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乱れる朝

<DEEP METAL BATTLE 作品紹介>

洗脳解除 異世界恋愛ファンタジー


現代社会に魔法を加えたような異世界で、

不老長寿と美貌に固執する呪術者の老婆と、

その老女を尊崇し偏愛する中年医師から、

生贄として洗脳されて育てられた美少女が、

紛争解決にきた国軍青年指揮官に助けられ、愛情を注がれて、

反発しながらも恋をして成長していく物語です。


 翌朝、ロイエルは解放された。

 領主の館の裏口から、兵士に付き添われて出てきたロイエルを、姿を消した少年たちが遠くから見ていた。

「さあ、ロイエル。家に帰るんだ。もう、こんなことをするんじゃないよ?」

 兵士たちはそう言って裏門の外まで送ると、門扉を閉ざした。

 一人になったロイエルに、少年らが近寄ってくる。

「ロイエル!」

「よかった! 無事に出て来られたんだね」

 うれしそうに迎える少年たちだったが、彼女の表情が、かつてなく暗いことに気づいた。

「え、ロイエル……?」

 うつむいて、目線が地面に向けられたきり、上げようとしないのだ。

「どうしたんだよ?」

「私、ドクターのところへ行く」

 下を向いたまま、ロイエルはつぶやいた。

「なんだって?」

 驚く少年たちを置いて、少女は駆け出した。

「いそがなきゃ、国軍が、お二人を捕まえてしまう」

 姿を消している三人の少年らが、慌ててそれに続いた。

「ロイエル!?」

「待ってよ!」


 やり過ぎたかもしれないが、あれくらいでちょうどいいかもしれない。彼女は、事実を知らなさ過ぎる。できれば、全て終わるまで、大人しくしていて欲しい。

 ゼルクベルガー中将は、長官への報告書を書きながら考えていた。

 ロイエルのことだった。

 釈放されれば、真っ先に、彼女は医師の元へ向かうだろう。これからそこに向かう我々と、鉢合わせする可能性は大きい。

 だが。

 昨夜、彼女に恐怖を植えつけた。もはや、向こう見ずなことをする気は、起こらないはずだ。少なくとも、私が指揮官としている限り。

 動けないあの子の代わりに、首謀者たちが出てくればいい。

 そうすれば、叩ける。

 窓の外からは、領主父娘の和やかな会話が聞こえてきた。

「お父様ー! 私、これから『女神の部屋』に行ってきまーす!」

「よしよし、行っておいで。お金は持ったのかい? どれ、少し出してやろうかね」

「そんなにいらないわよ。お茶とお菓子をたのむだけだから」

 平和そのものの内容に、中将は息をついた。

 どうにも、通常のディープメタル事件とは、毛色が違う。

 紛争の最中だというのに、村に漂うこの奇妙な呑気さは、どうだ。

 村中が火の海になるような激しい戦いが起こらない。対立している村人同士が、朝から晩まで同じ酒場で酒をあおって、くだをまいている。子ども達も家を出て「女神の部屋」という喫茶店に入り浸っている。

 確かに争っているはずだが、戦闘による死亡者数はほとんどゼロに近い。小競り合い程度で済んでいる。そこだけ見る分には、軍が出る必要が無いほどだ。

 しかし、医者と乳幼児と若い女性たち、そして軍の指揮官が、次々と変死していく。

 誰がやっているのか? 恐らく、オウバイが。

 何の目的があるのか? わからない。村をどうこうしたいのならば、真っ先に領主の命を狙うはずだ。狙えるはずなのだ。それをしないということは……。

 ディープメタルが関わっていることは、確かなのだが。

 首謀者の意図が、見えない。

「大変です! 中将、失礼します!」

 椅子から立った中将の元に、兵士が駆け込んできた。

「どうした?」

「オウバイだと名乗る老婆が、この館に現れました!」


「ドクター! おはようございます! 開けてください!」

 診療所に駆けつけたロイエルは、閉ざされたままの扉を叩いた。

「ドクター! ドクター!」

「……はーい。今開けまー……す」

 緊迫したロイエルとは正反対の声が聞こえた。どうやら、まだ寝ぼけている。

 ややあって、扉の鍵が開けられる音がした。

「ああ、ロイエル、お帰りなさい」

 医師がゆらゆらと立っていた。たった今寝床を出てきました、と、そのぼんやり顔に書いてある。

「よかったですねえ。無事に帰ってこられて」

「私のことなんかいいんです! そんなことよりも、大変なんです!」

 ううん、と、医師は目をこすった。

「まあまあ、落ち着いてください、ロイエル」

「いいえ! 聞いてください! もうすぐ、国軍が、ここに来ます! ドクターを捕まえに来るんです! だから、どうか早く逃げてください!」

 懇願するロイエルに、ドクターはゆったりと微笑みを返した。

「国軍、ですか」

 不思議な余裕をもって、そうつぶやくと、彼の笑みは一層穏やかになった。

「大丈夫ですよ。いいですか、ロイエル。オウバイ様は万能です。あの方に頼っていれば、何も怖いことはありません。私たちは小さいことなど気にせずに、理想に向かって進んで行けばいいのです。そうすれば、オウバイ様は、信じる者達に楽園を与えてくれるでしょう」

