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夜宴の訪れ

洗脳解除 異世界恋愛ファンタジー


現代社会に魔法を加えたような異世界で、

不老長寿と美貌に固執する呪術者の老婆と、

その老女を尊崇し偏愛する中年医師から、

生贄として洗脳されて育てられた美少女が、

紛争解決にきた国軍青年指揮官に助けられ、愛情を注がれて、

反発しながらも恋をして成長していく物語です。



 村に吹く風は乾いていた。

 村の北、森を隔てて小高い丘の上に住む領主一族は浮かれていた。

 何せ、3年にわたって続いてきた紛争の首謀者が捕らわれ、さらに、村と外との行き来をむずかしくしていた湿地までも消失し、大蛇ミドガルズオルムまでも死んだ。村が抱えていた三つの大きな問題が片付いたのだ。

 これを喜ばずにいられようか。

 昼過ぎに開かれた領主一族の会議で、国軍兵士らも招いて祝宴を開くことが決定した。しかし、領主が直々に国軍の天幕に出向いて招待したにもかかわらず、若い指揮官は丁重な口調ながらもきっぱりと断った。

 そして、こう言った。

「紛争は解決しましたが、別の問題が収束していないのです」

 と。

「ええっ?」

 領主は、丸顔の中の細目をしばたかせた。祝宴にて、青年中将にエミリを許嫁に勧めるつもりもあったのだが。

「問題、ですと? どこにです?」

 辺りを見回してみる。

 領主の館は村人の集落とは森と丘の高さにより隔てられている。今までどおり館の中は平穏だ。耳をすませば、時折、村の方から悲鳴らしきものが聞こえてくる。しかしそれも「いつものこと」で、とりわけ紛争が終結したのだから、少し時間が経てば適当に落ち着くだろうと思えた。あえて口にするほどでもない。

「中将殿、問題とはなんですかね? 騒動かなにかあったのですか?」

「それも含めた、村全体の問題です。領主一族の方は、このまま館の中に待機して、村には行かないようにしてください」

 具体的に答えない年若い指揮官は、だがとても落ち着いていた。

 壮年の領主は、内心で「彼がいくら軍人として優れていたとしても、年齢でいえば自分の子どもほどだ。経験を積んでいるといえ、たかが知れているだろう。その彼が慌てていないのだから、大したことではない」と考えた。

「うむ、なるほど」

 領主は、重々しくうなって、ゆったりとうなずいた。そうすれば相手に「思慮深い領主」だと印象付けられると思ったからだった。

 中将はそんな彼を静観していた。

 そしてきりだした。

「つきましては、国軍側の準備が整い次第、貴方と、そう、できれば、館で暮らしている貴方の御一族も同席していただいて、今後の具体的なお話をさせていただきたいのですが」

 領主は「今後の具体的なお話……」と復唱して、すこし首を傾げた。

 紛争の後処理のことだろうか?

 待てよ。一族同席となると……そうだ。 

 彼は、村の今後ではなく愛娘のことを思った。

 その席で、できればこの中将とうちのエミリをどうにかしたい。うちの可愛いお嬢ちゃんは、可哀想に、許婚のジョン医師に裏切られてしまった。でも、都合のいいことに、エミリは中将殿を慕わしく思っている。是非とも縁組の話を持ちかけよう。あの子はすごく可愛いから、きっと、中将殿だって色よい返事をするはずだ。そうそう、ジョン医師は紛争の首謀者だったのだから、彼に裏切られたエミリはれっきとした被害者だ。その辺りことも触れれば、うまく話が運ぶだろう。

