ACT 02ー9 占いとは、信じる者だけにもたらされる奇跡
一連の出来事が終わると、セレナが湯浴みをしたいと言い出したので、シャワーを勧めると、セレナは浴室の方へ向かっていった。
僕は、その間の時間を利用して、散らかった部屋の片づけを始めることにしよう。
それにしても、こりゃあ派手に散らかしてくれたものだな……。
作業を続けつつ、思いに耽ていると、いきなり、「きゃっ!」という、驚いたような短い声が、浴室の方から聞こえてきた。
さては手違いで、温水ではなく、冷水を放水させたのだろうか? と、考えを巡らす。
暫くすると、いつしか作業の手は止まり、雑念という名のシャワーの音に、自然と耳を傾けている僕がいる。
最終的には、その音一点に耳を研ぎ澄ましていた。
いやね、別に風呂場を覗きたいとかそういうことを考えているわけでは決してないのですよ。ええ、ほんとにね。
でも、考えるなというのは、些か無理というものがあるとは思いませんか?
だってほら、今まさに青春の真っ直中にいるじゃないですか。となると、嫌でも想像してしまうんですよ。健全な男子諸君なら分かるであろうよ、この葛藤が。
――男とは、悲しくもそういう生き物なのである。
そう語る僕も、立派な思春期の男。これも性なら仕方がない――いや、良くはないのだが……。
なにやら理由を付けては、無理矢理にでも正当化させようとしていた。
――いかん、いかん。
理性で振り切ると、テレビの電源を入れて、半強制的にでも気を紛らわせることにしよう。
こうして悶着しながら続行した片づけは、なんとか終わりを迎える事が出来た。
一息ついていると、浴室のある部屋のドアが開かれ、そこからお風呂上がりのセレナが姿を現した――バスタオルを一枚巻いただけの格好で。
熱で火照った肌は桜色に上気しており、隠した女体の輪郭は、妙にはっきりとしている。濡れた髪もアクセントとなって、いつもよりより一層色っぽく見えてしまう。
間違いなく、お年頃の少年には刺激が強い光景である。
「なっ、な、な、なんだよその格好は! 服を着ろっ!」
狼狽しながら促すのだが、言われたセレナは、そこまで気にしている様子もない。
「どうしてよ? 布面積は大して変わらないわよ」
なんで、訝しげな顔で僕のことを見てくるのだ。
わざとか? わざとやってんのか?
本人にはその気が全くないのだろうが、それが余計にたちが悪い。
「僕が困るんだよ! 少しは気にしやがれっ!」
いたたまれない気持ちが沸き上がり、セレナを視界から外し、着替えるのを待つことにした。
全く、こんな場面を誰かに見られでもしたら、その日からどんな扱いを受けることやら……。
そういった嫌な予想っていうのは、どうやら期待を裏切らないらしく、玄関からピンポーンと、インターホンが鳴る音が聞こえてきた。
瞬間、心臓が口から飛び出すかと思った。
「はっ、はーい。ちょっ、ちょっと待ってくださーい!」
落ち着け、落ち着くんだ――こういう時こそ冷静にだぞ……。
玄関には鍵を掛けてあるし、こちらが開錠しない限りは、外部から相手が入ってくることはまず無い。
とにかく、今はセレナをどこか見つからない場所に隠した後、相手の用件に対応しつつ、さりげなくこの場をやり過ごす。
よし――これならいける!
冷静に対処すれば大丈夫だ! 問題なんてあるわけない。
「セレナ、急いでどこかに隠れるんだ。ほら、今すぐ、早くっ!」
「ちょっと、どうしてよ?」
怪訝な様子のセレナを、浴室のある部屋に押し込もうとしていると、玄関の方からガチャッ! という錠前の外れる音が聞こえた。
(ええっ! なんで鍵がっ!?)
玄関の方へ音速で振り向くと、ドアが開かれ、大家兼管理人のよしのさんが姿を現した。
「ちょっと待ってってのは、残念ながら私には通用しないんだなー。見よ! これが大家の特権、スペアキーだー!」
自慢するかのように、僕に鍵を見せつけている陽気なよしのさん。
「それは立派な住居侵入罪だー!」
嘆いたところで、状況は最悪である。
もはや、何もかもが手遅れであった……。
「どうしたー? そんなに慌てて、もしかしてお楽しみの途中だったりした? ごめんて」
終わりです! さようなら、今までの僕……。
これから会う度に話のネタにされるんだ……。
真っ白に燃え尽きたかのように、立ち尽くしていたが、よしのさんの反応は、僕の予想していたものとは違っていた。
「あら! 可愛い猫ちゃんね! もしかしてこれ隠すのに慌ててたの?」
ん? ネコ? 何を言ってるんだ?
