第71話.お昼寝の誘い
それからというものの、私は高確率でロキに絡まれるようになった。
といっても、侵入者であるロキは人に目撃されないよう常に気をつけている。彼が姿を現すのは授業の休み時間や移動教室のときなど、周りから人気が絶えた瞬間に限られていた。
……ちなみにお手洗いについては、絶対に覗かないように言ってある。そう告げる私の形相が恐ろしかったのか、ロキは何も言わず首を縦に振っていた。あの様子なら心配はいらないだろう。
ロキとは数秒から数十秒、短い会話をするだけだし、どこからか声だけが聞こえてくることもあった。でも、そんな日々を過ごしていると、不思議と彼が話しかけてくるのが待ち遠しくなるようになった。
だって私が他の生徒と顔を合わせて話すのは、ノアの授業がある月曜日くらいなのだ。前の授業のちょっとした愚痴とか感想とか、そんなことをすぐに話せる相手は暗殺者として私に張りついているロキだけなのだった。
そんなロキは、たまに核心的な質問をしてくる。四月十五日の月曜日、訓練場に向かっている最中もそうだった。
「アンリエッタって、全属性の魔法が使えないんだよね」
この話題にはひやりとした。
ロキが求めているのは強者なので、私がそこに当てはまらないことを認めるのは危険だ。
しかしこの場で変に嘘を吐いても仕方がない。学園中を自由に移動しているロキは、授業中の私を見ているだけでなく、生徒たちの噂話だって盗み聞いているからだ。否定したところで、すぐに実情がバレてしまう。
「そうなの。練習中なんだけど、なかなか上手にできなくて」
「ふぅん。それだけ魔力があるのに、変わってるね」
距離を空けて視界の隅を歩いているロキが、ふわぁと欠伸をする。
「ところで、そうやってアンリエッタを馬鹿にする連中がいたけど殺っとく?」
欠伸ついでに訊ねてくるようなことじゃないが、おそらくニールたちだろうな、とすぐに思い当たった。魔法も使えないくせに花乙女なんて、と表立って私の陰口を叩いているのは彼らくらいだ。他の生徒には女王陛下の威光が効いているようで、今のところ目立った動きはない。
「何もしないで大丈夫。実力でぎゃふんと言わせてやるから」
ロキの言葉が本気なのか冗談なのかは分からないものの、そう返しておいた。別の生徒の話し声が聞こえてきたところで、ロキは話しかけてこなくなったが、近くで私を見張っているのだろう。
ノアによる剣術指導では、私はひたすら木剣を振るのに集中した。四月の風はまだ冷たいが、身体を動かしているとむしろ暑く感じられてくる。
私は未だに伯爵邸には戻っていない。その間、ノアとは一度も話していなかった。いろんな気まずさや鬱憤も込めて、ぶんぶんぶん勢いよく振っていたら、また手から木剣がすっぽ抜けた。
「あっ!」
「……アンリエッタ。あなた、投石とかで戦うほうが向いているんじゃないかしら……?」
剣の腕がまったく向上しない私に、イーゼラが真面目な顔で指摘してくる。周りの生徒まで「確かに」みたいな顔をしていた。
言い返したいところだが、残念ながら反論材料も不足しているので、私はどこかに飛んでいった木剣を追いかけることにした。前回のようになかなか見つからない――なんてこともなく、訓練場を囲む鬱蒼とした木々の近くに落ちていたのだが……。
「うぎゃっ!」
足が何かに引っかかり、私はその場にずてんと転ぶ。
「い、いてて……」と顔を顰めながら起き上がるが、柔らかい芝生に受け止められたおかげで怪我などはしていなかった。
しかし振り返ると、石も段差もない。予感が芽生えた私は、蹲ったまま彼の名前を呟いてみた。
「……ロキ?」
「……あれ、アンリエッタだ」
青々とした芝生には、先ほどまで話していたロキが寝転がっていた。
私の呼びかけに気づいて隠蔽魔法を解くと、ふわぁと呑気に欠伸をする。
ロキは大きな身体を胎児のように丸めて眠っていたらしい。全身に木漏れ日を浴びながら、開ききっていない双眸でこちらを向いた。
「やっぱり、おれに気づけるんだ。すごいねー、アンリエッタは」
「…………」
私は沈黙を返す。引っ掛かって転んだだけ、と説明するよりは勘違いしてもらったほうがいいかもしれない。
その直後、あっと気づく。ロキの頭の近くに、私の木剣が転がっている。
「ねぇロキ。そこに私の木剣が――ひゃっ!?」
その場に屈み込んだ私は、途中で悲鳴を上げた。伸びてきたロキの両腕に捕まって、芝生に倒されてしまったからだ。
すわ暗殺されるのか、と全身に緊張が走るが、ロキはそんな私の背中に腕を回してくる。
「ん、柔らか……あったかい」
顔を寄せてきたかと思えば、ロキはすりすり、と私の頬に自分の頬で触れる。どうやら寝ぼけているらしい。
「ロ、ロキッ?」
彼の柔らかな吐息が、ふっと私の顔にかかる。自分の顔のあたりに、すごい勢いで熱が上ってくるのが分かった。
「ちょっ、ちょっとっ……」
押しのけようと手足を動かしてみても、ロキはびくともしない。むしろ、ますます強く抱きしめてくるだけだ。苦しいほどの抱擁ではないのだが、私の力ではまったく敵わない。
困った末に見上げてみても、ロキは安心しきったように目蓋を閉じて、すうすうと寝息を立てている。
睫毛、長いなぁ……血色のいい薄い唇も艶めいていて、さすが攻略対象……じゃなくて!
「ロキ、離してってば。今、授業中なのよ?」
「んー。こんなにお日さまが気持ちいい日なんだから、眠るのが正解じゃない?」
抗議を意に介さず、それっぽいことを宣うロキ。そんな彼の左手が、私の髪を優しく撫でている感触がする。
「ほら、アンリエッタも一緒に寝ようよ。おれとおやすみしよ……?」
甘えるように額を寄せてくるロキに、私はぐぬぬと唇を噛む。
私だってお昼寝は大好きだから、これはとんでもない誘惑だ。しかし流されるわけにはいかない。
「だから、ロキ。ダメって言って――」
「――俺の妹に何をしている」
私の思考は、一瞬にして停止した。
文字通り、氷点下の声が頭上から降ってきたからだ。








