ACT 03ー3 『無題』
放課後、薫から八代家に食事の誘いを受けた。
それと僕に頼みごとがあるらしい。いったいなんだろうか?
今までは一人だったので誘いを受けていたが、今はセレナがいる現状である。これからはどうしたものだろうか?
それに、今後のことも考えるとなると、セレナとの関係性もしっかりしておく方がいいだろうな。
というわけで、セレナには僕の身内という設定でいてもらうことにしよう。
やはり、この辺りが妥協点だろうか。
その旨をセレナに伝えると、以後はそのように取り繕うと約束してもらえた。
とりあえず、八代家には行くが食事については一度断ろうと思い、そのことについて薫に話すと「今更、一人も二人も大して変わりねえだろが。何遠慮してるんだよ、気持ち悪りィ」とか言われた。
皮肉の一言でも返そうと考えたが、そいつは今回に限り、止めておくことにしよう。
そういう流れで、今日はセレナと一緒に八代家で夕食を頂くことになった。
とはいえ、自宅に食糧の貯蓄が無いのをいい加減どうにかしようと思い、帰りに買い物を済ませることに決めた僕とセレナは、一旦薫とは別行動を取ることにしたのである。
教室で別れて、下駄箱の置かれている昇降口に向かう際に、展示品の制服が飾られているショーケースが置かれた場所を通ることになった。
セレナが片割れを着用しているので、現在女子の分だけ不自然に無くなっているわけなのだが。それにも関わらず、その事について気に留める人は誰もおらず、何事も無いかのように人が行き来をしている。
事情を知ってる身としては、痒い所に手が届かないような、何ともむず痒い気持ちでいっぱいになるのだった。
商店街にて、いつもよりも多めの買い物を済ませ、両手に沢山の食糧が入った買い物袋を持って帰路に就く途中、隣には手持ち無沙汰に手をぶらぶらさせながら、退屈そうに歩いているセレナがいた。
もちろんと言うべきだろうか、当然ながら手元は空である。
「あのー、セレナ。少しは手伝ってあげちゃおうかなぁー。とかいう、心配りとかは無いのでしょうか?」
「えっ、何で?」
そこでこの状況を見て、何で? って返すという事は、明らかに手伝う気はないという意思表示に違いないだろう。
どうしてほしいかなんて事を説明するまでもなく、答えは分かりきっているはずなのだからな。
なので、僕はこれ以上セレナに助けを求めることはしなかった。
説得は意味を成さず、唯々疲労を増加させる要因にしかならないからだ。
掌に食い込む重みに耐えながら、自宅のマンジョンへと到着する。
部屋に入ると、直ちに食糧を仕舞い込み、それらを終えると、八代家に向けて足を進めだす。
自宅から住宅地の方向に歩いて約一五分程の所に八代家がある。見た目は和風な感じの平家で、外には小さな庭も付いている。
家族構成は父と母、兄と妹の合わせて四人家族である。
インターホンを鳴らすと、「はーい」という可愛らしい声が聞こえてきた。引き戸をスライドさせて玄関が開くと、ツインテールの髪型をした、また幼さの残る顔立ちの少女が姿を現した。
「こんにちは、栞ちゃん」
「いらっしゃいませ、歩夢さん。っと……」
「こんにちは」
セレナが挨拶をすると、栞ちゃんは少し戸惑った様子を見せていた。
「こっ、こんにちは……」
何やら疑念を抱いている様子の栞ちゃん。本来なら初対面なので、その反応はとても正しい。もちろん誰だかなんて分かるはずがない。
しかし、セレナは魔法使いなので、そんな常識等は通用しないのだ。
そんなこんなで、栞ちゃんとの遣り取りをしながら、僕たちは薫の居るとされる部屋へと通される。
中に入ると「おう、来たか」と、薫が声をかけてきた。
自宅という事もあってか、ジャージ姿の実にラフな格好をしていた。
僕は手を軽く上げて、挨拶の代わりに返事をする。
部屋の中はというと、いかにもというべきだろうか……筋トレグッズや漫画に雑誌といった物が、辺りに散乱とした感じである。
その中でも一部片付いていたのは、だらしない兄に代わって、栞ちゃんが片づけたとされる跡であろうか。
「兄さん。ちょっと、お話しがあります」
栞ちゃんは、真剣な表情で薫に話を切り出した。
「その話、待ッた!」
薫はそう言うと、掌を栞ちゃんに向けて広げ、会話を妨げる。
「歩夢、いいから来いッ」
僕を誘い出すように手を招くと、薫と一緒に一旦部屋から出て行く事になった。
部屋に聞こえないぐらいの距離を取る。
「歩夢に頼みたいことがあるッて言ッてたろ。それについてだ」
「いったいなんだよ? また何かやらかしたのか?」
「まだ、やらかしてはねえ」
「まだって……どういうことだ?」
「これからやらかしそうだから、今回こうして歩夢に頼んでんだよ」
そう言って薫は、小手毬に付けられた痣のある頬を指し示す。
「これを見て、歩夢はどう思う?」
「まあ、自業自得かなと」
「そうじャねェ! いや、そうなんだけどよ……栞から見たらどう映るよ?」
「そりゃあ、どう見ても喧嘩でもして出来た痣だと疑われるだろうな」
「だろ。最近の俺の姿を見て、喧嘩したもんだと栞に詰め寄られているんだよ。違うッて言ッてんだが、どうにも信じてくれなくてな。だから頼むッ! 仲裁に入ッて喧嘩の無実を証明してくれ。きっと歩夢の口からなら栞も理解してくれるだろ」
兄として、それはそれでどうなんだろうか?