セレナがいたとされる場所を見てみると、そこにはセレナの姿はなく、白い猫がバスタオルに包まれていた。
「歩夢ったら、昔からお人好しでお節介焼きだものねぇ、うんうん。いい子。ホントは駄目なんだけど、その優しさに免じて特別許す! 他の人に見つからないように、うまくやりなさいよー」
よしのさんは、僕の頭に手を置き、髪をクシャクシャに撫でてきた。
どうやら機転を利かせたセレナが、何らかの魔法の力を使ってくれたらしい。
「そうそう、目的はコレよ、コレ。貰い物のケーキだけど、余ったから食べてくれないかしら?」
よしのさんは、ケーキが入ってるとされる、紙箱を僕に渡す。
「あっ……ありがとうございます」
「それと、あんまり夜更かしばかりしてちゃ駄目よ。って、年頃の男の子に言ってもそりゃ無駄か。まあ、ほどほどにしておくんだぞ」
色々と気遣いの言葉を言い残すと、よしのさんは部屋を後にしていった。
嵐は甘味物を残し、過ぎ去った。
「これで良かったのかしら」
猫に姿を変えたセレナが話している。にしても、猫が話してるのが違和感だらけであるのだが、とりあえず感謝しよう。
「ナイス! いやぁ、ホント助かったー」
緊張が解け、安堵した僕は、溜まっていた息を一気に吐き出す。これからはこの方法で何とかやり過ごす事が出来るだろう。
「さてと――」
猫の姿だったセレナの体が輝きを放出させると、光が全身を覆い隠し、粒子を放出させながら形状を元の姿に戻していく。
しかし、僕の視界には先ほどから、床に落ちているバスタオルが映っているんですよね。
という事は、つまりこれって……。
元の姿に戻ったセレナは、予想通り全身に何も纏っていない状態であった。
そのことについて、セレナも少し遅れてその事実に気付いたらしい。
要するに、俺の目の前にいるセレナは、正真正銘、素っ裸なのだった。
女性の裸に、内心もうドキドキが止まらず、心臓を押し潰される思いであるのだが、同時に命の危険を危惧された。
セレナは、落ちていたバスタオルを拾い上げ、片腕で押さえつけて体を隠す。
それはさながら、サンドロ・ボッティチェッリの作品ヴィーナスの誕生で描かれた、アプロディーテーの様であった。
「……見たわね?」
セレナが睨みを効かせて静かに言い放つ。
「いやぁ……その……」
気恥しさと、圧力で、僕は言葉を濁した。
「見たわよね?」
「ええっと……」
ここは素直に言うべきなのか、白を切るべきなのか……。
「見たのよね?!」
「……はい……見ました」
結局、セレナの放つ圧力に負けてしまった。
「――忘れなさい」
と、言われましても、その姿はもう目に焼き付いて離れない。脳にバックアップも完璧だ。
「それは……ちょっと無理かと……」
「いいから! 忘れるのよ!」
そんな簡単に忘れろって言われてもだ、無理と言うか、何というべきか……。
「忘れてよっ! もうっ!」
「嫌だっ!」
あっ、つい本音がポロリと出てしまった。
「……………………」
「……………………」
互いに無言となり、場が凍りついた。
凄く気まずい雰囲気にしてしまった――どうするべきか……。
「……分ったわ。まあ、仕方がないわよね」
あれっ? これは意外な反応であった。
「もしかして、許してくれるのか?」
「だって、見たっていう事実が、今更変わるわけでもないでしょ」
その言葉を聞いて、僕はすっかり安堵していた。
「でもね、見たっていう記憶を、消す事は出来るかもしれないわ。その意味、分かるかしら?」
「……えっ?」
「衝撃には、さらに強い衝撃を与えて、記憶を上書きさせるのよ」
セレナは、空いているもう片方の手で、魔法を使い、名状しがたいバットのような形状の棒を作り出した。
それを見て、僕は本能的に危険が迫ってきたと感じ、焦りを感じ始める。
「えっと……なぜ、そんなものを手に持っているのでしょうか……」
「これで脳天ぶっ叩いたら、記憶ぐらい飛んでくれるわよね? ふふっ、大丈夫、ショック療法は治療手段だから」
「魔法使いなのに暴力! 赤い光を照射して記憶を消すとか無いの!? って、待てって! 今回のは事故だろ!」
「コツは確か、右斜め四十五度でたたく。だったかしら?」
「僕はブラウン管テレビでもねえし、たたいたところでファミコンのカセットのように、衝撃で簡単に記憶が消えるものかっ! それどころか、僕の記憶が消える前に、人生がゲームオーバーだよっ!」
「さっきからごちゃごちゃと、戯言がうるさいのよっ!」
迫りくるセレナに弁護するが、全く意味をなさない。
――駄目だ、完全にご立腹である。
「後生でございます――何卒ご容赦ください!」
「――問・答・無・用よ」
僕の人生が風前の灯火となる最中、早朝の占いを思い出した。
ああ。そういや、今日の運勢は最悪だったわ……。
「不幸だああああああああ!!」
その後、アパートの一室からは、悲痛な悲鳴が轟く事になったらしい。
僕は知りません。記憶が無いので――。
こうして一日が、不幸で幕切れとなりましたとさ。
再び朝日を拝む事が出来るといいなあ……。
そして、最後に一つ、言っておくことがある。
占いを信じるも、信じないも――貴方次第であると。




