目には目を歯には歯を
今、学校で噂の「復讐ノート」を手に入れた。
学校の図書館でふてくされていたら、たまたま見つけたのだ。
「ほんとかな……?」
私は自分の手元にある「復讐ノート」をぺらぺらとめくる。
おもて表紙には、三つ文章が書いてあった。
・このノートの中身を誰かに見られたら、所有権はその人に移る
・復讐したい相手のフルネームと、復讐の内容をはっきりと赤のボールペンで書くこと
・注意書きはしっかりと読むこと
正直言って、半信半疑だった。
それでも私は赤いボールペンをとりだし、ノートに書き込む。
【高梨美和 数学のノートを忘れるが、誰にも貸してもらえず、数学の教師に叱られた上で、追加課題を出される】
なんで赤いボールペンなのか不思議だったけれど、こうやって書いてみると、なんとなく分かる。
赤で名前を書くのって、どことなく、気持ち悪い。
血を連想するからかもしれない。
「……帰ろ」
ぽつりとつぶやき、ノートをかばんに放り込む。
私がノートに書いた内容は、私が実際に経験した状況だ。
そして、それは、美和がノートを貸してくれなかったせい。
直前で裏切ったのだ。最初は貸してくれるようなことを言っていたのに。
私はこの時は、あまりノートを信用していなかった。
だからこそ、忘れていた。
これが実現するその時まで。
一週間後。
私がすっかりノートの存在を忘れていた時のことだ。
「ねえ、数学のノート貸してよ」
美和の声にはっとして、思わずカバンの中を見る。
私のカバンの中には復讐ノート。
「ごめん。今、やってる途中だから」
「ちょっと、誰か貸してよ」
「ごめん」
「悪い」
美和が焦って頼むものの、誰も貸さない。
そして美和は、さすがに私に頼むのは気がひけるのだろう。
そうこうしているうちに、数学の教師が入ってきた。
「じゃあ、ノートを後ろから回収してくれ」
教師がそうして生徒に支持を出す。
そこで美和が立ち上がった。
「高梨?」
「すみません。ノートを忘れました」
「……じゃあ、途中まででいいから、やったところまで提出しろ」
「え? だから、ノートを忘れて……」
「いつ気づいた? 今まで時間があっただろ?」
「それはっ……」
「いいかげんにしろ! ノートを忘れても、どうにかルーズリーフとかに途中まででも課題を解いて、提出するぐらいの根性は必要だろ!」
教師の怒鳴り声に、美和は一気に小さくなる。
「すみません……」
「もういい! 追加で課題だ。来週までにやってこい!」
教室中が静まり、緊迫した空気になる中、私だけが、心の中で喜んでいた。
復讐ノートは本物だったのだ。
これで、私は一方的に嫌な思いをしなくていい。
いつだって、復讐ができるのだから。
それも、私の復讐だと、絶対にばれない方法で。
「今日の美和はドンマイだったねー」
「知ってる? 先生がいらいらマックスだった理由」
「えー知らない!」
「噂によるとさ、彼女に振られたらしいの!」
はしゃぐクラスメイトの話声を聞きながら、少しだけ、ひっかかるものがあった。
基本的にあの教師は厳しいが、確かに今日の美和のような怒られ方は珍しい。
その原因が、彼女に振られたこと、らしいが、それは私が復讐ノートに書いた結果なのだろうか。
「そんなわけないか……」
美和以外の人間の復讐は望んでいないのだから、きっとそれはたまたまだろう。
私は首を振って、適当に会話に混ざった。
美和の方をみれば、彼女は半泣き状態で席に座っている。
その様子をみて大いに満足しながら、私はちらりとカバンを見やる。
高揚感が、抑えられなかった。
私は美和への復讐が成功したことに、浮かれながら下校していた。
下校時の二十分間の徒歩の時間も、いつもは憂鬱なのに、今日はとても足取りが軽かった。
そうやって浮かれていたからかもしれない。
「いたっ……!」
急に角から飛び出してきた自転車にぶつかってしまった。
私はつきとばされてななめ後ろに転び、おもいっきり腕をすりむいた。
自転車も倒れてしまい、乗っていた大学生ぐらいの男の人が、いってえ……といいながら立ち上がる。
「ぼーっと歩いてんじゃねえよ!」
急に飛び出してきたのは自転車の方だと言うのに、一方的に暴言を吐いて、男は自転車で去って行ってしまった。
「何あれ! 信っじられない……!」
私は文句を言いながら、立ち上がってスカートについた砂を払う。
右腕の擦りむいたところが見ているだけでも痛い。
「あ……あれ」
ふと、さきほど自転車が倒れたあたりのところに、何かが落ちているのに気づく。
近寄って拾ってみると、それは学生証だった。
わりといいところの大学生だったようだ。
みんなが憧れる大学に行っている奴があんなのなのかと思うと、なんだか嫌な気分になる。
そしてふと、学生証の名前の欄に目が留まる。
そして、カバンを見る。
迷うことはなかった。
