第65話.不安渦巻く
◇◇◇
私は放課後になるなり、ノアとの待ち合わせ場所であるカフェテラスへと向かっていた。
職員に案内されて席に向かうと、そこにはすでにノアが待っていた。
「お待たせしました、お兄様」
頭を下げてから着席する。ノアは無駄な会話を挟まず、本題に入った。
「それで、どうしたんだ」
ここに来るまでの間に、話す内容については齟齬のないようしっかりまとめてあった。
「実は今朝、予知夢を視たのを思いだしたんです。……この学園には、暗殺者が侵入しています」
暗殺者と聞いたノアの眼光が、鋭く尖る。
「詳しく話せ」
私はノアに話した。
学園に忍び込む暗殺者である、ロキの名前や風貌。彼が闇属性の魔法の使い手で、《黒霧犬》を従魔に持つこと。その従魔が王城で私とラインハルト殿下を襲ってきたこと。立場や所属は分からないが、花乙女の命を狙っていることなどなど……。
そう。あの闇属性の魔物の正体は、ロキの従魔だったのだ。あわよくば私を殺すつもりで、王城に送り込んできたのだろう。
あのときすぐに思いだせなかったのは、単純に失念していたからである。特訓に授業に、と忙しない日々を送っていると、なかなか前世の知識を書き留めたノートを見返す時間が確保できないんだよね……。
私が反省している間、話を聞き終えたノアはしばらく黙っていた。
彼はとっくに冷めた紅茶を口に含んでから、こちらを見る。
「分かった。あとのことは、すべて俺に任せておけ」
おお、なんと頼もしい。
胸を撫で下ろしたところで、はたと気づく。ノアは、具体的にどういう手段を取るかは明言していない。
「お兄様。彼を……ロキを、どうするんですか?」
「お前が知る必要はない」
感情の一切を挟まないノアの声音。私は背筋を薄ら寒いものが撫でるような感覚を覚えながら、小さな声で問うた。
「それは、殺すという意味でしょうか?」
この場合の沈黙は、肯定に等しいだろう。
私は額に汗をかく。ロキのことを大袈裟に話したつもりはないが、危機感を共有してほしいという思いが先走って、ノアに重く捉えられてしまったのかもしれない。
「あ、いやでも、ロキは暗殺者といってもそんなに悪い人ではないというか、なんというか」
「お前は何を言ってるんだ」
呆れ顔を向けられて、言葉に詰まる。
どんなふうに言えば、伝わるんだろう。悩みながらも言葉を絞りだした。
「予知夢でも、私がうまく対処できれば心強い味方になってくれる感じだったんです。だから物騒な解決方法は、最後の手段にしてもらいたいなと……」
確かに、バッドエンドではロキがカレンを手にかけてしまう。でも、同じ攻略対象同士で争いになって、挙げ句の果てにノアがロキのことを殺すだなんて……そんな血なまぐさい展開は考えたくもなかった。私のせいでそんな事態が起こってしまうなら、尚更だ。
しかし私の態度が、ノアには奇異に映ったらしい。訝しげに眉間に皺を寄せると、少しきつい口調で言ってくる。
「なぜ、そいつを庇う」
「か、庇っているわけではありません!」
私はそう言い返しながらも歯噛みする。
本当は分かっている。正しいのはノアのほうだ。暗殺者が潜んでいるなんて話したから、彼は私の身の安全を確保しようとしているだけ。
でも、ノアがそうまでして私を守ろうとするのは……私が、花乙女に選ばれたからじゃないの?
