第2章20話 罪悪感
900年、その時を待ち侘びた。
君は近くにいて、なんとも遠い場所にいるのだろうか。
瓦解する境界を、何度も夢見たことか。
もう、夢は、夢だけでしか会えないのは、終わりだ。
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『魔導王』ダスカロイ=フィラウティアと、『聖女』セレフィア=ロス=アナトリカ、そして場を繋いだ少年イロアスとの三者による対談は終わりを迎えた。
結界の破壊に同意した今代の『魔導王』は、その日を留学期間の終了日に設定した。
予想される反乱に対しては、世界最強であり、『聖女』の騎士でもある『冠冷』エルドーラを当てることになる。
その反乱を抑えることは二人の『使徒』の信頼であり、その信頼は彼が持つ圧倒的な力から来るものだろう。
ディコス王朝には、このことの一切を報じることはなく、ただ唯一、境界の存在を怒る女性リディアにのみ伝える。
それによって、王朝で生徒以外に初めて、ダスカロイは王朝に人間を招き入れた。
彼女はディコス王朝の貴族からも信頼されており、彼女の持つエフェソスと言う名は、王朝で千年も前から存在する由緒ある貴族だそうだ。
そんな確立された貴族からの助力は、ありがたいと言わざるを得ない。
ディコス王朝のあり方を嫌うイロアスだが、彼女だけは違うと、そう思っている。
彼女は王朝だけでなく、アナトリカの留学生とも交流する。
特にセアは彼女を気に入っているようで、珍しく自分から話しかけていくよう様子が見てとれた。
結界の破壊については、もうイロアスにできることはない。
彼にできることは、そう、あの魔女ともう一度会うことだ。
セアもリアもミューズにも、黙ってイロアスは図書館へと足を運ぶ。
いつもと同じ静けさを纏い、図書館の扉はイロアスを歓迎する。しかし、ただ一つ違うことがあるとすれば、それは司書の振る舞いだろう。
図書館の番人バイオラカス。通称バイス司書。
いつもはカウンターにただ黙して座している彼だが、今回は扉を開けた先で立ち尽くして待っていた。
「バイス先生?どうしました?」
いつもと違う様子に、イロアスは疑問を投じる。
「ついてこい。」
バイス先生は図書館の奥まで案内してくれた。
イロアスは彼の役目を悟っている。そしてそれは正解だ。
バイス司書、いや、バイオラカスは千年前からこの禁忌の塔を守護する番人であり、彼はその末裔である。生まれた時からその任を与えられ、死ぬまでこの塔を守り続ける。
彼の許可なくしてそこに立ち入ることはできず、代々その道は彼とその時代の『魔導王』しか知り得ない。
案内された道は、以前とは違い、急に地下に飛ばされるものではなかった。
最奥まで歩き、そこにある古びた本棚の、古びた本を押し込む。
ありきたりな隠し通路だが、千年前の人が考えたのならそれは巧妙な仕掛けだろう。
隠し通路を進むと、下に続く階段があり、その先に待っていたのは、禁忌の塔であった。
塔とは名ばかりの大きな扉があるだけだが、この中は初代『魔導王』の魂が封じられており、その内部は塔のような形をしている。
バイスは案内したのち、何も言うことなく来た道を戻って行った。番人の勤めはその案内までだったらしい。
イロアスは彼の後ろ姿を見ることなく、前だけ見てその大きな扉を開ける。
瞳に光が差し込み、目を開けるとそこはすでに塔の中。
「昨日ぶりだね、少年。では早速だが、結果を聞こうか。」
全てを見透かしていると言わんばかりの目で、彼女はイロアスに語りかけた。
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白い空間。飛び交う本。
そこは知識の書庫。魂を閉じ込め、具現化する世界の禁忌を犯した塔。
初代『魔導王』スコレー=フィラウティアの私室。
千年前の戦争の勝利の貢献者。世界の英雄。
・・・いいや、彼女は魔女だ。
「ダスカロイ先生は、結界を破壊することにした。」
