第9話.小さな一歩
だけど、ここからが勝負だ。
私はもつれそうになる舌を必死に動かした。
「わ、私だってエーアス魔法学園の生徒です。それくらい分かっています」
「そもそもお前は、潤沢な魔力以外になんの取り柄もないんだぞ」
「そんなことありませんっ。この顔だって取り柄のひとつでしょう!」
本心から言い返すと、ばかを見る目で睨みつけられた。そうだった、美形ジョークで笑ってくれるような生易しい兄ではないのだ。
こうなっては致し方ない。私はひとつの手札を切ることにした。
「私、知っているんです。私とお兄様には――血の繋がりがありませんよね?」
確信を持った口調で告げれば、ノアの片眉が上がる。
「なぜ、それを?」
問う声には、ごくわずかな動揺が見て取れた。それをお前が知っているわけがないと言いたげなノアに、私は正々堂々と嘘を吐く。
「お父様とお母様が、事故に遭われる前に教えてくださったんです」
ノアが、年の離れた妹に愛情を抱けなかった理由……それはノアルートにて、カレンにだけ明かされる話だ。
この国には、純然たる、そして残酷な事実がある。
男は、花乙女に選ばれない。
ノアがどんなに優秀で、才気煥発な若者であっても、彼が花乙女の座を射止めることは万にひとつもありえない。
しかしリージャス家は、どうしても花乙女の座を手に入れたかった。それは名門として知られるリージャス家にとっての悲願だったのだ。
ノアを生んでから二人目を身ごもることができなかった両親は、遠縁の娘であり、強い魔力の素養を持つアンリエッタを養女として引き取ることにした。
義両親はアンリエッタを愛してくれたが、ノアは唐突に現れた義妹の存在を拒んだ。いないものとして扱い、会話もしなかった。
そんなある日。もう六年前のこととなるが、ノアが十五歳、アンリエッタが十歳のときに、両親は馬車の事故で亡くなってしまう。
しかしその翌年、ノアはひとりでエーアス魔法学園の寮に入ってしまった。
年端もいかぬ子どもの頃から、剣や魔法の才能を開花させていたノアはその能力を遺憾なく発揮し、三年後に学園を首席で卒業する。
卒業と同時に伯爵位を継ぎ、魔法騎士団にも入団を果たした。王太子に気に入られ【王の盾】に選ばれたりと、今ではノアの華々しい活躍を知らぬ人のほうが珍しいほどの有名人だ。
それでもノアの中には、延々と燻るものがあった。自分の代わりに連れてこられた幼い少女への嫉妬心や怒りだ。子どもは敏感な生き物だから、きっとそれをアンリエッタも察していたはずだ。
ゲーム本編で、アンリエッタについて深い掘り下げがあったわけじゃない。ノアルートでさえ、花乙女への屈折した思いを口にする際に名前が出るくらいだった。
だからこれは、私の憶測ではあるけど……アンリエッタの性格が歪んでいったのは、彼女の置かれた環境に大きな要因があったのではないだろうか。
まだ甘えたい盛りの年頃だ。両親が亡くなったばかりの十歳の女の子が、たったひとり、広すぎる屋敷に置き去りにされたら、どんなに寂しくて苦しかっただろう。もしかするとアンリエッタが、学園でも問題になるほど不真面目で不勉強な生徒だったのは――。
「それで? 結局、お前は何を言いたいんだ」
思索の海に沈んでいた私は、その一言で我に返る。
アンリエッタの境遇には、同情すべき点がいっぱいある。ゲームの製作陣に文句を言いたいくらいには。
でも今は、私が生き残るための手段を模索せねばならない。それにはこの冷血男・ノアの協力が必要不可欠だった。
胸に手を当てて、なるべく穏やかな心持ちで声を発する。
「私は、花乙女になるためにリージャス家に引き取られた人間です。ですが、リージャス家の悲願は今回も叶いません」
ノアは机越しに、私のことを無言で見つめている。
推し量るような目に気圧されそうになりながら、なんとか言葉を続ける。
「夢を見たんです。私は花舞いの儀で、花乙女に選ばれませんでした」
「それが予知夢だとでも言い張るつもりか?」
「ええ、予知夢です。次の花舞いの儀では――異世界から、女神エンルーナに祝福される本物の花乙女が現れます。茶色の髪に、桃色の瞳をした愛らしい少女が光る噴水から現れるんです。名は、おそらくカレン……」
予知夢を見た、なんて言い張るのは危険だったが、これくらい言わなければ頭でっかちなノアには分かってもらえないだろう。
「未来視は、それこそ花乙女に許された能力だが」
私は狼狽えない。数時間前、エルヴィスからも同じ指摘を受けているのだ。
「ええ。女神が私に同情し、夢として未来の一部を見せてくれたのかと」
「どういうことだ」
「私は、自分が花乙女になれなかった事実を認められず、魔に堕ちるからです」
その単語を口にすれば、室内の空気が変わる。
「……今、魔に堕ちる、と言ったのか?」
それは、地を這うように低い声だった。
魔に堕ちる。その恐ろしさを知らぬ者は、魔法士にひとりもいない。
完璧に制御し、手足のように操るべき魔力に呑み込まれて暴走する。きっかけとしては、近しい人の衝撃的な死や裏切りなど、精神的ショックによって心の均衡を崩すことが真っ先に挙げられるが、難敵を倒すためにわざと暴走状態に陥って味方を助けた魔法士の話も聞いたことがある。
魔に堕ちた場合、二度と人に戻ることはできない。魔力が枯渇するまで暴れて死ぬか、魔力が尽きる前に誰かに殺されるか――末路は悲惨な二択しかない。魔法は声によって発動するため、みだりに口にすることさえ禁じられているのが「魔に堕ちる」という言葉なのだ。
