第4章19話 伝染する恐怖
「・・・うーん、まずいねやっぱり。」
それは後陣に撤退したルダスが呟いた言葉。
これまでのシュミレーションで何度も何度も思い描いたとおりの戦いが繰り広げられている。
故に、ここから先が分水嶺であることは明々白々であり、鍵を握る者が数名、勝てるか負けるかが非常に重要である。
今はただ、その内の一人を気にかけ、無理かもと嘆く。
「この感覚、これが『観測者』の醍醐味だよねぇ。手に汗を握る真剣勝負!負ければ世界の終わり!」
自らの権能をフル活用して、ルダスはひたすらに覗き観る。戦いは全てレイとアリシダに任せて、ルダスはただ観る。
「頼むよ、『天弓』。君の働きが、この盤面を引っくり返すのさ。」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『天弓』アルク=ヴェロは、正しく『調停の盾』と呼ばれるに相応しい実力を兼ね備えていた。
ルダスから命を受けて、その姿を一月もの間消してみせた。誰にもいなくなったことを悟られず、淡々とこの時だけを待ち続けた。
いずれ来たる『不殺』ゾエの脳天に渾身の矢を撃ち抜くその瞬間を。
「・・・は?」
天高く、その矢は放たれ、滅せなければならない怨敵に届く。その矢は必中とまで謳われるほど、『天弓』の思いがままに飛んでいく。
例えどんなに遠く離れていても、あらゆる物理的法則を貫通してその矢は届く。
「見事なものね。」
撃ち抜かれた『不殺』の横で、『聖女』セレフィア=ロス=アナトリカはその腕に感心する。放たれたのはたった2撃。しかし、そのどちらも的確に生命の急所を貫いた。常人であれば一撃目で絶命だが、魔人族には何が有効か、それは個体によって様々である。
念押の脳天は、確実に貫かれ、これで『不殺』は終わりーーー
「・・・という訳には、いかないようね。」
『聖女』セレフィアは、魂の色を見ることが出来る。すなわち、魂の在処を見ることが出来る。強烈なまでに世界に愛された彼女には、世界の恩寵たる光魔法の加護を一身に受けている。
その目が、確かにその現状を物語る。
「魂が、そこにある。」
死んだら魂はその肉体から離れ、冥界へと転移される。魂の色が無くなれば、そこで生命が終わり。
「はは・・・ははは・・・痛い、痛いね。ねぇ、セレ、痛いね。
ずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるい。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
どうして・・・どうして、こんな残酷に殺さなくちゃいけないのね。ねぇ、セレ、『聖女』なんでしょ?どうして殺すのね?
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして
どうして、痛みなく間引けないのね・・・早く、早くゾエを優しく殺してよねぇぇぇ!!!」
嗤う嗤う嗤う嗤う。
ケタケタ、ケタケタ。
呪林地帯にその嗤い声が響き渡る。その嗤いとともに、セレフィアは自分の光魔法のありがたさをより一層感じ取る。
魔人族に与えられた精神汚辱の加護。無論、狼人族と一緒でその加護の使い方を理解しないまま生涯を終える者の方が多い。
しかし、残忍であればあるほど、それは種の先祖に近い。所謂、『獣返り』と呼ばれる現象である。この現象に近いしいものはよくその加護を開花させることが多い。
正しく、『不殺』ゾエはその加護の使い方を体で理解している側の魔人族である。
「正しくゾエを殺すのね!!死とは、その苦痛なく緩やかで無ければならないのね!!『天弓』アルク=ヴェロ!!お前だけは生き地獄を味わせてやるのね!!」
「そんなこと、させると思って?」
隣で暴れる魔人族を『聖女』が見逃すはずもなく、込められた光魔法が呪林地帯を照らす。そのあまりに強力な光がやがてゾエを包だす。
「殺せないのであれば、封じるのみ。」
光の檻がゾエの四方を囲い、収縮し、ゾエの体を焼く。その痛みに絶叫しながら、果敢に腕をのばしてーー
「聖は邪を封す棺」
空間ごと断絶され、『不殺』ゾエは封印される。『聖女』がその封を解かない限り、永久の時をそこで生き続ける。
