第54話.麗しの女王陛下
馬車を降りたあとはシホルの予告した通り、上階にある謁見の間に直行する。大人数で回廊をずんずん突き進む私たちに、侍女や騎士が道を空けては丁寧に頭を下げてきた。
謁見の間の前では、二人の騎士が扉の両脇に立っている。そこに使者が近づき、何事か話しかけると、両開きの扉が二人がかりで開けられた。
「……!」
大きな音を立てて開いていく扉。視界に飛び込んできた光景に、私は圧倒される。
学園の教室六部屋分くらいはありそうな謁見の間は、スチル背景で見たときよりもずっと美しくきらびやかだった。とにかく広いのと、天井のシャンデリアが大きい。一トンくらいあるのではなかろうか。
中央に敷かれる赤い絨毯の両脇に並んでいるのは、十数人の宮中伯だ。値踏みするような視線を送ってくる彼らの奥には、ラインハルトの姿もある。彼は制服ではなく、胸元にアスコットタイを結んだ正装姿だった。
そして広間の奥側。壇上に設けられた肘掛けつきの椅子に、女王陛下その人が腰かけている。
使者に目配せされたので、私はどうにか臣下の礼をとった。
「女王陛下、お初にお目にかかります。アンリエッタ・リージャスです」
挨拶の口上を述べただけなのに周囲がざわついたので、私は頭を下げたまま急激に不安になってくる。何か作法が間違っているのだろうか。一応、シホル相手に練習したんだけど。
すると、こつ、こつ、と一定のリズムで足音が近づいてくる。あれ? と内心首を捻っていると、視界に赤いハイヒールの靴が入り込む。
ええと、もしかして……女王陛下が立ち上がって歩きだしたから、周りが驚いたってこと?
「頭を上げよ、アンリエッタ」
威厳のあるハスキーボイスが、私の名を呼ぶ。
恐る恐る視線を上げると、目の前には女王陛下が立っていた。カルナシア王国の女王、ベアトリクス・レイ・カルナシアその人である。
まず目を引きつけるのは、燃え盛る炎を思わせる赤髪だ。前髪は後ろに撫でつけられ、長い髪は一切の乱れなく結い上げられている。
鮮烈な輝きを宿す赤い瞳に、褐色の肌。ハイヒール分を含めずとも、背丈は優に百八十センチを超えているだろう。そのすごみのある美貌には、凜々しく勇ましいといった形容こそ相応しい。
こうして見ると、ラインハルトは母親によく似ているのだと分かる。他者を圧倒する風格や、唇を彩る強者の笑みは、まだ彼には備わっていないものだが。
などと冷静に思考できていたのは、そこまでだった。
「――ああ、こうして会えて嬉しいぞ。当代の花乙女よ」
次の瞬間、私は女王陛下に正面から抱きしめられていた。
ひゃっ、と声を出すのはなんとか耐えたものの、ひどくどぎまぎしてしまう。
ラインハルトルートでも、カレンが女王陛下に挨拶をする場面があった。そのときは、確か握手をしていたんだけど……スチルを見ながら「女王かっこいい! ラインハルトよりイケメン!」とどきどきしたのが懐かしい。
なんというか女王陛下は、同性の目から見ても素敵で憧れてしまうような女性なのだ。喩えるなら、歌劇団の男役という感じ。あと、ものすごくいい香りがする。
「陛下、そろそろ離していただいてもいいでしょうか。うちのお嬢様が困惑しておりますので」
礼をしながら、そう申し出るのは後ろに控えていたシホルだ。困惑している宮中伯たちには聞こえない程度に音量を絞っている。
「シホルか……。わたくしは余計な虫は蹴散らせ、と命じたつもりだったが」
抱擁を解きながら、ふっ、と女王陛下が薄く微笑む。シホルは肩を竦めて応じた。
「そこは、ノアと私の陛下への忠義が評価されたのだと思っておきます」
「ふむ。おもしろい冗談を言うのは、どの口だろうな」
ノアが王太子であるラインハルトの護衛を務めているからだろう。軽口を叩けるくらいには、二人は親密な間柄のようだ。
私に向き合う女王陛下の表情には、親しみが込められている。そうして、彼女が口を開きかけたときだった。
「陛下……! 畏れながら申し上げます」
そう声を上げたのは、それまで黙っていた宮中伯のひとりだ。
白髪が目立つ老年の男性は、前に出ながら厳しい表情で続ける。
「アンリエッタ・リージャス伯爵令嬢を王城に呼んだのは、彼女が花乙女に相応しいか見極めるためでありましょう!」
その隣に進み出るのは、四十がらみの眼鏡の男性である。
「閣下のおっしゃる通りです。エーアス魔法学園からも、状況は芳しくないと――」
「――クレフ辺境伯、バシュ伯爵」
短く、女王陛下が彼らの名前を呼ぶ。
それだけで場にぴりりとした緊張感が走り、宮中伯全員がその場に跪く。女王陛下は彼らを睥睨し、冷たい声音で言い放った。
「貴公らはいつ、わたくしの意志を代弁できるような立場になったのだ?」
「……申し訳ございません。出過ぎた真似を」
クレフ辺境伯と呼ばれた人物が深々と頭を垂れる。その横で、バシュ伯爵は大量の汗をかいて震えていた。
わずかに視線の圧を和らげた女王陛下が、軽く広間を見回す。
「カルナシア王国の忠臣たるそなたらには、伝えておこう。わたくしが女神エンルーナの御心を疑うことはない。女神が選んだというのなら、アンリエッタ・リージャスこそが当代の花乙女である」
声を張っているわけでもないのに、広間の隅々まで響き渡るような堂々とした宣言だった。
その言葉を聞き、私は静かに息を呑む。初対面ではあるけど、女王陛下が立場の悪い私を守ってくれている……そんなふうに感じたからだ。
「今日は、花乙女と出逢えためでたい日だ。わたくしの言葉を遮った無礼は、不問に付してやろう。二度目はないが」
「ご温情に感謝いたします、陛下……」
それきり、話は終わったというように女王陛下は私に向き直る。その頃には、冷然としていた瞳にも声にも、柔らかな温度が戻っていた。
「アンリエッタ。さっそく語り合いたいところだが、ただでさえ急な呼びだしで疲れただろう。部屋を用意してあるから、食事まで休むといい」
「は、はい。お言葉に甘えて……」
すると顔を近づけてきた女王陛下が、ひっそりとした小声で囁く。
「安心しろ。同席するのはわたくしとラインハルトだけだからな」
その言葉に、私は少しだけホッとする。このまま高級官僚だらけのパーティーでも開かれるのでは、と戦々恐々していたからだ。
謁見の間を出て行くとき。ちらりと背後を確認すると、物言いたげに顔を見合わせる宮中伯の中、ラインハルトだけがじっと私を見つめていた。