目の前の浮遊する魔女を睨むように、強い眼差しで答えるイロアスに、スコレーは少し驚いた顔を見せる。
「みんなを救わなければ、君の友達は救えないよ?その結界を破壊するという行為は確かに必要な行為だが、いささか早計じゃないかい?」
「いいや、これがミューズを救うために俺が考えた行動だ。」
またしてもスコレーは驚く。
「そうか、君には頼もしい友がいるようだね。」
「やっぱりお前は、この国を救う気なんてーー」
「おや、勘違いはよしたまえ。私はこの国の現状を憂いているさ。だから君が必要だった。君のその自身を顧みない犠牲精神がね。」
「お前は、人の心がないのか。」
「どうしてそう思うんだい?君の誰もを救いたいという欲求を満たすための助けをしているだけなんだけどね。」
「お前は、何がしたいんだ。」
この魔女の、意図が読めない。言っていることは一貫性があるようで、その真意が見えない。
その不自然さを、魔女らしいと言えばそうなのだろう。
彼女が何を目的として自分を利用しているのか、それが見えない。
「言ったはずだ、私は研究者だとね。今私が最も興味を持っているのは君と、『戦争』だ。この時代に精霊を連れて歩く少年と、魂を二分された『厄災』。それに興味を持つなと言う方が難しい。」
そうか。やっとわかった。
自身の研究の過程に、国の結界を解くという手段があるだけだ。
その結界を解くことは、身分の境界線をなくすことに直結する。それはすなわち、革命が起きるかどうかはともかくとして、現状を打破する大きな一手だ。
亜人を救いたいというイロアスの気持ちは、ここに利用できる。
「私の研究のためには、君の助けをした方がいい。ウィンウィンな関係だろう?」
「だから、俺に全てを救うことを強要した。」
「今結界を破壊するのは早計だ。なぜなら君たちアナトリカ王国を巻き込むことになってしまう。しかし私は君が欲しい。ならばどうするか。簡単だ。君が無視できない問題を君に叩きつければいい。」
100%の善意を、利用する。呪いのように全てを救うことを強要し、
「この国に押さえつけるつもりだった。」
「その通りだ。しかし、何も変な話ではないさ。君は全てを救いたいのだろう?なら国に捉われる必要はないさ。この国にいた方が救える確率が高いのならその手段を取るべきだ。違うのかい?」
「そうだ。だけどお前の言い分は違う。自分の利益のために俺を利用しようとしてるだけだ。」
「・・・?よくわからないな。私の利益になるとわかれば君は救わないのかい?」
「俺は、俺のやり方で全員救う。」
「あぁ、もちろん私の予定通りにはいかなくとも大丈夫さ。君のやり方で見事救ってみせるといい。」
「俺はお前が気に食わない。」
「そうかい?まぁ、人に好かれる方ではないことは自覚しているさ。」
「でも、お前の罪悪感も救ってやるよ。」
再び、スコレーは目を丸くして驚く。
彼女はイロアスから嫌われていることを自覚していた。
スコレーは、人を嫌うという感覚はない。ただその人間に興味を無くすだけ。それは嫌うのではない。人によっては嫌われることよりも酷い行いだ。
だが、人を嫌うという行い自体には理解できる。そのスコレーの理解からすれば、嫌いな人間を救うことなど論理的ではない。
だからこそ、このイロアスの行為には疑問を生じざるを得なかった。驚き戸惑うことしかできなかったのだ。
正直いえば、罪悪感などほとんどない。自分の魂が封じられた後の出来事など、どうでもいい。だが、彼女は人体実験に手を出すことはなかった。
それは千年前に出会った女神との約束であるから。人生で唯一、彼女が心を穏やかにして過ごすことができた相手。
だが、自身の選んだ次代の『魔導王』はその約束を犯した。
生涯の中で唯一交わした約束を、こんな形で終わらすことが、ほんの僅かな、本当に多少の罪悪感を生じさせていた。
「そうか・・・なら、頼むよ。」
僅かな罪悪感に眼を向ける。それは魔女が人間であることを示す。
だから、自身の私室から去っていく彼の後ろ姿に、侘しさを感じてしまった。
