第1章12話 決壊
「すまないイロアスくん!気付かれた!」
「同じ熊だからか?」
「さすがはモナクシアの名を冠するだけあるね。僕の聴覚を上回ってくるなんて。」
「まぁ、せっかくの機会だし、腕試しってやつしようか。」
※※※※※※※※※※※
目の前に広がる光景に、腹が立つ。
自分の数倍の巨躯な肉体をもつモナクシアベアの死体。その死体は焼けこげており、顎骨があり得ない角度になっている。
その巨大な死体の上に、熊の耳を持つ亜人と、昨日会った無礼な臆病者の姿があった。
ーー「また逃げるのかぁ。」
その言葉が頭から離れない。それだけで心底腹が立っているのに、転移してきた先は臆病者と罵った男の元。
逃げた先は臆病者の元。この事実から、リアは認めたくない言葉が頭に浮かぶ。それを嫌悪し、思わず口からこぼれる。
「アタシは、臆病者じゃない!!」
アタシは、こいつと・・・あの人と一緒じゃない。一緒なわけがない。
「・・・失礼ながら、リアさん。なぜここにいらっしゃるのです?」
「・・・ここはどこ。正確な場所を言いなさい。」
「ここは結界の最奥から少し左に逸れた場所です。」
「そう。」
リアは頭に描いている地図を展開し、鬼との正確な距離を図ろうと試みる。
「なぁ、ミューズの質問にも答えろよ。」
冷静な分析にノイズが走る。
「うるさい!あんたは黙ってて!」
怒りが収まらない。感情をコントロールできない。こんな臆病者に構ってる場合ではない。すぐにでも移動しないと、鬼がこちらにきてしまう。フェウゴ=ヴァサニスがどれほど生き延びるかになんて賭けてられない。
「逃げてきたんだろ。そんなに感情が荒ぶって、怖い思いでもしたみたいだよ。」
「うるさいわね!臆病者は黙ってなさい!」
この臆病者のせいで、思考が乱される。腹が立つ。
「・・・!イロアスくん、何か来る、ものすごい速さだ。足音からして2人。」
「逃げるぞ!」
ーー「また、逃げるのかぁ」
違う。これは試験よ。鬼から逃げることがこの試験なの。これは逃げであって逃げじゃない。そう、そうなのよ。これは逃げじゃない。
※※※※※※※※※※※
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!も、もう勘弁してくださいぃぃぃ!!」
「すごいスピードだね、それに危機回避能力が異常だね。面白い!」
泣きじゃくりながら逃げ続けるフェウゴと、楽しそうに愉悦に浸りながら追いかけるエナ。2人はついに結界の最奥まで辿り着く。
フェウゴがリアに見捨てられ、わずか数分であるが、フェウゴは一切の魔法を使わずにエナから逃げ切っていた。彼のビビリな性格は、確実な実力差を見抜ける力と言っていい。
魔法を使ったところで、エナには数秒の足止めにもならないことを見抜いていた。そして、エナの不気味な歩行法のからくりも恐らくは見抜いている。
この観察眼は実に面白い。しばらくは彼から目が離せないだろうと確信したその最中。
追い詰められたフェウゴの近くにあるものに、エナは眼を引いた。
焼き焦げたモナクシアベアの死体。見るからにまだ新しい焼死体。複数箇所、殴られたような凹みも見られる。
モナクシアベアは決して弱くない。捕まえた受験生のほとんどは苦戦を強いられるだろう。しかし、これは圧倒的に倒されている。モナクシアベアに一切の反撃を許さなかったであろうと推測される。
ーーまだ面白いやつがいる。
「試験開始45分経過。脱落者計68名。残り人数33名。」
上空から聞こえるアナウンスの声。それを聞いたエナは、笑った。
15分間、一人も捕まえていない。
面白いやつが何人かいる。そいつらが僕を相手に15分もの間凌ぎ切った。
そいつらのために時間を使いたい、強い奴のために時間を使いたい。残りの75分間はそいつらのためにあると言ってもいい。ならば、一旦他の有象無象を片付けようか。
「君、また会おうね。」
エナの気紛れにより、フェウゴは命拾いする。結界の最奥まで来たということは、逃げ道が限定されるということ。このままエナが追いかけていたら、フェウゴは捕まっていただろう。
