第1章2話 その歩みはどちらに
俺を眠りから覚ましたのは、いつからか起こしてくれなくなった精霊だった。正確には、起こしてくれているけど、俺が無視し続けている精霊。
「ロア!起きて!起きてってば!」
「・・・」
いつものように無視して眠り続けても良かったが、こんなにしつこく起こしてくるのは久しぶりだ。いつもは起きるまで声をかけてくれてありがとうと思うが、今の心境からはとてもそんなことは思わない。
ただ喧しいと、そう思うだけだ。
・・・いや、セアだけじゃないな。孤児院全体がどうにも慌ただしい。
誰かが俺の部屋をドンドン叩く。
うるさいなっていう感情は次に言葉を聞いた瞬間に消えた。
「ロアにぃ!アフターが攫われたの!ミテラ叔母さんの部屋に来て!」
「・・・は?」
俺は状況を掴むまで、数秒かかった。
※※※※※※※※※※
レフォー孤児院は森の中にある。
ここはミテラ叔母さんの善意だけで成り立っている孤児院で、アナトリカ王国から頼まれてやっているわけじゃない。
国のお偉いさんが少しだけ支援してくれてるらしいが、国からの依頼ではない以上、ここに金目のものなんてないし、親を知らないから身代金すらない孤児を攫うメリットもない。
そもそもこんな森の中にまで強盗や人攫いが来るはずもない、そう思っていた。
「ミテラ叔母さん個人に強い恨みを抱く者による報復か、アフター自体を狙った行動が考えられるわね。」
俺はミテラ叔母さんの部屋に向かいながらセアの推察を黙って聞く。
「なんでアフターなのかしら。アフターも孤児だから誰の子かわからない。もしかしたらアフターは貴族の子だったりするのかもしれないわね。そしたらその親に脅迫して・・・そうじゃなかったら、アフターの魔法の才能を見込んで売り飛ばしたり・・・」
セアはそんな残酷なことを考えて、何かハッとしたような顔をした。その後は俺をみて不安な表情を見せてきた。
こいつまさか、魔法が使えない俺を気遣ったのか?
そう思うと更に腹が立った。下手な気遣いが一番腹が立つんだ。その感情の勢いのまま早歩きをしてミテラ叔母さんの部屋に向かった。
しかしその道の途中で、風が吹いているのを肌で感じた。
風の出所は、とある一室だった。
そこはアフターの部屋だ。
アフターの部屋は2階のミテラ叔母さんの隣の部屋にある。夜泣きとかの対応のため、ミテラ叔母さんの隣の部屋は赤ちゃんの部屋になっている。
今は赤ちゃんはアフター1人しかいないから、実質アフターの一人部屋になっている。
ミテラ叔母さんはかなりの魔法の使い手ってことは普段の大嫌いな授業の様子からわかる。その叔母さんが隣の部屋とはいえ、侵入されたことに全く気づかないなんて、相当強い人が攫って行った可能性が強いな。
そう静かに考え込んでいると、隣の部屋から声が聞こえた。どうやらミテラ叔母さんが他に攫われた子がいないか入念にチェックしているみたいだ。
壁に聞き耳を立てる。俺に事態を報告してくれた子が、俺の無事も伝えてくれたみたいだ。そしてどうやら他に攫われた子はいないらしい。
他に攫われた子がいない以上、現場はここだけになった。俺はセアと2人でその部屋を調べる。これはもちろん協力してるんじゃなくて、別々で調べている。
部屋の中をよく観察しているが、荒らされた形跡はなかった。
1階にも子どもたちがいるのに、わざわざ2階の、しかもミテラ叔母さんの隣の部屋に侵入することがあるの?ミテラ叔母さんを脅迫したいなら1階の子どもたちを攫えばいい。この部屋から攫うなんて明らかにリスクがでかい。
やはり「アフターは狙われた」と考えるべきね。
セアがそう呟いてるのを聞いて、俺もそう確信する。
風の出所はこの部屋の窓だ。窓は開いていて、鍵の部分は熱で溶かされたような跡がある。恐らく侵入経路はここだ。
俺は侵入経路と思われる窓から外を見る。
今は夜。普通だったら何も見えないだろう。真っ暗だが僅かに森だとわかるくらいの、微妙な月明かりが照らす夜。
