定を口にだす。
「とりあえず、交易都市に戻ったら、俺達はそのまま本来の目的地であるフォルネストに向かう。ルナフィリアの嬢ちゃんを連れていくのなら、ファラナ達は別方向だ。交易都市で別れるとするか」
「異論無し」
「俺も問題ねぇな」
「私もそれでいいわ」
「……」
ヒュン、ヒュン
約一名、咥えたフォークを縦に振って肯定の意としているが、行儀が悪いからか、誰ひとりとして相手をしない。いや、居心地悪そうに肩を狭めているルナだけは一刀のその行動を小さく行儀が悪い、と呟いて諌めている。
仕方なく口からフォークを離した一刀をファラナは苦笑いをしながら見ていたが、ここで一つある事に気付く。
一刀がどうするかを聞いていない事に。
「ん~……、とりあえず、エルフの里ってのがどんなのか気になるからそっちに付いて行く」
交易都市カナードへ戻った翌日。これから先の事を改めてどうするかオズワルに聞かれ、一刀が指差したのはファラナとルナ。
聞くところによると、オズワルとルシェに関してももう二、三日するとこのカナードを出立し、フォルネスト王国へ向かうとのこと。当然、専属冒険者であるラッツ達も同行する。反対に、ファラナとルナが向かうのは、エルフの里であり、このカナードから見るとフォルネスト王国とは真反対に位置する。その為、ここで別れそれぞれ目的地に向かう事になるのだが……、どうやら一刀の言葉が予想外だったのか、その場にいる半数が呆れた表情をしている。ルシェはどうやら一刀の言葉の意味を汲み取れなかったのか、頭上にクエスチョンマークを浮かべているが、ラッツ達はおろかファラナまで同様の表情でいることから、どうやら一刀は何か大きな勘違いをしているようだ。
「……あのね、カズト君。確かに、エルフ族は他の種族とは違い、どちらかというと人族と親交の深い種族なんだけどね、だからってエルフの隠れ里にそう簡単に部外者を入れるわけにはいかないの」
「隠れ里……? 意外とシャイな種族なのね」
「そういう意味じゃないわよ……。種族独自の文化とか、技術が外に漏れ出ないように秘匿しているの。特別な伝手でもない限り、基本的には他種族が入ることは出来ないし、同じエルフでも違う氏族なら入るのに許可がいる場合もあるから。……多分カズト君が入るのは難しいを通り越して不可能に近いわ」
「成程、そういう事情なら仕方ない」
「なら……」
「でも、ついていくかどうかは別だよ?」
「……」
ようやく納得させたかと思いきや、まさかの別方向からの襲撃に、思わずファラナはひるんでしまう。
「いや、別に里に行こうってわけじゃないよ。ただ、その里に向かうまでにも街やら村やらあるだろうし、俺としてはそういった場所を回っていくのもいいかなって」
「なるほど、見聞を広げる、という意味ではいいかもしれないな」
逆にラッツが納得させられるという事態に、ファラナはあまりいい顔をしない。が、一刀の言い分もそれなりに通っているものであるため、なかなか否定する事が出来ないのか、だんだんと難しい表情になっていく。
が、ある程度考え込んだところで諦めたのか、小さく溜息を吐いて重々しく口を開く。
「はぁ……、仕方ないわね……。同行を許可するわ。ただし、道中は私の言うことを聞くことと、出来るだけ大きな行動は慎む事。大規模な誘拐を行っていた組織を一人で壊滅させました、なんてギルドに報告したくないからね。私個人の信用という意味でも」
「指示に従う事には特に異論は無いけど……、俺そんな大々的な事した覚えは無いよ? あくまでやったのはあのデカイの一人だけだし、他の雑魚はあの憲兵隊がなんとかしてくれたしね。ほら、実質的には何もやってない」
「何言ってんだか……」
その言いように周囲は呆れかえるが、とうの本人は気にした素振りも見せない。一刀の反応を見て、諦めた一同は話を次に進める。
「ところで、ファラナは随分とエルフの里を離れていたようだが、受け入れてもらえるのか? 氏族によっては、そういうところがかなり厳しいと聞くがね」
「それに関してだけど……、多分現状では一番時間がかかりそうなの。何せ私が里を出たのってひゃく……、コホンッ! それなりに前だもの」
「今なんかすごい数字を言いそうになったな」
「察してよ!!」
