第2話.死ぬまであと一か月
まぁザコといっても、魔力を暴走――ゲーム内では魔に堕ちると表現されていた――させてしまった人間は、一時的に戦闘力が驚くほど高くなる。ほとんど魔獣に近いような、理性のない凶悪な強さを手に入れるのだ。
そんな危険な相手には、本来であれば学園の教師で総掛かりになるべきだと思う。しかしそこは乙女ゲームなので、なぜか若き身空の少年少女が矢面に立って戦うことになっている。最終的にアンリエッタは自滅というか、自分の魔力に呑み込まれて死んじゃうから、この最初のバトルは耐久戦なんだけど。
ちなみにここでカレンが「一緒に戦う相手は……?」で選んだ人物とのルートが確定して、ゲーム本編が進行するようになる。私が最初に選択したのはエルヴィス様だったなぁ。
あっ、エルヴィス様っていうのは通常版のパッケージでもいちばん扱いが大きい攻略対象で、何を隠そう私の推しで…………。
「う、うううぅ……」
ぐるぐるぐるぐると頭の中を記憶が巡る。いろんなことを次々と思いだしていくせいで、思考が追いつかない。気分が悪いならもう少し休むように、と再びベッドに寝かされてしまった私だけど、むしろ気分はどん底まで落ちつつあった。
そもそも私、どうして転生したんだろう。事故か病気とかで死んじゃったってことなのかな。
前世の名前は思いだせないけど、確か年齢は三十代だった。いろんな事務職を派遣で転々としていたと思う。
人生で一度も彼氏はできなかったけど、毎日の楽しみは家に帰ってプレイする乙女ゲームだった。特に好きなタイトルは『ハナオト』他、『パフェラブ』に『ドキトキ』などなど……自分の人生より乙女ゲームに関する記憶のほうが濃いのって、なんかもの悲しいな。
というか年内には『ハナオト2』が発売される予定だった。それを楽しみに仕事をがんばってたのに、プレイする前に死んでしまうなんて想定外だ。プロデューサーのインタビューによると2では『ハナオト』のイフ展開が描かれるらしく、ヒロインは同じでも舞台は別の学園という話だったので、エルヴィス様が出ないなら諦めはつくけど。
それにしても、さすがにアンリエッタに転生はおかしくない? サイアクすぎない? いや、これってただの夢? でもそれにしてはリアルすぎるし、頬を引っ張ってもふつうに痛い。
ベッドに横たわったまま、私は室内を見回す。窓の外は夕焼けの色をしているので、アンリエッタが昼休みに階段を落ちてから数時間は経っているようだ。異様にお腹が減っている理由は、お昼ごはんを食べ損ねたからかもしれない。
注目したのは、全体的に古めかしい印象を受ける医務室の設備や調度品である。建物自体が老朽化しているわけじゃなく、私の生きていた時代と文化レベルがまったく違うということだ。これをドッキリで造られたセット呼ばわりするのは無謀な気がするし、そもそもこんな大がかりなドッキリを誰が私相手に仕掛けるというのか。
ええい、こういうときは検索して調べてみよう。どんなに謎めいたことが起きても、だいたいのことはネットの先人が教えてくれるものだ。
「乙女ゲームに転生ですか、懐かしいです。実は私も十数年前、悪役令嬢に転生したことがあります。夫には秘密にしていますが(笑)。さて、そういうときの対処法は……」探してみれば、そんなベストアンサーがきっと見つかるはず。
でも枕元や制服のポケットを漁ってみても、どこにも愛用のスマホは見つからなかった。
「あの、私のスマホは?」
薬品棚を見ていたフェオネンがこちらを振り返る。
「すまほ、というのはなんだい? 何か大事なもの?」
フェオネンの表情からして、しらばっくれているわけではなさそうだ。
その顔を見て、私は観念した。ここは本当に乙女ゲームの世界で、私はアンリエッタに転生してしまったのだ。
それならまずは情報収集しようと思い立つ。現状をベッドの上で嘆いているよりは、よっぽど有意義なはずだ。
「ところで、今は何年何月の何日でしたっけ?」
突っ込まれる前に付け加えた。
「自分の記憶と照らし合わせたくて」
きりりとした表情で誤魔化せば、困った顔をしながらフェオネンが教えてくれる。
「今日は月花暦六百二十年。二の月の三十日だよ」
「なるほど。私の記憶通りでしたわ、おほほ」
「……これは冗談抜きに、なんだけど」
そこでフェオネンが、真摯な面持ちで私を見つめる。
「異常は見つからなかったけど、頭を打っているわけだからね。記憶の混乱や混濁があるなら、正直に言うこと。隠しちゃだめだよ」
フェオネンの言う通り、私はけっこう混乱していると思う。生前の記憶についてというより、階段から落ちるまでのアンリエッタ自身の記憶についてまったく思いだせないからだ。
それはアンリエッタが事故で頭を打ったからなのか、私がアンリエッタに転生したのが原因なのかは、はっきりしないけど。
だからといって、実は私、別の世界からやって来てアンリエッタに転生しちゃったんです、ここはそもそもゲームの世界なんですよ――なんて、率直に話したところで信じてもらえるはずがない。頭がおかしくなったと思われるのがオチである。
「大丈夫です。何かあったら、ご相談しますから」
「それならいいんだけどね」
フェオネンがにっこりと微笑む。うっ、なんというまぶしさ。やっぱりこの人、本物のフェオネンなんだわ……。
彼の視線が逸れたところで、私は自分の置かれた現状に改めて思いを馳せた。
ゲーム本編は魔法学園の入学式から始まる。アンリエッタがふつうに生きて学校生活を送っているということは、まだその日は訪れていないわけだから……月花暦六百二十年、四の月の一日が本編開始日ということだろう。
つまりアンリエッタが死ぬまでには、約一か月の猶予が残されていることになる。
それならなんとか足掻いてみよう。
わけのわからないまま二度も死ぬなんて、絶対にごめんだ!