「い、命拾いした・・・」
そして、また別なところで、命拾いをした集団があった。
エナは確実に気づいていた。この魔獣を殺した犯人の居場所を。焼け具合から判断して未だ遠くまで行っていないことは明々白々。
エナが本気を出せばすぐさま見つかってしまうだろう。しかしエナはそうしなかった。
正直言って、エナはこの試験を暇潰しとしか思っていない。与えられた地位の仕事を一応こなす。それだけだと思っていた。そんな中、自分の想像以上に面白いやつばかりに出会ってしまった。
見逃そう。そして最後に頂こう。
「楽しみは最後までとっておかないと。」
逆に言えば、エナにそう思わせたことこそが、一旦は彼らの勝利と言っていいだろう。
例え本人が、そう思ってはいなくとも。
※※※※※※※※※※※
「行ったみたいだね。」
「案外視野狭いのか。」
ばか言いなさい。見逃されたに決まってるでしょ。あれほどの実力者が気づかないわけがない。そう、見逃されたのよ。アタシ達は、眼中にすらなかったのよ。
そうとも知らずに、能天気な間抜けたちね。
「ずいぶん元気なくなったね、お嬢様。」
「つくづくうるさい、臆病者はよく吠えるものね。」
「何があった?」
「別に、鬼から逃げてただけよ。」
落ち着いたその中、ミューズがさっきは遮られてしまった質問を再びする。
「僕たちに何か仕掛けたのですか。」
うるさい。本当にイラつく。臆病者に加えて、亜人までいるなんて、最悪なエンカウントよ。
「どういうこと?ミューズ。」
「あれは間違いなく炎魔法による転移だ。炎魔法による転移はプラグマ家当主の『灼熱』様が得意とする魔法だよ。でもそれにはあらかじめポイントを設定しなければならない。恐らく、僕に仕掛けられたものだね。あなたがくる直前に少しばかりの熱を感じた。」
「そう、さすが亜人、触覚が敏感なのね。そうよ、私は受験生全てに炎魔法を仕掛けています。さっきは範囲内に一人反応がーー」
言葉に出して、初めて疑問を抱く。
一人・・・一人ですって?
リアはある事実に気づく。転移の範囲内は確実に一人だった。それなのに、今ここにいるのは、亜人と臆病者の2人。そして亜人の言葉から察するに、転移先はこの亜人。
臆病者がポイントとして設定されていない・・・?
ならば事実は一つである。しかしそれは、リアからすれば許されざる行いであった。
臆病者が、アタシの魔法を解いた。
「答えなさい!臆病者!あなた、アタシの仕掛けに気づいていたわね!」
リアは認められなかった。この臆病者に、自分の仕掛けが気づかれたなど、恥でしかない。怒りしかない。
その衝動から、リアはイロアスの胸ぐらを掴んで問い詰めた。
「ちょっと待った、なんのこと言ってんだよ!仕掛けってなんだよ!」
「バカにするのも大概にしなさい!あなたって人は、本当にどこまでアタシの気に触れれば気が済むのよ!」
今にも涙を流しそうな潤った眼で問い詰められたイロアスは、その眼を直視できなかった。目線は次第に下がり、その先にある物に気づく。
「お前・・・その剣は・・・」
リアは臆病者の胸ぐらを乱暴に離した。指摘された腰の剣に触れ、歯を食いしばり、その剣を臆病者に向かって投げ捨てた。そしてその勢いのまま感情のこもった足取りで、亜人と臆病者という最悪のコンビと離れる。
その後ろ姿を見て、イロアスとミューズも追いかけはしなかった。
こうしてリアが2人から離れて数分経った後、上空からアナウンスが鳴り響く。
「試験開始60分経過。脱落者計82名。残り人数19名。」
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「オルのやつ、遅いわね。」
結界の外で異変を察知したオルが調査しに行ってから、30分が経とうとしていた。先ほどのアナウンスで、試験が残り半分を切ったことが知らされた。
