その3 女子たちの会話に混ざる程度の能力
夕陽に染まっていた屯田町もそろそろ暗くなってきた。俺と綾波もそろそろ天界に帰る時間だ。外灯もちらちらとしてきた。そんな中、屯田中央公園にあるブランコに綾波と少女が座り、俺はすぐ近くにある木に背を預けていた。
「ふんふん。と、いうことは一徳さんは神様の雑用係だから雑神って呼ばれているのですね?」
「えみこさんはすごいですね! 『天界の基礎知識その1、~神と雑神の主従関係~』を生身の人間でありながらマスターしてしまうとは……天界に来たら多分百年、いや千年の逸材ですよ!」
「えへへー」
いつぞやの事を思い出す。デジャヴってやつだ。綾波はまた馬鹿やってるし、『えみこ』という少女はすっかり綾波に懐いてるし、規則違反は鳴瀬に何故かバレて怒られるし、もう最悪だ。減カルマこそあったものの、砂にされなかった事が不幸中の幸いだろう。
「それで天界って何ー?」
「えぇっと……それはですね――」
えみこの左腕に俺の青いハンカチが巻かれてある。彼女の最初の表情や態度を見てすぐに気付いたが、彼女もいろいろと大変らしい。綾波とえみこという女子たちの会話に混ざる程度の能力も持たない俺は、一人クールに振舞っている。
そういや、一般人に俺と綾波は視認できないから、回りから見ればえみこはイタイ人なのかな?と、先程まで仕事で使っていたまだほんのりと温かい天界カレーを一人で頬張りながら考える。
「あ! 一徳さんズルイです」
「私にもください!」
カレーは四つある。別にあげてもいいだろう。俺は「ん」と言ってそれぞれにカレーを手渡す。女どもは「なるほど! どうやったら天界人になれるんですか!?」「デュフフフ、えーと、それはね」と、会話に戻る。仕方なく俺は再び思考する。
天界カレーは神田がカレーに聖なる力を与えた、中二的超美味なカレーだ。匂いに誘われたのか俺の前に黒猫が来た。公園に猫が来るとは珍しい。俺はスプーン一杯のカレーとライスを黒猫に差し出す。物凄い逆毛を立てて逃げた。猫はカレーがお嫌いのようだ。
「それじゃあ……私、死にたい。死んでレイコちゃんや一徳さんともっと一緒に居たい」
「ちょ、話の流れ変わりすぎだろ」
「そうですよ。私はそんなつもりで話したつもりは……」
思わず声に出してしまった。いろいろと大変そうだと思ったが、事態は思ってたよりずっと大変だ。規則違反の上、人間の死に関わるなど、今度こそ間違いなく鳴瀬に消される。綾波もまさかこんな流れになるとは思っていなかっただろう。
「私、なんだか最近生きるのが辛いです――」
えみこは俺たちにここ最近遭った事を話した。父親と上手くいっていない事、さっき一升瓶を投げつけられた事。父の再就職が見付からず、酒ばかりで働く気配もないので高校受験を諦めて就職しようと考えている事。疎遠な親戚はあまり頼れない事。彼女は俺が予想していたより遥かに思い詰めていたらしい。
「私、もう死にたい」
「なら、死なせてあげようか?」
「誰だ!?」
俺はブランコの前に突如現れた謎の男に気付き、反射的に飛び上がって身構える。綾波も臨戦態勢。
「僕? 僕は死神の――」
ズゴン。と重い銃声。綾波がリボルバーを構えていた。銃の事はよくわからないが、おそらく大口径で当たればひとたまりもないだろう。
「し、死神への発砲許可はもらっています! つ、次は胴体を狙います。早く帰ってください!」
綾波が叫ぶ。銃弾は右足に当たっていた様で、死神の真っ黒なスーツの生地が消失していた。しかし、出血はおろか、翡翠の瞳が特徴的な顔には苦痛の表情すら浮かべていない。
「いきなり撃つなんてひどいなぁ。僕は死神のイメルダだよ。さっさとそこの死にたがってる女の子を渡してくれないか?」
「一徳さん、えみこちゃん早く逃げましょう! 死神には毎年何人かの雑神や天界人がやられています!」
