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【書籍②発売】最推し攻略対象がいるのに、チュートリアルで死にたくありません!【コミカライズ連載スタート】  作者: 榛名丼
第2部

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第90話.捨てた世界


 そうして、変わり映えのしない毎日を送る中。


 その日の私は、全力で仕事に励んでいた。普段も手を抜いているわけじゃないけど、今日ばかりは残業するわけにはいかないからだ。


 というのも今日は午後七時から、『聖なる花乙女の祝福を2』の特番が放送される。続編でもヒロインは変更なし、隠し攻略対象のロキの再登場も示唆されているので、エルヴィス様が登場する可能性もなきにしもあらずなのだ。命を賭してでもリアタイ視聴しなければならない。


「お先に失礼します!」


 退勤時間と同時、誰かに声をかけられる前に急いでデスクを離れる。絶対に残業しないという強い意志が通じたのか、誰に呼び止められることもなく会社を脱出することに成功した。


 今日は寄り道せず、まっすぐ家に帰ろう。そう思いながら雑踏に紛れて早歩きで進み、地下鉄の階段に踏みだそうとして……私は、ぴたりと足を止めていた。


「……あれ?」


 それは自分でも恐ろしく思えるほど、唐突に訪れた実感だった。


 気づいた――否、私は思いだしてしまっていた。

 未来の私は、『ハナオト2』の特番を視聴できなかった。目の前の階段を下りようとして、足を踏み外してしまったのだ。最期の瞬間まで「これじゃ放送に間に合わないなぁ」と残念がっていたから、鮮明に覚えている。


「そっか。私、今日…………死ぬんだ」


 虚ろな呟きを拾った通行人が、ぎょっとした顔で横を通り過ぎていく。

 私は、じっと駅の階段を見下ろす。蛍光灯の光は、不安を催すようにちかちかと点滅している。

 それを見ているだけで額が汗ばみ、小刻みに両足が震えだす。見慣れた通勤路のはずなのに、階段の先が奈落の底に続いているように思えてならなかった。


「!」


 その瞬間、スマホが鳴りだす。急かされるようにポケットから取りだして操作すると、向こう側からは独特の嗄れ声が響いた。


『そのまま進むといい、アンリエッタ』

「……え?」

『足を踏み外さないよう、くれぐれも気をつけるんじゃぞ』


 すぐに通話は切れてしまった。

 私はスマホの画面を見る。これは……そうだ。さっき洞窟で出会った《白神竜》の声だ。


 記憶を探る。あの魔物は別れる直前、私になんと言ったんだっけ。


「そうだ。お前が、戻ってこられたらって――」


 思索の邪魔をするように、またスマホが鳴る。どこか苛立たしくなりながら画面を見やった私は、表示されている名前にハッとした。


「……お母さん」


 慌てて応答ボタンを押して、スマホを耳に押し当てる。

 耳元に響くのは、聞き違えるはずもないお母さんの声だ。


『久しぶり。明日、こっちに戻ってこない? 久々にお好み焼きをやろうと思って』

「……お好み焼き……」

『あなた、大好物だったでしょ』


 私は、言葉に詰まる。それでも返事を待たれていたから、なんとか頷きを返した。


「うん。お母さんの作った生地、焼くともちもちでおいしいから」

『でしょ? それで、予定はどう?』

「……お母さん……」


 私は、口を開く。何も言えないまま閉じる。

 本当は、空いてるよと言いたかった。必ず会いに行くから待っていて。せっかくだから、何かお土産でも買っていこうか。


 そんな無責任な言葉を、頭の中で何度も何度も、それこそ摺り切れるほどに繰り返し反芻した末に……私は、涙声で返事をする。


「私、行けないや。ごめんね。本当に、ごめん」


 伝える合間も、瞳から次々と涙がこぼれ落ちる。


 気の置けない友達はいたけど、彼氏ができたこともなかった。だけど家族仲は良好で、たまに実家に戻ると、お母さんはいつも変わらない笑顔で迎えてくれた。ゲームの話ばかりする私に呆れながらも、「変わらないわねぇ」と楽しそうにしていた。

 きっとお母さんとお父さんは、ひとり娘の死を知ってたくさん泣いただろう。たくさん悲しんだだろう。私はほんの不注意で、二人より先に命を失い、消えない傷を残してしまったのだ。

 それは電話越しに謝ったところで、到底償いきれるものじゃない。


「ごめんなさい、お母さん。……今までありがとう」


 だから私は、胸がはち切れそうな痛みを覚えながら謝罪をした。それから、小さな声でお礼を言った。

 お母さんからの返事はない。いつまでも待ちたいような気がしたけど、名残惜しさを断ち切るように通話終了のボタンを押す。

 視界を霞ませる涙を拭った私は、パンプスに包まれた足で階段から遠ざかるように距離を取る。

 地下からの生ぬるい風に肌を撫でられながら、ゆっくりと深呼吸をする。胸の前で硬く握った右手は不思議と熱くて、私を勇気づけてくれるようだった。


 そうだ、と決意を固める。こんなところで、立ち止まってなんかいられない。現実の私は、とっくにこの先に進んでいるのだから。


 それに。



「エルヴィス様のいる世界を、今さら捨てられるわけがないでしょーっ!」



 自分の背中ごと押すように叫びながら、私は階段に向かって勢いよく駆けだす。

 間もなく、足先が宙に浮く。数秒後に訪れる衝撃を覚悟して、私は強く目を閉じて――。


「――エッタ! アンリエッタ!」


 ……誰かが、懸命に名前を呼んでいる。

 それが誰の名前なのか、今の私は間違えたりしない。ゆっくりと目を開けると、目の前には彼の切羽詰まった顔があった。


「エル、ヴィス……?」


 私が呼ぶと、エルヴィスはホッとしたように息を吐く。


「気づいたか……」


 仰向けに倒れた私は、エルヴィスの腕に抱きかかえられているようだった。

 右手はエルヴィスによって強く握られている。つまり私を勇気づけてくれた温かい熱は、エルヴィスが分け与えてくれたものだったのだ。私の視線に気がつくと、ばつが悪そうに手を離してしまったけど。


「お前、急に倒れて……ちょくちょくオレの名前を呼ぶから、採掘どころじゃなくなった」


 心当たりがありすぎる。ゲームプレイ中は、感極まって彼の名前を連呼していたからだ。


「……ありがとう、エルヴィス」


 私は掠れ声でお礼を言う。遠く洞窟の天井を見ながら、唇を動かした。


「夢を見てたの。すごく懐かしくて、大変なこともあるけど楽しくて、大好きで……でも私はその世界を捨てて、ここに戻ってきた」


 私のたどたどしい言葉を、エルヴィスは自分なりに分析してみせる。


「《白神竜》に幻覚を見せられてた、ってことか」


 だが幻覚と呼ぶには、あまりにも現実味がありすぎた。

 だからといって、あれは私が過ごしてきた世界そのものでもないのだろう。私が階段から落ちたという過去が覆ることはない。今さら遡って、別の選択肢を選ぶことなんかできない。もし、あのまま何事もなく家に帰ろうとしていたなら――その時点で私は、どこでもない場所に消えていたのだと思う。


 エルヴィスに支えられてゆっくりと身体を起こす。変わらず水辺に寝そべっていた《白神竜》は、私に気がつくと赤い目を細めてみせる。



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