ACT 03ー5 『無題』
その日、事件は起こった。
「――これはどういう事かしら? 嫌な予感がするわね……」
「なんだかよくない事が起こりそうだぜぇ~!」
小手毬さんと早乙女は、この現状に口をそろえて、こう発言する。
いつもと変わらない昼休み。
しかし、いつもとは違うことが、ただ一つだけ存在している。
一同はその事態に驚愕しているのであった。
「確かに妙だ……。こりゃあ、明日雪でも降るんじゃないか?」
僕も、この事態に違和感を感じる一人である。
「おいッ! 黙ッて聞いてりャ、言いたい放題言いやがッて……お前ら、そんなに驚くことかッ!」
「そりゃあ驚くさ。だって、今日のお前、遅刻してなけりゃ、問題も起こさないものだから、普通すぎて逆に斬新に映るんだよ」
これまでの経緯から考えても、異常と言わざる負えない状況であることは明白であろう。
「そこでた。私にいい考えがある。任せたまえ」
そして、いつものように、何食わぬ顔で現れては、さりげなく話に参加している梔先輩。
「……………………」
そんな梔先輩に、無言の視線を浴びせる事、約五秒間。
「ん? どうした? 何か言いたいことでもあるのかい?」
「……いえ、何でもありません。それで、いい考えってのは何ですか?」
しかし、よりにもよって一番思い付いて欲しくない人が、いったい何を思いついたのだろうか?
……嫌な予感しかしないぞ。
「なに、簡単な事だ。薫君が、小手毬君の胸を揉む。これで万事解決だ!」
何が? 何が解決するの?
「んなこと出来るかッ! 自殺行為じャねェか!」
「駄目か?」
梔先輩は、振り向いて僕に問いかけてくる。
「当たり前です!」
「そうか……」
梔先輩は手を顎に押し当て、また何か考え直していた。
「仕方がない。とりあえず私ので代用しておくとしよう?」
両手でその豊満な胸を持ち上げるように強調して見せている。
「とりあえずッてなんだよ! てか、誰の問題でもねえよ! 何で揉むんだよ!? 説明しやがれ!」
「薫君、擬似的にトラブルを起こすのだよ? まあ、定番のラッキースケベ的な感じが望ましいだろう」
「なんでだよ?」
「大義名分を持って、薫君をフルボッコにしたいからだ」
素の顔で梔先輩が即答する。
「だ・か・ら、なんでトラブルを起こす流れになッてんだよ。おかしいだろッ!」
「おかしいのは、今の薫君だろう?」
「納得出来るかー!」
叫びながらツッコミを入れ、頭を抱えみながら悶え込んでいる薫であった。
――すると、突然、校内放送が流れ出した。
『二年A組八代薫。至急職員室に来るように』
瞬間。
一同は「ああー、成程」と口を揃えると納得したように頷いてみせる。
「ほほう、これがオチですか~。なんって言うか、もっとこう、ドカーーーン! って感じの、インパクトのあるやつをを期待してたのにな~」
両手を掲げ、全身をフルに使った、リアクションを披露している早乙女さん。
「安心したわ。それで、今度はいったい何をしでかしたのかしら?」
期待を裏切られたと、鬱いでいる早乙女さんの横では、小手毬さんが冷めた眼差しを薫に向けている。
「おかしいだろ!? どうして既に問題起こしたみたいな空気になッてんだよ!」
「どうしてって言われたら、貴方が問題以外で呼ばれる事が、想像出来ないからかしら」
小手毬さんの言うことは、ここに居る誰もの総意の発言である。
普通に考えれば、それが一番しっくりとくるのだから仕方がない。
「お前ら――覚えてやがれッ!」
言われ放題の薫は、逃げるように、渋々と教室を出て行ったのであった。
──────
昼休みが終わりに差し掛かる時間が刻々と近づきつつある現在。
だというのに、薫の姿が教室には未だにない。
「しかし、薫の奴帰ってこないな」
こんなに時間が掛かるなんて、何かあったのだろうか?