 領主の表情がしだいに緩み、口元がほころんだ。

「ふほほ。そうですな。私ども、いえ、村は不幸な目に遭いました。しかしそれももう終わり。これからは明るい未来について考えねばなりませんなあ」

 すると、青年指揮官の瞳がすこし翳った。

「……残念ですが、明るい話はできないようです」

「いえいえお気になさらず」

 領主はのほほんと首を振った。村のことはどうでもいい。一族にとって明るい話を持ちかけるつもりなのであって、彼がそれに良い返事を返せば、それでよいのだ。

「……」

 中将は、相手が妙に浮かれているので、少し目を細めた。そして、またしっかりと領主を見つめて、言った。

「色々なお話をいたします。よろしいですか? 驚くこともあると思いますので、年下の私が言うには失礼な言葉かもしれませんが、どうか心の準備をなさっていてください」

 領主は鷹揚に微笑んでうなずいた。

「大丈夫ですとも。中将殿は礼儀正しくてらっしゃる。中将ともあろうお方が、辺境の小領主に礼など尽くさなくてもいいのです、細やかな気遣いなど結構ですよ」

「……」

 どうも話が噛み合わないな、と、感じたが、今はあえて確認はしなかった。

「お伺いするのは夜も遅くになるかもしれません。ですが、翌朝に持ち越せる話題ではございませんので、よろしくお願いします」

「いいですとも。お待ちしておりますよ。……おっ、なんですと!?」

 領主は、まずい、とつぶやいた。

「どうされましたか?」

 中将が促すと、領主は真剣な表情で「大変なことです」と言った。

「となると、今夜の宴会では、酒を飲めませんな。なんということだ。酒の無い宴会というのは前代未聞だ!」

 領主は、歴史の転換点に直面したような、張り詰めた表情になった。

「中将殿。これは大問題ですよ。明日、いえ、明朝ではいかがです? 今日の夜で大丈夫ならば、明日の早朝でも構わないのではないですかな? いかがです? 是非、」

 それは青年の苦笑を誘った。そんなことを熱心に交渉できるというのは、ある意味で大変な長所と言える。

「お気持ちはわかりますが。申し訳ございません。今日中にしないと間に合わない話なのです。大切なお話ですから、どうぞお酒は召されないでください」

「……ハァ」

 悲痛なため息が漏れた。

 しばし、領主はがっかりと肩を落としていたが、思い直したらしく、顔をあげた。

「そうですか、わかりました。まあ、宴会は明日も開けばいいのです。ええ。我々は素面でお待ちしておりますよ」

「ええ。よろしくお願いします」

 中将はきっちりと頭を下げた。

 領主は、そんな青年の様子を見て、つくづくと、「こりゃあ是非ともうちのエミリの婿にいただきたいものだ。父親として頑張らんといかんな」と気合を入れた。


 領主を見送って天幕の際まで行き、館に帰る彼の丸々と肥えた背を見ながら、指揮官は、今夜自分が事の次第を話したのちの、彼らの混乱ぶりを想像した。

 今は、特に領主一族にとっては、「日常の延長」に過ぎない。

 この紛争はひどく穏やかだった。ディープメタルさえなければ、辺境の土地開発の小競り合いだったのだから。

 激しい戦闘状態とは無縁の、静かな日常の影で行われた殺戮。領主一族は村人に興味がない。自分たちに災いが降りかからなければそれは「平和」の範疇なのだろう。

 だが、今夜、私の話を聞いた後、彼らは変わるだろう。これまでの日常が終わる。

 研究院が準備を整えて出てくるのは今夜中。

 ディープメタル研究については超法規的な権力を有する機関が、村を標的に定めた。

 生命倫理や道徳は、彼らを縛れない。

 乾いた風が、青年の髪を揺らした。

 天頂を見上げる。

 夕刻の柔らかな橙色の空。東から夜の藍色に侵食されつつある。

 視線を下げる。

 くすんだ石造りの領主の館。その2階。医療班のテントの真上。アンネ准将の居室。

 あの子が居る場所だった。

 今回の事件、もしも彼女のことが明らかになれば、研究院の最も興味を持つ対象にされるだろう。

 彼らのが「試料」と呼んでいる「研究対象にされた人間」は、精査された果てに、生死にかかわらず解剖され組織標本にされる。そして「研究院の財産」となる。

 そこまで考えると、強い思いが浮かんでくる。

 どうにか生かしてやりたい。と。

 感情面からは当然そうだが、同時に、研究院が今まで取り扱ってきた「試料」とは、毛色が全く違うと感じた。なぜなら、首謀者と暮らしてきた彼女は高濃度ディープメタル溶解物に接する機会は多かったはずなのに、重篤な症状が現れていないからだ。今までにこんな例を見聞きしたことはない。

 だが、私が研究員達にそのことを伝えても参考になるだけの話だ。彼らにとっての私は「素人の範疇」にすぎないのだ。彼ら自身が調査研究した結果そう判断しないことには。

 しかし、彼らの調査研究の過程で「試料」は死に至る。死んだ後に「生かしておいた方がよかった」と判られても、もう取り返しがつかない。

 ……死なせたくない。

「ゼルク中将、」

 そこへ、兵士が館から出てきて、指揮官に小声で伝えた。

「地下牢に、研究院の術者が到着しました」


「ゼルク中将様だわ!」

 宴とそれに続く「指揮官との話し合い」に備えて、いつもよりさらにぬかりなく着飾っていたエミリは、館の裏口から入ってきた青年を目ざとく見つけた。というより、彼女はその付近に張り込んでいた。いつ彼が来てもいいように。