「……は、はい。そうですよ、ね」

 いつもならば、ドクターの言葉に強く頷くロイエルだが、今日はどういう訳か気弱な返事をした。

 医師は、らしくない彼女を、怪訝そうに見て、そして首を傾げた。

「おや。どうしたんですか? ロイエル。元気がないですね? ……診察でもしましょうか?」

 周りにいた見えない少年たちが、「そうなんですドクター!」と声を張り上げた。

「うわっ!? なんです、居たんですか、君たち」

 医師が驚いて身を震わせた。

「姿を消しているのなら、初めにそう言ってくださいよ。ああ、びっくりして目が覚めた」

「ごめんなさい。でも、目が覚めてよかったですね、ドクター」

 エフォートが大人しげな声でそう言う。

 その次にフェローが大声で訴えた。

「ドクター、どうにかしてくださいよ! ロイエルが、めっちゃめちゃ暗いんですよ!?」

「く、暗くなんかないわ? ちょっと寝不足なだけ。気にしないで」

 あわてて否定するロイエルに、「そんなことない!」と少年らは強く否定した。

 いつもは大人びた言動のヴィクトルですら、心配のため大声になっていた。

「ロイエル、絶対おかしいよ! そんな泣きそうな顔なんて、ロイエルらしくもない!」

 エフォートは泣きそうな声で言う

「そうだよ。……なあ、ゆうべ、何かあったんじゃないの? ごめんよ、僕らがついていながら」

 フェローが鼻息荒く「エミリに、いびられたんじゃないのか? そうだ、きっとそうだ! ちょっと一言いってきてやろうか」と息巻いた。

 しかしロイエルは「なんにもないの、大丈夫」というばかりだった。

 三人はしびれを切らした。

「そんなの嘘だよ……」

「何があったんだよ? 言ってくれよ! 力になるからさ!」

「僕たち、ロイエルのことが心配なんだ。そんなにも元気のない君なんて見たことがないよ。どうしたんだい一体」

 指摘され追求されて、少女は立ち往生した。

「べ、べつに、なにも、」

「まあっ! 皆さぁん、おはようございますぅ!」

 そんなところに、作りこんだ可愛らしい声がかけられた。

 声をかけたのは領主の長女エミリだった。

 姿が消えている少年らが、「エミリがきた……」「うげ。ぶりっこエミリ」「なんでこんな時に来るんだろうなあ全く」、と、げんなりする。

 医師が、おっとりと笑った。

「おや。エミリ、おはようございます。ゆうべはご苦労様でしたね?」

 何が、とは、言わなかった。

 領主の令嬢は愛想良く笑って返す。

「ドクターこそ、お疲れさまでございましたわ? ……あら、ロイエル」

 優美な笑顔に、険が混じった。

「気づかなかったわ。居たのね? そうそう昨日は、我が家に忍び込んだとか? よくも我が家に迷惑を掛けてくれましたわね! しかも中将様に捕まって牢屋行きだなんて、あなた、恥ずかしいったらないわよ? オホホホ!」

「そうね」

 その点は事実だったので、ロイエルは同意した。

「間抜けで馬鹿だったわ、私」

「え……。ロイエル?」

 エミリは2つ年下の少女の予想外の反省の言葉を聞き、気味が悪そうに眉をひそめた。いつもなら激しい反論が来るところなのに。

「ちょっとロイエル、一体どうしたんですの? 気持ち悪くてよ。それに、わたくしの話は、まだまだ続きますから、今の段階でそんなにしょげないで欲しいものですわ?」

「エミリに指摘されなくたって、よくわかっているもの。私、うかつだった。自分が恥ずかしい、本当に愚かだわ」

 予想以上に暗い顔をした相手に、令嬢はなぜかムッとしたらしく、顔を赤らめて眉をつり上げた。

「落ち込んでるふりなんかしないでくださいな! あなたがお間抜けで捕まったのは、実はどうでもいいんですのッ! あなたの反省とかも、どうだっていいんですの! わたくしが本当に言いたいのはっ、あなたがあなたの分際でッ、こ、こともあろうにゼルクベルガー様からッ」

 エミリがまくしたてる言葉の中に、聞きたくない名前が入っていたので、ロイエルはひるんだ。

「な、何のこと? ゼルク、ベルガー中将が、どうかしたの? よく、わからないんだけど、」

「それでとぼけてるつもりですの? わたくしに誤魔化しは通用しませんわよ!?」

 厳しい追及の声が、ロイエルに心に突き刺さり、激しい動悸を起こさせた。エミリはもしかして昨夜のことを知っているんだろうか? そうだとしたら恥ずかしくて逃げ出したい。

 フンッ、と、エミリが荒ぶる感情を鼻息で勢い良く表現した。

「うちの大浴場で捕まった時に、ゼルク様から『お姫様抱っこ』してもらって連行されたでしょうッ!? わたくし、この目で、しッかりと見てましたわよ! どうして歩いて行かなかったんですの!? 気絶したふりとか卑怯にもほどがありますわよ! 自分の足でとぼとぼ歩いて、しょんぼり惨めに牢に入ればいいのにッ!」

「え……?」

 エミリが激怒している原因は、自分の恐れていたこととは違っていた。

 なんだ、よかった。

 ほっとしたロイエルは、彼女から糾弾された状況について、記憶をたどってみる。

 浴場で捕まった時……。

 自然と首が傾いた。

「よく覚えてないわ。頭が痛かったし、お湯でのぼせてたし、ちょっと貧血もあったしで、……気が付いたら、石牢に入れられてたんだけど、それがどうしたの?」

 令嬢が目を見開いた。瞳孔まで開いていた。

「んまあ! よくもそこまで口からでまかせの嘘いつわりばかり言えますわね!? この、恥知らずの嘘つきロイエルッ!」

 正直に言ったのに、領主の娘は嘘だと断言した。

「嘘じゃない、本当のことよ。エミリは、何を根拠にそんなことを言うの?」

 不当な言いがかりだったので、ロイエルが反論すると、令嬢は「ホホホ。根拠なら大有りですわ」と、自信満々にうなずいた。

「ゼルク様が、この村では見かけないような素敵な男性だったから、鈍感なあなたもさすがに色気づいたんでしょ!? お近づきになるためなら手段を選ばないのね!? なんてはしたないのかしら!」

「あなたと一緒にしないで!」

 聞いた瞬間、ロイエルの口から、即座に否定の言葉が勝手に飛び出した。

「私は、あんな人大嫌いよ!? あんな人のどこがいいのかさっぱりわからないわ!? エミリが勘ぐるようなことなんて、私考えたくもない! あなたがあの最っ低な中将に惚れてるんだったら、どうぞ自由に好きなようにすればいいんだわ! だけど、私を、あなたなんかと同じに考えるのだけは止して! そんなの、許せない!」

