第4章20話 大地と空の聖戦
ーー呪林地帯とは、この世界の北西に位置する、瘴気に満ちた大地である。
もはやかつての活き活きとした緑はなく、あるのは闇に揉まれて黒く染まった枯れた葉だけである。枯れているが、木から落ちることなく、若葉の養分になることなく、その姿を維持し続ける。
闇に呑まれて人が死んでいく。植物はそれを養分だと死体に群がる。しかし、それは魂の縛られた屍兵となって、また呪林地帯を歩き回る。
そうやって千年間、この大地は変わることのないサイクルを繰り返し、遂にはその呪いを外に広げようと暴れ回る。
「あ・・・あ・・・わ・・・わは・・・」
産声が上がるその時に、立ち会うのは屍だらけの呪い。
そして、ただ一人、権能の効果から逃れた『聖女』。
「わっは・・・わは・・・わははは・・・」
長く、人を見すぎた。
それは遂に習得してしまった。権能という理不尽をもってして、それは遂に踏み込んだ。
「わは、ワは、ワは、でぃ、すこる・・・すこるじ・・・あ、あ、あ?」
「・・・何か、喋ってる・・・魔獣が人語を・・・?」
嗤った。
また、嗤ったのだ。
「ワは、でぃすこる・・・でぃあ。でぃすこるであ、ディスコルディア・・・」
ケタケタ、ケタケタ、ケタケタケタケタ
嗤う、嗤う、嗤う。
「ワは、ディスコルディア!!おまえ・・・のろいころす・・・ぞ!!」
それは言語の習得。
魔獣が言語を習得した最初の現象は、何千年も前に遡り、原初たる亜人の誕生が最初の記録である。
しかして、この場合は違う。
『魔瘴樹骸』ディスコルディアは、亜人にはなれない。彼には、人を望む願望はない。
「・・・!!まさか、感染ったのね!!」
ここで、『聖女』セレフィア=ロス=アナトリカは今起きている全てを理解する。
目の前の呪いの王は、『疫病』から権能を賜っている。
権能を持つ者は、ただ一人に権能の器を贈ることができる。与えられた権能はオリジナルのものよりも格下ではあるが、その者の願いが反映され、権能という理不尽に相応しい能力を持つに至る。
この場合、女神テディアのオリジナルの権能を有するセレフィアと、『疫病』から器だけ授かったディスコルディアでは、その格が違う、ということである。
だが、権能は権能である。
セレフィアの中で、この異常な現象に納得がいく。冒険者たちが全て屍兵の群れに呑まれたこと、それは恐らくディスコルディアの権能故。
言葉が伝染していること、そこから推察されるに、ディスコルディアの権能は「伝染」が濃厚である。
「ワは、ワは、ディスコルディア・・・。ましょうじゅがい・・・のろいのおう・・・」
おぼつかない人語だが、その成長速度は目に見える。赤子が人の言葉を話すまで2年や3年ほどの時間を有するのに、たった数分、数秒。伝染してから身体に馴染むまでが早すぎる。
これがどれほど恐ろしいことか、セレフィアは瞬間的に理解していた。
これは、いわば、『進化』である。
全ての生命が何千年という時をかけて進化してきたが、この化け物はそれを数秒単位で駆け抜ける。人の真似を、というその考えを持っていたとしても、実際に動物が真似ることは難しい。人ですら、何万年という歳月を経て進化した生命なのだから。
つまるところ、『魔瘴樹骸』ディスコルディアは、権能をもってして数秒ごとに進化する呪いそのものとなった。
『聖女』の前に立つに相応しい権能を得て。
「ワは、『魔瘴樹骸』ディスコルディア・・・呪いの王・・・」
どんどん流暢になるその進化の過程、僅か数分。
即ち、ディスコルディアが権能の力に慣れる数分。
力の解放は、すぐに起きた。
何を伝染させたのか、屍兵の魔力が増幅する。立ち上がり、もはや骨となったその足の歩みが早くなる。
「・・・行け。」
屍兵の群れが、大地を飲み込み、その歩みを早める。それは中央まで歩みを止めることはもはや無い。
「大規模結界魔法 光華の葛籠」
ーーー歩みを止めることはない。しかし、それはこの場に『聖女』が居なかった場合である。
「ポルタ家に結界を教えて貰って正解だったわ。国の要である技術を王が知らないなんて滑稽だものね。」
何重にも網目のように光が縫い合わされ、隙間なく、その結界は成立した。
その規模、呪林地帯全てを包み込むほどの巨大さ。