「話しは分かったよ。一度確認するが、やることは喧嘩の無実を証明するだけでいいんだよな?」
「ああそうだ、頼りにしてるぜ」
部屋に戻ると、待ちわびたような栞ちゃんの視線が、こちらに注がれる。
「話は終わりましたか? 兄さん、今日は逃がしませんよ」
「俺は逃げも隠れもしねえよ」
他力本願の中、やけに自信満々になる薫がいた。
「では、兄さん。その頬の痣はいったいどういった経緯で出来たものなんですか? きちんと説明してください」
険しい顔で薫に詰め寄る栞ちゃん。
なぜ、栞ちゃんがこのように薫に対して厳しい態度を取るのかは、二人の間で交わされた、とある約束が関係していた。
──────
事は中学の頃に遡る。
当時の薫は、相も変わらず派手な格好と振る舞いから、上級生や不良などに目を付けられることが多かった。
そりゃあもう、喧嘩を売られるなんてのは日常茶飯事である。
ただ、薫の凄かった所は、律儀にその売られた全ての喧嘩に真っ向勝負で立ち向かい、悉く勝利してきたことだろう。
その噂が瞬く間に広がると、次から次に挑戦者が現れるようになったのだ。
それを見兼ねた栞ちゃんが、薫の身を案じて喧嘩禁止を発令したのだ。
その後の薫はというと、喧嘩を挑まれた相手から逃げ回る日々を延々と繰り返し、現在に至るという訳である。
──────
「そのことについてだが、歩夢から説明がある」
(「なあ? これで最後だが、本当に僕が説明するのは、喧嘩の無実だけでいいんだよな?」)
(「そう言ッてんだろ、何度も確認することじャねえだろが?」)
そうか。まあ、薫がいいって言ってるなら、僕は一向に構わんのだがな。
「栞ちゃん、ちょっとこっち来て」
手招きして、栞ちゃんをこちらに呼び込むと、耳打ちでこれまでの経緯と、薫の喧嘩の無実を納得できるように、分かりやすく説明した。
僕が説明を終えると、栞ちゃんが納得してくれたのか、ゆっくりと頷いてみせる。
「どうだ。これで俺が喧嘩してなかったという事が証明されただろ」
「……はい、確かに。兄さんがケ・ン・カはしていなかったみたいですね」
「だろ! いやー、助かッたわ歩夢」
その後、栞ちゃんはその場を後のするように立ち上がると、ドアノブに手を掛け、薫の事を見据えていた。
「兄さん……サイテー」
そう言い残すと、栞ちゃんは部屋から出て行った。
薫が無言で硬直する事数秒。
「なあ? 今、人を軽蔑するかのような冷たい声と視線を感じたんだが、気のせいじャないよな?」
「ああ、アレを気のせいで済ませられるなら、薫の頭は満開のお花畑だろうよ」
「いッたい何を言いやがッた!?」
「何って、薫の希望通り、喧嘩の無実を証明したんだろ」
「それで? 何が? どうしたら? あんな態度になるんだよ!?」
「そりゃあ、薫のこれまでの経緯を説明したからだろ。思い返してみろよ」
「――あッ」
何かを思い出したように薫が声を漏らすと、ようやく事の次第に気が付いた様子であった。
「だから何度も聞いただろ、僕の方も分かりやすいように、大事な事だけを簡略して説明したんだけどな」
「……ちなみにだが、何て話したんだ?」
「薫の頬に出来た痣は、女子生徒の胸を触った際に仕返しで出来たものであって、一方的な暴力は喧嘩とは言わない。って説明したんだが、これでよかったんだろ?」
「なんだその悪意しか感じられない説明はよォ! もッとオブラートに包みこんだ言い方ッてのがあんだろうが!」
「だって事実だろ。どっちにしろ僕に任せた時点で薫が悪いんだ。よかったじゃないか、無実は証明されたぞ」
「ふッざけんな! これじャあ兄としての威厳はどうなッちまうんだよ!」
「何を今更、そんなもの薫には無いに等しいだろ」
「くッ――この野郎ッ……覚えてやがれッ!」
そう言って、席を立った薫は栞ちゃんを追いかけるようにドアノブに手を掛ける。
「この鬼! 悪魔! 没個性!」
投げつけるように台詞を吐き捨てると、栞ちゃんを追いかけるように薫はその場を後にした。
最後の言葉だけが、ボディブローのようにじわりじわりと効いてきた……気がする。
二人だけが残された部屋の中、場に居座って今までのやり取りを見ていたセレナが、呆れた様子で口を開いた。
「まるで子供の喧嘩のようだわ。それにしても、歩夢も随分と酷いことをするのね」
「まあ、薫とは長い付き合いだからな。あんな扱いで丁度いいんだよ」
「ふーん、そういうものなの」
こうして薫は、真実と引き替えに、兄としての僅かな威厳をすり減らしたのだった。