 そこまで激しく他人を嫌うロイエルを見たことがない。エミリは呆然として、まくしたてる少女を見るしかなかった。

「……」

  「ちょっと? 聞いているのエミリ!? いいこと? 私は彼が大嫌いなの! そこのところ、決して誤解して欲しくないの! 何をぼうっとしてるの? エミリ、返事をしなさいッ!」

 はっとした領主の令嬢は、フン、と、高慢に顎をしゃくった。

「そう。まあ、ロイエルにその気がないのでしたら、こちらとしましても大助かりですわ。ああよかった、これで一安心ですことよ。では、これから、私、『女神の部屋』にまいります。ここには、ほんのついでに寄っただけですから。じゃあね。ドクター、また遊びに来ますから」

 ロイエルの趣味がとっても悪くって助かったわ、と吐き捨てて、エミリが去って行った。

「やれやれ。エミリは、いつでも元気いっぱいですね」

 エミリの許婚であるドクターは、今の激しい応酬を、全く怒るそぶりも見せずににこにこ笑って聞いていた。さらに、彼女にからまれた養い子をねぎらった。

「ロイエル、お相手お疲れ様でした。さ、中に入りましょうか。……ん?」

 医師は、少女を見て首を傾げた。

「おや? そういえば、ロイエルの服は、昨日出て行った時と違いますね?」

 それまで、エミリに対する怒りで紅潮していたロイエルの表情が、また、暗くかげった。

「昨日、中将に、お風呂に落とされて、捕まったんです。それで、服が……濡れたから、使用人の服に着替えさせられたんです、」

 最初はうすっぺらい服を着せられていたのだが、朝になり、目が覚めたら、この服に変わっていた。途中で気を失ったから、覚えていないけれど。今考えると、多分、……中将が、着せ替えた。

 彼女の内心まで推し量れる術もない医師は、「そうでしたか大変でしたねえ」と安易に納得した。

「あの、ドクター、私、」

 思いつめた表情で、少女が何か言いかけるが、医師はそれを制してして励ました。

「いいんですよ。ロイエルは、よくやりました。今まで、完璧にやってきたあなたですから、失敗の落胆が激しいのでしょうね。でも、いいですか、重要なのは、一度起こした過ちを決して繰り返さないことです」

「はい」

 少女は頷いた。ドクターに評価されて、彼女の気持ちは上向いた。

「私、もう二度と失敗しないように、一生懸命頑張ります」

 ドクターが強い調子で告げる。

「そうですよ。あなたは理想を抱いて進めばいいのです。さあ、それでは、皆、中に入りましょうね」

 主にうながされて、診療所の中に入る。

「あれ? ロイエル、」

 ロイエルの後ろから来たエフォートが、気づいた。

「腰を怪我してるの? 服に、血みたいなのが付いてるよ」

「……え?」


 館は、オウバイの来訪で混乱の極みにあった。

 女や年寄りなど身体的に弱い者たちは寄り集まってガタガタ震えており、少しでも物音が聞こえようものなら悲鳴を上げる始末だった。

 働き手の男たちは、手に手に武器を持って一応は闘う意志を見せてはいるが、その腰は引けており、同じく物音が聞こえようものなら、派手に身震いした後に、なんとか気持ちを奮い立たせて、構えの姿勢を取っていた。

 その中でも、領主はひときわ取り乱していた。

「ゼルク中将、どうしましょう!? 私は、一体どうすればいいんでしょうかね!? もしかして、私は、こっ、殺されるんですかねえ? 私は昔オウバイに刺されたんですよ! ああ、どうしよう! 私の命はどうなってしまうんだ!?」

