第67話.突然のジェネリック①
「ああ…………疲れたぁ」
今さらになって、ばくばくと激しく心臓が騒いでいる。あれほどの悪意に晒されながら、声も身体も震えなかったのはほぼ奇跡に近い。
私の中のアンリエッタは眠りについてしまったようだけど、もしかしたら彼女がなんらかのパワーを分けてくれたのだろうか。そうだとしたら助かった。
「思いっきり、売られた喧嘩を買っちゃったけど……あれで良かったのかな?」
うーん、と首を捻るものの、もうあの場での発言を取り消すことはできない。あと二十日後くらいに行われる従魔作りの授業で、どうにか結果を出すしかないのだ。
「今のところ、まったく当てはないけどね」
というか、今日は本当にイベントが盛りだくさんすぎる。ロキが登場して、ノアと気まずくなって、噴水広場で喧嘩を売られて……。
さすがに、もうこれ以上は何もありませんように。そう祈る私の前を、茶髪の青年が通り過ぎていく。
「あれ? エルヴィス?」
「あ?」
振り向いた顔は、やはりエルヴィスだった。当て所なく移動しているうちに、薬草園の近くまで来てしまっていたらしい。
エルヴィスは両手に小さな鉢植えを抱えている。柔らかそうな土の中からは小さな黒い芽が出ていた。やたら禍々しく見えるそれを、私はまじまじと見つめる。もしかして……。
「それって、《魔喰い》の?」
半信半疑だったが、エルヴィスはあっさりと肯定した。
「そうだ。迷宮で手に入れた魔喰い花の種を育て始めた」
手の中の鉢植えを眺めつつ、疲れた表情のエルヴィスが言う。
「前にも話したが、手のかかる植物でな。もう少し育つまでは、十分ごとに闇魔法を当ててやらないと枯れる。それだけじゃなくて、こまめな水やりが必要だし、夜は月光を浴びせてやらないといけないし……ここ数日は、寮と薬草園を行き来してばっかだ」
「じゃあ、授業は?」
「学園から許可を得て、しばらく休みにしてもらってる」
なるほど、それで今日の授業でもエルヴィスを見かけなかったのか。
寝不足なのだろう。ふあ、と目の下に隈をこしらえたエルヴィスが欠伸をする。大口を開けた欠伸自体は解釈違いだが、一瞬見えた歯並びはとても美しかった。
エルヴィスの口の中に見惚れていた私は、正気に戻って咳払いをする。
それにしても心配だった。寝食を削って植物の世話をする日々によって、エルヴィスはかなり疲弊しているようだ。
「何か、私に手伝えることはある?」
「ねェな」
即答!
「役立つ気があるのなら、土魔法と闇魔法の実力を伸ばしとけ。もちろん光魔法と水魔法も、植物を育てるには重要だけどな。まっ、こういう手のかかるところも個性があっておもしろいし、興味深いんだが……」
なんやかや充実した日々を送っているのか、薄い唇に指先を当てて、ぶつぶつと小さな声で呟くエルヴィス。そんな彼を見ているうちに、私の胸には強い欲求が湧いてくる。
……そうだ。ここでエルヴィスに会えたこと自体、神の思し召しではないだろうか。欲望に忠実になれ、今こそジェネリック・エルヴィスしてもらえ、と告げられている気がする。
その声は神様などではなく、脳内に響く私自身の声だった。いやいやエルヴィスは疲れてるんだから、また今度にするべきでは? と突っ込む私と、疲れているからこそ今なら要求を受け入れてくれるかもよ、と囁く私が激しくせめぎ合う。
数秒間のバトルの末、私は……前者の手を取ることにした。
正直に言うと、今すぐにでもジェネリック処方してもらいたい。だけど疲労困憊のエルヴィスに無茶な要求をするのは倫理に反している。
ああ、と心の内で嘆く。この世界にもセーブ機能があれば良かったのに。そうすれば、私は何度でもロードして、あの日のジェネリック・エルヴィスを味わうことができたのに……。
悔しい気持ちを噛み締めていると、エルヴィスがこちらを見る。宝石のような翠の目が見開かれる様が、なぜか私にはぼやけて見えた。
「お前、泣いてんのか?」
「……え?」
指摘されて、ようやく気がついた。
ぽたぽた、と顎先から何かが伝っている。触れてみると、指先に涙が付着した。
嘘。本当に泣いてる? 自分でも驚きながら、ぐしぐしと力任せに目元を拭う。それなのに拭っても拭っても、涙は溢れて止まらなかった。
そんな私を見て、エルヴィスが顔を顰める。
「そんなふうにこすったら、あとで痛くなるぞ」
「でも、早く止めないと……」
私が涙を止めようと四苦八苦していると、エルヴィスがその場にしゃがみ込み、地面に大切な鉢植えを置く。
「……ああ、クソッ! 覚えとけよ……」
自分の後頭部をぐしゃぐしゃと掻き乱しながら、舌打ちをする。数秒後に立ち上がった彼は、ふいに私に向かって手を伸ばしてきた。
「聞いて、アンリエッタ嬢」
……えっ?
聞き返す間もなく、エルヴィスの手が、私の肩を優しく掴む。
「僕の言うことを聞いてください、アンリエッタ嬢」
柔らかく、穏やかな口調で名前を呼ばれたとたん、心臓がとくりと跳ねるのが分かった。
「エルヴィス……さま?」








