第60話.SIDE:シホル
「それなら、後ろにいるシホルを護衛としてつけさせてもらう」
ノアが女王の使者に伝えるのを、おれは黙って後ろで聞いていた。
お嬢さんは狼狽えているが、ノアとおれにとっては想定通りの展開である。もちろんノアが同行できるのがいちばんだったが、こちらの要求が通らない場合の二の手三の手は用意しておくに越したことはない。
不安そうなお嬢さんの手を取り、おれは共に王城の馬車へと乗り込む。
間もなく動きだした馬車の中、おれは正面に座るお嬢さんを見やった。
ノアと同じ銀色の髪に、青空を閉じ込めたような瞳。憂いを帯びた眼差しは窓の外に向けられており、片手はノアに向かって小さく振られていた。
それにしても、まさかお嬢さんが花乙女に選ばれるとは……。
それこそノアが女性に生まれていたのなら、彼が花乙女に選ばれていたはずだ。それが分かっているからこそ、運命の悪戯と呼びたくなるような現実に苦笑したくなる。
もしも伯爵夫妻が存命であったなら、天にも昇るような思いを味わっていただろうが、お嬢さんには花乙女に選ばれて嬉しがる様子は見られなかった。この国に生まれた女性なら、花乙女に選ばれたいと一度は夢想するものだが……お嬢さんには今のところ、花乙女としての適性が見られない。そのせいで学園でも苦労しているらしく、女王からの招待も後ろ向きに捉えているようだ。
だが、女王陛下がお嬢さんを糾弾するようなことはないだろう。むしろその可能性があった場合、今のノアなら使者を脅迫してでも王城についていったはずだ。
「安心してよ、お嬢さん。いざとなったら王城からでもどこからでも、おれがお嬢さんを連れだしてみせるからさ。この命に代えても」
わりと本気で伝えたのだが、「いえ、代えなくてけっこうです……」と素っ気ない返事があった。兄と違って、お嬢さんは遠慮がちなところがある。
そのあと、ノアは気が気じゃないだろうと伝えると、なぜかお嬢さんは先ほどまでの動揺ぶりが嘘のように平然と返してきた。
「それは、大丈夫だと思いますけど」
「ん? なんで?」
「だって、ダレス卿が一緒なんですから」
……? どういう意味だ?
発言の理由を詳しく聞くと、お嬢さんは少し考えてから次のように説明してくれた。
「えっと、つまりですね……誰よりも信を置いている副官が、私の傍にいるんですもの。お兄様は何も心配してませんよ」
そんなことを言ってのけるお嬢さんに、おれは心底驚かされてしまった。
変わったのはノアだけじゃない。目の前のお嬢さんこそ、以前とは変わったのだと改めて思う。
というより、ノアの変化はお嬢さんの影響によってもたらされたものだ。お嬢さんが歩み寄ってくれたからこそ、頑なだったノアの心にもいい変化が生まれた。
自分を変える、というのは言葉でいうほど簡単なことではない。お嬢さんの身に何が起きたのか。どんな心境の変化があったのか。何も分からないのが、少しもどかしくはあるが……。
抱きつこうとするだけで顔を真っ赤にするお嬢さんを微笑ましく思いつつ、おれは心に刻む。今日の任務では、お嬢さんの心の不安をできる限り取り除くのだと。
その後、女王陛下との謁見並びに晩餐会は滞りなく終了した。
お嬢さんは何か粗相はなかったか、としきりに気にしていたが、おれから言わせてもらえば満点を超える対応である。むしろ、おれは見守るだけでほとんど口を挟む必要もなかった。
大袈裟だと捉えられそうなので、本人には及第点だと伝えるに留まったが、お嬢さんはすごいことをしたという自覚に乏しいようだ。寛大な女王陛下ではあるが、あの方が声を上げて笑うところなど、おれは今まで見たことがないのに。
お嬢さんが湯浴みを終えたあと、隣室で待機していると足音が近づいてきた。帯剣したまま部屋から出ると、予想通り廊下に立っていたのは護衛を連れたラインハルト殿下だ。
彼とは旧知の仲なので、軽い口調で話しかけてくる。
「少し、アンリエッタと話したいんだが」
「承知しました」
普段より緊張した面持ちが気になったものの、おれの立場では断ることはできない。お嬢さんも疲れているだろうが、短時間なら平気だろう。
「お嬢さん。今、少しいい?」
呼びかけると、室内からはすぐに返事があった。ラインハルト殿下の訪問には驚いたようだったが、二言三言交わすとバルコニーに出て行く。おれはそんな二人を、壁際に控えて見守っていた。
風もない夜なので、耳を澄ますでもなく二人の会話が聞こえる。
「それと……先ほどは悪かった。お前の事情も考慮せずに、陛下があんな話をして」
「ラインハルト殿下も、おいやですよね。私との婚約だなんて」
だが、そのあとは小声でのやり取りになり、よく聞き取れなくなった。
真剣な顔で見つめ合って、何を話しているのだろう。おれは渋い顔になりつつ、さりげなくバルコニーに近づいてみる。そうしながら、ラインハルト殿下の表情を注視した。
驚いたのは、お嬢さんを見つめる殿下の目が熱を帯びているのに気づいたからだ。
――やっぱりラインハルト殿下は、お嬢さんに惹かれてるのか?