「きっとまだ怒られているのよ」
「アレだね。罰として両手にバケツでスクワットしてるんだよ〜」
「そいつは、えらく地味でハードな罰だな……」
結局、昼休みが過ぎても、薫が教室に戻ってくる事はなかった。
放課後になったのを見計らったかのように、薫から着信通話があった。
内容は、これから八代家に来てほしいというものである。
昼休みの件の事も気になっていた為、自宅に帰らずにそのまま急いで八代家に向かうことにしよう。
八代家の玄関前、インターホンを鳴らしながら息を整えるようにして待っていると、家の中から薫が姿を現した。
いつもなら栞ちゃんが顔を出していたから意外である。
「来たぞ、薫。何かあったのか?」
薫の様子が先程とは違い、浮かない表情を浮かべていた。
「ああ……昼休みの校内放送があッたろ。俺宛に栞が倒れたって知らせる連絡があった」
「そいつは一大事じゃないか! それで、容態は!?」
「とりあえず大丈夫みたいだ。栞も目を覚ましたし、今はおふくろも付き添ッている」
「そうか――よかった」
薫の話によると、栞ちゃんはしばらくの間、検査入院という名目で、当分の間病院に居る事になったらしい。
「ところで、今回僕が呼ばれた理由はいったい何なんだ?」
「そいつはだな……」
そう言って向かったのは、家の奥にある、いわゆる物を収納しておくのに使用する小部屋である。
ドアを開くと、壁一面の棚には、壁紙のように、本という本がずらりと並んでいた。
言うなら、図書館の一角をそのまま切り取ったという印象がぴったりだと思う。
生まれつき身体の弱かった栞ちゃんは、幼い頃から、一日の殆どを家で過ごすことが多かったらしい。
その際、空いた時間を埋めるように、沢山の本を読むようになったらしく、必然的に持っている本の量も多くなっていったみたいだ。
結果として小部屋を丸ごと使わなくちゃいけないほどの量になったとか。
「この中から、栞に頼まれた本を見つけなきャならないんだ。探すのを手伝ッてくれ」
「ちなみにだが、何冊探すんだ?」
すると、薫はポケットからメモ用紙を取り出して、個数を数えだした。
「……十冊らしい」
「……さすがだな」
僕なら、三冊もあれば時間を潰すのに十分な量であろう。
そもそも、そんな数を読み切れない。
「さてと、始めるか――」
薫が部屋に入った直後、床に落ちていた本に気付かず、勢いよくつま先を強打していた。
「があぁぁぁっ!」
痛みで取り乱した薫は、体勢を崩し、そのまま棚に衝突する。
「――ッつつ、てェェェ」
衝撃を受けた棚からは、本がこぼれ落ち、雪崩のように薫を目掛け、覆うように襲いかかっていった。
「おい、おい、おいィィィ――まじかァァァ――」
一つ一つの本の重さは、大したことはない。
しかし、数が増えれば単体とは比べられない程のダメージになるだろう。
おまけに、ハードカバーの本は角がもの凄く痛い……。
「何やってんだよ……」
見事に本の下敷きになって、撃沈している薫。
原因の落ちていた本を見ると、そこにあったのは広辞苑だった。
どうやら薫は、広辞苑に何かしらの因縁があるに違いない。
本を探すだけの単純な作業だったはずが、薫のせいで思いもよらない大掛かりな作業になってしまったな……。
とりあえず、換気の為に部屋の窓を開き、床一面に散らばった本を、一つ一つ棚に片づけながら、頼まれた本を探す羽目に。
「これじゃあ、どこに何があるか分かったもんじゃないぞ……」
落ちている本を見ていると、実に様々なジャンルのものがあった。
特に異彩を放ったのは『妹に好かれるための百箇条』などという本である。
誰の物だと思ったが――考えなくてもいいだろう。
「(まあ、おおよその検討は付いているしな)」
そう小さく呟くと、坦々と作業を続けていくのであった。
途中、部屋の隅に置かれていたスケッチブックを見つける。
中を覗いてみると、そこに描かれていたのは風景画のようであった。
細部まで丁寧に描かれ、色付けされた絵からは、見るだけで手間と時間が掛けられた事が、容易に想像出来る。
「上手な絵だな」
素直に感心し、暫くの間、鑑賞に浸ってしまう。
「おい。休んでねえで、さッさと手伝えよ!」
「誰のせいでこんな手間になったと思ってんだよ。少しの間、一人で探していろ」
スケッチブックのページをめくっていくと、空に浮かんだ雲の絵、夕焼けに染まった庭の風景、木の枝に止まった小鳥など様々なものが描かれていた。
それらを見ていると、気付いた共通点がある。
絵の中には、必ず窓枠が一緒に描かれており、この部屋から見た風景そのものだったのだ。
家の中で一日を過ごす栞ちゃんが、この部屋の窓から描いたものだと想像すると、改めて見た絵からは、何処か寂しさのような気持ちが伝わってくるようでもある。
ページの途中に、まだ描きがけの絵が一枚あった。
その絵を最後に、空白のページが続いていく。
どうしてこの絵だけが、完成を待たず放置されているのか。
何か描けない理由でもあるのだろうか?
「なあ、この絵はどうして最後まで描かれていないんだ? 薫は何か知ってるか?」
こちらに振り向いた薫が、僕が示した絵を見ると、一瞬、表情を曇らせた。
「……んなこと知らねえよ。それより、もういいだろ。ちッとも終わんねえぞ」
「お前が言うか、その台詞を……」
絵の事も気になったが、確かに、このままでは日が暮れてしまいそうだ。
外を見ると風景がだいぶ茜色に染まってきている。
「仕方ない、栞ちゃんの為にやるか。し・お・りちゃん為にな」
「お前、俺の扱い酷いよな」
「そうか? 妥当だろ」
相手が薫なので、見積もるとこんな感じになるんですよ。
とまあ、なんとか散らかった本を全て本棚の中に仕舞い終えると、頼ませた本がちゃんとあるか、メモ用紙を見て最後に確認することにした。
「……なあ。一冊足らないぞ」
「……マジかよ」
どうやら、どこかで探し漏れがあったらしい。
「何が足らないんだ? ちョッと見せてみろよ」
薫がメモ用紙を確認して、頼まれていた本と照らし合わせている。
「――ああ、そうか……」
その後、何故だかは分からないが、腑に落ちたように一人で納得していた。
「……後は俺の方でやッておくから、歩夢はもう帰ッていいぞ」
「どうせ後一冊だろ? 二人で探したらすぐに見つかるって」
「いや、いい。それにお前――さッきから時間を気にするそぶりが見えんだよ。なんか用事でもあるんじャねえのか?」
確かに、一度も帰らずに八代家に来たので、セレナの事が気掛かりで仕方ないのは事実である。
主にお腹を空かして機嫌を損ねられるのが問題だ。
「――そうか、悪い。じゃあ帰るわ」
「おう。今日は助かッた。サンキューな」
全く、わがままなお姫様のお世話は大変だ……。
と、皮肉混じりに内心で呟くと、急いで八代家を後にするのだった。