 おろおろと叫びながら、片手にぶどう酒の瓶を持ち、訳もなく室内を早足で歩き回っている。

「ああーどうしよう! 怖いっ、怖い!」

 部屋の真ん中に静かに立つ中将が、部屋をぐるぐる動き続ける村の主に、微笑んだ。

「ご安心ください。あなたがたの安全は保障します。どこか別の部屋に移っていてください。あなたがたをオウバイに会わせたりはしません」

「ええっ! 移れ、だなんて!」

 領主は、その太った顔をブンブンと左右に振った。

「いえいえ! いやー、そのー、私は、貴方の傍に居たいと、思っておったりするのですよ? 一番安全そうですからねえ」

「わかりました」

 中将は苦笑した。

「では、我々に着いてきてください。アンネ准将、一階に降りよう」

「そんな!」

 アンネ准将のこめかみに青筋が浮かんだ。彼女は神経質な声を上げた。

「中将は優しすぎます! そんな我がままを、聞いてやるだなんて、」

 しかし、彼女の言葉を遮って、穏やかだった指揮官がきっぱりと命じた。

「准将。聞こえてなかったのか。降りるぞ」

「……はっ、中将」

 がたがた震える領主を連れ、二人は部屋を出て一階のサロンへ向かった。


 そこには、もう、オウバイがいた。それを見た途端、領主は「ギャー居たー!」と悲鳴を上げてまた二階へ逃げて行った。何のためについてきたのか訳が分からない。

「ほほー。あんたが、新しい指揮官かね」

 鼻の下を伸ばして、「うほっ、いい男」と、ゼルクベルガーをジロジロ見た後に、老婆は女性の准将の姿に目に留め、舌打ちして睨み付けた。

「おーやぁ? 死にぞこないまでいるよ。アンタは、この前、私の術で『無様に』やっつけられた姉ちゃんだね? ヒヒヒヒ、」

 底暗い笑みが瘴気のように立ちのぼる。

「どうだね? あの時は、恐ろしかったろう? ヒヒヒ。何にもない場所でつまずいて転んで、しまいには、上からでっかい岩が降ってくるんだからねーえ!」

 狂気をはらんだ嗤いを浮かべた老婆は、次の瞬間、相手にどす暗い表情を突きつけた。

「でも、その様子じゃ、うまく避けられたようだねえ、残念だよ。次は、そうはいかないからね。『ぐちゃっ』とつぶしてやるからねぇ?」

 准将は何も言わず、ただ静かな顔をして、憎まれ口をたたく老婆を注視し続ける。

「なんだよ。この女、怖がらないときてるよ! 可愛くないねえッ! あんた、冷血鉄仮面かい?」

 オウバイは、挑発に乗らない相手に、むっとして毒づいた。

「フンッ! あーあ。嫌だねえ、女は。どいつもこいつも、私の美しさに嫉妬して、『敵がい心』を燃やすときてるからね。ねえ、そう思わないかえ? そこのいい男や?」

 矛先が中将に向かった。

「油断してると、あんたも、怖い目に遭わせてやるよ? それとも、……ウフーン、あたしと『いい目』に逢いたいかい? ヒヒ、ひゃひゃひゃ!」

 老婆は、べらべらとしゃべり続ける

「まあ、どうしたって、あんたたちは負けるんだよ。国だろうが世界だろうが、この天下の美女オウバイ様とけんかしようなんざ、無謀ってもんさね。あたしにゃ、怖いものなんか、何一つないんだからねえ! 援軍を呼べば呼ぶほど、ヒヒヒ、死人が増えるだけなのさ?」

 オウバイは二人に口を挟む間を与えずに、どんどんまくしたてる。

「どうして、今、現れた?」

「なーんたって、わたしゃ、不老不死の術使いだからねえ。ひひひ。……へ!? 何だい?」

 自分の言葉に酔いしれていた老婆は、きょとんとした。

「今、なんて言ったね? あんた、そこのいい男」

「どうして現れた? と聞いたんだ」

 ようやく中将がオウバイに問いかけると、オウバイは腹を抱えて、ひゃひゃひゃひゃ! と、大笑いした。

「この万能のオウバイ様はねえ、どこへだって自由に行けるし、誰の考えだってお見通しなんだだよお。今日はね、あたし好みの『若い男』、そう、あんただよ、が来たんで、ちょいと挨拶してやろうと思ったのさ! でも、言葉は必要ないよ? あたしゃ、術であんたの全てが、ヒヒヒ、全てがわかるんだからねえ? それ、見てやろうかねえ。うーん、ごにょごにょ……おや?」

 老婆は早速珍妙な呪文をくりだしたが、なぜか、途中で怪訝な顔になった。

「あれ、」

 つくづくと、青年を見る。

 そして、「ヒッ」と声を漏らすと、目を丸くした。

「あんた、昨日……っ、あの子に、」

 皺まみれの顔が、青白くなった。

「ひいい! 何てことを、しちまったんだい!?」

 なぜか、オウバイが動揺し、怒りだした。

「許さないッ! 許さないよ!?」

 さっきまで笑いまくっていたしわくちゃ顔が、しかめ面になって、ますます皺まみれになり、顔色が青くなったり赤くなったりする。

「あんた、何て名前なんだい? うーんごにょごにょ。えっと。ゼ、ゼル、……『ゼルクベルガー』っていうんだね。けっ! 言いにくい名前だ! 名前なら『ジョン』ぐらい簡単で短いのがいいんだよ!」

 おのれ、と、老婆はつぶやいて、中将を憎々しく睨んだ。

「名前、覚えたからね! こうなれば、もうこっちのもんだよ! ゼルク、ゼ、ゼル、グフグフ、舌噛んだ! 言いにくい! えーい! もういい! あんた達との話は、また後でだよ! こうしちゃいられない!」

「もう行くのか?」

 呆れながら中将が言いかけるが、オウバイの耳には全く届かなかった。

「あたしゃ忙しいんだよ! 逢引の誘いなら後にしとくれ! これからロイエルのところに行くんだ! そうとわかったからには、さっさと『処分』しないとね! 役立たずなんか用無しだよ! じゃあね!」

 オウバイの姿が、こつぜんと消えた。

 しん、と、静寂が現れた。

「呆れた婆さんですね」

 アンネ准将がうんざりとつぶやいた。

「ロイエルのところへ行くと言いましたね」

 中将の言葉に、准将は「ええ」と頷く。

「そのようです。しかし、なぜ、オウバイはあんなに取り乱したのでしょうか。変ですね」

「ディープメタルを洗浄したのが、わかったのかもしれません」

 口ではそう言いつつ、彼は昨夜ロイエルを犯したことを思い出していた。確実にあれだろう。

 中将は不敵に微笑んだ。

「我々の前にこうして現れたのが、運の尽きだ。オウバイを捕らえて、首都に連行する。私は、兵を5人連れてロイエルのところへ行く。アンネ准将、君は、残りの兵を使って領主の館を警備してくれ」

「はい、中将」

 笑顔で応じたアンネだったが、すぐに心配そうにたずねた。

「しかし、オウバイが相手ならば……。中将、兵を多く連れて行かれては?」

「いや、いい。君はこの屋敷を手厚く警備してくれ。では、また会おう。その時はオウバイを連れて」

「了解しました中将」

 中将はサロンから駆け出した。


「ロイエル、服の後ろに付いてるのって、血じゃないのか?」

 姿は見えないが、後ろにいる少年に問われて、ロイエルは、ぎくりとした。

「違う、わ、よ?」

 答えた声が、自分でもぎくしゃくしていると感じられる。

「いや。血だよ、大丈夫なの?」

 少年の声が、心配げに響く。

「どうしたんだよ?」

「ロイエルが、どうかしたのかい?」

 他の二人の少年、フェローとヴィクトルも集まってきた。

 何とかごまかしたいが、こういう時、相手の姿が消えていると、どんな顔をしているかわからないので、やりにくい。

「なんでもないのよ」

 ロイエルはそう言って、さりげなく、廊下の壁に自分の背を押し付けた。今朝、牢を出る前に確認した時は、きれいだった。走ったりしたから漏れてきたのだろうか?