 自慢の巻き毛を可愛らしく整え、細い肩を惜しげもなくさらした丈の短い薄紫色のドレスを着ている。

「ゼルク中将さまぁー!」

 若い娘が近づくのを、彼は目線だけ寄越して軽く微笑んだ。

「やあエミリ嬢」

 速く歩く指揮官の側を、令嬢は構って欲しげな子猫のようについていく。

「中将様、今夜のお祝い、おいでくださらないのですね?」

「ええ。まだ任務は完了しておりません」

「そうですの……」

 寂しそうな娘の目に、軍人は少しだけ視線を合わせた。しかし足は止めない。

「大変な状況にあった村を支えてこられた領主殿のお誘いをお断りしするのは、心苦しかったのですがね」

「そんな。お仕事なのですもの。仕方ありませんわ」

 気持ちを切り替えた甘い声音が返ってきた。

 ところで青年は仕事の速度で歩いており、それに懸命についていく乙女は優美な細工のかかとの高い靴を履いていた。

「きゃっ!」

 とうとう、着いていけなくなったエミリは脚がもつれて転びそうになる。

「危ない。気をつけて」

 指揮官はさっと両肩を掴んで支えた。この時だけ立ち止まる。

「怪我をしますよ」

「はい……」

 令嬢は上気した頬で、瞳を揺らめかせて青年を見上げる。

 ゼルク中将はなびく様子も無くすっきりと笑い返した。

「エミリ嬢、声を掛けてくれてありがとう。宴の盛会をお祈りします。私は地下牢に行くところです。危ないから貴方はお戻りなさい」

「はぁい、中将様……。そうしますぅ」

 とろけた返事をする令嬢からさっと離れると、中将は地下牢へつながる階段室に向かった。

「肩に触ってもらっちゃった、うふふふ」

 頬を赤らめて、エミリはうるんだ笑みで指揮官の後姿を見送った。

「どんな砂利道でもキレイなお靴で走れるおねえちゃんが、こともあろうに家の中で転びそうになるなんてェ。そんなとこ初めて見たァ」

 背後から、小声がぼそぼそと掛かった。

「あら誰かと思ったら……」

 エミリは剣呑に目を細めた。

「ローズじゃないの。うふふ」

 振り返って優美に笑うが、その目はひとつも笑っていない。

 そして妹の姿を目にすると、顔をしかめた。

「なんですのお下品な」

 妹は、厨房から取ってきた肉の串焼きをまぐまぐ食べながら「この鴨肉、かなりおいしーよ?」と言ってから、姉を評価した。

「さっすがお姉ちゃんだね。あらゆる機会をひようふるまぐもぐ」

 姉は妹を憎々しく見つめて目を細める。

「ひようふるって何ですの? 口に物を入れてる最中にお話なんかして、お行儀が悪い」

 妹は「まだ噛んでいたいのにぃ」といいながら、ごくりと飲みこんだ。

「はい。もう口に入ってないよ。『あらゆる機会を利用して、かよわい演技で男子を引っ掛ける』って言ったの」

「まぁ」

 ぴっ、と、エミリの口元が震えた。

「演技ですって?」

 目が据わり、口元に底意地の悪い冷笑がひやりと浮かべた。もちろん、周囲に男の姿がないことを確認した上で、そうしている。

「素直で嘘のつけないこのあたくしが? いつ?」

「いつでもどこでも……あいててててて!」

 姉は、妹の正直な口をつねった。

「そぉんな嘘ッパチをホザくのは、この肉好きの卑しい大きな口かしら? 脂肪ばっかり蓄えて全くこの子ったら」

 姉の方が妹より背が低いが、気迫でぐいぐいつねり上げた。

 ローズは背伸びして涙を浮かべる。

「ごめんなさいお姉ちゃん、いた、いた、いたい、ごめんなさいごめんなさい!」

「かよわいかわいいお姉さまを、嘘で傷つけるのは止してね。ローズ」

「はいはいはい。いたたたた!」

 そんなところに、三十代になるかならないかくらいの独身の兵士が通りかかった。

「やあエミリ! 今晩の宴会に来られなくってごめんね!」

「あら」

 令嬢は優雅に頬をつねる手を離し、えぐえぐ泣いている妹に「ローズちゃん。歯が痛いのは、これで治ったかしら?」と、晴れやかに虚言を吹きかけて、兵士に愛らしく微笑みかけた。