女王陛下の気持ちが先走っているだけとも思ったが……殿下の表情は、それだけでは説明がつかないように思えた。
果たしてノアは、護衛対象である殿下がお嬢さんに惹かれていると気づいているのだろうか。恋愛事には疎い朴念仁だから、微妙な気がする。
どう伝えたものか思案していると、突如として異変が起こった。
バルコニーの外から黒い影が勢いよく伸びてくる。自然な雲の動きではなかった。それはたちまち、お嬢さんの姿を覆おうとした。
考えるより先に身体が動く。殿下がお嬢さんと共に床に転がってくれたおかげで空いたスペースに入り込むと、おれは剣の柄で襲撃者を殴りつけた。もろともバルコニーの外に飛びだしたのは予定通りだ。部屋の中で、二人を守りながら戦うのは厳しい。
下敷きにできれば上々だったが、敵は空中で体勢を整えると、おれを蹴り飛ばしながら地面に軽々と着地する。こちらもまた、足元に風魔法をまとわせて事なきを得た。
相対してすぐ、相手がただの魔物ではなく、契約者を持つ従魔であると知れた。戦い慣れているし、判断には迷いがない。契約者もすぐ傍でこちらの様子を窺っているに違いない。
――にしても強いな、この従魔。
おれは攻防を繰り広げながら舌を巻く。ランクは間違いなくAランク。信じられないことだが、契約者の実力はノアに匹敵するだろう。ラインハルト殿下や王家直属の騎士が加勢したところで、足手まといになるレベルだ。
だが正体不明の敵に気圧されているわけにはいかない。今のおれはノアに頼まれて、お嬢さんの護衛としてこの場に立っているからだ。
輪郭も定まっていない敵が、おれに向かって一直線に走ってくる。繰りだされた魔物の腕は――おれの髪を掠めるに留まった。
「影のように見えても、あれは実体のある魔物なんだろうな。詠唱は聞き取れなかったが、おそらくシホルは足元に土魔法を仕込み、それを魔物に踏ませることで体勢を崩させた」
殿下が冷静に解説する声が、風に乗って届く。学園でもよく学んでいるのが窺える分析力だ。
だが、実際はおれが仕込んだわけではない。連れてきていた従魔が仕事をしたのだ。
といっても、知能の高い敵を前にして手の内を明かすのは愚の骨頂である。伏兵に気づかれていない間に叩こうとすると、そこで思いがけず邪魔が入ってしまった。
「シホル殿!」
「加勢します!」
目線で制していたつもりが、暗がりのせいでじゅうぶんに伝わりきっていなかったのだろう。力んだ騎士の一部が走り寄ってきたせいで、従魔が逃げてしまう。
おれは剣を鞘に納めながら、小さく息を吐く。決着を急いていたのはこちらだ。むしろ、逃がしてもらったというほうが正しいかもしれない。
「それにしても……人数に差があるからって、あの従魔が引くのか」
いまいち釈然とせず、首を捻る。
そもそも、従魔の目的――否、契約者の目的はなんだったんだ?
先月も、王都にお忍びで出かけていたラインハルト殿下がドロメダ教徒に襲撃される事件があった。今も尋問は続いているが、連行された彼らはこれが星巫女の意志であるとか、女神ドロメダの御心がどうとか、そんなことを叫ぶばかりだという。
だが、今回の襲撃は崇高な使命とやらに身を捧げている彼らとは性質が違うように思う。明確な目的はなく、ただ場当たり的に仕掛けてきただけ――そう、まるで子どもの戯れのような。
「だとしたら……、こちらの警戒心が増しても対処できる自信があるってことか」
おれは嘆息する。誰かは知らないが、つくづくやりにくい相手だ。
三階に戻ると、蒼白な顔色をしていたお嬢さんが飛びついてきた。
「シホル、大丈夫!? 怪我は!?」
その勢いに驚きながらも、おれは首を横に振る。
「大丈夫。怪我ひとつしてないですって」
「よ、良かった……」
そう安堵の呟きを漏らしたかと思えば、華奢な身体が目の前でぐらりと傾く。おれは慌てて両手を前に出して、細い肩を支えた。
「ご、ごめんなさい。力が抜けちゃって」
眉尻を下げるお嬢さんに、おれは微笑む。
護衛の失態を責めるでもなく、温かな言葉をかけてくれるお嬢さん。数時間前はどうにか理由をつけて抱擁を回避しようとしていたのに、今はおれの無事を確認するために血相を変えて触れてくるお嬢さん。
自分の至らなさは不甲斐ないばかりだが、この優しい少女に怪我がないことだけが何よりも救いに思えた。
「ごめんね、心配かけて。おれ、なんともないよ」
そう伝えると、ほんのり顔色の良くなったお嬢さんが確かに頷く。もう大丈夫そうだと判断して、おれはお嬢さんから離れた。
部屋の前で待機している騎士たちに話しかけると、やはり従魔の追跡はあっさりと撒かれてしまったらしい。おれがあのまま追っていればとも思うが、護衛対象であるお嬢さんの傍を離れるわけにはいかないので致し方ない。従魔で派手に引きつけて、その間に契約者が本命に迫るのは常套手段でもある。
ちらりと視線をやると、お嬢さんは何やら変な顔をして唸っていた。怖い思いをして、混乱が続いているのだろうか。おれは励ましてやりたいと思いつつ、今はラインハルト殿下との会話に集中するのだった。