しかして、その結界の真意は閉じ込めることにある。通常、属性付与の結界魔法とは攻撃も兼ねている。例えば、光魔法の結界はそれに触れることで浄化の効能を持ち、炎魔法の結界は触れるだけで焼き尽くす。
しかし、ここには『不殺』がいる。
故に、『聖女』セレフィアは結界の条件を変更した。
閉じ込める事だけに特化した大結界。浄化の力は最小限にし、出ることに対して強制力を働かせる。
縛りは、外からの結界への攻撃の有効化。
「これでもうどこにも行けない。呪いが外に出る心配もない。」
しかして、何故最初からこの結界を張らなかったのか。
それは、『聖女』セレフィア=ロス=アナトリカが最も戦場を俯瞰して見ていたせいである。
待っていたのだ、この瞬間を。
この戦場に割って入り込もうとする輩がいることを知っていた。そして、遂にはこの戦場にその足を運んでしまった。
「さて、ようやく屍兵に心配せずにいられるわ。・・・ねぇ、もう喋れるんでしょ?」
「・・・驕るな。異界からの来訪者め。」
もはや言葉に淀みはない。
それをもって、セレフィアは判断を下した。これはもはや一魔獣ではない。
権能を持つ『神獣』たちのステージまで上り詰めようとするほどの、強大な力を持った獣。
ーー否、上り詰めたのだ。
『神獣』の領域まで、この魔獣は足を踏み入れたのだ。
「ワは呪いの王。世界に呪いを遷す者。」
「呪い程度じゃあ私には勝てないわよ。」
呪林地帯中の全ての呪いが、『聖女』ただ一人に向けられた。結界は閉ざされ、もはや内側から外界に出ることは叶わない。
呪いを世界に遷そうとするディスコルディアは、権能を与えられ、最初の役割を明確に見つけた。
「来訪者よ、ここで朽ちていけ。」
『聖女』セレフィア=ロス=アナトリカの打倒である。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
呪林地帯に張られた巨大な結界。
一目見ただけで、その結界がどんな効能を持ち、何を縛りとしたのか理解した。
散りばめた自らの肉片が常に結界内の情報をかき集め、本体へと蓄積される。
今もなお繋がり続ける肉片同士の共有された情報を基に、常にこの結界について解析を始めているところであるが、途端にそれをする暇はなくなった。
「うざいのね!!」
外からの攻撃に脆いこと。
判明した情報から、『不殺』ゾエはすぐに大規模破壊魔法を展開しようとした。
その魔法は、一撃の矢によって崩壊する。
天上より再び脳天を貫かれ、魔法の展開が遅れる。さらには、腕足に一本ずつ矢を打ち込まれ、それが魔力を帯びて爆発する。
四肢を粉砕され、空を飛び回ってもなお、翼を撃ち抜かれ、地に落とされる。落とされた瞬間に、四方から飛んでくる矢によって、首を落とされる。
生首になってもなお、その矢は攻撃の手を緩めることなく、天上から振り下ろされる。
叫ぶ暇もなく、ゾエの頭蓋は粉砕され、口は音を紡ぐことも出来やしない。
声にならない叫びが、空を切る。
姿も見えないどころか、感知すらもできない。弓を引く音も、矢が空を切る音も、僅かな空気の乱れも、微かな魔力の揺らぎも、何も感じない。
「クソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソ!!!どこなのね!!」
生首は塵となって消えた。
しかし、身体から再び首が生え、口が揃う。まだ顔の半分しか再生していないが故に、前もろくにみえない。
そんな中で叫ぶなど愚の骨頂だ。
再び、天から降ろされた矢が、真っ直ぐに背骨を砕きながら脳天を貫いた。
※※※※※※※※※※※※
西の大国ディコス王朝において、かつて世界で3番目に魂に詳しい男がいた。
彼はとある知識欲の塊のような女性の魂の実験に協力し、その後、その女性の後継者の醜い実験に協力した。
実験に自らの孫を使うような醜悪な獣であり、怪物であり、何より人間であった。
そもそも、元々自分がディコス王朝に来た使命を放って王の元で実験をする日々を過ごしていた時点からクズではあるが、それでも彼は魂に詳しかった。
『賢王』の血筋であり、水の都の出身者であるならば当然ではあるが、『賢王』が派遣するに当たって与えた権能『魂への干渉』が効果的だった。
「器が先か、魂が先か。それは研究者にとって答えが分かりきっている問じゃな。かつて共に研究した『魔導王』がその答えを説明してみせた。」