「お仕事がまだ続いてらっしゃるのでしょう? 先ほど中将様からお聞きしましたの。皆様、大変でしょうけれど、頑張ってくださいね。私、皆様方を精一杯応援いたしますから!」

「エミリ……!」

 純情な兵士は感激した。顔が真っ赤になっていた。可愛らしい外見の娘というものは、心根もそうだと信じているのだ。

「なんて素敵なお嬢さんなんだろう、君は」

 姉の足元に崩折れた妹ローズが「なんでこうも簡単に騙されるんだろ男って」とつぶやいたが、それは姉にしか聞こえず、妹は手を靴で踏みつけられて「いだッ!」と叫ぶ羽目になった。


 指揮官は階段室の扉を開けた。

 そこには、術者が不気味な影のように独り立っていた。

 丈の長い、立ち襟の薄灰色の上着。暗灰色のズボン。やせすぎで、血色の悪い暗い顔をした中性的な青年だった。

「命令により伺いました」

 ゆらりと頭を下げる。

 生気がまるで無い。

 術者というものは大概において、と、彼の顔を見た指揮官は思う。

 この世のあらゆる黄昏を背負っているように見える、と。

「ご苦労様」

 ねぎらいにも、術者は無言で、頭は下げられたままだった。それは、引き続きの敬礼なのか、それとも、彼にとって現実はもはや無価値なのか。深くうなだれているようにも見えるのだ。

 ややあって、彼は灰色の言葉だけを指揮官に上げた。

「御先導願います」

「ええ」

 たいまつが灯る薄暗い地下牢の中、手前二つの部屋に、透明の大きな樹脂瓶が二つ。ねじ式の蓋が硬く締められている。

 中にはDM除去液が満たされており、老婆と医師とがそれぞれ入っていた。紫色の液体の中に、彼らは詰め込まれていた。衣服は着たまま。白目をむき、口を開け、水責めの果てに溺死したようにしか見えない。

 抑揚の無い声が、術者の口元から細く漏れた。

「まだ生きている……よい状態の試料ですね……」

 微かな笑みが浮かんだ。

 そして指揮官を見る。

「では、この二つを先にいただいてまいります」

「よろしく」

「……もう二時間ほど経ちましたら、こちらに研究員らが伺えそうです」

「わかりました」

 ゼルク中将の声に、術者は再度頭を下げた。そのまま、顔をあげることなく、石床に膝をついて腰を下ろし、両手を膝に置いてさらに深く礼をした。

 二つの瓶と試料、そして術者一人が消えた。すぐそこまで来ている夜に呑まれるように。


「ゼルク中将。先ほど領主殿のお使いが来まして。『差し入れです』と」

 領主の館の裏にある、国軍の天幕。

 地下牢から戻ってきた指揮官を迎えた兵士は、一抱えもある大きさの包みを持っていた。少し湿っているそれは、きっと食材が入っていると思われた。

「……気を遣われたな」

 眉を寄せる指揮官に、兵士は苦笑した。

「何度も断ったのですが、最後は押し付けられましたよ。『持ち帰ったら、私が領主様に叱られるのです』と泣きつかれました」

「そうか。中を確認してくれ」

「はい」

 兵士は「では失礼して、」と言ってから、紙を少しやぶいた。

「あ、肉だ」

 兵士が思わず声に出した。

 一人分ずつ小分けにされ整形して綺麗に包装された生肉が見えていた。高級食材店で取り扱われている銘柄物だった。

 上官に顔を向けなおした兵士は、抑えてはいるものの浮かれ調子で話しだす。

「こんなきれいに包んである。お上品だなあ。へえ、鴨肉ですって。私なんか初めて手にします」

 首都の高級店には当然あるが、こんな辺境に取り寄せるとなると、相当な手間賃が上乗せされているだろう。

 若い指揮官は渋い顔をしたままうなった。

「困ったな」

 兵士は周りをざっと見渡して、「人数分ありそうです」と感心した。

「裕福な領主殿にとっては『気を遣う額』ではないのでしょう。首都のあちこちに不動産を持っているようですし。不動産経営で収入が相当らしいですからね。ちょっと皆に声を掛けてきます」

 部下がひどく嬉しそうなので、指揮官は「返して来い」という言葉を引っ込めた。代わりにため息を出す。

「私は礼を言いに行くべきなんだろうな……」


 目が覚めた。

 薄暗い。

 足元の方に、暗い橙色の小さな明かりが灯っていた。

 なじみのない感触の寝台だった。柔らかくて肌触りが良く心地よいが、だから落ち着かない気持ちになった。

 ロイエルは起き上がり、床に下りた。裸足が質の良い敷物のみっしりとした感触を伝えてくる。

 体が妙にふらふらして頼りない。

 ここはどこだろう?