でも俺は森の中の様子がよくわかる。魔法は使えないけど、身体的な能力はこの孤児院では群を抜いている。脚力、腕力、柔軟性、そして五感。俺は夜目も効くし動体視力もある。
その視力を使って、必ずあるはずの痕跡を探す。
「ーーあった。」
木の枝が不自然に折れて道のようになっている。よく森の中で憂さ晴らしという名の鬼ごっこをしてよかった。
鬼が追いかける時、注目するのは枝だ。人が通ったあとなんかは細い枝が折れていることがほとんどだ。どんなに気をつけても、木々が絡まり合っている森の中で、枝葉に触れずに駆け抜けるなんてあり得ない。
その痕跡がないわけがない。
だけど、孤児院のみんなみたいにわかりやすい折れ方はしていなかった。ほんの少しの違和感しかない。普通は気づかないだろうな。
俺みたいに意識的に森を移動しないとできない芸当だ。相当な実力者に違いない。
よし、ミテラ叔母さんに報告しよう。
上出来だ。ここから先は魔法が使えるエリート様が探せばいい。魔法が使えない社会の底辺の俺なんかにできることはない。
そもそも助ける理由もない。
だって俺は『英雄』じゃないから。それを夢見る少年でもなくなった。
俺はミテラ叔母さんの部屋に向かう。隣の部屋だ、すぐにいこう。
・・・すぐそこだよ、イロアス。
なんで、歩みを止めた?
ーー再確認だ。俺にできることはない。
なぜなら魔法が使えない。
ミテラ叔母さんですら攫われたことに気づかなかったんだ。俺がギリギリ気付けるくらいの痕跡しか残さない、それほどの実力を持った人が攫っていったんだ。
じゃあやるべきことは簡単だ。
魔法を使えるエリート様に任せよう。それが一番だ。
・・・じゃあなんで足は動かないんだ。
それが一番だって、自分にできることは何もないってわかってるのに足が動かない理由は一体なんだ。
全てが終わる気がするのは、一体どうしてなんだ。
未だに俺は、
『英雄』を夢見てるのか?
心の中で誰かが語りけけてくる。
「なんで、君は自分で救おうとしないんだ?」
・・・だって、
「だって、魔法が使えない俺に何ができるっていうんだ。」
部屋の中から、部屋を出て行こうとする俺の背後から、そう聞こえた。
俺の思っていることを、そのまま声に出したような言葉が俺の耳に届き、脳裏を揺らす。
振り向くと、翡翠色の眼が俺を見つめていた。
「ロア、そう思うならどうしてミテラ叔母さんの元に行かないの?何か手がかりを見つけたんでしょ?」
「・・・そうだね、すぐ行こう。」
それでも、足は動かなかった。
「どうしたの?行かないの?」
「あ・・・いや・・・」
「動かない足。それがあなたの答えですよ、イロアス。」
そんなはずはない。
どうしてだ。
俺は・・・俺はもう『英雄』なんか夢見ていない。
「あなたはわかっています。その足が動いた時こそ、本当の終わりであることに。」
うるさい、俺はもう終わっている。
「もうやめなさい、自傷し続けるのは。」
うるさい、俺は傷ついてない。
「あの『英雄』は、強さを誇りませんでした。」
うるさい、持っているやつはそれを当たり前だと思ってるんだ。誇る必要すらなかっただけだ。
「魔法に固執するのはやめなさい。あの英雄だってーー」
「うるさい!綺麗事だ!魔法がないと何もできないんだよ!世界がそう言ってるじゃないか!」
「魔法が全てなら、あの人は『英雄』になんてなっていない。」
「嘘だ!!魔法がないと、強さがないと『英雄』にはなれない!!」
だから俺は夢を諦めたんだ。
魔法が使えない、戦えない『英雄』がどこにいる。
俺は『英雄』にはなれない。
「じゃあなぜ、歩みを止めるの?」
その言葉を、何故俺は返すことが出来ないんだろうか。
「もうわかってるのでしょう?今その歩みを進めれば絶対に『英雄』にはなれないことを。魔法が使えないことじゃない、弱いことじゃない、言い訳をすることでもない。今その歩みを進めて、アフターから遠ざかる自分を、あなたの中の『英雄』は許さない。」