 緊張で、手のひらがしびれたように感じ、全身から汗が滲んだ。

 何にでも好奇心を持つ彼らの純粋さをロイエルは好きだったが、今は逆だった。

「私の怪我なんて大したことないわ。そんなことよりも、国軍から狙われているオウバイ様とドクターの安全を考える方が大事よ?」

 背に当たる壁の硬さを感じながら、ロイエルは、必死に言った。

「そうかな。ううん、そうだけど。そうだね」

「そうだったな」

「ああ」

 もっともな言葉に、しぶしぶ追求をやめた三人は、廊下の奥にある診察室へと歩いて行った。

 ロイエルは、ほっと胸をなでおろす。

 よかった……。

 ドクターに危険が及ぶのを一刻も早く知らせたかったし、それに、自分のことを知られるのも嫌だった。

 診療室に入ったロイエルは、まず、ドクターに謝った。

「ドクター、ごめんなさい。私が捕まったせいで、ドクターとオウバイ様に危険が及んでしまいました」

 回転椅子に腰掛けたドクターは、穏やかに首を振って、言った。

「いいんですよ。ロイエル、起こした過ちはもういいのです。大丈夫、オウバイ様の栄光の時は近づいています。そこには怒りも悲しみもありません。そうだ、あなたを捕まえた中将は、何か言っていませんでしたか? それを教えてください」

 ロイエルは、いつでも落ち着いて理想を語るドクターはやっぱり素晴らしい方だ、と感動しながら、中将が言った言葉を伝えた。

「『子供の責任は大人が取る。責任は始めから2人の大人だとわかっている』と、言ったんです。だから、必ずここに国軍の兵士が来るはずです。ドクターとオウバイ様を捕らえるために。ドクター、危険ですから、早く逃げてください、」

「いいえ。逃げませんよ」

 ドクターは、ますます穏やかに微笑んだ。

「どうか、恐れないでください。大丈夫ですよ、ロイエル、あなたは、オウバイ様がどこにいらっしゃるのか、知らないでしょう?」

「……はい」

「あなた方は、誰も見たことが無いはずです。オウバイ様のお姿を。だから、そのように、ささいなことで、余計な不安をおぼえてしまうのですよ?」

 ロイエルと三人の少年もうなずいた。

「たしかに、僕らも、お声しか聞いたことがないや。でも、……きれいなお声だよなあ」

 ドクターがうなずいて賛美する。

「お姿は、もっともっともっと美しいです。まさに美の女神。麗しいオウバイ様の姿を一目でも見ることがあれば、ささいな恐れなど圧倒的な美の前に消えてしまいます。オウバイ様は、そんな素晴しく美しいお方なのです」

「はい。ドクター」

 ずっと塞ぎこんでいたロイエルは、ドクターの「オウバイ賛美」を耳にすると、ようやく落ち着きを取り戻して微笑んだ。

「ロイエル。君は、やはり、いつでもそうやって笑っているべきなのですよ。どんなときでも、何があっても笑っていなさい」

「はい!」

 ロイエルは、頑張って元気を出そうと思った。

 しかし、次なる医師の言葉に凍りついた。

「おや? ロイエル。服のすそについてるのは、血液ではないですか。一体どうしました? けがでもしたのですか?」

「え……」

 どうしよう。

「けがならば、治療しますよ? 二人だけで処置室に行きましょうか」

 ドクターには、「血じゃない」なんて言ってごまかせる訳がない。

 それどころか、何があったか、わかってしまうかも。

 ロイエルは口ごもった。

「……こ、これは、」

「なんです?」

 言いにくそうなロイエルに、ドクターは微笑みかける。

「何でも、どんなことでも言ってごらんなさい、聞いてあげますから」

「これは……」

 とても言えない。

 それどころか、思い出すだけで震えがくる。

 できれば、一生思い出したくない。……あんな、こと、

「ロイエル? どうしたのです?」

 優しく問うドクターに、ロイエルは謝ることしかできなかった。

「ごめんなさい、ドクター。やっぱり、言えません、」

 目に涙を浮かべるロイエルに、ドクターは微笑みかけた。

「おやおや。泣かないで。いいんですよ、ロイエル。言いたくないのならばいいんです。君はいつもの笑顔でいる姿が一番いいのですからね。さあ、そんな顔をせず、もっと笑って」

「ドクター……」

 少女は、感動した。

 ああ、やはりドクターやオウバイ様は素晴らしい方だ。「いいんです」、なんて、言って下さるなんて。

 ロイエルは、昨夜受けた「忌まわしい出来事」を忘れることができるような気持ちになった。なかったことにできるような気がした

 頑張ろう。私、これからも、お二方のために、一生懸命、

「さあ、ロイエル、もう泣いてはいけません」

「はい、」

「おいッ!」

 そこに、突然、ひび割れたしわがれ声が雷のように大きく響いた。


「聞いておくれよ、ジョン! 困ったことになっちまったんだよ! 台無しなんだよォ! ロイエルだよロイエル! あの道具が駄目になっちまった! こんちくしょー! あの、ゼルゼ、ゼ、ゼ……ああ、言いにくい名前だよ、腹が立つ!」

 見たことのない老婆が、医師のすぐそばに、くの字に折れた枯れ木のように立っていた。

「え?」

「……誰?」

 ロイエルと三人の少年たちは、突然、診療室の真ん中に出現した老婆の存在と、そのがなり声とに、心臓が止まるかと思う程驚いた。

 干物のように皺だらけの老婆が、ロイエルを、ギロリと睨みつけた。

「ロイエルーッ!」

 いきなり大声で呼ばれて、ロイエルは面食らった。

「えっ?」

「だーッ!」

 老婆は地団駄を踏んだ。

 少女は、訳がわからず、言葉が出てこない。

「返事くらいしろっ! こんちくしょーが! お前だよお前! お前のせいで、台無しなんだよ! 丸潰れだ! 許さないよ! お前はッ、八つ裂きにして血を搾り取ってやるからね!」

