第89話.元の世界
『ならば、妾はおぬしの挑戦を受けることにしよう』
「やっぱりそれは、私の実力を試す的な……?」
私はごくりと、込み上げてきた唾を呑み込む。
カレンも魔物とバトルをして、力尽くで屈服させてた感じだったもんね。きっと似たような感じで、これから魔法と魔法のエフェクトが飛び交いまくる激しい対決をするんだろう。
自信はないが、従魔を作るためにはがんばるしかない。せっかくものすごく素敵な魔物に会えたんだし、ここで引き返すわけにはいかないのだ。
どきどきしながら回答を待つ私に対し、《白神竜》は長い首をふりふりと横に振った。
『いや。妾は疲れておる。そんな面倒なことはせん』
「ええ……」
そう思っていたのに、気の抜けた答えが返ってきて拍子抜けしてしまう。
「じゃあ、どうすれば私の従魔になってくれますか?」
狼狽えながらも問いかけると、《白神竜》は思わせぶりな流し目で私を見やる。
『そうさな。おぬしが、戻ってこられたら――というのはどうじゃ?』
「戻ってこられたら……?」
それって、どこから?
意味深な言葉に、首を傾げたときだった。
「あれ?」
――私は、ベッドに眠っていた。
現実に理解が追いつかず、しばらくそのまま固まる。混乱から抜けだすより早く、追い立てるように枕の横のスマホのアラームが鳴りだした。
……え? スマホ? なんでここに?
意味が分からないまま、私は懐かしくすら感じる『ハナオト』OPのサビを止める。そのまま、信じられない気持ちで首を回した。
そこは令嬢に相応しいような、華美な部屋ではなかった。就職に伴い上京して、ひとり暮らしを送っていたアパートの一室だ。ちょっと日当たりが悪くて、夏は華美どころか、カビが生えやすくて苦労していた――。
「……戻ってきた? ってことは……ぜんぶ夢だったの?」
そう言葉に出すと、すとんと胸に落ちる気がした。
そうだ。チュートリアルで死ぬモブ令嬢に生まれ変わっちゃうなんて、そんなことが現実にあるわけがない。今までの出来事は、ただの悪い夢だったのだ。
「って、いけない。早く支度しないと!」
私は大慌てでベッドから出る。ぼけっとしているうちに、出社の時刻が迫っていた。
ばたばたしながら家を出て、最寄りの駅から電車に飛び乗る。なんとかいつも使っている電車に乗れて、胸を撫で下ろした。
出社後は自分の席でパソコンに向き合い、お昼を食べて、たまに電話対応をする。今日中にやるべき一通りの仕事を終えて時計を見たときには、夜七時を超えていた。
「はぁ。今日も疲れたぁ……」
大きく伸びをして、息を吐く。他の部署に比べれば残業は少ないほうだけど、それでも忙しいものは忙しい。
私はぐったりしつつも満員電車に揺られて帰路に就く。家に近いコンビニでは、パスタと新発売のプリンを買った。ビールやおつまみもいいけど、私にとっての特効薬は決まっているのだ。
アパートに帰ってくるなり、汗ばんだスーツもストッキングもぽいぽいと脱ぎ散らかしてお風呂に向かう。
食事のあとは、就寝前の癒やしの時間が私を待っている。『ハナオト』公式グッズのマグカップでティーバッグの紅茶を淹れてから、私は意気揚々とゲーム機を握る。
「さてと、今日もエルヴィス様ルートやっちゃいますか……!」
しっかり充電済みのゲーム機の電源を入れる。たまには飛ばさずにOPを見よう。
「ああ、もう。本当にエルヴィス様はかわいいなぁ……」
音楽と共に流れる珠玉のスチルの数々に、私はうっとりと息を漏らす。
なんだか記憶が薄れている気がするので、久しぶりにチュートリアルからプレイすることにした。フルボイスなので、もちろんチュートリアルでもエルヴィス様のボイスを聞くことができる。
描かれるのは、噴水広場で行われる花舞いの儀の様子だ。時計塔の鐘が鳴り響く中、突如として噴水が光りだし、異世界からゲームのヒロイン――カレンが召喚される。
頭上に降り続ける花弁や、目の前のファンタジーめいた光景に驚くカレンだったが、そこにどす黒いオーラをまとって近づいていくひとりの女子生徒がいる。
『どうしてあんたが……』
『なんでなのよ。なんで……ッ!』
悲痛な声で訴えるのは、モブ令嬢のアンリエッタだ。
でも、誰も彼女の言葉に耳を貸してくれない。アンリエッタの全身からは高濃度の魔力が漏れ出ており、魔に堕ちる寸前なのは明らかだったからだ。
可及的速やかに対処しなければ、他の生徒たちに被害が広がってしまう。カレンは戸惑いながらも、求められるままに名前もよく知らない令嬢と戦うことを決意する。
画面には、『一緒に戦う相手は……?』という選択肢が表示される。
私はエルヴィス様を選ぶ。彼は辛そうにしながらも、カレンの要請に応じる。
『分かりました。同じクラスの方に杖を向けるのは、心苦しいですが……こうなった以上、仕方ありませんね』
もう一度ボタンを押せば、画面が切り替わってアンリエッタとの耐久戦に入る。
でも、そこからなかなか指が動かせない。
気がつけば、私はゲーム機を握る手にひどい汗をかいていた。
アンリエッタに転生する、なんて不可解な夢を見たせいだろうか。とてもじゃないが、カレンになりきってアンリエッタと戦うような気になれなかったのだ。
「いっか、チュートリアルなんて……飛ばしちゃっても」
意識的に呟く。ボタンひとつでスキップして、さっそく本編に入ることにした。
見たい場面以外は早送りして攻略を進めながら、私はくすくすと笑う。
「そうそう。エルヴィスもこんなふうに、自分の身体で魔法薬の出来映えを確かめてて……本当に、あんなの危険だからやめたほうがいいのに」
そう呟いたところで、我に返る。どくり、と心臓が拍動する音がやけに大きく聞こえた。
「……私、何言ってるんだろう」
エルヴィス様は優しくて穏やかで、如才ない青年だ。人格反転の魔法薬の設定なんて、ゲームには出てこない。出てこないということは、そんな設定は存在しないということだ。
私はいろんなところで引っかかりを覚えながらも、ゲームの世界に浸るのだった。
◇◇◇








