第69話.よく見ている専属侍女
ジェネリック・エルヴィス(二回目)を味わった夜のこと。
私は伯爵邸に戻らず、しばらくぶりに寮で過ごしていた。転生してから寮に立ち寄ったのは初めてだが、ひとり部屋というのは存外気楽である。
きっと今夜も、エルヴィスは鉢植えの前で試行錯誤を重ねているんだろうな。そんなことを笑みを浮かべて考える私のグラスに、キャシーが水を注いでくれる。夜遅くなると彼女は隣接された侍女用の寮に帰ってしまうが、それまでは傍についていてくれるのだ。
「それにしても、お嬢様。ノア様と何かあったんですか?」
「……そんなに私って分かりやすい?」
キャシーが苦笑する。今日は伯爵家に帰らない、と伝えた時点で、何かあったのは明白だからだろう。
未だに開花しない花乙女としての能力に、ノアのこと、ロキのこと……目の前に多くの問題が積み上がっているからこそ、しばらくひとりで考える時間がほしかったのだ。
ソファに座って冷たい水を飲んでいると、キャシーがおずおずと切りだす。
「あの、お嬢様。どうか怒らずに聞いてくださいますか」
「それは分かったけど、どうしたの?」
何か話したいことがあるのだろうか。見上げると、キャシーは意を決したように話しだした。
「あたし、本当は伯爵家でのお仕事を辞退したいと思っていたんです」
「ええっ!」
私が声を上げると、キャシーはわたわたと両手を振った。
「あたしは、地方のしがない下級貴族の生まれです。リージャス伯爵家のような名家とご縁をいただけたことは、本当にありがたいことですが……あたし自身の技量不足で、リージャス家には似つかわしくないと思っていたんです」
キャシーが目を伏せる。しかし彼女がそこまで思い詰めるに至ったのには、少なからずアンリエッタの所業が影響しているのだろう。
私には、アンリエッタとして過ごしてきた記憶はない。だが転生直後のキャシーの態度を見るなり、アンリエッタはいい主人ではなかったのだと思う。きっと非のないキャシーを叱ったり、我が儘を言って困らせたりなど、そんな行為を繰り返していたのだ。アンリエッタにとっては、孤独を紛らわすための八つ当たりだったのかもしれないけど……そうはいっても、好き勝手に使用人に当たり散らすのが正しいはずはない。
私も企業勤めをしていた身だが、理不尽な上司にぐちぐちと嫌味を言われたり、人前で怒鳴られたりして、「こんな会社辞めてやるー!」とヤケ酒を飲んだことは一度や二度ではない。アンリエッタに悩まされてきたキャシーの気持ちは痛いほど理解できた。
「ごめんなさい、キャシー。私のせいで、あなたを苦しめてしまって……」
しゅんとしながら謝罪すると、キャシーはさらにわたわたしてしまった。
「謝らないでください、お嬢様! 決して、お嬢様のせいだと言いたいのではないんです。むしろ、逆なんです」
ぎゃ、逆?
私が言葉の意味を捉えきれずにいると、キャシーが目元を和ませる。
「最近は、以前と比べものにならないほど屋敷の雰囲気が明るくなりました。以前はひりついていた空気が穏やかになって、使用人同士でも笑顔の会話が増えて……それは、お嬢様の存在あってのことです。だから今はお嬢様にお仕えするのが、とても楽しくて、大好きな時間なんです」
「それはいいことね。でも私、何もしてないような……」
「いいえ。他の家に仕える侍女たちともたまにお茶会をするんですが、お嬢様のように破天荒……風変わり……もとい、個性的なご令嬢は他にいらっしゃいません。お腹が空いたからと自ら厨房に出向いてクッキーをねだったり、庭師と一緒に植物に水を撒いたり、そのままサンドイッチを一緒に食べていったり……お嬢様の身分に囚われない自由奔放で大らかな振る舞いには、驚かされてばかりです」
不思議と褒められている気がしないが、キャシーの表情が明るくて突っ込めない。
「だから、もう辞めたいだなんて思わなくなりました。お嬢様は穏やかな目で、あたしを見ていてくださって……、たまに失敗してしまっても大丈夫よ、いつもありがとうと労りの声をかけてくださいます。そんなお嬢様に、今まで以上に誠心誠意尽くしたいと思っています」
「キャシー……」
思わず私が手を握ると、キャシーが頷いてみせる。
「ですから、お嬢様。早くノア様と仲直りしてくださいね。きっと今頃、お屋敷は以前と同じ……いえ、以前よりも空気が悪くなっていると思いますから」
「……私、別にお兄様と喧嘩してるわけじゃないんだけど」
私が唇を尖らせると、キャシーはくすくすと肩を揺らして笑った。
「はい、そういうことにしておきますね」