「・・・すまない。」
それと同時に、彼女はまた別の罪悪感を感じる。
脅威を見逃す、その罪悪感を。
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約束の日。
アナトリカ王国留学期間の終了日。
正確には、半期の成績公表の日であり、その評価次第で留学期間を終了することができる。
成績が総合評価Aを取れていたなら、その留学は修了する。
評価の基準は教科によって異なり、レポートや出席率、テストの結果などが反映される。
教科を多く履修していればするほど、総合評価Aを取ることは難しく、少なければ容易になる。
イロアス、リア、カンピアは他よりも多く履修し、ミューズ、フェウゴは普通ほど。サンとアストラは他よりも少ない履修であった。
だがイロアスはそれほど成績を気にしていない。それよりも重要なことがあるから。
この日は結界を破壊する約束の日である。
自身が今緊張しているのは、そっちの方が大きいからだろう。
学校内部のホールで、全生徒が終結して成績を渡される。
それがこの学校の風習であり、伝統だ。
『魔導王』は代々特別優秀な成績を収めた者に与えられる。その儀式も含まれるのだ。
もちろん、当代『魔導王』の評価を得られなければその儀式が行われることはない。
また、全校生徒の総数が少ないこともこの伝統が受け継がれていく理由である。
何度も言うように、この魔法学校フィラウティアは認識阻害と不可侵の結界に囲われている。
故に校長である『魔導王』の許可なくして立ち入ることはできない。
さらに完全招待制をとっており、『魔導王』が招待した子どものみが入学を許可される。
この学校には、教師と、許可された生徒しか入ることはできない。
ホールにはすでに大部分の教師と生徒が集まっている。今回はディコス王朝の貴族とアナトリカ王国騎士団の新団員のみが招待されている。
今回アナトリカ王国からは7人の生徒がいる。
「緊張してきたのである・・・」
「だ、大丈夫だよ、が、頑張ってたじゃないか。」
不安がるカンピアをフェウゴが宥める。
「イロアスくん、自信の程は?」
「まぁ、大丈夫じゃないか?」
「あんた、もうちょい成績を気にしなさいよ。別な事に集中しすぎよ。」
ミューズ、イロアス、リアの雑談に、ただ沈黙して座すアストラ。イロアスの肩に乗って眠そうにあくびをするセア。
そして、姿の見えないサン。
「・・・サンは?」
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彼女は900年もの間、こんな結晶に封じられてきたのか。
ただ怒りが込み上げる。
自らの主君の怒りを代弁するかのように、結晶の前に佇む少女は拳を握る。
今も主君は夢を見ていらっしゃる。その辛さは、たった数十年しか生きられない私たちからすれば、想像に絶する事だろう。
「待ってて・・・今、開放してあげる・・・」
小さな手を、結晶に当てる。内部の彼女の感情が手から伝わってくる。
そして、この幼気な少女はその手に魔力を込める。
「そこで何をしている。」
背後からするその声は、もちろん予想された声だった。
「邪魔しないで・・・『魔導王』。」
「・・・国際問題では済まされないぞ。それに、それを破壊するのはもう少し時間が経ってからだ。まだ彼がきていない。」
境界を破壊する約束の日。それはこの結晶に閉じ込められた彼女の解放を意味する。
アナトリカ王国との協定だ。
しかし、それは、この少女は知らないはずだ。
「アナトリカ王国騎士団、サン。君はここで何をしている。」
その回答に、沈黙で返す。
「君は一体、何者だ。」
その回答に、サンは魔力で返した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ようやくだ。ようやく会えるぞ。」
夢でしか会えない片割れと、ようやく現で会える。
ただ座して待っていた黒装束の彼は、その嬉々とした笑顔で、
剣を手に取った。




