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【書籍②発売】最推し攻略対象がいるのに、チュートリアルで死にたくありません!【コミカライズ連載スタート】  作者: 榛名丼
第2部

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第73話.曖昧で温かな時間

 その日の放課後。


 実際は待たせることもなく職務を終えたノアと、私は馬車に乗っていた。

 しばらく会話はなかった。私は何から話したものか悩んでいたし、ノアも似たようなものだったのかもしれない。


 そろそろ話を切りだそうかと思ったところで、ノアが口火を切った。


「すまない、アンリエッタ」


 何を謝られているのか分からずに無言で見返すと、ノアは抑揚のない声で続ける。


「俺が不用意な真似をしたことで、お前の足枷になった」


 それで、なんの話なのか分かった。

 噴水広場での一件は、間もなく講師であるノアの耳にも入っていたのだろう。あの場は一応私が収めていたため、口出しはせず経緯を見守ってくれていたのかもしれない。


「それなら事実無根なんですし、お兄様が謝るようなことではありません。でも……そうですね。私も驚きました。まさかお兄様が、頭を撫でてくれるとは思わなかったので」


 少しだけ話題をずらして、軽く微笑む。

 以前褒めてほしいとお願いしたときは、不器用な褒め言葉をかけてくれたノア。私が頼んだわけでもないのに頭を撫でてくれたのを、ずっと不思議に思っていた。


 するとノアは、小さく鼻を鳴らす。


「お前にとっては、慣れた感触だったんだろう。あの男にも撫でさせていたからな」


 その指摘に、ぎょっとする。


「あ、あの男ってエルヴィスのことですか? 迷宮図書館でジェネリック・エルヴィスしてもらった件については、髪を撫でてはもらいましたが、頭を撫でるという感じじゃありませんでしたけど……」


 早口で弁解しかけた私は、あっ、と口元を押さえる。

 今のって、よく考えたらエルヴィスじゃなくてロキのことだったんでは――と思ったときには、ノアは矢のような視線で私を射貫いていた。表情筋の硬いノアの瞳は、言葉よりずっと雄弁だ。


「す、すみません。今のはなんでもありません!」


 その迫力に圧された私は平謝りをする。まずい。なんでは分からないけど、ノアを怒らせてしまったようだ。


「と、いうか……! 初めてじゃありませんでしたよね? お兄様は、前にも頭を撫でてくださった気がします!」


 私が無理やり話題を取り繕うと、ノアのまとう冷たい空気が再び一変する。


「……覚えているのか?」


 静かな声で問われた私は、頬に手を当てながら目を泳がせる。


「えっと、単なる夢というか、あれは私の勘違いだったかもしれないんですが……《魔喰い》との戦いのあと、おんぶしてくださったときに、大きな手が頭を撫でてくださった気がするんです。あれはお兄様の手だったのかも、とか……」


 現実味がなさすぎて夢だと思うことにしていたが、実際に頭を撫でられた今となっては、あれはノアの手で間違いないような気がする。皮膚が硬く分厚くて、私よりもずっと大きくて、安心感を与えてくれる手……私の近くに、そんな手を持つ人は他にいないのだ。


 石を踏んだ馬車が、がたんっ、と揺れる。私が乱れた横髪を耳にかけていると、正面に座るノアが小さな声で呟く。


「……そんなことは、忘れておけ」


 眉を寄せるノアの白い頬には、ほんのり赤みが差しているようだった。


 もしかして、これは……照れている、のだろうか?

 ノアがそんな反応をするとは思わず、私は何も言えなくなってしまった。

 だけど、残りわずかな時間を沈黙して過ごすわけにはいかない。私には、ずっとノアに訊ねたいと考えていたことがあるのだ。


「お兄様。ひとつだけ、伺いたいことがあるんです」

「なんだ」


 私は乾いた唇を舐めて湿してから、意識的に息を吸う。そして花舞いの儀のあとから、ずっと付きまとっていた不安の一端を口にした。


「お兄様は、私が花乙女に選ばれたことをどう思っていますか?」


 声の調子を落として、そう問いかける。

 フェオネンだけじゃない。両親に冷遇されてきたノアもまた、花乙女という存在に並々ならぬ感情を抱いている人物だ。


 ノアルートではカレンとの距離が近づくにつれ、複雑な胸の内を明かしていた。花乙女という肩書きへの執着、憎悪、嫉妬。それ以上の乾いた感情……。

 だから今のノアには少なからず、私に対して思うところがあるはずなのだ。


 でも、それを知るのがどうしても怖かった。花舞いの儀の前日にお互いの思いを言葉にしたことで、ノアとの関係は改善しつつあったのに、その距離がまた遠のいてしまう気がしたからだ。


 狭い車内を沈黙が満たす。

 車輪の音。二人分の息遣いの音。その合間から、答えが戻ってくる。


「分からない」


 それは理路整然としたノアらしからぬ、ひどく曖昧な物言いだった。


「複雑だ、と言ってしまえばそこまでかもしれない。だが、それが理由でお前を嫌うことは……ない」


 今までになく、歯切れの悪い返事だった。だけど、だからこそ、偽りのない本音であり――真剣に考えてくれたのだと伝わってきて、じんわりと胸が温かくなる。


「こんな答えでは、不服か」

「いいえ。じゅうぶんです」


 私は微笑む。ノアは笑みこそ浮かべたりはしなかったものの、目を細めて私を見つめていた。


 やっぱり、正面切って話さないと分からないことがあるんだな。そう噛み締めていると、ノアが小さく咳払いをして話題を変える。


「それとアンリエッタ。例の暗殺者の件だが」

「は、はい」


 姿勢を正していると、お小言が始まった。


「お前の身に差し迫った危険がないことは分かった。だが、暗殺者などと親しくなりすぎるな。そもそも二人で会おうとするな。もし何かあったらどうするつもりだ」


 どうしよう。ノアが過保護なお父さんみたいになってしまった。

 私は対応に困りつつ、頬に手を当てる。


「でも、それなりに親しくならないと味方にできませんし……」

「なら、明日からお前には《銀翼鷹シルバーホーク》をつける」


 えっ、監視役ってこと?

《銀翼鷹》というのはノアの従魔だ。上空から私を見張らせる、ということだろうけど、そこまでしなくても……。

 しかし、今日はノアからたくさん譲歩を引きだしている。私も一度くらいは聞き分けよく頷いておくべきだろう。


「はい、分かりました」

「それで、今も俺のことは嫌いか」

「……えっ?」

「嫌いなのか」


 私を凝視してくるのは、憮然とした面持ちだ。


 まさか、とは思うけど……ノアは、さっき私が叫んだことを気にしてるの?

 ロキの話題を出したのも、この問いを私に差し向けるためだったのか。そう気づくと、私はほんのちょっとだけ、目の前の義兄がかわいく思える。そんなことを口に出したらそれこそ斬られそうなので、事実を伝え直すに留めた。


「ちゃんと言ったじゃないですか。大切なお兄様です、って」


 ノアはほとんど聞き取れないような小声で、そうか、と呟く。窓の外には、数日ぶりに見る伯爵家の大きな門が迫っていた。



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