二代目『魔導王』の狂気の実験。
一つの魂を二分割し、器を形成した後に、魂を戻す。その実験道具にされたのが、『戦争』アーロン=マギア=ボラデルカとアルテミア=ボラデルカである。
この実験は、魂が器を形成することを第一の前提と置いた。魂が母体に入ることで器は形成される。魂は成長を続けると共に器も成長を遂げる。しかし、器は全盛期を迎えるとその能力に追いつくことが出来ずに朽ちていく。
これを生命が生まれてから死ぬまでの一連の過程と置いた。
疑義はある。異論も認めよう。しかして、この前提が無ければ、『戦争』は二人も存在しないことも事実。
「そもそも、魂に直接触れることの出来る儂が言ってるんじゃ。まぁ、儂は魂に触れる禁忌を犯すつもりは無いがのう。そんなこと許されるのは冥界の女主人と『神獣』デュポンくらいじゃろうな。」
そんなことを語ったこの卑く醜い老人は、『戦争』の母によって殺されたわけだが、この証言が今この場に伝わっていることを願おう。
ーー『神獣』テュポンは、魂に触れられる。
現世の進出を望み、かつて自らの子を三体送り込んだ。その子のどれもがテュポンの分体と言えよう。
彼らには、テュポンが持つ権能の一部が与えられている。これは、権能の保持者がたった一人に権能の器を与えることができる、という鉄則を簡単に破るもの・・・とは言いづらく、彼らはあくまで自我を持ったテュポンの分体である。
原初の『悪魔』とは、そういうもの。
ここで種明かしをしよう。
『不殺』ゾエは、魔人族ではない。
原初たる三柱の『悪魔』の中で、魔人族へと移り変った者は、『敬神』ファナだけである。彼女だけが産声を上げて歴史上最初の亜人へと変化を遂げた。
ゾエは、それを真似ているだけの『悪魔』である。
人の言葉など、魔獣が真似ようと思ってもできるものでは無い。そう、できるものでは無いのだ。それは魂を歪めることに他ならない。
何故ならば、それが魔獣というものだから。『神獣』ならいざ知らず、産み落とされた魔獣が人の言語を話すなど、それは世界を創造した女神の真意に反する。
ーーゾエは、それをやってのけた。
何度、『天弓』アルク=ヴェロの矢が頭蓋を粉砕しただろうか。首を落とされ、手足をもがれ、それでも肉体は朽ちずに、魂は次の器へと移りゆく。
それこそが、ゾエの本来の権能『成れの果ての器』であり、『神獣』テュポンが保有する権能の一部である。
故に、ゾエは頭を撃ち抜かれた瞬間に、魂を頭から心臓へと移動させた。
しかし、その心臓すらも、何処から飛んできているかも分からない矢に貫かれる。
だから、さらに別の肉体へと移る。
その肉体とはーーー
瞬間、矢が止まった。
先程まで的としていた肉体は朽ちて塵となっていく。
矢が止まるということは、即ち、『天弓』が獲物を捉えきれていないということ。
「はは!!やっぱりなのね!!お前はゾエを捉えきれていないのね!!」
ゾエは遂に、人間の身体でつくりなおすことを辞めた。
いくつもの小さな肉片に分離し、自身が操作可能な範囲まで肉片を散りばめる。肉片には巨大な目を与え、その目はサーモグラフィーのように温度すら感知する。
全ては『天弓』アルク=ヴェロを探すため。
「肉片の数なんて、ゾエも知らないのね。捌き切れるのかね?」
ゾエの高笑いが空へ響き渡るその最中、ゾエは見てしまった。
「・・・は?」
それは肉片を散りばめたからこそ見えた景色。本来、狩られる側はそれを見ることなく命を落とす。
ゾエはようやく、矢が放たれる瞬間を目撃したのだ。四方八方から飛び回ったあの矢は、『天弓』という狩人の圧倒的な手腕により放たれていたものだと、いつから勘違いしていたのか。
いや、彼の手腕には他ならない。だが、ここでいう手腕とは、
「矢は・・・遠隔で・・・」
物理的な意味を指すのであれば、それは否である。
矢はひとりでに動き、丸で弓に装填されたかのように引かれて、ゾエの脳天に目掛けて放たれた。
実にその矢の数は、12に及ぶ。
12の肉片が朽ちていく。確実に貫かれるその照準はあまりに正確であり、次点の装填も完了し、また12の肉片が朽ちていく。
ゾエの考えは既に破綻していた。矢が放たれる方向を確認し、そこに感知能力を全て働かせる。導線に必ずいるはずであると、そう踏んだが故に、広い視野を持って肉片を四方に散りばめたのだ。
