その1 千年の逸材
「うぉおおおおおおおおッ!」
棺桶にしがみ付きながら垂直上昇を続ける俺は叫ぶ。雲を突き抜けたあたりでふと上を見ると、空間に穴が開いている。穴からは淡い光が漏れていた。
棺桶から生えたジェットエンジンが停止。俺は落ちるんじゃないかとかなり焦ったが、安堵した。
謎の次元の裂け目からに向かって棺桶は緩やかに進んでいく。どうやってこの棺桶が浮いているのかは謎だが、さっきまでの急上昇にあまりにも驚いたため、疲れきった俺にはどうでもよかった。
次元の裂け目を抜けると、何時の間にか俺の乗っていた棺桶は消え去り、俺は石畳が敷き詰められている地面の上に立っていた。辺りを見渡せば俺のようにどうしていいかわからない素振りをしている人がちらほら。
そして俺の頭上には雲一つない青空。ここに来る途中で雲を突き抜けたから、多分ここは雲がある所よりもっと上空に位置しているのだろう。
俺の前方には50メートル程の馬鹿でかい神社の鳥居が聳え立っていた。鳥居の真ん中には達筆な字で大きく『ゴッドタワー前』と書いたこれまた大きな看板が見える。さて、これからどうしたものか。
「新規天界人候補は二列でこちらに並んでくださーい! あっ、そこ列に並ぶ時は抜かさないで! 審査前のマナー違反は減点の対象になりますよっ」
明るい茶髪にショートボブがトレードマーク。黒い生地に灰色の細いストライプが入ったスーツを着た若い女性が拡声器を片手に俺たちに呼びかける。彼女が空いた手で示すのは受付。彼女が案内係のようなので、とりあえず疑問をぶつけてみる。
「あの、すみません。ここは何所ですか?」
「ん? ここは天界ですよ。全ての死者が一度ここに立ち寄り、生前のカルマを神様に裁定してもらって輪廻転生のまでの時までの過ごし方を決めてもらいます」
「死者を裁くのって地獄の閻魔大王様じゃないの?」
「よくある間違いですね。閻魔様は罪人を裁くのです。まぁ、ここ数百年では罪人も一度ここへ連れてきて神様に裁いてもらい地獄に送るのです。それまでは人が死んで葬式が終わるまでに天界か地獄のどちらに住まわせるかを決めて転送してたのですが、なんせ現在は先代の閻魔54世様が亡くなり唯一の跡継ぎは468歳の小さなお子様ただ一人。それに加えて後にサードインパクトと呼ばれる第三次――」
「あ、あのすいません。もう全て理解できたので大丈夫です。本当にありがとうございました」
最早、さっきまで人間だった私にはどこからツッコめばいいのかわからなくなってきた。閻魔54世?468歳の小さな子供?サードインパクトって確かエヴァにあったよね?
「へぇー、私もおよそ百年ほど天界人として生きて来ましたが、あなたの様に1回で、しかも話しに少し触れただけで天界史を理解してくれる人は初めて見ました。大抵の人は天界人になった後に受ける天界史の授業で大抵、全く理解できずに脳のキャパシティを超えて勉強した為に吐血、嘔吐、失神を起こしたものです。かく言う私も追試のテストの度に――」
「あ、あのすいません。それも全部知っているので大丈夫です。わざわざ親切にありがとうございました」
「こ、これはひょっとするとあなたは百年、いや千年の逸材かもしれませんね。ささ、今すぐ神田様にカルマを測ってもらいましょう! 多分53万くらいは余裕でに超えるでしょうね。 あ、私は綾波レイコっていいます。以後、お見知りおきを!」
綾波!? とりあえず綾波はそう言って俺の手を取り、茶髪を靡かせながら猛牛のように走る。しかもわざわざ二列で並んでいた所の真ん中を掻き分けて走るので、誰かにぶつかる度に「痛ッ!」、「チッ」、「ぷげらッ!」、「死ね!」などの呟きや罵声が聞こえて来る。まぁ、もう死んでるんだけどね。
本当は綾波に抵抗してぶつかっている人たちに謝りたい。が、尋常ではない力で腕を掴まれている為に逃げることができない。それにこちらに来てから俺はいつもより力がでないような気がする。
「ちょ、綾波さん? この列抜かしたら減点って言ってたよね? 痛ッ! 腕痛いッ! ちぎれる! おぃいいいいい俺の話を聞け、綾波ぃいいいい!」