 すると、右肩にそっと手が置かれた。

「危ないから、歩き回ってはいけない」

 抑揚が少なく堅い感じの女性の声がした。

 アンネ准将だった。ロイエルの右前に立っていた。

「戻りなさい。さあ、座って」

 左の二の腕にも手が掛けられ、ゆったりと寝台に導かれて、腰掛けさせられた。

「アンネ准将、」

 ロイエルは相手を呼んだ。目覚めたばかりの声は、明瞭とは言いがたかった。

「なんだろう?」

 抑えた静かな返事だった。これまでに見聞きしてきた凛として勇ましい彼女とは印象が違う。何故だろう?

「ここはどこです? 今、何時ごろですか?」

「……」

 返事は、少しの沈黙のあとだった。

「領主の家。私にあてがわれた客室だ。今は21時17分」

 彼女のよどみない言葉に、ロイエルはかえってとまどった。

 まだ聞きたいことは沢山ある。なのに、言葉にならない。

「……あの、准将、」

「ロイエル、お腹はすいてないか? のどは乾いていない?」

 ともかく何か言おうとしたが、准将の方が問いかけた。

 そういえば、喉が渇いている。

「喉が、少しかわきました」

「そう。待ってなさい」

 そう言って、彼女は部屋の角に置かれた小さな冷蔵庫へと歩いていった。

 この部屋に、ロイエルは見覚えがあった。

 かつて、「ソイズウ大佐」に連れ込まれた部屋だった。

 領主の館の二階で、館の裏口の真上あたりの部屋だ。寝室がここで、洗面所や浴室やトイレのある別室がついている。

 ベッドの右側、枕元近くの床に、布張りの椅子が置かれていた。准将はここに座っていたらしい。

 私が逃げないように監視しているんだ、と、思った。

 准将はコップ二杯ほどの容量の樹脂製の瓶を持ってきた。

「はい。これを飲んで」

 受け取って口を付ける。冷たくておいしい。初めて飲むはずなのに、何故か知っている味だった。

 そして渇きが癒えるのと同時に意識が明瞭になって、かすれていた記憶が現れてきた。


 沼が無くなってしまった。

 ……お二人が、捕まってしまった。

 やったのは、彼だ。


「アンネ准将、」

「はい?」

 ロイエルは、奥歯をかみ締めたあと、硬い口調で尋ねた。

「ゼルク中将はどこです?」

「ここには居ない」

 速やかでわかりきった返答からは、少女にそれ以上言わせまいとする意図がほの見えていた。

 だから頼むのだ。

「わかっています。中将に会わせてください」

 相手の答えは簡潔だった。

「明朝まで会えない」

「どうしてですか?」

 暗がりで、准将はゆっくりと首を横に振った。少女の焦燥をなだめるように。

「彼は任務中だ。明朝まで時間は取れない。あなたと話はできないよ」

「あの人が来られなくても、私が会いに行けばいいでしょう?」

 食い下がる少女に、軍人はきっぱりと首を振った。

「あなたは部屋の外に出てはいけない」

 首謀者の養女は顔を曇らせた。

「私、捕らえられてるのね。やっぱり」

「違うよ。保護されているのだ」

「保護? そうは思えません!」

 強い口調と揺れる瞳に、准将は落ち着いて返した。

「ロイエル。あなたは疲れているし、傷ついている。また休みなさい」

「いいえ、大丈夫です」

「そんなはずはない」

 静かにきっぱりと否定された。

「ほら、休みなさい。横になって」

 華奢な肩に、軍人の硬い頑丈な手が触れた。促すように、少し力がかかる。

「いいえ。……う、」

 ロイエルは下腹を押さえて息を詰めた。

「痛、」

 やりとりをするうちに痛覚が戻ってきた。体の奥が、無体なことをされたと訴えている。

 准将はロイエルの腰を右手でさすって、「大丈夫か?」と心配しながら、左手でやんわりと少女の体を押し倒して寝台に横たえてやった。

「い……た、」

 腹を守るように両手で抱えこみ上体を丸めて、疼く痛みに耐えている。

 どうしてこの子がこんな目に遭わねばならないのだ? と、アンネ准将は内心に燃えた怒りを、できるたけ顔に出さないように抑えながら、彼女の腰をそっとさすり続けた。

「薬が切れたのだろう。だから君は目を覚ました」

「……くすり?」

 自分は一体何を盛られたのだろうかと、不安で体を硬くしたロイエルに、准将は「心配しなくていいんだ」となだめた。