三日後。
「ねえ、聞いたー? 昨日さ、自転車でスピード出しすぎた大学生が、バイクとぶつかって事故ったらしいよ。しかもA町で!」
「えー! 近くじゃん!」
「っていうか、バイクとぶつかって、自転車の方が悪く言われるなんて、よっぽどじゃん?」
「だよね! まあ、法律上はバイクが悪くなるんだろうけどさ」
再びクラスメイトの話を聞きながら、私はほくそ笑んだ。
あんな反省のない奴、事故って正解だ。
ニュースによれば、命に別状はなかったらしいし、罪悪感なんてもちろんない。
それからの毎日は、ストレスレスな生活だった。
もちろん、嫌なことはあるが、そういうやつには、復讐することができるからだ。
私の陰口を言った人には、その子の知られたくないヒミツを、学校で一番口が軽い子にばれてしまうという復讐を。
私に掃除を押し付けて逃げた男子には、先生に、罰として掃除をさせられるという復讐を。
私が好きだと公言していた人を盗った女子には、好きでもない男子にストーカーされるという復讐を。
最初は私が受けた被害と同じようなことを復讐に選んでいたが、そのうち、自分よりもひどい目に合わせてやろうという気持ちになって、復讐の内容はどんどんエスカレートしていった。
しかしながら、誰も私が復讐しているとは気付かない。
なんて気持ちの良い世界なんだろうか。
しかも彼氏ができたり、親がずっと買ってくれなかった自転車を買ってくれたりと、いいことばかりが怒る。
私は有頂天になっていた。
そのほかにも、私の彼氏を好きだった女子が、私に水をかけて、トイレに私を閉じ込めた時、私は、その女子生徒が、誰かに間違って熱湯をかけれられてしまうようにノートに書いた。
その子には、罰として、やけどの跡が残って、とてもすっきりした。
ただし、あやまって、湿度を保つようにあった、ストーブの上のヤカンの中の熱湯をかけてしまった先生がその女子生徒の親に訴えられたのは、ちょっと申し訳ない気もしたが、おそらくその先生は、もともと誰かに熱湯をぶちまける運命だったのだ。
復讐の数は、自分で覚えきれないぐらいのものとなった。
きっと優に百は超えただろう。
復讐ノートをかばんに入れて、私は彼氏と下校していた。
「拓、帰ろう」
拓は私の彼氏だ。
もう拓と付き合い始めてから、三か月になる。
二人で待ち合わせをして、学校から家までを帰る。
今日は少し不運だったが、拓と帰ることでちょっとは払しょくされるだろう。
今日も私はそうやって、拓との幸せを満喫していた。
拓は優しい。
住宅街を歩いている今だって、歩道が無いから、車側は俺が、と言って、そちら側を歩いてくれる。
女の子にきちんと気を使える男の子。
私の理想ともいえる彼が彼氏だなんて、この前、好きな人を盗られてよかったかもしれないとおもうぐらいだ。
私がここ最近では習慣化していきているように、拓とたわいのない会話をしながら歩いている時だった。
「うわっ!」
叫び声が聞こえて、ふと家が並ぶ方を見てみる。
何がどうなったらそうなるのか、全く分からないが、湯気の立った熱湯が、上から降ってくるところだった。
「きゃあああああああ」
肌が焼ける感覚がして、その痛みと衝撃で、目の前が一気に真っ暗になった。
目を開けると、そこには心配そうな表情で私を覗き込む母親の姿があった。
「お母さん?」
「大丈夫?」
体を起こすと、どうやら病院らしい。
母がよかったと言いながら、立ち上がって何やら持ってくる。
「かばんは彼氏さんが持ってきてくれたの。あ、外にいるから呼んでくるわね」
母がそういって部屋から出ていく。
病室には他に三人の患者が入院しており、その三人がちらりとこちらをうかがわし気に見た。
視線が気になるものの、すぐに母と拓が入ってきたので、私はそちらに視線をやる。
「若い人でごゆっくり」
母がいたずらっぽく笑って、出ていき、拓はおずおずと私に近寄ってくる。
「……ごめん」
拓は近づいて座るなり、いきなり謝ってきた。
しかし私は笑って首を振る。
熱湯があんなところから落ちてくるなんて予想できないし、守れなかったなんて謝ってもらう必要はない。
「大丈夫だよ」
「本当に?」
「……うん、ありがとう」
「そっか……じゃあ」
拓はじゃあ、というと、その言葉の続きを言うことなく、病室から立ち去ろうとした。
私は慌てて拓の腕を掴む。
「えっと、じゃあの後は何?」
「え? 別れの挨拶だろ?」
「別、れ……?」
かみ合わない会話に、私が眉をひそめると、拓も会話がかみ合っていないことに気づいたらしい。
「大丈夫なんだろ? さっきごめん、って言ったとき、そういった」
「え? それは、怪我のこと、拓が気にしなくてもいいって意味で……」
「あ、なんだ。分かってなかったのか」
「何を?」
「ごめんって言ったのは、別れたいからだよ」