死んでからこんな目に遭うとは昔から俺は相当な不運の持ち主だと思う。来世ではラッキーでハッピーな人生を送りたいな。
雲一つない空は澄み切った青でとても綺麗だ。そして青と言えば海を思い出す。
俺が小さい時に家族と遊びに行った楽しい思い出だ。生前、家族に会いたい。なんて特に思ったことはないが、死んでからはもう一度家族に会いたいと強く思う。
家族と海。強いて言えば自然は似ていると思う。どちらも失ってから本当の大切さに気づく。
苦しさのあまり息ができない。まぁ、当たり前だろう。現在位置はネーミングセンスが疑われる『ゴッドタワー』の地上100階。ここまで興奮状態綾波の全力疾走で連れて来られたんだから。
50階位で俺が「せめてエレベーターを使ってくれ」と言ったら綾波は「ここからエレベーターに乗るなら私の全力疾走の方が早いですよ」と抜かしやがった。なら最初からエレベーターに乗せろ馬鹿。
「うぅー。 本当すみませんでした……」
平謝りする綾波と不機嫌さを隠そうともしない俺は『神』と達筆な字で書かれた扉の前に着いた。
「ここが神田様の居るお部屋です」
綾波そう言って扉を四度ノックする。
「うぃー。居るぞー」
「「失礼します」」と、俺と綾波は神田の居る部屋へ入る。部屋を見た第一印象はちょっと広めの社長室のイメージ。ここに来てからは非日常な事ばかりなので、普通で少し安心した。部屋の中央には神田と思われる男が座って居て、その後ろには秘書と思われる女が控えている。
「綾波。その男は誰だ?」
そう問う神田とやらは30代後半位の体格の良いおっさん。身長も180は軽く超えていていそうだ。後ろに撫で付けた長めの黒髪と整った髭。少し着崩したスーツが目に付いた。
「この人は千年の逸材です! 天界史を一瞬で理解し、おそらくカルマも53万を超えています!」
綾波は元気良く言うが、それは勘違いだろう。
「ほぅ、それは興味あるわね。審査してみましょう」
後ろに控えていた秘書がデスクから腕時計の様な物を取り出した。
「そういえば――」と、神田は唐突に話を切り出してきた。
「自己紹介がまだだったな。俺は神田だ。神の中の神、英語で言うならばザ・ゴッドと言う所だな」
そう言って神田は豪快に笑う。俺の変な緊張もなんだか取れてきたようだ。
「神田ってそのままじゃねーか」
調子の戻ってきた俺がそう返すと神田はまた笑い出す。
「神田様へタメ口なんてなかなか良い度胸してるじゃない。私は秘書の鳴瀬よ」
長い黒髪を後ろで縛り、タイトなスーツに身を包んだ鳴瀬は優雅な動作で礼をしてきた。さすがは神の秘書だ。俺も「よろしくお願いします」とだけ返しておく。
「改めましてヒロインの綾波レイコでーす。よろしくー」
綾波には先程の恨みが残っているので軽く平手打ちだけ返しておく。ペチンという音と共に綾波が発する「ぷげらッ!」という奇妙な言葉にまた腹が立つ。
「で、お前の名前は?」
神田の問いに俺は軽く身震いした。小学生の時に名前が変だと言われ馬鹿にされてからは、自分の名前を名乗る事に軽い抵抗があるのだ。
「高橋……一徳です」
「かずとく。いい名前じゃないか。 プッ」
「ちょっとぉおおおお! 兄さん僕の名前で笑うのやめてくださいよぉ!」
「いや、俺お前の兄ちゃんじゃねーし」
「つまらないしノリが古い。 もっとギャグのセンスを高めてから出直して来なさい。一徳君」
俺のつまらないツッコミに神田の普通過ぎる反応と、鳴瀬の厳しすぎる批評に名前を馬鹿にされたことで三重苦だ。ただ綾波だけが尊敬の眼差しでこちらを見ている。ちょっと救われた。『かずとく』って別におもしろい名前でもないけど、時々笑われるのは何故なのだろう。
「さて、そろそろ天才一徳のカルマを測ろうじゃないか。鳴瀬、一徳に『測る君』を取り付けてくれ」
「そのまんまのネーミングだな」とは言わなかった。理由はなんか緊張してきたからだ。いくら神田とはいえ、ザ・ゴッドに生前の行いを測定される事に緊張しない人間はいないだろう。下手したら地獄行きだし。俺が緊張している間に鳴瀬は測る君を取り付ける。