だが、矢がひとりでに装填されるのであれば、話は根底から覆る。
「アルク=ヴェロォォォォォォ!!!!」
そして、また12の肉片が消し飛んでいくのであった。
※※※※※※※※※※※
ゾエが『不殺』の権能を与えられたのは、今より800年前まで遡る。
北方の大地で退屈な世を過ごしていただけの暇な生。それを覆してくれるような、そんな存在との出会いがあったから。
「アルティア、奴がゾエだ。」
自分を紹介するなんて、どこの命知らずかとそう思ったが、それは違った。
「人の下につくとは、本当に自分の役目を放棄したのね、ファナ。」
「役目なんて大層なものじゃないだろう、ゾエ。我らが親の願望に過ぎない。我らがこの現世で生きているだけで十分に叶えられた粗末な願いだ。」
「それはそうとしてもね、人間の下につくとは、亜人とやらになって随分不抜けてしまったのね。ねぇねぇ、君は誰なのね?」
名前を聞く。
それすらも、ゾエにとっては珍しいことで、それはゾエ自身も自覚していた。
人間という生物に、ゾエは興味を感じていない。魂の在り処すら理解できていない、生物の根源を知らない生命に何かしらの興味を抱くということは無いのだ。
自分より底辺を生きる者という認識の他、彼らに貼るレッテルはなかった。
「アルティア。『原罪』の大悪を与えられた人間だ。ゾエと言ったか、お前も俺の元に来い。」
「ねぇねぇ、人間風情が、原初たるゾエに下に付けと、そう言ったのね?」
それが、トリガーになった訳じゃない。
最初から気になっていた。
ーーーこの人間からは、大きな変容をもたらす何かを感じる。
「・・・十分か?」
襲いかかった。もちろん、本気で殺すつもりで襲いかかった。
ファナは傍観していた。相手をしたのは、間違いなく人間だ。
「原初とは嘘では無いようだな。お前の権能はあまりに理不尽だ。世界大戦で暴れられたら敵わなかったな。」
「はは・・・負けたのね・・・」
「さて、敗者に死に方は選べない。お前は俺の元で死ね。」
ーーー最初から気になっていた。ファナを従えるその器に、最初から気になっていたのだ。
「お前に与える罰は『不殺』だ。お前の権能にピッタリだろう。」
『不殺』ゾエは、原初たる悪魔。
その実力を測った者は、生涯において『原罪』アルティアだけであり、その強さを知るものは他を置いていない。
ーーー再び、12の肉片が塵となる。
「はは・・・ははは・・・」
肉体が朽ちていく。ゾエという悪魔の存在が、徐々に削られていく。
笑いが止まらなかった。
12の矢が、装填され、肉片を消し飛ばし、次の照準にまた装填される。
『聖女』の結界の外、残りの肉片数は30を切っていた。追い詰められる『不殺』ゾエに、あの日以来の興味が湧く。
「ゾエは原初たる悪魔、始まりの三柱なのね。」
矢は放たれるーーー、残りの肉片数18。
「与えられた役目は我らが親の願いを叶えることなのね。」
再装填、矢は放たれるーーー、残りの肉片数6
「故にこそ、お前のようなやつに興味が絶えないのね。」
再装填、矢は放たれるーーー、残りの肉片数※※
「みぃつけたのね。」
再装填、矢は放たれるーーー。
しかして、照準は定まらず、宙を舞って空振り。
残りの肉片数1。
※※※※※※※※※※※※※
『聖女』の張った結界は、何よりも眩い光を放ち、その存在感は呪林地帯の濃い闇を上回っていた。
その存在値が、段々と薄れていく。
それ程までにこの場所は遠く離れ、階下で起きていることなぞ、生命の眼で感知できることは無いだろう。
故に、その点については尊敬に値する。
こんな遠く離れた理外の外からあの矢を放ち続け、遂には肉片すら残さず、この原初の悪魔を追い詰めたこと、誇りに思うといい。
そう思いながら、翼を持った大きな悪魔は、雲を突き抜け、ようやく到達したのである。
「やぁ、はじめましてなのね。」
呪林地帯の戦いが始まってから実に長い間、向かい合うことはなかった。
しかし、ようやくその面は割れた。
「『天弓』アルク=ヴェロ・・・、そうなのね、ヴェーとかどうなのね?」
天上、境界の外の狩人は、生まれて初めて戦場に引きずられる。
「あなたに呼ばれる名前など、ありませんよ。」
姿が露見した狩人に、これ以上の興味が湧くのか。楽しみになってきたと、ゾエは嗤った。