いつもの拓らしくない、冷たい声でそんなことを言われて、私は何がなんだかわからなくなった。
どういうことだろう。
どうして……。
「お前さ、自分の顔を見たから言ったんじゃなかったの?」
「顔……?」
「そっか、まだ見てないのか」
そういって、拓は鏡を私に差し出す。
心臓が早鐘を打つ。
それでも思い切って、私は鏡を見た。
「きゃあっ!」
鏡が床に落ちて音を立てる。
他の患者がいるということも忘れて、私は自分の姿に自分で悲鳴を上げた。
皮膚は焼けただれて、顔が酷い。
こんな顔で平然としていた私が恥ずかしい。
「そんなお前と、並んであるけるわけねえじゃん」
拓がいつにもまして冷たい言葉を投げかけて、そして、病室から出ていく。
私はもう、なりふり構っていられなかった。
逃げるようにして去っていく拓を、どうにか追いかけて、彼に追いすがる。
「手、離せよ、ストーカー!」
信じられない言葉をなげかけられて、私はその場に泣き崩れた。
騒ぎを聞きつけて駆け付けた母が、私をなぐさめるように抱き、病室へと誘導する。
病室に入ると、三人の入院患者から、口々に慰めの言葉をもらった。
さきほどの会話は全て聞かれていたのだ。
それでも、どの言葉も私に同情的であることから、悪いのが拓だ、という気持ちが増長していった。
そして、自分のベッドの下には、復讐ノートの入ったカバン。
「ごめん、一人にして」
母にそういえば、彼女は丁寧にカーテンを引いて、出て行ってくれた。
これでほかの三人からも見えない。
私はすぐに泣き止んで、復讐してやる、とカバンからノートと赤ペンを取り出した。
ノートをぱらぱらとめくっていく。
開いている場所を開いて、書き始めようとした時だった。
前回書いた復讐内容の次ページなのに、何故か文字が書いてあった。
【注意書き】という文字が目に入る。
どこかで見たフレーズだ。
あわてて表表紙を見れば、注意書きはしっかり読むこと、とかかれている。
もういちどさきほどのページを開いてみれば、やはり【注意書き】と書かれていて、そのあとに文章が書かれている。
「こんなところに注意書きだなんて」
胸騒ぎがするが、しょうがない。覚悟を決めて、そのあとに字を読んだ。
【注意書き】
復讐ノートは、正当なる復讐のためのノートです。
不当な復讐内容は、自らもダメージを受けます。
また、復讐のさい、復讐対象以外が負った、マイナスファクターは、そのまま全て、自分に返ってきます。
復讐の内容は、復讐対象以外には被害が及ばないように、気を付けましょう。
そうでなければ、あなたも、同じ目にあうことになります。
不当な復讐は、さらなる復讐を生むのです。
「そん、な……」
今さら、何を言っているのだろう。
体が冷えていく。
たしか、わたしに水をかけた女子に、熱湯がかかるように書いたが、そのさい、隣にいた先生も、被害をうけて、熱湯をかぶっていたはずだ。
その先生は、そういえば、それ以来、学校に来ていない。
美和への復讐の際、あの数学の教師は、確か彼女に振られた。
それは全て、私が今受けた被害と一致している。
私は必死になってページをめくった。
いままで復讐内容に、他の人の被害のことなど、考慮に入れたことはなかった。
それは自分には関係ないと思っていた。
「嫌っ……!」
体が震える。
もし、このノートが本当だとしたら、私にどんな不幸がふりかかるか、分かった物じゃない。
いや、正確には分かっているのだ。
復讐対象に復讐するために、他の人がとった行動で、それが他の人にとってマイナスであれば、全て同じ形で返ってくるのだ。
「そういえばね」
病室の、他の三人の患者の会話が聞こえてきた。
「このまえの、大学生が自転車でバイクに突っ込んだっていう事件」
私の心臓がどきりと跳ねる。
それは間違いなく私が起こした事件だ。
それでいうならば、つまり、そのバイクに乗っていた人が受けた被害は、自分にかかることになる。
「ああ、あれか。この病院に入院してたんだってねえ」
「そうそう、その大学生がね」
「バイクの運転手は、入院はしてないものねえ」
最後の言葉に、私はゆっくりと息を吐く。
入院していないと言うことは、たいしたことがなかったのだろう。
もしかすれば、バイクの修理費みたいな形で、金銭面的に苦しいかもしれないが、痛い思いはしなくていいだろう。
「そもそも、バイクの運転手は、身元がわからないんだろ?」
「そうだよねえ、かわいそうにねえ」
じとり、と嫌な汗をかく。
身元が分かっていない?
どういうことだろうか。
「事故のはずみで反対側の道路に投げ出されたなんてねえ」
「え……」
私は信じられない思いでその言葉を聞いた。
道路の反対側に投げ出された?
そうしたら、入院していないとは、まさか……。
「かわいそうだよねえ。対向車のトラックに轢かれて、顔がつぶれて、身元が分からないなんて」