「妙な薬ではないよ。処置を受けた時の麻酔薬だ」

「それは、どんな、」

 問いは途切れて、少女はまた細い声でうめいた。

 アンネは椅子に腰掛けてロイエルのロイエルの腰をさすりつつ、寝台右横の小さな机の上に置いてある、医長が処方した痛み止めの薬を手に取った。

「我慢するな。痛み止めを飲みなさい」

「いやです、」

「見なさい」

 拒否する少女の眼前に、准将は薬を外装ごと近づけて見せた。

「あなたは医師の手伝いをしてきたでしょう? 診療所で使っていたのと同じものを医長が用意してくれた。さあ、自分の目で見なさい。怪しいものではないとわかるはずだ」

「……」

 たしかに、見知った消炎鎮痛剤だった。眠くなる副作用はあるが、それほど強いものではない。悪意なんて何も感じられない。それどころか、逆に……、

 少女の表情から険が消えた。代わりに、無下に疑ってしまったという罪悪感が生まれた。

「ごめんなさい、」

 素直な謝罪に、アンネは「気にしなくていい」と言った。

 背中を支えられてゆっくりと起き上がり、先ほどもらった飲料で、薬を飲む。

 准将はそれを静かに見守っている。

 ロイエルは、相手のいつもと違う静穏な雰囲気から、気遣いや哀れみの気配を感じた。

 体はそれに安堵したが、心が否定した。

 そうじゃない。

 私は、可哀相でもなんでもない。

 お二人を守れなかったことがくやしいだけ。ただそれだけだ。そうでなければならない。

「っ、」

 そう考えている時にも下腹の中に痛みが響く。

 すぐに准将が横にさせた。

 また、そっと腰をさすってくれた。他人の手の温もりと思いやりが伝わって、痛みが和らぐ。ドクターの手伝いをする中で、痛みを訴える患者さんの腰をさすったことはあるが、される立場になったのはこれが初めてだった。こんなに効き目があるとは思わなかった。


「やっぱり酒が無いと盛り上がらんなあ」

 領主はそうこぼした。周りに座っている一族たちも、「まったくだ」、「つまらん」と、それぞれに同意した。

 日が落ちると共に開かれた宴会は、にぎやかでめでたいものではあったが、やはり素面なりの盛り上がりにとどまった。

 領主は、いつも握り締める酒器の代わりに、上等な肉を使った料理の大皿を引き寄せてわしわしと食べた。

「しかたない。今日は『予行練習』だ。明日が本番だ。そうだ大酒宴会にしよう。うん。そう決めたぞ。だから明日に備えて、皆、今夜は食べて食べて英気を養おうじゃないか」

「わーい、お父様の意見に賛成ー! わたしは肉食べて力つけちゃおーっと」

 次女のローズが大喜びで鴨肉の串焼きにかぶりつく。

 夫人は、そんな父娘を、笑顔で見つめた。

「ホホ。ローズとお父様は大食だからうらやましいわ」

 私なんか少食で困ってしまうわ、と、つぶやきながら、最高級の羊肉の希少部位を使った料理を引き寄せる。ほんの少ししか用意できない逸品だった。それをきっちりと食べると、食が進まない長女に声を掛けた。

「エミリ、」

「なんでしょう? お母様」

 エミリの前の料理はほとんど減っていなかった。幾つかの皿が消えているが、それは、親族や妹が「食べないならいただくよ」と横合いから取ったからだ。

 母は娘に優雅に微笑みかけた。

「あなたの考えていることは、よくわかりますよ?」

 娘は涙ぐんだ。

「お母様……」

 母は、首都の高級青果店でも年に数個しか仕入れない希少な果物がのった皿を引き寄せながら、うなずいた。

「いいこと、エミリ。夜は長いのです。そして、必ず、中将様は館においでになるのですから。あなたの考えているとおり、抜かりなく準備すべきです」

「ええ、お母様」

「だからこの料理は私がいただきますよ? これはひとえにあなたの為です。あなたの体型が、余分な夕食を摂ることによって崩れないために」

 母は、娘の分料理の皿を引き寄せた。それには、一万匹に一匹しかいないという、川魚の幼形成熟体を用いた珍味がのっていた。

 エミリは可憐に微笑んだ。

「お母様は何でもお見通しですのね。そうですわ、今夜が勝負なのです。さあどうぞ食べてくださいな」

「ええ。いただきますとも。殿方は、華奢で可憐なか弱い女性が好きなのですから。自分の思いのままになるような、風に吹かれただけでも折れそうに繊細な体が好きなのですからね?」

