第7話:運命のクラス分け?~紅一点の才女と、C判定の相棒~
五十嵐 圭という名の超絶エリートに、初日から木っ端微塵にプライドを粉砕された俺、佐伯 翔太。その夜は悔しさと情けなさで一睡もできず、翌朝のラジオ体操はゾンビのような足取りだった。朝食の味なんて、もはや砂を噛んでいるのと変わらない。授業も、昨日までは「桜井先生に会いたい…」という淡いモチベーションがあったが、今はもう「早くこの地獄から脱出したい…物理的に…」という現実逃避願望で頭がいっぱいだ。
「えー、皆さん、おはようございます! キャンプ二日目、気合入れていきましょう!」
午前中の授業が始まる前、ハチマキを締めた熱血風の講師が、やけにテンション高く声を張り上げた。
「本日の午後からは、より学習効果を高めるため、皆さんの進捗状況に合わせた少人数のグループに分かれて演習を行います! グループ分けは、あちらの掲示板に貼り出してありますので、確認してください!」
グループ分け、だと…?
俺の脳裏に、小学校時代の悪夢のような記憶が蘇る。徒競走でいつもビリ、球技大会では戦力外通告。グループ分けと聞いただけで、胃がキリリと痛む。どうせ俺は、また一番下の、いわゆる「その他大勢」グループに放り込まれるに決まってる。
重い足取りで掲示板へ向かうと、そこには無数の名前とアルファベットが並んでいた。Aグループ、Bグループ…そして、案の定、一番下にひっそりと存在する、Gグループ。俺の名前「佐伯 翔太」は、そのGグループのリストに、まるで落書きのように記されていた。まあ、知ってたけどな!
指定された小教室へ向かうと、そこにはまだ数人しかいなかった。一番乗りはマズいと思い、わざと少し遅れて入った俺は、窓際の席で静かに分厚い参考書を開いている一人の女子生徒に気づいた。
腰まである長い黒髪、涼しげな目元。昨日五十嵐と衝突した時にチラッと見かけたような気もするが、その時はそれどころじゃなかった。彼女は、この熱気ムンムンの合宿所の中で、一人だけ違う空気をまとっているように見えた。参考書は、使い込まれて端が少し擦り切れている。…できる女オーラが半端ない。
俺が恐る恐る一番後ろの空いている席に座ろうとした時、ガラッとドアが開き、もう一人、男子生徒が入ってきた。小柄で、黒縁メガネをかけた、いかにも真面目そうな雰囲気の男だった。その手には、付箋がハリネズミのようびっしりと貼り付けられた問題集が数冊。彼もまた、どこか自信なさげな、それでいて必死な表情をしていた。
やがて、講師が現れ、Gグループのメンバーが確定した。俺を含めて、たったの三人。
「はい、じゃあGグループの皆さん、こんにちはー。えーと、まずは自己紹介からお願いしまーす」
気の抜けたような講師の言葉に、最初に口を開いたのは、あの窓際の女子生徒だった。
「橘 志帆です。よろしくお願いします」
凛とした、それでいてどこか落ち着いた声。彼女は軽く会釈すると、再び手元の参考書に視線を落とした。なんだか、近寄りがたい雰囲気だ。
次に、メガネの彼が、緊張した面持ちで口を開いた。
「す、鈴木 一途です。えっと、〇〇高校から来ました。東大は…ずっとC判定で…頑張ります…」
声は小さいが、その言葉には切実さが滲んでいる。C判定か…俺よりはマシだけど、それでも厳しい戦いなんだろうな。
そして、俺の番。
「…佐伯 翔太っス。えーっと、偏差値は…まあ、アレですけど、一応、東大目指してますんで! ヨロシク!」
できるだけ明るく、虚勢を張って言ってみたものの、橘さんの冷ややかな視線と、鈴木君の「(え、この人も仲間…?)」みたいな微妙な表情が、俺のガラスのハートを容赦なく抉る。
最初のグループワークは、英語の長文読解と要約だった。
俺にとっては、もはや異星人の言語解読レベル。問題文を三分の一も読まないうちに、強烈な睡魔と絶望感が俺を襲う。物理的に、脳が処理を拒否している。
一方、橘さんは、まるで高級レストランでメニューを選ぶかのように、冷静かつ迅速に問題を解き進めていく。時折、長いまつ毛を伏せて考え込む姿は、絵になるほど美しい。
鈴木君は、必死に食らいつこうと、辞書を片手にうんうん唸っている。その額には汗が滲んでいた。
…俺だけじゃん、何もできてないの。
休憩時間。重苦しい空気が流れる中、俺は思わずポツリと呟いてしまった。
「…昨日の五十嵐ってヤツ、マジむかつくよな…何様だってんだ」
しまった、と思ったが、もう遅い。
すると、意外にも鈴木君が小さな声で反応した。
「あ…五十嵐君のこと? 僕もちょっと話したけど…確かに言い方はキツイけど、実力は本物みたいだよ。模試の成績、全国でもトップクラスだって聞いたし…」
「トップクラスぅ? だからって、人を馬鹿にしていい理由にはなんねーだろ!」
俺がムキになって言うと、それまで黙っていた橘さんが、静かに口を開いた。
「彼は彼、私たちは私たちよ。他人のことを気にしてる暇があったら、一つでも多くの単語を覚えるべきじゃないかしら」
正論。ぐうの音も出ないとはこのことだ。だが、その声には、どこか五十嵐を意識しているような響きも感じられたのは、俺の気のせいだろうか。
「でもさ、橘さんは余裕っしょ? どうせA判定とかでしょ?」
俺が少しやさぐれたように言うと、橘さんはふっと視線を窓の外に向けた。
「…私は、現役ではたぶん無理よ。浪人すれば、あるいは、ってところかしらね」
その横顔は、どこか寂しげに見えた。
「え、マジで? あんなにできるのに?」
意外な言葉に、俺と鈴木君は顔を見合わせる。
なんだか、よく分からない三人組だ。
圧倒的実力者に見えて、何かを抱えていそうな橘さん。
必死に努力しているのに、結果が出ずにもがいている鈴木君。
そして、実力もやる気も底辺だけど、なぜかここにいる俺。
講師の「はい、じゃあ次の課題いきまーす」という声が、俺たちを現実に引き戻した。
この、全く噛み合わないように見える三人組が、同じGグループとして、この地獄の(?)サマーキャンプを共に戦い抜くことになったのだ。
この出会いが、俺のくそったれな受験生活に、一筋の光をもたらすのか、それともさらなるカオスを呼び込むのか。
合宿二日目の午後は、まだ始まったばかりだった。