怒りと寂寥
入り口に降り立ち、ルシリアを背負ったままの優は鈍重そうな見た目の割りに軽い、玄関の扉を開けた。
ラトジアから帰宅、得に意味も無くただいまと言った優に返って来る声はルシリアのもの。
声に振り返った優にルシリアは微笑みを浮かべた。
ツーと言えばカー。そんな具合に第三者から見れば仲が良かった……
「あ、父上に母上。おかえりなさい……二人とも相変わらず仲が良いなぁ」
――その第三者。居るはず無いと思っていた者からの声に優の身体が警戒を覚える。
ただルシリアはその人物に心当りが有り、
「……誰だ」
「「え」」
その姿を見て優が警戒の意思を乗せて漏らした言葉に、ルシリアと優が見知らぬ青年は絶句し、翼を持つ青年は残念そうに肩を落とす。
スパコーン、と背後からルシリアが優の頭を叩いた。
「そ、そうだった……」
「あの記憶は見せたはずでしょう? 始めの始めに!」
「いや……うん。後の記憶が衝撃的過ぎて忘れてた」
ある程度体の痛みが緩和し、自力で立てる様になったルシリアは怒りを優に向けた。
恐い。美人が怒ると恐いとはよく言われるが、ルシリアは得に恐かった。
ちなみに此処で言う後の記憶とは初夜だとか1200年の間の情事である。
「母上もそんな怒らなくても……記憶を失くして記憶が戻ったわけじゃ無いです、し……」
「……聖族は私と娘息子のあなた達しか居ないのを忘れてるのよ?」
「いや、はい。……父上、僕には無理です」
「……ちょっとだけでも良いから努力して」
息子と父親。二人とも母親の剣幕にたじたじだ。
ルシリアの怒りの理由は聖族という一族の顛末を忘れていた事。
確かに勇者ユーマはルシリアを救った。
……しかし救えたのはルシリアだけ。
聖族の全ては救えなかったのである。
二人が想起しているのはルシリアの救われたその記憶。
歴史に残らない聖族と魔族による聖魔戦争。
……戦争と名乗るのはおこがましい、魔族による聖族の蹂躙だった。
ユーマが倒した件の魔王。
女子供果ては男までをも魅了する美貌。
統一性の無い魔族を束ね上げるカリスマ。
そして一度に大軍を指揮仕上る絶大な指揮能力。
……相手取れば恐ろしき存在になるのがユーマが倒した魔王だ。
ただこの魔王。それだけでなくある欠点とも美点とも取れる秀でたものがあった。
探究心好奇心がそこらの学者よりも数百倍強かった事。
生粋の学者気質であり、聖魔戦争は魔王にとっての実験であった。
この研究者気質が1200年前魔族が暴れていた全ての原因な訳だが仔細は今は省こう。今は聖魔戦争の話だ。
実験に使われたのは四大属性魔法の『火』を使って作られた魔法道具。
ちなみにだが四大属性魔法とは。
この世界で一般に使われているものなのだがぞの属性は『火』『土』『水』『気』の四つの属性で出来ている。
いやはや優の元の世界にもあったが、異世界も共通して四大元素という考え方はどこにでもあるものだ。
ちなみに勇者や優と契りのあるルシリアが使う魔法に属性は無いので属性分けするならば『無』になるのだが……閑話休題。
聖魔戦争と言う名の魔族の実験。そして使われた件の魔法道具。
それによる結果は聖族の長である重傷のルシリア一人を残して全滅。
魔族の損害ゼロという蹂躙劇となったのだ。
「ごめん。あんな大事なこと……でもあんな記憶を見せたお前も悪く無いか?」
「……むぅ」
故に、現在に残る聖族はルシリア……そして息子娘達。
怒った理由はすなわち、聖族ならば私達の子供たち以外居るわけないじゃない……と言う事だった。
お腹を痛めて生んだ子供だ。
例え記憶喪失だったとしても息子だと言う事に気づいて欲しかったのがルシリアの思う所である。
「それにラシールも許してくれてるし。だからお相子にしよう。な?」
「分かったわよぅ……」
い草の匂いの香る書院造の部屋で、むくれるルシリアの隣にいそいそと移動しその頭を撫でながら優は言う。
ルシリアの怒りは最もだ。
それは優も理解できる。
ただ、大事な記憶が薄れるような光景を見せたルシリアも悪かった。
ちなみにその時優は『見せてくれるな』と言っている。
その事もあってかこれ以上ルシリアも優を怒れなかった。
「朝ごはん作ってきます」
「あー…ラシール。……二時間ぐらい掛けてくれるか?」
「……ちょっと!」
「了解でーす。父上、母上――ごゆっくり」
ルシリアの頭を撫でる父親の手つきで気づいたのか。ラシールは空気を読み、まるで老舗の女将を思わせるような所作で部屋から出て行く。
ルシリアは気づいたらもう遅かった。
食前に彼女はパクリと戴かれた。
「……父上、記憶を失くしたようですが……魔法でなんとかならなかったんですか?」
「うん。ならんかった」
「さいですか」
ぐったりとした様子で伏せる母親を横目に箸を動かすのは止めないラシール。
父が記憶喪失になったとはいえ、両親の溺愛に関しては相変わらずだな、とラシールは思う。
ただ前よりも少々父の気性は荒くなったのか、とも思う。
ラシールの持つ父への感情は主に尊敬だ。
なにゆえかと聞かれれば返す言葉に迷うが『強いていうならば穏やかさかな』と聞かれれば答える。
ラシールはエリッサと違い、学校に通わずしてイシスにて物事を学んだ。
父と母である優とルシリアが先生だったわけだ。
故にエリッサよりも二人と触れ合い、二人を理解している。
父の誰よりも平穏を望む思いも、母の父を愛する気持ちも。
だから少しだけラシールは今の父を見て寂しかった。
「……どうした?」
「あ……うん。なんでもないよ父上」
記憶喪失。
だが、優の優しさは変わっていない。心の底から自分を心配してくれている。
父はやはり父であった、とラシールは安堵した。
「そっか。それならいいけど……それはそうと今日はどうしてイシスに?」
「あー…そうだった」
水を飲み、ラシールは食べていたモノを胃に流す。
「――僕、好きな人が出来たんだ」
「なんですってぇ?!」
「あ、起きた」
ちなみにルシリアはずっと起きていた。
あまりに優の扱いが酷かったため拗ねていただけである。
短めですがキリが良いので。
何時か追記するかもしれません。