空間ごと断じられ、ゾエの最後にのばした腕が空高くから大地に落ちる。
「・・・そう、そういうことね。」
ルダスがセレフィアに伝えた役割は、『不殺』を無視して呪林地帯の全ての味方を援護すること。
それを伝えられた時から、疑問はあった。
なぜ、自分の力を相手を封じることに使えないのかと。
『聖女』セレフィア=ロス=アナトリカは、世界に最も愛されたが故に、何よりも輝く光魔法を用いる。この世界中にいるどんな光魔法の使い手より、彼女の後光の方が遥かな輝きを放ち、闇を打ち消す程の聖なるオーラを纏う。
そのセレフィアは、誰かを傷つけることをよしとせず、最も使用する魔法は光による封印である。
用いる光魔法『聖は邪を封す棺』はお得意の魔法。何度もアナトリカ王国とぶつかり合っているノートス帝国からすれば、最も気をつけるべき魔法であり、その効果は絶大。かつて何度も魔将を封じ込め、戦場のバランスを大きく崩してきた。
だからこそ、この魔法を『不殺』に使うべきだと確信していた。
だが、ルダスはそれを指示しなかった。
目の前で封印された『不殺』ゾエを見る。しかし、封印する際に落とされた腕が、宙を舞いながら、地面へとおちながら、その形状を変化させる。
それは再生とは言わない。
しかし、確かにその腕には目が生え、鼻が生え、口が生え、顔となり身体が作られる。
「肉片をばら撒きながら、そのどれもが本体。全てから自分を再創造することが可能・・・なるほどね、これは一筋縄ではいかないわね。」
ルダスが指示しなかった理由は、その目で確かめられた。
「危なーいのね!!ゾエじゃなかったらもう終わってたのね!!とてつもないほどの聖魔力が込められた封印魔法なのね・・・セレ、お前嫌な奴なのね。」
「・・・そう、あなたは直系の加護者なのね。一体何千年、生きているのかしらね。」
「ゾエは特別なのね。特別故に『不殺』の地位にいるのね。」
セレフィアは黙ってゾエを見つめる。しかして、それ以上の何かをすることはない。何もせずとも、ゾエはこれ以上何も出来やしない。
何故ならーーー、
「・・・は?」
ゾエの肉体が再生している最中、再び、超速の矢がゾエの脳天を貫いたのであった。
※※※※※※※※※※※※
『悪魔』とは、この世で最も特別な魔獣である。そのオリジナルは『神獣』テュポンであり、冥界に巣食う怪物として、御伽噺の中にのみ現れる存在。
冥界には別に女主人が居るが、彼女の存在もまた、御伽噺のような存在であった。『運命』などという二つ名を与えられ、『七つの厄災』に数えられた彼女は、遂に現世にその姿を現し、正しくその暴威を振るった。
冥界から何かが現世に現れることはほとんど無く、『運命』もまた、とある盟約を結ぶまで、現世に訪れることはなかった。
しかして、『神獣』テュポンは冥界を嫌う。この大いなる獣の目的はいつだって現世への進出であるが、与えられた役割故にそれをすることを禁じられた。
そんな『神獣』テュポンが唯一、創造神に反して造り出した存在こそが、『悪魔』である。自らが通れない現世への大穴にテュポンは自分の子を3体送り出した。それが、原初である。
「ゾエはね、特別なのね。」
セレフィアはこの意味を理解した。原初たる悪魔として最も有名なのは無論、『敬神』ファナである。もう一体は、この世の何処にも記録はなく、その存在は秘匿される。
ここに、最後の一体がいるのだ。
最も『神獣』テュポンの加護を受けた魔人族がいる。
それこそが、『不殺』ゾエの正体であった。
「・・・『天弓』。それじゃあ殺せないわ。これは私じゃないとダメね。」
脳天から肉体を貫き、通常の魔人族であればすぐに死に至るところ、ゾエはまた嗤う。
ケタケタケタケタケタ
セレフィアが遂にその力を発揮する直前、ゾエの嗤い声とともに、下の方で叫び声が聞こえた。
結界を張り、彼らの援護を十分果たしたはずだった。しかして、それは突如現れる。
「どうして・・・結界の外に屍兵が・・・」
ケタケタケタケタケタケタケタ
『聖女』セレフィア=ロス=アナトリカは、世界を救済し、癒す者である。
故に、この嗤い声を無視して駆けつけなければならない。
ケタケタケタケタケタケタ
ケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタ
