第91話.従魔契約
『驚いたぞ。おぬしはとっくに死の恐怖を克服しておるようじゃな、アンリエッタ』
「ううん。そうじゃないわ」
『……む?』
私の否定が意外だったようで、《白神竜》は長い尾を軽く振る。
言葉を選びながら、私は胸の内にある思いを伝える。
「私、今も死ぬのが怖い。だけどこの命を、精いっぱい生きるって決めたの。それに、この身体を……」
いずれ、本物のアンリエッタに返さなくちゃいけない。
途中で唇を引き結んだのは、エルヴィスの前ではそんなことは言えないからだ。
「……この身体は、私だけのものじゃない。だから、怖いって理由だけじゃ逃げられないってだけ」
その返答を聞いた《白神竜》が、かすかに笑った気配がした。
『うむ、いいじゃろう。おぬしと契約しよう、アンリエッタ』
「ええっ。ほ、本当にっ?」
私の答えのどこが《白神竜》の琴線に触れたのかは分からないけど、契約してくれるというならぜひお願いしたい。私の意識を別世界に飛ばすというとんでもない技からして、《白神竜》が強力な魔物なのは間違いないし。
私が身を乗りだすと、老獪さを湛えた目をした《白神竜》は付け加える。
『ただし、三食昼寝つきが条件というのはどうじゃ?』
うーん、と悩んだのは数秒だった。リージャス伯爵家の経済状況からして、一匹の従魔を養うくらいは造作もないだろう。私のお小遣いの一部を当ててもらえば問題ないはずだ。
私は大きく頷いてみせる。
「うん、分かった。じゃあ――」
立ち上がって、《白神竜》に近づいていく。《白神竜》も寝そべっていた身体を起こして、私を待っていてくれる。
彼女の前に膝を折って屈み込んだ私は、小さく咳払いをしてから、魔物契約に際して決まっている特殊な呪文を唱えた。
「【オスティム・パクトゥム】……我に従え!」
これを唱えた場合でも、魔物側に人間に従う意志がない場合、簡単に契約は成立しないんだけど……《白神竜》が乗り気のおかげで、私の場合は一度で成功した。
全身に走るのは、お互いの魔力が繋がる感覚だ。一瞬だけ私の左手の甲が熱くなり、皮膚の表面に複雑な紋様をした赤い痣のようなものが浮かび上がる。魔物との契約印――普段は消えて見えなくなるそれを確かめてから視線を移すと、《白神竜》がうっとりとしたように呟く。
『ああ、この身に染み渡るな。おぬしの魔力はなんと心地いい……』
同じことを感じていた私は、にっこりと笑いかける。
「それじゃあ、これからよろしくね!」
イーゼラだけじゃない。私にとっても、従魔の存在は特別だ。チュートリアルで命を落としていたら、私はこうして従魔を作ることもできなかったのだから。
嬉しさを噛み締めながら手を差しだした私は、そこで重要なことに気づく。
「ねぇ、あなたのことはなんて呼べばいいの?」
『……む? それは妾に名を与えたい、ということか?』
「え? 名前がないってこと? それなら、名づけるのも吝かではないけど……」
私も誰かに「人間」って呼ばれても、あんまり嬉しくないしね。もしも名前がないというのなら、何かしらいい感じのやつを用意してあげたいところだ。
「おい、アンリエッタ」
すると後ろで見守っていたエルヴィスが、なぜか焦り顔で話しかけてくる。でも私は《白神竜》の名前を考えるのに忙しくて、そんなエルヴィスの顔を黙って見つめるだけだ。
エルヴィス、エルヴィス、エルビス、エルビー……そうだ!