・・・そうか、俺は未だに、あの『英雄』を追い続けているのか。
いや、わかっていたんだ。歩みを止めたその時から。認めたくないだけだった、無様にもがき続ける自分を。
「ねぇイロアス、あなたはなぜ、あの『英雄』に憧れたのですか?」
その言葉が、脳に刻んだはずの記憶を呼び起こす。「魔法が使えない」というだけで霧をかけた記憶を呼び起こす。
そうだ、俺は・・・
あの『英雄』と同じように、誰をも救いたかったんだ。
見捨てられた俺でも、誰かのためになりたいと、そう願ったんだ。
いや、見捨てられたからこそ、思ったんだ。誰にでも手を差し伸べれる人になりたいと。こんな『英雄』になりたいと、本気でそう思ったんだ。
あの『英雄』と同じように、騎士を目指した。
そのために魔法が使えないといけないと言われた。
でも俺は魔法が使えなかった。
そこでどうしたか。
俺は不貞腐れ、自暴自棄になり、悪態をつき、記憶を閉ざし、夢を払い除け、挙句に迷い、そして歩みを止めた。
自分を偽り続け堕ちていった俺は、最後の最後で捨てきれなかったのか。
ーーー俺は、わかっていたんだ。
「歩みを進める方向は決まりましたね、イロアス。」
俺の足は、やっと動いた。
そっちなら、許すと。
「『英雄』を諦めたその心で、魔法も使えないその非力な手で、決意すら鈍るその足で、一体何ができるのか。」
心がそう問いかける。
「思い出したんだ。なぜあの『英雄』を目指すのか。魔法が使えなくても、心が未熟でも、それでも誰かのために動きたい。だってそっちの方が、かっこいいじゃないか。」
そして俺は窓から飛び降りた。受け身の取り方なんて、感覚でわかる。
そして完璧な着地を決めて、さっき見つけた木の枝が折れた道に走り出す。
俺は一切振り返らなかった。もう二度と、振り返る必要はないのだから。
そんな彼の後ろ姿を窓から見つめていると、真紅の髪の女性が部屋に入ってきた。そして見えるはずのない精霊の隣で立ち止まる。
翡翠色の眼をした精霊が語りかける。
「嫌な予感が的中しました。ミテラ、あの子の力になってあげてください。」
「その口調が本来のあなたですか、セア様。」
穏やかな口調の精霊とは逆に、怒りを含んだ口調で真紅の髪の女性は問いかけた。
その問いに沈黙する精霊の、翡翠の眼の先を見て窓から飛び出した。
翡翠色の眼の精霊は哀しい顔をして呟く。
「私もあなたと同じ気持ちですよ。でも、あの子がそうしなくては始まらないもの。」
そして誰もがその部屋から姿を消した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
夜の森は初めてだ。あまりにも不気味。
さっきの決断を軽く踏み躙るほどの恐怖心を植え付けてくる。
しかし負けじと不自然な道を辿る。
そしてたどり着く。不気味な森にある不気味なゴールに。
「・・・なんだこれ。」
そこには木で作られた民家があった。この民家は木々の成長の邪魔でしかない場所に建てられている。
いや、逆なんだ。成長した木々の中に無理やり建てられたんだ。
これはつい最近建てられたものだ、魔法の力によって。
「オギャーーー!!」
民家の中からアフターの泣き声が聞こえる。良かった、生きていた。僅かに民家から光が漏れ出している。アフターの光で間違いない。あれほど鬱陶しがっていたあの光が、今は安心できる。
中からアフターの泣き声じゃない声が聞こえる。
「これが『光の子』なわけないだろぉ。ただの泣いたら光るだけの赤ん坊だなぁ。」
「知らないっすよ。依頼通りに攫ってきただけっす。」
どうやら依頼主と誘拐犯のようだ。依頼主の方は語尾を伸ばすような、子どもみたいな話し方をする。もう1人の誘拐犯の方はチャラそうな声をしている。
それに気になる言葉が聞こえた。
「『光の子』・・・?一体何の話を・・・」
