第58話.秘やかなバルコニー
◇◇◇
晩餐室を辞したあと。湯浴みを終えた私は、客室のソファでぐったりしていた。
「うう……」
女王陛下とのお話は楽しかったけど、いろんな意味で疲れたな。シホルは及第点の対応だったと褒めてくれたけど、ただただ狼狽していただけの気もする。
「お嬢さん。今、少しいい?」
ノック音のあと、部屋の外からシホルが呼びかけてくる。
疲れてはいたが、とりあえず応対する。だが私に用事があるのは別の人物だったらしい。
「ラインハルト殿下……」
「夜分にすまない」
シホルの後ろから進み出てきたのはラインハルトだった。彼も湯浴みは済ませているようで、グレーの夜着姿だ。それでもどこか高貴な雰囲気をまとわせているのは、王族の為せる業なのか。
意外な訪問客に私がぽかんとしていると、ラインハルトはばつが悪そうにする。
「迷惑なら、すぐに帰るが」
「あ、いえ、大丈夫ですよ」
顔を見てから王太子を追い払ったりしたら、不敬罪で処されそうだ。
ドアが閉まる前に視線をやると、部屋の前には数人の護衛騎士が控えていた。見覚えのある顔がちらほらあるので、ラインハルトの警護を担当する【王の盾】の面々だろう。「今日はちゃんと令嬢っぽいな……」「良かった……」とか言いながらこちらをちらちら見ているが、余計なお世話だ。
「アンリエッタ。バルコニーに出ないか」
彼らに会話が聞こえるのが気になるのか、ラインハルトが提案してくる。
「そうですね」
特に断る理由もないので、二人でバルコニーに出る。そんなに広くはないので、シホルは室内に留まっていた。
頭上には丸い月が出ている。今は巡回の兵の姿も見えず、地上は闇に覆われていた。
昼間はすばらしく見晴らしが良かったが、この暗さでは庭園もよく見えない。残念に思っていると、ラインハルトが口火を切った。
「明日の登校の件は、覚えてるか」
「もちろんです。でも、ご迷惑ではないですか?」
「別に構わない。あれも、母……陛下の計らいだ。俺とお前が懇意にしていると、学園中に見せつけるつもりなんだろう」
憮然とした面持ちで言われて、私はようやく気がつく。つまり登校を共にするのも、他の生徒への牽制の一環だったのだ。
「そっか……何から何まで助けられてばかりですね。女王陛下だけでなく、ラインハルト殿下にも」
「俺は、大したことはしていない」
ふんっ、と腕組みをしたラインハルトが鼻を鳴らす。
「その……この一週間、いろいろと外野が騒がしかっただろう。力になれなくて悪かったな」
「え?」
「言い訳になるが、二年の教室に行ってもお前の姿が見つからなかったんだ」
ええっと、つまり?
「もしかして、何度も捜してくれてたんですか?」
そう問いかけると、ラインハルトが目に見えて狼狽える。
「か、勘違いするなっ。何度も捜したわけじゃないぞ。俺は忙しいからな、せいぜい四回か五回程度だ」
私の気のせいじゃなければ、それは「何度も」に該当するのではないだろうか。
私が教室にいなかった理由は、別の教室で特別授業を受けていたからだけど……今まで私とラインハルトの間にはいろいろあったので、誰も教えてあげなかったんだろうな。
とたんにおかしくなって、くすくすと肩を揺らして笑ってしまう。そんな私の反応に、ラインハルトは目を三角につり上げた。
「な、なぜ笑う。不敬だぞ、アンリエッタ」
「すみません。少しだけ、ホッとしてしまって」
「? 何がだ?」
どう伝えたものか悩みながら、私はラインハルトを見上げた。
「私、なんだか今日は、ずっとラインハルト殿下を遠くに感じていたんですけど……今は、いつも通りだから」
そのおかげで変な緊張はせず、肩の力を抜いていられるのだろう。
そう本音を伝えれば、ラインハルトが「そ、そうか」と口の中で返事をする。照れているのかもしれない。
彼は目を泳がせてから、珍しく小さな声で言う。
「それと……先ほどは悪かった。お前の事情も考慮せずに、陛下があんな話をして」
あんな話――というのは、意中の相手がいるかの確認や、婚約の件のことだろう。
私は、朧げになっているラインハルトルートの記憶を改めて呼び起こす。
彼のルートでは、ラインハルトが異世界から来た花乙女という特殊な立場であるカレンに反発し、突っかかったりしながら物語が進んでいく。「俺は、お前と結婚するなんてお断りだからな!」みたいな感じで。
カレンに対してラインハルトがつっけんどんとしているのには、理由がある。というのも、カルナシア王国は代々女王が多い国だ。ラインハルトが王太子に選ばれたのは、花乙女の伴侶として都合のいい年齢だから――と口さがない連中が囁くのを、幼い頃から彼は信じきっていた。実際の理由は、恋愛エンドの最後に明かされるんだけど。
ちなみにラインハルト以外のルートに進んだ場合、二人の婚約話が俎上に載ることはない。そちらでは、婚約話は彼が断ったことで自然と消滅している設定なのだ。まぁ、他ルートで別の攻略対象が出張ってきたら困るもんね。
つまり私の場合もラインハルトにしっかり拒絶してもらえば、婚約の話は消滅する可能性が高い。女王陛下も無理強いするような人ではなさそうだったし、実はそれでこの問題は一件落着なのだ。
というわけで、私は申し訳なさを顔に浮かべながら水を向けてみる。
「ラインハルト殿下も、おいやですよね。私との婚約だなんて」
「当たり前だ、願い下げに決まっているだろう!」と彼らしい威勢のいい返事を予想していた。
でもなぜかラインハルトは黙ったままで……どうしたのかと視線をやると、どこか切なげな赤の瞳が私を見下ろしていた。
思いがけない表情を前にして、私は戸惑う。
なんで――そんなに苦しそうな目で、私を見つめるのだろう。
落ち着かない気持ちになっていると、ラインハルトが薄い唇をそっと開く。
「……お前は、いやなのか?」