「結果がでたぞ。一徳のカルマは……」
神田はそこで勿体振るように一息吸った。
「1993だ!」
「それ、すごいの?」
天才レベルの53万ではない事はわかっていたが、俺のカルマがどの程度かがわからない。
「一徳君、残念だけど地獄に――」
「ちょっとぉおおおお! 姉さんそれは――」
「嘘よ。神田様、それでは神の裁きを」
そう言い鳴瀬は神田の後方へと下がる。
「それでは神の裁きを言い渡す。高橋一徳、お前は輪廻転生までの間……」
真面目な表情をしていた神田の顔が更に引き締まる。
「雑神として天界で働くが良い!」
「雑神? 俺、神様?」
「まぁ、人間界で言う派遣社員といったところだな。作業着を至急しておくから明日からさっそく頼むぞ」
そう言い、神田はガッハッハと豪快に笑う。俺は多分何とも言えない微妙な表情をしているだろう。横目でちらりと見たが、俺の横に立っている綾波も多分同じ表情だった。悪いね期待に応えられなくて。
俺と綾波はあの後ゴッドタワーを出て、現在は近くの通りを歩いている。
「はぁー」と、思わず溜息が出る。
「あの……」綾波は申し訳なさそうに続ける。「すみません。散々連れまわした上に、あのような目に逢わせてしまって」
あの後、俺は神田と散々馬鹿にされた。生前の記録が纏められた書類を読まれたのだ。小学生の参観日で親に書いた作文を音読されるのはまだ良かった。
やれ神田曰く「お前は生前良い行いを一回しかしていない。まさに一徳(一回しか徳のあることをしていない人間)だな。ガッハッハ」だとか、やれ鳴瀬曰く「葬式の時にやっていた行動が痛い」だとか、綾波も「最後にレディーのスカートを覗こうとしています! 500カルマげんてーん!」とか言ってたような気がする。勿論、原付の窃盗や無免許運転の事も罰せられていた。
結局綾波のせいで俺の持ちカルマは結局1493。俺の天界での待遇は、同じ雑神でも人間界でいうアルバイターとなってしまった。後で聞いた話だが53万カルマは高級官僚のさらにその上クラスの扱いらしい。基準がよくわからないけど。
ざっと神田に説明してもらった所、カルマは輪廻転生する為に必要なお金のような物らしい。天界で働いてカルマをもらい、『転生ガチャガチャ』にという物にカルマを支払う。ガチャガチャから出てきた景品として次の転生先が示されるらしい。転生先が気に入らなければ、七回まで破棄しても良いらしいが、その時、払ったカルマと決められた転生結果は戻ってこない。七回目の転生は強制的に決まってしまうので、できればそれまでに良い転生先を引き当てたい。また、ガチャガチャにはそれぞれランクがあるらしい。また、天界人でいられる期間は最長五百年である。
「実は……私三人目なんです」
俺がいろいろ考えていたら、唐突に綾波が話しを切り出してきた。
「一徳さんのように私が勝手に勘違いして迷惑かけて……」
綾波は暗い表情をしている。
「現実世界で生きていた時、私はいつも浮いた存在でした。軽い苛めにも遭っていました。それで私は高2の冬に――」
俺は無言で綾波の腰に手を回して抱きしめた。そういえば、綾波も死んだ俺と同年代だ。明るい性格だと思っていた彼女にも辛い過去があったのかもしれない。
「ちょ、一徳さん!? デュフフフフフ」
綾波が立ち直ったみたいなので腰に回した手を裏返し、手の甲を彼女の腰の辺りに押し付けて持ち上げる。プロレスの技であるベアハッグだ。
「痛たたたたた。一徳さん、ギブアップです」
「綾波ぃいいいい! 海賊王に俺はなる! カルマを溜めて溜めてエリートになるんじゃい!」
「駄目だこいつ……早くなんとかしないと」
綾波に引かれたのは悲しいが死んだ俺にも目標ができた。さっさとカルマを溜めて転生してしまおう。来世こそはエリートになる。俺は拳を固めて決意し神に誓おうとしてやめた。神田が神だった事をおもいだしたからだ。
あぁ、早く人間になりたい。