年齢に抵触しかねない話題だったので、強引に言い方を変えたファラナにオルゴがつい口を滑らせる。それに耳ざとく反応したファラナに睨まれ、つい怯んでしまう。
「入る事自体は問題ないわ。ただ、ルナが里の中にいられるように取り次がなきゃダメだし、私自身のこれまでの報告とかもあるし……、正直なところカズト君に関する事がほとんど出来なくなるから、それが心配ね」
「別にいいよ、放っといてくれれば。自分の好きなように行動するから」
「それが一番心配だって言うのよ……」
再びゲンナリとするファラナ。とはいえ、もともと一刀の表向きの目的は冒険者になることであるため、どうこう言う理由がファラナにはない。一刀もそれを分かって言っているのか、それ以上強く言うつもりはないし、必要が無いと思っている。
「それなら、カズト君とファラナ殿、ルナ君に関してはこの街でお別れ、ということになるのかね」
「そういうことだね。俺としては色々世話になったから、思うところもあるんだけどねぇ……」
「構わんさ。旅をしていると色々な人に会うものだ。今回はそれがこういった縁になっただけというもの。気にせず行ってくるといい」
「そういうもんかね……」
あまりこういった経験がなかった一刀にとって、オズワルからかけられた言葉はあまり理解出来るものではなかった。が、その雰囲気だけは分かったのか、微妙な表情をしている。そんな様子の一刀を見て、オズワルは小さく笑い一刀の頭に手を乗せる。
「うぅ……、これでカズトさんともお別れですか……、悲しいです……」
何故かオズワルの背後でルシェが滂沱の如く涙を流している。どうやら同年代の友人である一刀とはこれっきりである、ということを悲しんでいるようだが、生憎と一刀にはルシェと友人になった覚えはない。その事を口に出して言おうとすると、オズワル一刀の肩を叩いて止める。どうやら、好きなようにさせてあげて欲しいらしい。謂われの無い縁を語られ、それに対して不満を表情に出すも、仕方がないと割り切ったのか一刀は口を出さなかった。
「もし、必要な物などがあれば言ってくれ。出来る限りこちらで用意しよう」
「流石にそこまでお世話になる訳には……、入り用なら自分たちで用意するから結構よ」
「そうか。まぁ、無理にとは言わないがね。一応これでも商人の端くれでもある。何かあれば言ってくれると嬉しいよ」
「ありがとう、助かるわ」
オズワルとの挨拶を終えたファラナは、依然涙を流し続けているルシェを見て、一刀に耳打ちする。
「少しくらいは何か言ってあげなさい。これから先、またどこかで会うかもしれないし」
少し困った様子の一刀だったが、ファラナの言うことにも一理あると思ったのか、溜息を一つ吐いてルシェに言葉をかける。
「別に、今生の別れっていうわけでもないんだ。いつかまたどこかで会うこともあるだろうし、その時にでもまたゆっくりと話そうよ」
確約する、とは言えないがもしも会うことがあれば、と付けたその言葉にルシェは涙で濡れた眼で真っ直ぐに一刀の目を見据える。
「……約束ですよ? 絶対にまた会うって約束ですよ?」
「あ、あぁ、うん……、約束だ」
ズイ、とその身を寄せて目と鼻の先まで近づいたルシェは、そこでようやく自分が何をやっているのかを理解したのか、顔を真っ赤に染めてすぐさまその身を引く。が、少しの間逡巡する素振りを見せた後、一刀の手をとって真っ直ぐに目を見つめる。
「約束ですよ。絶対忘れないで下さいね」
「……分かったよ。約束は果たす」
「妬けちゃうわね」
「全くだ」
少し離れていた場所から、一刀とルシェのやりとりを見ていたファラナとオズワル。
「あの子の事、よろしく頼んだぞ。何やら他にも色々と隠してるようだからな」
「分かってるわ。じゃないと何の為に待遇の良いギルド職員を辞めたのか分からなくなるし。それに……」
「ん?」
「月光族の真実、それも知りたいしね」
「成程、それを究明するためにも今回の旅というわけか」
「そういうこと」
オズワルは、納得したような表情を浮かべると、ファラナへと向かう。そして、右手を前に差しだした。
「なら、彼女の為にもその目的が果たされることを祈ろうか」
「そう簡単にいくとは思ってないけど、まぁ精々上手くやってみせるわ」
そして、ファラナもオズワルへと体を向け、その手を取った。
一刀達が出発したのは、その翌日の事だった。