「……え?」

 見知らぬ老婆にまくしたてられ、困惑したロイエルは、ドクターに助けを求めた。

「ドクター。このお婆さんは、どなたですか?」

 しかし、答は返らなかった。

 医師は、このしわくちゃの老婆のことを、まるでずっと会えなかった恋人に再会したかのように、うっとり見つめていたのだ。

 そして、うわずった声を上げた。

「ああ。麗しのおばあ様。あいも変わらず、あなた様は、美の結晶でいらっしゃる。……お会いしとうございました」

「うるわしのおばあさま?」

 ロイエルは、医師の言葉を繰り返した。

 医師は、少女に微笑みかけた。

「そうです! この方こそ、美の女神オウバイ様ですよ! ああ……。あなたがたは何て幸運で恵まれた人間なんでしょう。美しいオウバイ様と直にお会いできるなんて!」

 ジョンはこぶしを握り締め、感極まって涙した。

「ううっ、おばあさま、あいかわらずお美しい。あまりの美しさに、わたしは、気が遠くなりそうだ」

「この方が本当にオウバイ様なのですか?」

 いままで想像していた「美しい姿」とは、あまりに掛け離れ過ぎているので、ロイエルは思わず確認してしまった。

 三人の少年らも信じられないらしく、声を上げた。

「ええー!」

「信じられない」

「う、うそだ……」

 オウバイは、しわしわの頬をひくひくと引きつらせて、消えている少年たちがいるだろう場所を睨んだ。

「そこの坊主たち! 今、『このシワシワがオウバイ様?』『ひでえ皺の数だ』『嘘にも限度ってもんがあるだろう。あつかましい』って思ったね!?」

「そ、そんなこと、思ってませんよ!」

 ヴィクトルがおろおろと否定するが、老婆は「ハン!」と鼻を鳴らした。

「おだまり! お前らが知ってのとおり、あたしゃ、人の心が読めるんだ! 隠したって無駄さ!」

「あっ! そうでした! ごめんなさい、オウバイ様。僕たち、てっきり、あなたは絶世の美女なんだと思ってました」

 姿の消えたままの少年らの正直な懴悔の言葉に、オウバイのしわの寄りまくった額が、ぴくっと波打った。

「そうさ! 若い時はそうだった! 湿地の中でもそうだよ! そしてこれからはいつでもどこでもそうなる予定だったんだよ!」

 一気に言うと、感極まったのか、口をつぐんで、目から涙をにじませる。

「それなのにっ、」

 しわで幾重にもなったまぶたに縁取られた目から、わらわらと涙が落ちる。

「ああ、それなのにぃぃ!」

 オウバイは号泣して両手で顔を抑え、しかし、ごしごしと擦り、「ふんッ!」と、気合を入れて涙を振り払うと、手をどけて憤怒の表情を表した。

「あの色男が邪魔をしたー!」

 ぎりぎりぎり、と、歯ぎしりする。

「ゼル、ゼル、ゼ、ぐっ、舌噛んだ。……あーいーつーのせいで台無しじゃあ! 畜生め、術が完成したら、いくらでもやってくれてよかったのに! なんだって直前にやっちまうんだよ!?」

 腹の底から沸き上がる老婆の怒りの声だが、少年の一人は、彼女の気持ちも汲めずに、素朴な質問をしてしまう。

「それって、ゼルクベルガー中将のことですか? ……あっ! オウバイ様の姿が見えなかった時に聞いたきれいな声って、そうかっ、声色なんて術でどうにでも変えられるんだ! そうでしょう、オウバイ様? 僕の予想は正しいですか?」

 純朴な男の子には、オウバイの捻じ曲がった感情が理解できなかった。

 自分の思うような反応を得られなかったので、老婆は噛み付くように返事をする。

「どっちも正しいよっ! そんなことよりも、ロイエルだよ!」

 矛先が、少女に向かう。

「ひ、」

 迫力ある皺婆に詰め寄られて、ロイエルは怯えて声を漏らした。

「お前、あの男に操を奪われたね! 口の中から股の中まで、いーいように弄ばれやがってッ! お前みたいな、訳もわからず犯されるようなバカなふしだら娘なんてねえ、もう用無しなんだよッ! 育ててやった恩も忘れて! 何てざまだい! 生娘じゃないお前なんか、要らないんだよ!」

「!」 

 17歳の少女は、目をこれ以上ないくらい見開いたまま、凍り付いてしまった。

 ドクターに対してさえも、どうしても言えなかったことを、オウバイが、皆の前で明け透けに言ってしまった。

「ご、ごめんなさい」

 少女は半ば反射的に謝るが、その声は小さくかすれ、その瞳には涙が浮かんでいた。

 少年たちはわからなかったらしく、口々に医師に尋ね始めた。

「……ねえ、ドクター。みさおって何ですか?」

「きむすめってなんですか?」

「ふしだらって何ですか? オウバイ様のおっしゃってることは、難しくって全然わかりません」

 少年たちの無邪気な声が次々に繰り出された。

 この子達、ドクターに、何てことを聞いてるの!? と、ロイエルは真っ青になった。

「は? なんですか?」

 しかし、医師はパチパチと瞬きをして、「すみませんが、君たちの話をまるっきり聞いてませんでした」と首を傾げた。

「私の心と体は、目の前にいらっしゃる美しいオウバイ様のことで一杯になっているのです。嗚呼、おばあさま」

「ドクターってば!」

「教えてくださいよー!」

 三人の見えない少年から、服の袖やら裾をあっちこっちに引っ張られてせがまれ、ドクターは、やや面倒臭そうに、

「もう。なんですか?」

 と、聞き直した。

「みさおときむすめって何ですか?」

「あと、ふしだらとおかされるも」

「はあ?」

 ドクターは首をひねる。

 ロイエルとしては、彼らの会話を中断させたい。が、動揺して頭がいっぱいになって、何もできなくなっていた。

 いやだ、知られたくない。知られたくない、ドクターにだけは。

 少女の考えを読み取った婆が、悪意に満ちた意地悪顔でチッと舌打ちした。

「何をナメたこと考えてるんだい、ロイエル! あんたには、そんな権利なんてないんだよ!」

「あ、わかった! わかりましたよ!」

 ドクターが声を上げて、ポン、と手を叩いた。

「何を言っているかと思ったら。『操と、生娘』のことだったのですね。『ミサオトキムスメ』なんて、まるで呪文のような言い方をするから、何のことかと思っちゃいましたよ。しかし、そんなこと女性の前では言いにくいです。後で教えますから」