嗤い声と叫び声が響き渡る。
それは絶望の始まり、恐怖の始まり。
「はぁ、面白いね!!セレ!!」
悪意のない、純粋な悪意が、この森を染め上げる。『不殺』という、通常誰もが望む戒めを、ここでは呪いに染め上げる。
その呪いの根源に背を向けて、『聖女』は翔ける。何よりも、今を生きている人を救おうとするその姿こそが、彼女が求めた姿なのだから。
※※※※※※※※※※※※
「くそくそくそ!!てやんでい!!」
「なんだってんだよ・・・何が起きてんだよ!!」
戦場は混乱していた。
もはや事態は冒険者たちでは収集のつかないところまできていたのだ。
セレフィアが張った結界はとある一体の魔獣によって崩壊していた。
さらに、土壁の冒険者側には、なぜか屍兵が蔓延っていた。
屍兵に裏をかく知恵などない。彼らは所詮魂が汚染されただけの操り人形に過ぎない。求めるのは最も穢れなき魂であり、解放であり、はたまた汚染である。
そう、汚染である。
「これが『疫病』の権能・・・!!」
空から現場へと急行するセレフィアにはわかっていた。元々魂の色を見抜く力のあるセレフィアは、瞬時に敵を見た瞬間に理解する。
この呪林地帯での死亡は即ち、魂を汚染され、同じくして屍兵と化ける。
さらに宙を漂う『不殺』の目。
「相手を殺す術もなく、死んだら敵になる。敵は殺せど殺せど、『不殺』の権能により再び死に至り、再び『疫病』の権能によって汚染される。」
最悪の無限ループ。
対して、こちらの手段はあまりにも脆弱。
相手を拘束する、壁を作る、結界を張る、四肢を切断し歩行能力を削る。
死対死の戦場において、相手を殺さずに戦うというのは強者にのみ与えられた特権であり、今その術は、『聖女』セレフィア=ロス=アナトリカでさえも難しいものであった。
エルドーラであれば、魂を生かしたまま凍結させ切ることが可能であっただろう。
オフィーリアであれば、一つのズレもなく四肢を切断しただろう。
ルダスであれば、こちらの知らない何かで無力化を図っただろう。
残念ながら、いまの『聖女』には対抗する術がない。
『聖女』セレフィアの持つ光魔法は、何をも浄化する光である。それは魂を冥界へと還す導きの光。不浄を許さぬ聖なる断罪。
ここにおいてそれは、魂の有無を死の定義とする『不殺』の権能の対象である。
さらに、『聖女』が与えられた権能は、自分にのみその恩恵を示し、他者には一切の効力がない。そもそも常時発動型の権能であるため、使っていないかと言われれば使っているのだが、この場においては役にも立たない。
「極めつけはあれね。」
結界を破壊した魔獣がいる。
それは、呪林地帯において頂点に位置する魔獣であり、その存在は世界的に有名な恐怖の象徴。
「悪いことすればディスコルディアに襲われるってね。本当に勘弁して欲しいわ。」
『魔瘴樹骸』ディスコルディアが遂にその姿を現す。この大地が呪いに侵されはや千年。一身にその呪いを受け続けたかつての大地の守護者の成れの果て。
死を誘うはその姿そのもの。
「冥界の神獣の加護を受けてもないのに、精神汚染の特攻付きとはね。私の魔法がなかったらとっくに全然は崩壊、この戦いに決着すら付いていたかもしれない。」
故に、ルダスは『聖女』をここに配置した。
何者にも穢されぬその光の在り方こそが、この呪林地帯の特攻であるが故に。
天を舞った『聖女』は遂に大地に足をおろし、全ての冒険者たちと、屍兵の間に立つ。
目の前では進行を続ける屍兵の群れ、背後には穢れが伝染したかつての仲間の姿をした屍兵が混乱を招く。
戦況は混乱、立て直しも困難。
それでも、彼女がそこに立つだけで、誰の心にも光は宿る。
「ここにいる全ての冒険者よ。私の声に耳を貸しなさい。」
鈴の音の声がした。
その美しい声にすら、光魔法が加護し、全ての冒険者の心の乱れを正す。
「私は『聖女』セレフィア=ロス=アナトリカ。この世全ての光の女王。この世全ての闇を浄化する使徒。」
光魔法が、冒険者全てを包み込む。一人一人に再度光を付与し、それが呪いから心を守る鎧となる。心拍は落ち着き、全ての混乱を鎮火。
背後の屍兵はその光に苦しみ、救いを求め、その場に蹲る。地面から這い出でる光の鎖が、優しく屍兵を包み込む。
