第6話:地獄の(?)夏季集中キャンプへGO!~エリート様と初エンカウント~
桜井先生の「脳の筋トレ(仮)」と「ちょっぴりマシな食生活」が始まって、はや数週間。俺の生活は、劇的ビフォーアフター! …とは残念ながらいかず、三日坊主と「明日から本気出す」を繰り返す、相変わらずの低空飛行を続けていた。まあ、それでも以前に比べれば、机に向かう時間は物理的に5分くらいは増えたかもしれない。五十歩百歩ならぬ、五分百歩だ。
そんな生ぬるい俺の日常に、先生は新たな爆弾を投下してきた。
「翔太君、夏休みじゃない? 気分転換も兼ねて、実力試しもできるし、この『東大特進サマーキャンプ』に参加してみないかしら?」
先生が差し出したパンフレットには、雄大な自然の中に佇む研修施設の写真と、「全国のライバルと切磋琢磨!」「合格への最短ルート!」といった熱いキャッチコピーが躍っている。
「えー、合宿っスか…なんか、暑苦しそう…」
俺は露骨に嫌な顔をした。夏休みくらい、クーラーの効いた部屋でソシャゲの夏イベントをエンジョイしたい。
「あら、残念。参加者には可愛い女の子も多いって噂よ? 翔太君の好きな、清楚系の…」
先生がチラリとこちらを見て、悪戯っぽく微笑む。
「なっ…! せ、先生、俺をそんな不純な動機で釣ろうったって、そうはいきませんよ! …で、その合宿、いつからでしたっけ?」
チョロい。俺は物理的にチョロすぎる。
こうして俺は、桜井先生の巧みな誘導(という名の策略)にまんまとハマり、バスに揺られて山奥の研修施設へと送り込まれた。到着した「東大特進サマーキャンプ」の会場は、パンフレットの写真通りの自然豊かな場所だったが、そこに集う受験生たちの雰囲気は、俺の想像を絶していた。
参考書を片手に難しい顔で議論を交わす集団。木陰で英単語帳をブツブツと呟き続ける眼鏡男子。まるで戦場に向かう兵士のような、殺気にも似た熱気がそこには渦巻いていた。
「……なんか、俺、場違いじゃね?」
ジャージにサンダルという、明らかにナメた格好の俺は、周囲から浮きまくっていた。開始早々、心が折れそうだ。物理的に帰りたい。
オリエンテーションで渡されたスケジュール表を見て、さらに絶望は深まった。朝6時起床、ラジオ体操、朝食、午前授業、昼食、午後授業、夕食、夜間自習、そして就寝は23時。休憩時間はごくわずか。娯楽の類は一切持ち込み禁止。これはもう、修行だ。何の拷問だ。
「うげぇ…物理的に無理ゲーじゃん、こんなの…」
俺は頭を抱えた。
最初の授業は、東大対策英語。大教室は、全国から集まった意識高い系(に見える)受験生で埋め尽くされていた。俺は一番後ろの席で、できるだけ気配を消してやり過ごそうと試みる。
授業が終わり、ホッと一息ついてスマホを取り出そうとした、その時だった。
「ねえ、君」
不意に、頭上から声がかかった。見上げると、そこには、いかにも進学校の制服です、といった感じの、シュッとした男子生徒が立っていた。切れ長の目に、通った鼻筋。自信に満ち溢れた、少し冷たい表情。五十嵐 圭と名札には書かれている。
「君さっきから、テキストも開かずにスマホいじってるけど、何しに来たの? 観光?」
その声は、静かだが有無を言わせぬ圧力があった。
「あ? なんだよ、お前」
いきなりの上から目線に、俺はカチンときた。
「別に俺が何しようが、お前に関係ねーだろ」
五十嵐と名乗ったそいつは、フン、と鼻で笑った。
「関係なくはないだろ。君みたいなのが一人いるだけで、全体の士気が下がるんだよ。そもそも、その偏差値で東大特進キャンプなんて、場違いも甚だしいと思わないわけ?」
「はあ!? なんでお前が俺の偏差値知ってんだよ!」
「さっきの自己紹介カード、チラッと見えたから。偏差値30…だっけ? よくそれで東大目指そうなんて気になったもんだね。記念受験なら、もっと安い大学にしておけば?」
図星だった。そして、その言い方が、物理的にムカつく。
「うるせーな! お前だって、どうせ親の金で来てるお坊っちゃんなんだろ!」
俺は精一杯の悪態をついた。
だが、五十嵐は全く動じる様子もなく、冷ややかに俺を見下ろした。
「少なくとも、君よりは本気で東大を目指してるし、それなりの努力もしてるつもりだよ。君みたいに、現実から目を背けて、楽な方に逃げてる人間とは違う」
その言葉は、まるで鋭い刃物のように俺の胸に突き刺さった。
「それに、その程度の学力でまともな授業についてこられるわけ? 他の真剣な参加者の迷惑になる前に、自主的に帰った方がいいんじゃないかな。物理的に、君のいる場所じゃないと思うけど」
ぐうの音も出なかった。
周囲の視線が、痛いほど突き刺さる。同情するような目、軽蔑するような目、面白がるような目…。
俺は、生まれて初めて味わうレベルの屈辱と無力感に、唇を噛み締めることしかできなかった。
桜井先生がいないこの場所では、俺はただの「偏差値30の落ちこぼれ」でしかなかったのだ。
部屋に戻り、俺はベッドに突っ伏した。シーツに顔を押し付け、声にならない叫びを上げる。
「くそっ…くそっ…! なんだよ、あいつ…! 絶対、絶対見返してやる…!」
怒りと悔しさで体が震える。だが同時に、心のどこかで、五十嵐の言葉が的を射ていることも分かっていた。何も言い返せなかった自分が、情けなくて仕方なかった。
この地獄のようなサマーキャンプは、まだ始まったばかりだ。
俺は、この先生もいないアウェイな環境で、一体どうなってしまうのだろうか? そして、あのムカつくエリート野郎・五十嵐に、いつか一泡吹かせる日は来るのだろうか…?
憂鬱な合宿の初日は、こうして幕を開けたのだった。
そして、この合宿が、俺にとって新たな出会い――そして、さらなる試練の始まり――をもたらすことになるとは、この時の俺は知る由もなかった。