「ええ。お母様」

 長女は肉料理には目もくれず自分の体形のことを考えて野菜料理のみを少量口にする。

 母は希少食材を使った料理ばかりを食している。

 父と次女は大皿の肉料理を取り寄せては次々に平らげていく。

 同席した親族たちも、それぞれに自分の好きな料理ばかりを食べていた。

 内容はいつもより豪華だが、いつもと同じ食事風景だった。

 それぞれが心行くまで食べた。

 時折、外から叫び声が聞こえてくるが、それもいつもと同じこと。内容は聞かない。長く倦み続いた紛争で感覚が麻痺している所為もあるが、元来彼らは村民に頓着しなかった。

 領主は、げっぷをしつつ、満足げにつぶやいた。

「名ばかり領主は、がふ、楽でいいなあ」


 研究院の人間達が到着したのは、20時を過ぎたころだった。

 魔法使いの術により、首都から村の地下牢へと転移し、そして国軍の天幕に現れた。

 全員が白い防護服を着用しており、頭から脚の先まで完全に覆われている。顔の全面には防毒マスクを着用していた。背中には個人個人の本名ではなく「通称」が夜光塗料で書かれている。

「あ、こっちにいたんだ。ゼルク中将ー、どーもー」

 医療班の天幕に入ってきた研究員の一人が、指揮官に気安く話しかけた。

「珍しいものを見つけてくれてありがとうございます。『村ごとDM漬け』だなんて、嬉しくてしょうがない。全部が試料と言っても過言じゃないじゃないですか。すげえ嬉しいですよ」

 屈託のない口調だった。心から喜んでいる。

 それを耳にした医長は、そのあまりの配慮の無さに顔色を変えたが、指揮官からの目配せを受けて、気持ちを切り替えた。

 これが「研究院の職員」なのだ、と。

 だから、医長は彼らを、「自分と同じ感覚をもった人間」だとは思わないことにした。

 医療班の天幕には、村中から「助かる見込みのありそうな重症患者」が運び込まれていた。苦痛に大声を上げる壮年男性、頭を抱えて奇声を発し続ける若い女性、木立しかない宵闇に家族の姿を幻視して涙しながら「なんだ。皆、そこに居たのだね。ずいぶんと探したんだよ。さあこっちにおいで、じいちゃんのことは心配しないでいい。今、ジョン先生がいい薬を……」とつぶやいて笑う高齢男性。声が聞こえるのはこの三人だけで、あとはこん睡状態だった。それでもまだ、状態は良い方で、自発呼吸があった。

 村には「手の施しようがない患者」が残っていた。

 白い研究員たちは、それぞれの研究対象を探しに、足取り軽く散らばっていった。

 彼らは村民を救命する気はない。たとえ医師の免許を持っていたとしてもだ。ここへ来たのは、「試料」を手に入れるためだけ。あるいは、現場保存のためだけに。


 中将も研究員の一人と共に、天幕を出た。このまま自分がここにいると、研究員たちがやってきて話しかけるだろう。その内容は、人命救助に懸ける医療班関係者の神経を逆なでするに違いない。

「皆、浮かれてるなー。まー無理もない」

 隣を歩く研究員は、そうつぶやいた。彼自身も上機嫌だった。彼の研究対象は人ではなく、ディープメタルそのものだった。これから、湿地の跡に向かうつもりだ。

 そして指揮官に話しかける。

「先日のシヤド事件は、単にDMの発火現象でした。規模は大きかったですが、人への害はなかったんです。あったとしてもDMとは関係ない「熱傷」でした。だから、臨床系の人間達は、採るものがなくてつまらない思いをしてたんですよ。その点、私は物性研究ですから、それなりに楽しかったですけどね」

 口調に段々と熱がこもってくる。

「そこいくと今回の件はいいですよ。村ごとだなんて。住民一人残らずだ。そして汚染源の沼地は村を取り囲んでいる。いうなれば、DMの被曝試験場です。楽しいなあ。この研究やっててよかった。ハハハハ」

