第86話.突進鹿
やっぱり、ひとりきりで魔物だらけの空間を歩き回るなんて私には無理だ。
だがエルヴィスの返答は素気ないものだった。
「断る。他の生徒の手助けをするつもりはねェ」
「じゅ、従魔を作るのを手伝ってほしいわけじゃなくて! ただ、エルヴィスに傍にいてほしいってだけだから!」
誰かが傍にいるのといないのとでは、怖さが段違いだ。
両手を組んで必死に頼み込むと、エルヴィスはしばらくの沈黙の末に深いため息をついた。
「それ、お前、意味分かってて言ってんのかよ……」
「え? なに――」
「なんでもない。……本当に傍にいるだけでいいんだな?」
「う、うん。もちろん」
本音を言えば従魔作りを手伝ってほしいところだが、そんな他力本願なことを言えば見捨てられそうだ。
「……仕方ねェな。けど、時間が迫ったら置いてくぞ」
「あっ、ありがとうエルヴィス!」
私は破顔する。そのタイミングで、お互いに手首に着けているブレスレットがりん、と涼やかな音を奏でた。従魔作りが始まって、ちょうど二十四時間が経過したのだ。
ブレスレットに軽く目をやりながら、エルヴィスが言う。
「まァ、オレもモンド先生に報告を終えたら、またこの庭を回るつもりだったからな。ついでにお前のお守りくらいはしてやる」
「……え? どういうこと?」
「この庭で、人格反転薬の材料が採れるって噂がある。せっかくの機会だから、従魔だけじゃなくそっちも手に入れるつもりだ」
さすがエルヴィス。他の生徒は従魔作りでいっぱいいっぱいだというのに、時間いっぱい探索に明け暮れる予定だったようだ。
私としては、ついででも彼がついていてくれるのは心強く、そこからの道行きは気が楽になった。そのあたり、私は単純な人間なのだ。
周りの気配を休まず確認しつつ、前を行くエルヴィスが話しかけてくる。
「だけど、やっぱりおかしいよな。あの《魔喰い》がCランクって」
「迷宮生物って、魔物とはランクの判定基準が違うんだっけ」
「ああ。迷宮の書そのものの価値やら名声やら、ややこしいことにそのあたりも判定に関わってくるからな」
そこでエルヴィスが話題を変える。
「それで――お前の立場上、そこらの魔物を従魔にするのは無理だろ。Bランクは論外……最低でもAランクの魔物と契約すべきだ。噴水広場でも啖呵を切ったそうだしな」
「その話、知ってたの?」
「一時期は、その話で持ちきりだったからな。いやでも聞こえる」
私は苦笑いする。みんなと同じ教室で授業を受けられない日々は寂しかったが、それで良かった側面も少なからずあったようだ。
「先生方も生半可な魔物との契約は許さないって感じだったから、仕方ないんだけどね。でも、エルヴィスはAランクの魔物と契約しただなんて羨ましいわ」
ぜひそのコツを伝授してもらいたいところだ、とどきどきしていると、小蠅を払いながらエルヴィスが嘆息する。
「お前の兄貴とか、ラインハルト殿下だってそうだろ」
「そうだけど……。Aランクの従魔を持つのって、国内でも十数人だけなんでしょ?」
ちなみにエルヴィス、ノア、ラインハルト、フェオネン、ロキ、シホル――なんと攻略対象全員がAランクの従魔を持っているのだから恐れ入る。攻略対象だから設定はとりあえず盛っておけの方針だったのかもしれないが、すさまじいインフレっぷりだ。
すると先を歩いていたエルヴィスが振り返る。
「お前、知らねェのか」
「ん? どういうこと?」
「Aランクの従魔を持つ人間が限られているのは、先代花乙女が亡くなって百年経ってるからだ」
「……?」
それだけでは意味が分からず、私が目をしばたたかせていると、エルヴィスは仕方なさそうに教えてくれた。
「花乙女の力のひとつとして知られるのが、心を通わせた相手の能力を格段に引き上げることだろ。――つまり花乙女の誕生する年が近づくにつれて、Aランクの従魔と契約する男が右肩上がりになるんだ。言うなれば、花乙女の選択肢を増やすために、ってことだろうよ」
「あっ……」
ようやく、エルヴィスの言わんとしているところが分かった。
百年周期で、Aランクの魔物と契約する人間が増えるということは……即ち花乙女の花婿候補として、ハイスペックな若い男性が増えていくということだ。
きっとそれも、女神エンルーナの思し召し的なやつなのだろう。なんだかあからさますぎて、気が引けるくらいだが。
「な、なるほどね。教えてくれてありがとう」
私は取り繕うように笑みを浮かべたが、頬が熱くなってしまう。
なんだか……エルヴィスもその候補のひとりだ、と本人に言わせてしまったような形になっている。その気まずさも影響してか、会話が途切れがちになったときだ。
私たちが見据えていた前方の茂みから、一般的な鹿より二回りは大きい巨大な鹿が顔を出した。
私はびっくりして硬直していると、エルヴィスが軽く舌打ちをした。
「Dランクの《突進鹿》だ。動きの速い魔物だから、この距離だと魔法で応戦するのは厳しいな。……後ろにゆっくり下がれるか」
「う、うん」
小声で返しつつ、じりじりと後ろに下がる。
だが《突進鹿》は気が立っているようだ。前脚を繰り返し地面に擦りつけるようにしながら、ふっ、ふっ、と荒い呼吸をしている。立派な枝角の片方が折れているので、おそらく他の生徒か魔物と戦いになったのだろう。
数の差も気にせず、臆さずこちらに近づいてくる。私は警戒しながら後退を続けたが――下がり続ける私の左足が、宙に投げだされる。
「えっ?」
足を踏み外したのだ、と気づいたときには、全身を浮遊感が包んでいた。