「ちょ!? えぇっ!?」
さっきから急な展開ばかりで混乱してきた。雑神なんて楽な仕事だと思っていたがやっぱり危険はあるらしい。
「おい、えみこ。早く逃げるぞ! こっちへ来い」
俺も叫び、えみこに呼びかけるが返事はおろか、動きすらしない。
「死にたい。死にたい。死にたい? 死にたい」
「一徳さん! えみこちゃんの様子が変です!」
「死にたい」と、呟きながら、えみこは死神のイメルダの所に向かってふらふらと歩いていく。
「僕に会ってから急に死にたい気持ちが高まってきたね。さすが僕。君のおかげで僕の出世も近いよ。出世したらミケランジェロも祝ってくれよ?」
「にゃーん」
と、そこで初めてイメルダの足元にいた黒猫に気が付いた。見覚えがある。
「お前はさっきの黒猫だな! カレーの恩義を忘れたのか!?」
思わず猫にまで怒鳴ってしまう。相当混乱しているようだ。
「それじゃあ、この子は貰っていくよ」
そう言って、イメルダはえみこの膝裏と背中に手で支えて抱える。えみこがイメルダに触れられた所から淡い緑の光に包まれる。
「待ってください!」
リボルバーを構えた綾波が静止の声。
「帰れと言ったり、待てと言ったり。天界人は随分自分勝手だね」
「えみこちゃんを置いていってください。さもなければ撃ちます」
「そのえみこちゃんとやらを抱えている僕を撃てるのかい?」
発砲音。
「「ちょ!?」」と、俺とイメルダが同時に驚く。何故か綾波まで目を見開いて驚いている。
「確かに当てたはずなのに……」
イメルダの左足のスーツが消失。しかしまたもや出血、苦痛の表情は見られない。俺もさっきから疑問に思っていた。
「どういうことだ? なぜお前には銃弾が効かない?」
「死神だから銃弾程度じゃ死なないよ。何にも知らない雑神君でもデスノートを読んだ事くらいはあるだろう?」
「一徳さん! 今すぐニンニクと十字架と日光を持ってきてください!」
「「いや、それヴァンパイアだから!」」
俺とイメルダのツッコミが炸裂。緊張状態の中に芽生える謎の連帯感。
「日光とかどうやって持ってくるんだよ!それにさっきから二回も撃ってきやがって! もう怒った。この子は連れて帰って必ず殺す!」
再び緊迫状態。多分綾波のせいだ。俺はイメルダに呼びかける。
「待て! まずは話し合いを――」
「うるさい! お前らも殺してやる。殺れ、ミケランジェロ!」
黒猫のミケランジェロが膨張していく眩い光に包まれ、屯田の夜が駆逐されていく。突如、閃光手榴弾のように発光。
「「眩ッ!」」
「ハハッ! じゃあな!」
眩しくて何も見えない。綾波も同じだろう。
「紛らわしいわ! なんかトンデモ生物に変身するのかと思ったわ!」
「あいつ絶対殺す。よくもえみこちゃんを」
視界が回復すると共に、俺の怒りのツッコミと綾波の物騒な一言。俺たちの感情の表し方は違えど、結論は同じようだ。幸い、イメルダがえみこを抱えながらも凄まじいスピードで逃走している。しかし、人間一人をを抱えている分鈍足になっており、思っていたより距離は離されていない。また俺たちは、雑神の仕事でここ最近ずっとこの辺りを走ってきた。地の利はこちらにある。こちらがホームで向こうがアウェイ。頑張れば多少不利でも必ず勝てる。
「行くぞ綾波ぃいいい!」
「おぅ、一徳さん!」
怒りのボルテージも最高潮に達した。俺と綾波はえみこが放つ緑色の光を頼りに、夜の屯田を走る。勿論、ポイ捨てはいけないので余ったカレーと使った容器は回収済みだ。
星すらも見えない曇天の下、俺と綾波は長い銀髪を靡かせ逃走しているイメルダを追っている。自分のクビとプライドを賭けてえみこを救出する為だ。しかし、死神イメルダと会ってからは世界がおかしい。いや、俺の頭がおかしいのかな?