 ロイエルは生きた心地がしなかった。

 医師がそう言ったにもかかわらず、少年たちは食い下がる。

「えええ! 今、今知りたいんですよ!」

「何言ってるんですか。駄目です」

「だってオウバイ様が!」

「オウバイ様が言ったんですよお!」

「おばあさまが言ったですって!?」

 子供をあやす柔らかい表情をしていたドクターが、また、うっとりした表情に戻った。

「そうですか。うるわしのオウバイ様が言われたのならば、構いませんね。あなたたち、いいですか? 操というのは貞操のことです」

「テイソウって何ですか? あと、フシダラは? オカサレルは?」

「うーん、難しい質問ですね、つまり、こう使うんです。『操を失った若い女性は生娘じゃない』、というふうにね。生娘というのは、男女の関係を持ったことのない娘。ふしだらは……素行が悪いといいますか、うーんうまく表現できませんねえ。ま、そういうことです。後は、『オカサレル』……お、犯されるですって!? そんなこと、子どもは知らなくっていいんです! 年を取れば自然にわかります。そうですよね? うるわしのオウバイ様?」

 お伺いを立てられたオウバイは、フフン、と鼻を鳴らした。

「まーったく。ジョンはお上品だねえ。まあ、その辺が、私によく似てるよねえ」

 ごまかされたような形になり、少年らは、ぶうぶう文句を言い始める。

「ええー? わかんないよ。俺、全然わかんなかった」

「結局、何のことですかー?」

「わかんないでーす。もっとくわしく」

 ドクターはため息をつく。

「やれやれ、困りましたねえ。そんなこと、大人になってから、わかればいいんです。ん? ところでオウバイ様。どうして、そんなことをおっしゃったのですか?」

 わかっていないのは、ある意味でドクターも同じだった。

「ジョンや、私の言葉を聞いてなかったんだね?」

 オウバイのしわくちゃの額が、ぴくっと波打った。

「お前って子は、ほんとにッ!」

 オウバイがげんこつを振り上げると、ひえっ、とドクターが身をすくめた。

「お許しください。あまりにも貴方様が麗しかったので、つい見とれてしまって、聞き逃しておりました」

 硬く握られたげんこつは、『麗しい』との言葉で、解体された。険のあった顔も、しなしなと和らぐ。

「そうだったのかい……。それは、どうしようもないことだねえ。美しさは罪だねえ」

 当たり前に振る舞うのは二人だけで、他は皆、ポカンとしてやりとりを見ていた。

 だが、老婆のこめかみがピクっと引きつった。

「お前らーッ! 今、『この皺ババアが麗しいわけないだろ』と、思っただろう!」

 オウバイが、何もない空中に向かって、振り上げていたげんこつをお見舞いした。

「ぎゃー! すみません!」

 ゴツン! と音がする。

「痛いよう!」

「かっかっかっか! 思い知ったか!」

 悲鳴を聞いて快哉を叫ぶオウバイだったが、すぐに表情を改める。

「ハッ、そんなこたあどうでもいいんだよ! ジョン!」

「えっ、どうされたんですか? おばあ様」

「ロイエルが、とんでもないことしちまったんだよ! いいかいよくお聞き! この娘はゼ、ゼ、ゼ、……中将、あの男に、」

「うるわしのおばあさま、ゼルクベルガー中将のことですね?」

 ドクターが、瞳をきらめかせながら、合いの手を入れる。

 オウバイの目がギラリと光った。

「そうだよ! ジョン! だが、アイツの名前をうれしそうに言うんじゃないよ! あいつは、私の敵なんだ! あいつは、ロイエルの操を奪っちまったんだよ!」

「えっ?」

 医師の顔が、笑ったままこわばった。

「え。な……な、」

 そして、笑みが抜け落ちた。

「なんですって……!」

 目を見開いて、医師は愕然と立ち尽くした。

「そんな、まさか、操を!? いつの間に!?」

 一方、ロイエルは、真っ赤になって目に涙を浮かべていた。

 どうしよう。恥ずかしい。

「ロイエル! あんたがしでかしたことは、『ハズカシイ』で済むような話じゃないんだよ!」

 オウバイがロイエルを、突き刺すように睨みつけた。

「あんたは、私が不老不死になるのを台無しにしたんだ!」

「え?」

 きょとんとする少女に、老婆は怒りを燃やした。

「かー! わかってないね!?」

 老婆が歯軋りをした。

「まったく! お前は、自分の身のほどを何も知らないで、今まで馬鹿面下げて生きてきたんだね! ほらッ、ジョン、お前が説明しておやり! お前の言って聞かせ方が、足りなかったみたいだよ!」

 オウバイは、いまだ眼を開いたままのドクターに、ぐいと顎をしゃくった。

「は? は、はい。……わかりましたおばあさま」

 驚きのあまり自失の体であったドクターだが、オウバイの声を聞いて急速に平常心を取り戻した。まるで、操り人形のようだった。

「おい。ガキ共。お前らはもう用無しだから出て行け。術を使わせてやるのもこれっきりだ!」

 老婆は少年たちにそう命じると、「シッシッ!」と、犬や猫を追い払うように言った。

「え……」

「そんな、」

「オウバイ様、」

 戸惑う男の子らに、老婆は「さっさと出て行け!」と一喝して追い出した。

 子ども達が姿を消したのを確認すると、ドクターは説明を始めた。それは、いつもどおりの穏やかな調子だった。

「いいですか、ロイエル。あなたは『オウバイ様の道具』だということをわかっていますね? オウバイ様の不老不死のために、生まれたときからオウバイ様の念がこもった食べ物を口にし、飲み水はいつも湿地の水でした。歩けるようになってからは、オウバイ様の念を込めた石を持ってお使いにやらせたり、国軍が来てからはオウバイ様の念のこもった石を使った仕事をさせてきました。それもこれも、オウバイ様が不老不死におなりになるためだったんですよ」

