その2 何でも慣れた頃に失敗するものだ
お腹も少し空いてきた夕暮れ。俺は人間界にある屯田町に降りていた。大分板に付いてきた雑神の仕事をするためだ。
ちなみに屯田町は天界で現総理大神として働いている鳩山野直人の生前の故郷らしい。どうでもいいけど。
「一徳さん。次はこっちです!」
「あぁ、今行く」
あの後から雑神として俺は、天界人の身体を神田から授かった。そして、なんやかんやで同じ雑神ではなく、天界人の綾波と一緒に雑神の仕事をすることになった。その『なんやかんや』って所が大事なのかもしれないけど、手続きとかいろいろ面倒な話だったから良く覚えていない。ちなみに俺は綾波ではなく、他の雑神とパートナーを組む予定だったらしい。
「なぁ、綾波、これって……実際意味ある?」
俺は両手に持ったとっても良い匂いのするカレーを眺めながら、綾波に問いかける。
「一徳さん、日本には八百万の神様がいるんです! 日本人は何でも神様にしたがるのです! カレーの神様がいてもいいのです! 私はカレーが大好きです! あまり雑神の仕事を馬鹿にしないでください!」
「いや、そんなに!マーク多用して捲くし立てられてもこれはちょっとなぁ……」
俺は雑神として天界史を勉強し、神道と日本人、八百万の神々と日本人の事を勉強してきた。
まず八百万とは800万という意味ではない。無数のだとか、より現代っぽく訳すとハンパない数のと、いう意味だ。神は大きく分けると5タイプになる。
第一に、『自然物や自然現象を神格化した神』だ。古代の日本人は自然物や自然現象に『神々しい何か』を感じ取り崇敬した。この感覚は現在の神道の根本として我々にも残っているだろう。もしあなたが登山をして、「おぉー! 自然超スゲー!」と、思ったその感覚がこれに近いと思う。このタイプの代表的な神はお稲荷様や天照大神といった所だ。
第二に、『思考や災いといった抽象的なものを神格化した観念神』だ。このタイプの代表的な神は貧乏神や疫病神だ。特に解説しなくても、これらの神の厄介さは『桃太郎電鉄』をプレイした事のある人ならばわかると思う。
第三に、『古代の指導者・有力者の神格化』だ。これはその時代の有力者を死後に神として祭ったパターンだ。代表的な例は豊臣秀吉、徳川家康、菅原道真、平将門だ。昔の天皇もこれに当たるかもしれない。菅原道真が神格化されたエピソードはなかなかおもしろかったので、気になる人は自分で調べて欲しい。
第四に英語でいうthe God。神田のことだ。あえて解説はしない。
そして最後に『雑神』だ。俺も一応これに当てはまる。一応神なので基本的に人間には見えない。長くなってしまうが、「あれ? 俺ガスの元栓閉めたっけ?」と思わせたり、夏にミンミン言ったり、明け方ホーホー言ったり、他人のキーボードをCAPSキーロック状態にしたり、消した電気をつけ直したり、冷蔵庫のフタをちょっと開けたり、家の配線を絡ませる事などをする神様だ。
神田が『日本人がより日本人らしく』という、曖昧なスローガンのを下、日本人が風流と感じる事や日常のあるあるを基にして新たに創られた神だ。しかし、それゆえに、雑神のほとんどがどうでもよかったり、迷惑な現象を引き起こす。また、雑神は神田が勝手に創った神の為、当たり前の事だが日本人の誰もが信仰していない。
本当に長くなってしまったが、これらの事を踏まえた上で訳が分からないので、多分神田が異常なのだろう。
「一徳さん! ボサッと突っ立ってないでさっさと次の場所に行きますよ」
「すまん。それじゃあ次行こう」
いろいろ考えていたら、綾波に急かされた。俺は現在、『夕方、お腹が空いてきた頃にカレーの匂いを振り撒き、「あぁ、昭和のあの頃が懐かしいなぁ」と思わせる』仕事をしている。神田曰く、昭和のあの頃は映画『ALWAYS 三丁目の夕日』をイメージして欲しいとの事。今は夏だが、秋になると、あちこちで秋刀魚の匂いを撒いたり、極まれに松茸の匂いを撒いて秋らしさを演出するらしい。
俺と綾波は頭上にカレーを掲げ、黒髪を靡かせて屯田町を駆け巡る。遠くに怒声とガラスの割れる音が聞こえた。
くるくると回って私の目の前に飛んでくる一升瓶。思わず私は目を閉じた。ガシャンというガラスが割れる音が鳴って身を竦める。目を開けて振り返れば、壁に当たって砕け落ちたガラスが床に散乱していた。
「お前のせいだ! お前がいるから!」
七年前に病気で妻を亡くし、一応現在に至るまで男手一つでここまで私を育ててくれた父は、私の誇りであり、憧れだった。
父は変わってしまった。原因は金と女と酒。そして私だ。