話をもっと聞こうと、もう少し民家に近寄ろうとする。草木が少し音を鳴らしたが、その音が心臓の音を下回り聞こえなくなっていく。何か危ない気がする。それほどまでに心臓が昂っている。
しかしそれでもだんだんと民家に近づいていく。
もう少し、もう少しで民家の中が見える。
「君すごいねぇ。よくここがわかったねぇ。」
「え?」
さっきまで確かに民家の中から聞こえていた、子どものような話し方の声が背後からした。すぐに後ろを振り返ると、子どものような背格好の男がしゃがみ込んでいた。
どうやって俺の後ろにきた。民家のドアが開いた様子はなかった。一体どこから。
そんなこと考える余裕すらなかった。
こいつはやばい。生物的本能がそれ告げる。
ここで死ぬかもしれない。
そう思わせるような圧倒的な威圧を目の前の紺碧の眼をした男から感じる。
さらに、この男は不思議なことに、この紺碧の眼以外の部分が全く見えない。
見えないという言い方は正確ではない。確かにこの男はフードをかぶっている。だけどマスクで顔を隠してるわけではない。必ず見えるはずの顔が、見えない。しかしなぜか表情はわかる。
眼では見えても頭で顔が覚えられない。
それがまた、この男を不気味に思わせた。
そして束の間の瞬間、周りの草木が俺を縛りつけた。まるで草木が生きているように俺を締め付けてくる。やがて草木は俺の首に届いた。
「音が聞こえたからもしかしてと思ったけど、こんな子どもだとはねぇ。」
ーーーあ、死ぬ。
「ごめんねぇ、子どもでも見られちゃったら殺さないとぉ。」
反射的に腕を首と草木の間に挟んだけど、締め付ける力が強すぎて腕ごとイかれそうだ。これはやばい、マジで死ぬ。
死に対して抗い、研ぎ澄まされた俺の感覚が、ドアの音を捉えた。民家からもう1人男が出てくる。全身を黒い服で覆い、大きな一つ目が描かれた白い仮面をかぶっていて顔が見えない。くそ、こいつも顔がわかんないのかよ。
「旦那、この赤ちゃんどうしやす?」
「あぁ、殺しといてよぉ。それ『光の子』じゃないからぁ。」
「了解っす。それはそうと旦那、なんです?その少年。」
「お前が尾行されてたんでしょぉ、ちゃんとしてよぉ。」
「マジっすか?こんな少年に尾行されるなんて、俺も衰えたものっすね。」
そうため息をつきながら、仮面の男はアフターに向かって、腰の剣を抜く。
その瞬間、俺は力強く巻きついてきた木々を噛みちぎり、間髪入れずに仮面の男の元へ走り出す。人が死ぬかもしれないーーそんなことはさせないという強い意志が、イロアスに力を与える。アフターにその剣が刺さる前に、絶対に助け出す。
そう意気込み、仮面の男に殴りかかった俺の振り下ろした拳は空を切った。体に植物が巻きつき、後ろに引っ張られたせいだ。それでも、持っていかれないように踏ん張る俺の姿を見て、紺碧の眼をした男は笑う。
「僕の拘束から抜け出すなんて、大したもんだよお前ぇ。子ども相手と思って油断したよぉ。こいつの動きは並の身体能力じゃないな、素晴らしい動きだぁ。」
「くそ!!なんだよこれ・・・!!」
「・・・さっきから気になっているんだけど、君からは全く魔力を感じないねぇ。うまいこと尾行できたのは魔力を全く感じなかったからかぁ。」
くそ、目の前にアフターがいるのに、体が前に進まない。
「本当に俺も衰えたっすかね。いくら魔力を感じないとはいえ、尾行に気づかないなんて。俺一人だったら一撃くらい入ったかもしれないっすね。だから子どもは嫌いなんすよ、いつもこっちの想定を超えてくる。嫌な奴を思い出したっす。」
そう言って仮面の男がアフターに剣を突き刺そうとするその瞬間、聞き覚えのある、それでもいつもと違う、怒りを含んだ声が聞こえた。
「それをさせると思うの?」
その言葉とともに俺の目の前の男たちを赤い炎が包む。声の主が俺のそばまで歩み寄り、俺を締め付けていた草木を燃やした。
「大丈夫、よく頑張ったわね。」
その人は綺麗な真紅の髪をした、俺たちのお母さんだった。