人さし指を立てた私は、《白神竜》に提案する。
「じゃあ、ルビーって名前はどうかな? あなた、とてもきれいな赤い目をしてるし」
『ルビー……ふむ、気に入ったぞ。今日から妾はルビーじゃな』
そう機嫌良さげに答えた《白神竜》――ルビーが、抱っこをせがむように前脚を上げる。
慌てて両手で抱き上げると、ルビーは丸まりながら小さく欠伸をする。鋭い爪が刺さりそうでちょっと危惧したが、しっかり仕舞ってくれていた。ドラゴンの爪って収納可能なんだ……。なんか猫みたいでかわいいかも。
『アンリエッタ。妾は疲れているから、しばらく休む。あまり揺らさずに運ぶように』
「わ、分かったわ」
言葉通り、ルビーはすぐに目蓋を閉じて寝始めてしまう。鱗に覆われた小さな身体は、とてもひんやりとしていて、体重は二キロくらいしかなさそうだった。
この様子じゃ、よっぽど疲れていたんだろうな。全属性の鉱石が集まっている洞窟で休んでいたのも、疲労を取るためなのかもしれない。
そう思いながら振り返った私は首を傾げる。片手で口元を覆ったエルヴィスが、呆然と私を見ていたからだ。
「お前……、まさか名づけの儀をするとは……」
「え? 名づけの儀ってなに?」
エルヴィスが信じられないものを見るような目で、まじまじと私を見つめる。
「分からないでやったのかよ、今の」
「従魔に名前をつけるのに、何か意味があるってこと?」
もったいぶらないで教えてほしい、と見上げると、エルヴィスは低い声で言う。
「……名を与えられた従魔は、ふつうに使役されるよりも、さらに契約者への強い忠誠を誓う。能力値も抜群に上がって、Bランクの魔物ならAランクレベルの強さになるそうだ」
「なんだ。いいこと尽くしじゃない」
S級のルビーなら、SS級になるってことだろうか。なんともすばらしい。
ご機嫌になる私に、エルヴィスは頭が痛そうな顔をして言う。
「その代わり――従魔が死んだら、契約者も死ぬんだよ」
「……………………はい?」
しばらく、私の思考が止まる。
「名づけの儀を行えば、契約者と従魔は一蓮托生の運命共同体になる。深い絆で結ばれる。それは、生と死という逃れがたい運命すら分かち合うことを意味するってことだ」
「……………………」
それを聞いた私の脳裏に、うっすらとした記憶が甦る。
そういえば、本当になんとなくだけど――モンド先生がマンツーマン授業のときに、そんなことを話していたような?
私の表情からいろいろ察したのか、はぁ、とため息交じりにエルヴィスが続ける。
「魔物の寿命は長いからな。契約者より先に寿命が尽きること自体は稀だが……戦闘中に死んだり、事故に巻き込まれたり、病気になることもあるだろ」
脳内を、エルヴィスの言葉がぐるぐると駆け巡る。
私は無言のまま下を向いた。腕の中には、ぷすぷすと独特の寝息を立てている小さな生き物の姿がある。
……もしかして私、自らチュートリアル以外の死因を増やしてしまったのでは?
私は一縷の望みに縋るようにして、エルヴィスを見つめる。ルビーを起こしてしまわないように音量を絞りつつ問いかけた。
「あ、あの、エルヴィス。従魔につけた名前って、あとから解除とかは……?」
「もしそれを望むなら、裏切られた従魔のほうがお前を食いちぎるんじゃねェか?」
顔を青ざめさせていると、私とエルヴィスの腕から同時に涼やかな音が鳴った。
りん、りん、りん――。
洞窟に反響して消えていく鈴の音に、私たちは顔を見合わせる。
「……今、三回鳴った?」
「鳴ったな」
つまり、従魔作りの授業開始から七十二時間が経過したということになる。
だが、あり得ない。つい数時間前、一回目の鈴が鳴ったばかりなのだ。魔法具の故障だろうかと首を捻っていると、エルヴィスが眉間に皺を寄せる。
「そういえばお前が意識を失っている間にも、二回目の鈴が鳴ってた。この空間……あるいは《白神竜》の力なのかもしれねーけど、外と時間の流れが違うのかもな」
古代種であるというルビーのことだ。確かに、その可能性は捨てきれない。
「とりあえず急いで帰るぞ。せっかく従魔を得ておいて、評価を落とすなんて笑いものだ」
「う、うん……!」
私は顔を引きつらせながら、エルヴィスの言葉に頷いたのだった。