私は顔を歪ませる。今までは思考に蓋をして、あまり考えないようにしていたことだった。
ノアは花乙女に対して複雑な感情を抱いている。花舞いの儀の日も何も言っていなかったが、私が花乙女に選ばれたことに関して、本当はどう思っているのだろう。
怒っているのか。それとも政治的な利用価値があるから大切にしてくれるのか。
「お兄様は、私が花乙女だから……」
「何?」
ハッとする。こんなに不安定な気持ちのままでは、とてもじゃないがノアの答えを聞けない。
私は慌てて立ち上がると、小さく頭を下げた。
「すみません、お兄様。……頭を冷やしてきます」
「アンリエッタ」
ノアの呼ぶ声がしたが、私は聞こえない振りをしてカフェテラスをそそくさと離れる。
……結局、これでは後ろめたくて逃げたも同然である。そんな自分に嫌気が差して、私は暮れ始める空を見上げた。
「どうすればいいのかな。ねぇ、アンリエッタ……」
小さく呟くのは、本来は私のものではない彼女の名前だ。
でも、つい先月まで心の奥底から響いてきたアンリエッタの声は聞こえないままだ。無事に花舞いの儀を乗り越えられた暁には、彼女に身体を返すつもりだったけど……このままでは、それも叶いそうにない。
どうしたものかとため息をついていると、背後から足音が近づいてくる。
「アンリエッタ!」
振り返った先に立っていたのはイーゼラだ。ずんずんと早足で近づいてくるが、なぜか怒ったような顔をしている。
「イーゼラ、どうしたの?」
「ようやく見つけましたわ、今日は一緒に帰りましょう。寮と伯爵家のどちらです?」
「え? なんで?」
以前よりも話す機会が増えたとはいえ、イーゼラが一緒に帰ろうなんて言いだしたのは初めてのことだ。
イーゼラは少し悩んだようだったが、やがて諦めたように理由を口にする。
「一部の学生が、噴水広場で抗議活動をしているのです。リージャス家が不正な手段を使って、花乙女の座を獲得したのではないか、と……」
最初、私はイーゼラの言葉の意味が分からなかった。
寝耳に水、という顔をしていると、イーゼラが目を三角につり上げる。
「騒ぎの中心にいるのは、隣のクラスのニール・バシュ伯爵令息ですわ」
「バシュ伯爵……」
その名前には聞き覚えがある。
記憶を探ると、すぐに答えが見つかった。確かクレフ辺境伯と一緒になって、女王陛下に意見していた宮中伯のひとりだ。その息子が抗議をしているとなると、父親の意を汲んでのことだと考えるのが自然だ。
イーゼラの言う通り、ここは知らんぷりをして帰宅したほうがいいのだろう。騒ぎの規模は分からないものの、教師が現場に駆けつければ生徒たちはすぐに解散させられるはずだ。それこそ、ノアがその場に現れれば――。
私は下唇を噛む。ノアと気まずくなっているのに、平気で彼を頼ろうとしている自分が情けなかった。
気がつけば、私は歩きだしていた。
「ア、アンリエッタ? どうしましたのっ?」
泡を食ってイーゼラが追いかけてくるが、私は立ち止まらなかった。
「ちょっと! そっちは噴水広場ですわよ!」
「分かってる!」
私はそう返しつつ、途中から駆けだしていた。
やがて、前方に噴水広場が見えてきた。木陰からそっと覗くと、広い広場には二十人くらいの生徒が集まっている。といっても全員が抗議の参加者ではなく、授業帰りの生徒が立ち止まっているだけのようだ。
女神像のある噴水の前で何やら演説しているのは、男二人、女二人の混合グループだ。中心に立つのが、おそらくバシュ伯爵家のニールくんだろう。眼鏡をかけた丸顔には、謁見の間で見た伯爵の面影がある。距離があるが、風に乗って「歴代の花乙女は」「女神のご意志は」などの単語が漏れ聞こえてくる。
「アンリエッタ……どうするつもりですの?」
遅れて追いついてきたイーゼラが問うてくる。私は振り返らずに答えた。
「とりあえず、乗り込んでみようと思う」
「……正気ですか?」
「このまま逃げるわけにはいかないもの」
だからといって、なんの目算もなく乗り込むつもりはない。女王陛下のおかげで、最近は周りから囁かれることは減ったけど……ここで狼狽えて醜態を晒したりしたら、さらに疑惑を深めることになってしまうからだ。
後ろのイーゼラがため息をつく。向こう見ずな私に呆れているのかと思いきや、彼女は言う。
「仕方ありませんわね。付き合いますわよ」
「え? いいの?」
思わず振り返ると、イーゼラはふんっと鼻を鳴らす。
「マニ伯爵家は長い歴史を持つ貴族家です。わたくしがあなたの隣にいるだけで、それなりの効果はあるでしょう」
素直じゃない物言いだったが、力になってくれるということだろう。私はへらりと笑う。
「ありがとう、イーゼラ」
深呼吸をしてから、私は木陰から歩みだす。