そこまで言われれば、私の話を夢か妄想の類いだと一蹴できなくなったのだろう。顎に手を当てて、ノアは何かを思案している。はぁ、観賞用にするなら最高の美形なのに……。
「花乙女に選ばれないどころか儀式の最中に魔に堕ちるなど、リージャス家の恥さらしにもほどがあります。ですから、私は一刻も早く魔力を失いたいのです。それからは学園の事務職員として働くつもりです」
「……事務職員?」
「はい。魔力を失った貴族に嫁の貰い手がないのは分かっています。ですから私は学園の事務職員としてお給料をもらい、生計を立てたいと思います」
悲しいかな、これがこの世界の現実だ。
魔力というのは遺伝すると言われていて、強い魔力を持つ実力者ほど国の中枢に食い込む。だからこそ貴族の大半は強力な魔力を持つわけで、魔力を失った家柄だけの令嬢なんて見向きもされないのだ。
しかしそこは切り替えることにした。ゲーム内では教師ではなく職員として働く人がちょくちょく描かれている。つまり魔力を失ったとしても、学園に残ってエルヴィスを見守る方法はある。
最後に、私は腰を折って大きく頭を下げた。
「どうか、お兄様の力を貸していただけませんか。私には、お兄様しか頼れる人がいないのです」
頭を下げながら、ここが分水嶺だという確信があった。魔法に精通するノアの助力を得られるか否か。私の運命は、ここで文字通り分かれる。
ゲームシナリオ通り、魔に堕ちてカレンたちに討伐されるか。
あるいは魔力を失い、ゲームとは無関係なところで生きていくか――。
「無理だな」
ノアの返事は、取りつく島もないものだった。
ぐ、と息が詰まる。全身から力が抜けて倒れてしまいそうになるのを、なんとか踏み止まった。
その回答は、予想できるものではあった。だってノアは、アンリエッタに一切の関心がない。そんな彼が、私の言葉を信じてくれるはずがなかったのだ。
それでも。知恵を振り絞ったのに、彼の協力を取りつけられなかったのが悔しい。
そう思うのとは裏腹に、心の奥底から誰かの声が聞こえてくる。
――ほら、やっぱりだめだった。
正しくは、それは声というほど明瞭なものじゃなかった。もっともっと弱くてか細いもの。込み上げてくる感情に名前をつけるなら、それは諦めだろうか。
これは、私の気持ちじゃない。……もしかして、アンリエッタの?
「勘違いをするなよ」
戸惑う私の耳に、ノアの声が聞こえる。
そのときには、弱々しい女の子の声は聞こえなくなっていて……不安に思いながら顔を上げると、ノアが呆れるような眼差しを私に向けていた。
「俺は魔力を失うのが無理だと言っただけだ。魔力を安全に失う方法など、カルナシア王国では確立されていないからなそれとなぜそんな突飛なことを思いついたのかは知らないが、学園の事務職員になるというのもお前には不可能だ」
「えっ。どうしてですか?」
「エーアス魔法学園の職員になるには、中級魔法士以上の資格が必要だからだ」
そうなの!? 事務員に至るまで超絶エリートで固めているとは、恐るべしエーアス魔法学園……。
でも、そうなると詰みである。学園を中退するという手もあるものの、それだとエルヴィス様に会えなくなるし、かなりリスクが高い。
というのも、入学すれば将来安泰とされるエーアス魔法学園。この学園を卒業した男性は漏れなく出世し、女性は良縁に恵まれるとされる。それだけの確固たる実績があるからこそ、誰もが高い入学金を払って学園の門戸を叩く。
そこから一歩外れてしまえば、貼られるのは落ちこぼれのレッテルだ。ただでさえリージャス家の足を引っ張るアンリエッタにノアが勘当を言い渡す未来が、容易に想像できる。そして私は学園以外の場所を知らない。外の世界に身ひとつで放りだされたところで、うまくやっていける自信はない。
そんな絶望がありありと表情に出ていたのか。沈黙する私に、ノアが小さく息を吐く。
「なぜ、いちいち話を複雑化する」
「え? それは、どういう」
「お前の話を鵜呑みにしたわけじゃないが、要するに魔に堕ちたりなどしないよう、魔力をコントロールする術を身につければいいだけの話だろう」
いやいや、それができるなら苦労しないでしょ、と心の中で突っ込む。
暫定・花乙女と呼ばれるアンリエッタは、素養だけなら学年で一二を争うほどとされる。素養のみで魔法が使えるなら苦労はしないので、暫定、なんて皮肉な呼ばれ方をするわけだが。
でも、もしもノアに指導してもらって、魔力の制御方法を完璧に習得できれば――私が花舞いの儀で魔に堕ちる可能性は、格段に減るのかも?
もちろん、私がどんなにがんばっても無意味なのかもしれない。RPGで負けが確定しているバトルがあるように、シナリオの強制力のようなものが働いて、そのときその瞬間が訪れれば、アンリエッタは必ず魔に堕ちる――そういうルールが、この世界にはあるのかもしれない。
それでも今は、やれるだけのことをやりたいと思った。
「俺がお前を鍛えてやる」
「お兄様……!」
私はぱぁっと顔を輝かせる。
アンリエッタを嫌うノアからこれだけの譲歩を引きだせたのは、ひとつの成果だ。まだ結果が出せたわけじゃないけど、それでも何かが変わった。そんな気がしてくる。
「ありがとうございます。私、精いっぱいがんばります!」
私はぐっと拳を握ってみせる。
気味の悪いものを見るような目を向けられても、高揚する今だけは一向に気にならなかった。
私の新たな人生は、この一歩から始まるのだ!
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