元々普通のサラリーマンだった父は、およそ四ヶ月前に失業した。最初は酒を飲んで愚痴りながらも、私や自分の為にも新たな就職先を探していた。
父には一年前位から交際している愛人がいた。母は病気が悪化してから「私が死んだらすぐに再婚しても良いよ」と冗談めかしてよく言っていたものだ。
母と私の事気遣ってか、それとも良い人が見つからなかったのか父は中々新しい人と交際しなかった。そんな父と一年前から交際していたのが『みちよ』さんだ。
みちよさんは本当に良い人で、私の面倒も見てくれたし、父の心の支えにもなっていたと思う。私は度々、みちよさんが新しいお母さんになってくれれば良いなと思っていた。
父の豹変はみちよさんと別れてからだと思う。みちよさんは父が再就職するのを四ヶ月待っていたが、この不況の時代でもうすぐ四十歳になる父を正社員として雇用する会社はなかった。父は決して無能な人間ではなかったので、多分、運も悪かったのだと思う。
そんな父とみちよさんは『お互いの将来のために』と別れてしまった。もしかしたら、他にも理由はあったかもしれない。
「大人の交際は愛があれば、恋していればだけでは続かない」と、父は自分を励まし、相変わらず私に気遣ってくれた。しかし、日に日に飲酒と愚痴が増えていった。
父は就職先を見付けた。正社員ではなかったが、とりあえず少ない父の貯金と保険金もわずかしか残っていないと聞いていたので、とりあえず私は安心した。
しかし、父の飲酒と愚痴は増えて言った。職場では自分より年下にこき使われ、家庭では受験生である中三の私に気を使う。私に掛かるいろいろなお金の問題もある。父のストレスはどんどんと溜まっていた。
そして、酔った勢いで私を殴ったり、罵声を浴びせるようになったのが二週間前だ。
父は情緒不安定なのだろう。精神が病んでいる気がする。時々いつもの父に戻り、例え、殴りかかってきても父が担当する夜ご飯は作ってくれる。
そしてこれは虐待なのだろうか。おそらく世間では虐待と呼ぶのだろう。
瓶を投げてから泣き崩れている父を見ていられなくなり、声も掛けられそうな雰囲気でもなかったので、黙々とガラスの破片を拾い集め新聞紙に包んで片付けていく。
父を一人にしておいた方が良いと思った私はサンダルを履き散歩をする事にした。
夕焼けが辺りを彩る屯田町の夏はとても過ごしやすい。近くでカレーを作っている家庭があるのだろう。とても良い匂いがする。お母さんの作ったカレーが懐かしい。
私はスパイスの効いた良い匂いに誘われるように、屯田町をふらふらと歩く。
「一徳さん! 一徳さん!」
「あぁ、わかっている」
雑神としてカレーの匂いを振りまき始めてからおよそ三時間。妙な事が起きた。俺や綾波よりやや幼い感じの女の子がさっきから俺たちの後を付けているような気がするのだ。普通の人間なら俺たちは視認できない。また、雑神や天界人同士ならお互いにわかる。テレパシーの様な物だ。
「もしかしたら……噂に聞く死神の奴らかもしれません」
綾波が呟く。両手に持ったカレー背広の内側に手を入れて臨戦態勢。横目で見ると、差し込まれた右手の先に、ホルスター。それに収まっているのは、鈍色に輝くリボルバー型拳銃。
「ここからカレーの匂いがする……」
俺たちに追いついた女の子がしゃがんみながら呟く。俺たちには気付いていない様なので、普通の人間だと判断。謎に包まれている死神を警戒していた綾波も、リボルバーのグリップから手を放す。なぜ持っているかはあえて触れない。
「この子の腕……出血している」
俺はとりあえず作業着のポケットからハンカチを取り出し、差し出そうとするが、綾波が悲しそうな表情で俺の腕を掴んで止める。
「残念ですが……私たち程度の天界人や雑神には原則として、人間への干渉が認められていません」
「あ」と思い出した俺は、ハンカチをしまう。一応神たる者、仕事以外で現世と関わる事を原則禁止されている。理由は忘れたが、確か『デスノート』の死神と同じ様な理由だったと思う。それを破ればジェラスやレムの様になってしまうのだろう。憶測だけど。
「綾波、カレー拾ってさっさと仕事に戻ろう」
「はい」と答えた綾波がカレーに手を伸ばしたのと、少女が見えないカレーに手を伸ばしたのはほぼ同時だった。綾波より先に屈んでいた少女が、コンマ一秒速くカレーの皿に手を触れる。
刹那――少女の身体が青白く、淡く光る燐光に包まれた。
現世の人間に干渉してしまった。俺は砂になったジェラスとレムを思い出し、身震いする。
綾波と少女の目が合う。「「あ」」先程の俺の様な間抜けな声を出す。
何でも慣れた頃に失敗をするとは良く言ったものだ。