 抑えもせずに笑う。

「で、ゼルク中将。どんなふうに斬り離しました?」

 湿地の消失について聞いている。その口調はひどく明るい。

 乾いた夜風が二人の間を通っていった。防護服の研究員はそれを肌で感じることはなかった。

 中将は前だけを見て答えた。

「手加減しなかった。全て『魔法使いの回廊』へ移っている」

「やった!」

 研究員は、重そうな白い防護服にもかかわらず、喜んでぴょんと飛び上がった。

「うっれしいな。どんな実験しようかな」

 内容はともかくとして、声と反応が若々しい。少なくとも、この研究員の年齢は十代後半から二十代前半くらいだろう。

 彼の言動に呆れることができる、ということは、私の感覚もまあ一般の道徳観に近いのだな、と、中将は考えた。しかし「道徳や倫理」に繋がるような「神経」は切り離して研究員のことを受け止めているので、憤りも何も感じない。今のところは。

 やがて、湿地の跡のほとりについた。

 白い砂地だった。

 白い研究員はこらえもせず笑う。

「あははっ、ほんと素晴らしいな。さすが白」

 白、とは、セラミックサーベルの通称名だった。

「身内自慢は良くないですけれどね、でも、うち製のは、ほんとよくできてますよ。あと、中将の腕ですね」

「それはどうも」

「過不足無く離断してありそうですね。斬り残しは論外ですが、斬り過ぎる人は結構多いですからねえ」

 嬉しがって余計な話まで始めたので、中将はそれを「聞かなかったこと」にした。人道的な見地から言えば、斬り過ぎの方が論外だ。

「じゃ、ちょっと見回らせてもらいますよ?」

 そう断りを入れてから、研究員は湿地の跡に足を踏み入れた。

 白い砂地を「みごとだなー」「ほんとに何もない!」などと、一人ではしゃぎながら歩いている。

 研究院の人間はほとんどがこうだ。こうでない者は「さらに酷い」。

 彼は振り返って爽やかに言った。

「それじゃ、あとは好きにやらせてもらいますねー!」


「4人家族発見ー。これが世帯主、あっちがその妻、で、そばにいるのが娘。あれ……息子はー?」

 ある家には、白い防護服の男と、暗い表情の女性術者が土足で上がりこんでいた。まるで家畜小屋でも覗きにきたようだった。

 家中ほこりだらけ、ゴミだらけだった。

 居間に中年の男が倒れていた。どうやら掃除の途中だったようで、手にほうきを持っていた。すでにこときれている。台所の流しのそばには中年の女が倒れていた。倒れるときに料理台で顎を激しく打ち付けたようで、顎が腫れて内出血し、口から血が垂れ、歯が折れていた。彼女には、まだかすかに息があった。そのすぐ隣には、7歳くらいの娘が口から大量の血を吐いて死んでいた。母の服を握りしめて。

 家のどこにも明かりはついておらず真っ暗だが、防護服の研究員は何の支障もなく動き回った。彼は自分の目で世界を見ているのではない。処理された外の映像と首都の研究院から送られる情報の表示を、防護服の内側から見ているのだった。

「息子はエフォート君というのか。ん、医療班のテントに居るな。おいおいこれは困ったなぁ、勝手に試料をいじられたわけか」

 ちょっと、と、研究員は同行している術者に声をかけた。見たところ二十代半ば前後の若い女性だが、まるで生気がない。

 やせこけた彼女は、「はい」と小さく返事をした。

「エフォート君をここに連れてきて。まとめて、前処理室に送ってよ」

「わかりました。指示通りに」

「よろしくね。僕は次の試料のとこに行くから。また用ができたら呼ぶからすぐ来てね。たのんだよ」

「……はい」

 顔色の悪い術者を残して、研究員は鼻歌を歌いながら庭先まで散らかり放題の家を出た。

 そして、夜の中で、指揮官と会った。

「ゼルク中将こんばんはー」

 上機嫌で挨拶をする。

「ほんと、このたびはありがとうございます。みんなからお礼言われたでしょ?」

「まあね」

 必要最小限の返事だったが、相手は気にもしない。

「そうでしょうとも。大漁だものなあ。今、一家族手に入れましたよ。じゃあこれで」

 白い獣が次の獲物をめざすようにして、彼は去っていった。

 指揮官も歩を進める。

 夜と死の静寂が漂っている。その中で沢山の白い研究員達が楽しそうに動き回っている。

 宴のように。

第9話をお届けします。

よろしくお願いします。


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