「救います。力を貸しなさい。」
その行いは、冒険者たちの心を掴む。それは光魔法によるものでは無い、彼女の在り方そのものが彼らの信を得た。
先刻まで生きて肩を組んだ友が、『不殺』の権能により殺され、『疫病』の権能により魂を穢された。彼らには、その友を殺せない。例え、『不殺』が居なかったとしても、彼らには友を殺せない。
故にこそ、救うというその行為を、彼らは信じるのだ。
「聖雪天衣・護神天鎧」
一度かけた魔法をさらに上回る高度魔法を短文詠唱により、全ての冒険者に付与する。
セレフィアは彼らの力無しではこの状況を打開出来ないと判断。故に防御力に性能を振り分け、耐えることを強制する。
「私の声を聞きなさい、この大地に縛られし魂たちよ。天母の唄」
それは大地全てへ伝える光魔法の加護。呪われた大地に、その光が行き渡る。
屍兵はその場で苦しみだし、救いを求めるーー否、そう上手くも行かない。
「・・・そう、あなたたちの魂は望んでここに居るのね。」
それでも、セレフィアは大地全てにかける光魔法を止めなかった。それだけで、彼らの動きは鈍くなる。
だが、押し寄せる屍兵の群れをそれだけで抑え切れる訳ではなかった。既に冒険者たちの元へ押し寄せる。光魔法でこの大地にかけられる呪いの効果はほとんどなく、冒険者たちは全力で各々の属性の壁を作り出す。
「殺さずにぶっ飛ばせ!!」
「『聖女』様の加護があるうちに押し返せ!!」
『不殺』による縛り、『疫病』による恐怖の伝染。それはこの戦いにおいて最悪の組み合わせである。殺してもすぐ魂は呼び戻される屍兵にとって、これ以上の後押しはない。それを数千という単位で隠し持っていた『疫病』の頭脳戦の勝利である。
しかし、『聖女』はその恐怖の伝染を光魔法によって打ち消す。
もはや冒険者たちの戦意が折れることはないだろう。
「この化け物さえ、どうにかしないとね。」
『聖女』の光魔法をもろともせず、そこには表情の一つも動かさず、仁王立ちする怪物の姿があった。
表情というものが、そもそも無いのだと錯覚していた。よくある現象だ、3つの点があるだけで顔に見えるという現象。あの怪物はその類であり、元は大地に生える一本の木だったのだから。
しかし、違った。
それは、嗤った。
『聖女』だからこそ、その嗤い顔の恐怖が伝染しなかった。だが、他のものは違った。
突如として、セレフィアの背後にいる冒険者の前線が崩壊したのだ。何もせずとも、彼らは大地にうつ伏せとなり、動かなくなってしまった故に。
※※※※※※※※※※※※※
音もなく崩れ落ちる冒険者たち。彼らが最後に見た光景は一緒だった。
目の前いっぱいに広がる恐怖の嗤い。眼前にその闇は広がり、精神を汚染して、恐怖は伝染される。
「・・・!!私の光を上回って・・・!!」
セレフィアは相手の力量を測り違えた。
たしかに『魔瘴樹骸』ディスコルディアは魔獣の中では飛び抜けて強い方である。最上級と言われる竜系統の魔獣や、モナクシアと名のつく魔獣、北の帝国に蔓延る悪魔、忘れられた大地を彷徨く樹木、冥界の影たち。
それらと肩を並べるかそれ以上の存在である。子どもたちを叱りつける時に使われるほどの恐怖の対象。
しかして、相手はあの『聖女』であった。
この世で最も世界から愛された女性であり、誰よりも祝福を受け、誰よりも眩い光を持つ。
油断ではない。そもそも当然なのだ。
『聖女』が授けた祝福を、たかが一魔獣が恐怖で塗り替えるなど、できることでは無い。
「・・・まさか、権能!!」
それはこの呪林大地において、全くの想定外であったこと。ルダスが危惧した最悪の展開。
権能とは願いである。
呪いの王の、願いとはーーー
嗤った。
それだけだった。
耐性がなかった訳ではない。彼らは何世代にもわたってこの呪林地帯でその腕をふるった猛者なのだ。しかし、それは残念ながら、無邪気な呪いの王にとっては短い時であった。
『聖女』の背後の壁は崩れ落ち、冒険者たちは地面に次々と泡を吹いて倒れていく。この大地と戦い続けた戦士の糸が切れていく。
そして、彼らはーーー
「だめ!!待ちなさい!!」
屍兵の群れの中へと消えていった。
ここで防衛戦を築いていた全ての冒険者たちは、その身を大地に埋めたのであった。