「一徳さん! 異常事態です。私の頭がおかしいのかもしれませんが、現在屯田には私と一徳さん。それに死神の馬鹿と猫ちゃん、そしてえみこちゃんしかいないような気がします」
「お前の頭がおかしい。以上」
「ひどいです。一徳さん」と、言ってきた綾波はさておき、彼女の言っていることは正しい。イメルダを追い始めてから、俺たちは人間はおろか、走行している車とすらも遭遇していない。辺りも急に暗くなった。屯田町全体が静寂と暗闇に包まれている。
一応念には念を入れておこう。イメルダを追いつつ俺は天界式携帯通信機器、通称『タクア』を取り出し鳴瀬を呼び出す。
(鳴瀬だ)
「こちら高橋。現在死神を追跡中。先程言っていた人間の女の子を連れ去られた」
(死神だと!? 彼らのことをまだ我々は何もわかっていない。今までやられてきた天界人のこともある。これはチャンスだ。『人間との交流』という職務妨害にかこつけて生け捕りにしてこい)
「了解。死神を捕まえたら今回のミスはチャラにしてくれ」
(前向きに対処する。こちらも全力でタクアからのサポートを――)
「あれ、鳴瀬? おーい」
突如鳴瀬からの通信が途絶えた。事態は相変わらず良くはない。多分これも死神の仕業だろう。
俺たちの前方を走るイメルダが左側へと方向転換。門を抜け、玄関をすり抜けて大きな建物の中に進入。本格的に俺たちを撒く気らしい。
「学校か……」
俺と綾波がイメルダの逃げた建物の中に到着。校門には『屯田南小学校』と書いてある。イメルダを追おうと俺も玄関へ突入。衝撃。痛い。
「あれ? すり抜けられない」
「一般的に天界人、雑神にはそんな能力ありませんよ。例外として、建物の中で行う特殊な仕事を受けた時は別ですけどね」
「なるほど、配線絡ませるアレとかね」
「玄関にはやっぱり鍵が掛かってますね。それじゃあ――」
そう言うと綾波は懐からリボルバーを取り出す。緊急事態だし別に何をしてももう驚かない。体の奥にまで響く銃声。綾波の大口径リボルバーの発砲音だ。見事に玄関の錠を撃ち抜いている。
「さぁ、行きましょう。一徳さん」
「あぁ」
少し時間が掛かってしまったが、俺と綾波は今度こそ屯田南小学校へ突入する。
夜の学校や病院は、その妙な雰囲気や幽霊とかが出てきそうで怖い。俺自身、一度死んだ人間だから幽霊みたいなものだけど、それでもやっぱり怖いものは怖い。それに今この学校には不死身の死神がいるのだ。
「見失ってしまいましたね。ここは分担して探しましょうか?」
「いや、それは駄目だ。万が一のこともある」
「万が一のことってどういうことですか?」
「あぁ……」
「あれ? もしかして――」
綾波はそこで間を置く。
「怖いですか? 夜の学校」
「ちゃ、ちゃうわい! ほらアレだ。待ち伏せされて一人ずつ襲われたら元も子もないだろうが」
「そうですね。そういうことにして置きます」
俺と綾波は二人でえみこの捜索を開始する。
「さぁ、駆け足で行きますよ」
「ちょっと待って早歩きで行こう。公園からここまで全力で走ってきたから……」
「時は一刻を争うのに何言ってるんですか。一応神様なんだからもっと体力をつけておいてください」
綾波の言うことが正しい。そして今気付いたが綾波は呼吸がまったく乱れていない。初対面の時から思っていたが一体なぜこいつはこんなにも体力があるのだろう?
綾波と一階の体育館、給食調理室と順番に捜索していく。いない。二階の職員室、図書室。いない。一年生から六年生の教室もいなかった。えみこが殺されていないか心配だ。先程まで俺と余裕の色を見せていた綾波の顔からも焦りの成分が浮かび始めていた。俺の天界カレーを持っている俺の右手が汗ばむ。邪魔だしやっぱり捨ててくればよかった。
「後は屋上だな」
そう言いながら俺と綾波は屋上に通じる扉まで駆け足で向かう。着いた。小学校だから敷地が狭くて捜索が比較的楽だ。もし、逃げ込まれた先が同じく屯田町にある有朋高校だったならば完全に手詰まりだったかもしれない。それ以前にイメルダたちがここにはもういない可能性もあるが、わざわざここに逃げ込んだのには意味があるのかもしれない。諦めないで捜索していこうと思う。
屋上に続く扉の前に着いた。普段なら閉まっているはずのこの扉が何故か開け放たれている。
「怪しいですね。一徳さんこれは罠です!」
先程の銃撃からもわかるように、何故か戦闘に慣れている綾波ではない俺でも罠に見える。絶対罠だ。
「俺たちを誘い込んでいることからして襲撃される可能性が高い。警戒しておけ」
「流石です。一徳さん!」
俺のそれっぽいアドバイスを聞いてリボルバーを懐から取り出しながら綾波が関心する。俺たちはいよいよ屋上へと向かう。