「ええ。私は、道具、です」

「それなのに、お前は、台なしにしちまったんだよ! 畜生、道具の分際で! 私の不老不死を返せッ!」

 ずっと怒りっぱなしだったオウバイはさらに怒り、ドクターの表情も徐々に曇ってくる。

「オウバイ様、ドクター、……私は、」

 ぺッ、と、老婆が床に唾を吐いた。

「わかってないようだね! 私が不老不死になるには、処女のまんまのお前の肉体が必要だったんだ!」

「え、私の?」

「今日明日にでもお前を殺して、その、アタシが選びに選び抜いたキレイな体をもらうつもりだった! それなのにお前ときたらッ!」

「……あ、」

 ロイエルは、目を見開いた。

 ようやく理解できた。

 だから、オウバイ様はお怒りだったのだ。

 ロイエルは、身を千々に引き裂かれる思いだった。

「ごめんなさい! オウバイ様、ドクター、私は取り返しのつかないことをしてしまったのですね」

 少女は心の底から詫びた。

 昨日、自分が受けた屈辱よりも、尊敬するオウバイ様とドクターに、私は途方もない仕打ちをしてしまったのだ。

「ごめんなさい! ごめんなさい! 罪の償いができるとは思っていません。ですが、この私で、何かの足しにできることがあれば、何でもします」

 床に座って深くお辞儀をするが、ロイエルは、床よりも今の自分には土の上に座って礼をした方が、ずっと釣り合っていると思った。

 私は、罪を犯した。何てことをしたんだろう。

「ロイエル、あなたは、取り返しのつかないことをしました」

 ドクターは、これまでロイエルが一度も聞いたことがないような冷たい声を出した。

「今まで、私が、どんな思いで、あなたを育ててきたと思ってるんですか? ……もう、駄目だ。何もかもお終いです」

 ロイエルは、胃の辺りが緊張で引きつるように痛むのを感じた。

 だが、今の自分には声をかけてもらえたことさえありがたいことだ、と思った。

「あなたが死んだところで、この重すぎる罪の償いはできないのです。あなたは、恩を仇で返した!」

「ドクター、すみません」

 医師は表情をこわばらせて、目を背ける。

「あなたの声なんてもう聞きたくありません。顔も見たくない」

 ロイエルは、自分の気持ちと裏腹に情けなく震える体を、腹立たしく思った。

 ドクターからこんなふうに言われるのは当たり前なのに。私、ひどいことをしたのだもの。オウバイ様の理想を邪魔したのよ。なのに、何で震えるの、何を怖がっているの!?

「ごめんなさい、オウバイ様、ドクター。私、今から、死んでお詫びします」

 ロイエルはひどい震えが治まらないまま立ち上がると、廊下へ向かい、足をもつれさせながらも、外へ出ようとした。

「待つんだよ! ロイエル!」

 オウバイの声がかかった。ロイエルは、振り返った。

「……はい?」

 老婆は、底意地悪くニヤニヤと嗤った。

「お前、そんなこと言って、本当は、これからあのいい男の所へ泣きつきに行こうってんじゃないだろうねえ? ウソついたって無駄だよぉ? あたしゃ、考えが読めるんだからねえ。読んじゃうよ?」

 ロイエルの目から、大粒の涙が次々に溢れだした。

 まただ。

 私の意志とは無関係に涙が出てくる。何で涙が溢れるんだろう。……震えまで止まらないし。

 私、こんなに情けない人間だったんだ。恥ずかしい。もっと、毅然と理想を貫ける人間だと思っていたのに。

 私……なんて、つまらない人間なんだろう。

 ロイエルはわずかに首を振った。

「大丈夫です。わたし、嘘はついていません。本当に、湿地に行くんです。ちゃんと死にます。ご迷惑かけて、すみませんでした」

 かすれる声で、ようやくそう言うと、ロイエルは外へ出た。

「フン、どうだかねーえ。あいつときたらヤケに良い男だったしねえ。……うううむごにょごにょごにょ……えいっ!」

 老いて濁りきった目をギラギラと輝かせて、オウバイは鼻息荒く呪文を繰り出す。

 しかし、その直後、憑き物が落ちたように肩を落として、目をしばたかせた。

「あれまあ。なんだよ。あの子、本当に死にに行くつもりだ。へー。本気なんだねえ」

 白髪をバリバリとかきむしると、また、老婆の顔に、いやらしい表情を湧き上がった。

「待てよ。他に、いい使い道はないもんかねえ? ここまで育てたんだ。元手を取らなきゃ、損したまんまだ」

「単に湿地で溺れ死ぬだなんて、生ぬるいですよ、おばあさま!」

 ドクターは体の底から怒りに燃えていた。

「憎むべき最低最悪の裏切り者にふさわしい、苦しみと屈辱に満ち満ちた死に方があるはずです!」

 しかし熱い怒りの声を聞くオウバイは、「あいかわらず面倒臭い言い方が好きな子だよ」とげんなりため息をつく。

「へーえ? じゃあ聞くけどさ、それって、どんな方法だい?」

「そ、それは、その」

 彼女の孫は目を泳がせた。

「あのその」

 医師の頬が紅潮した。

「とてもご婦人に聞かせられるような内容ではないです……グフッ!?」

 オウバイが、焦れったいのにごうを煮やして、平手で孫の頬をバチンと叩いた。

「ええいうっとおしいわ! アンタがいくら照れ腐ったってねえ! 心の声は筒抜けなんだよ!? アンタが毎夜毎夜、あの子になったアタシを想像して欲情してたってこともお見通しさ!」

 皺で歪んだ唇が、ニヤリと嗤って、さらに気味の悪い形になった。

「……わかったよ、ジョンや。あんたの心に騒がしく浮かんでるやり方にしようじゃないか」


第六話を更新しました。

よろしくお願いいたします。

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