次々送られてくる受験生は悔しそうに地面と睨めっこしていたり、森の中を眺めていたりしていて、とても声をかけられる状態じゃない。ウチはこの巨大な結界の魔法陣のせいで動けないから、話し相手が欲しいのに。
「早く戻ってこいよ、オルのやつ。」
異変のあった方からはもう大きな音はしない。安全を確保したならば、すぐ戻ってくるはずなのに・・・。
「もしかして、何かあったのか?」
「そうっすね、もしかしたらもう死んでるかもしれないっすよ?」
背後から聞こえる声に、悍ましさを感じた。その一瞬で、ゼモニコスは自分の周囲に結界を張る。反射的に自身に結界を張るほど、不気味で悍ましい声は、凍結した建造物が立ち並ぶ東の方向から現れた男から発せられるものだった。
現在騎士団と受験生を除いて、この島には誰もいるはずがない。いたとしたら、それは敵である。
「いやぁ奇襲をかけようとしたんすけど、あんた相手となるとそうはいかないと思って思わず話しかけちゃいやした。えへへ。」
こちらの意を全く介さないでチャラそうに話す男の格好は、白い仮面に、一つ目が描かれている。
その紋章は、世界に名指しで危険扱いされる組織の紋章。
「『単眼の死角』・・・!?」
「あら、自己紹介はいらないみたいっすね。どうも、『単眼の死角』首領ーー『暗影』ミストフォロウっす。初めまして、『剛晶』ゼモニコス=ポルタさん。じゃあ挨拶はこの辺で、お命頂戴な。」
ご丁寧な挨拶にしては、物騒な言葉が並ぶ。邪悪な気配を醸し出すこの男、ミストフォロウは誰もが知っている。
S級の犯罪者、『単眼の死角』。暗殺を稼業とする最悪の組織。いつどこで誰の差金で動いているのか、その全てが謎に包まれている。
「狙いはウチかい?」
「まぁ、結界さえ解いてくれるなら殺す必要はないんすけど、そうはいかないっすよね?」
そのヘラヘラとした言い方から、本来の狙いは別にあることを察する。
ゼモニコスの一瞬の考察の隙を狙って、薄ら笑いを浮かべた顔がすぐそばまで歩み寄っていた。雷を纏った強烈な一撃がゼモニコスの結界にひびを入れた。
彼女の結界術は、間違いなく王国の3本指に入る。その結界にひびを入れるほどの蹴り。彼女は密かに眉を寄せる。
「バカでかい結界を張りながらも、この強度とは恐れ入るっす。」
「あんたを閉じ込める結界は今張れそうにないから、ここで殺すことにするよ。」
異変を察知し、近くにいる騎士団が続々とゼモニコスのもとに集まる。複数の騎士団員が怯える受験生の守護に入る。
「あらあら、怖いっすね。団長と副団長が不在でもここまで統制が取れるなんて、さすがはかの有名なゼモニコス=ポルタさんっすね。でも、あまりに多勢に無勢なんで、こちらも仲間を呼びましょうかね。」
その言葉と共に、同じ一つ目の仮面を被った軍団がミストフォロウの背後から出てくる。
「じゃあ、やり合いましょうか。時間もないみたいっすから。」
「お前ら、全員生きて返すな。ウチらの大将の出番を無くしちまいな。」
騎士団vs『単眼の死角』。その中でも、各組織を率いるゼモニコスとミストフォロウの戦いは熾烈を極める。
守りと攻め。幾度となく圧倒的に攻め続けるミストフォロウに対し、微動だにせず結界によって攻撃を防ぎきるゼモニコス。雷を纏った脚でミストフォロウによって何度も割られる結界をすぐさま張り直す。
「本当に厄介すぎるんすよね、この結界。強度は弱くなってるんすけどねぇ。」
「なぁ、ウチが守りだけの女と思ってないかい?」
攻めあぐね、立ち止まるミストフォロウの下からガラスの棘が咲く。上空を飛ぶことによって間一髪回避する。
ポルタ家は確かに守護の家系として世界に名を馳せるアナトリカ王国の十大貴族の一つである。ポルタ家相伝の結界は、土魔法を応用した高度な魔法である。
それはつまり、ポルタ家は土魔法を得意とする一族であることに直結する。それはもちろん攻撃魔法を含めての話である。
そこに地面あるかぎり、その全てが攻撃範囲。尚且つ自身は強固な結界の中。
「はぁ、本当にだるいっすね。時間をかけるわけにもいかないんで、すいませんがこうさせてもらうっす。」
だが、それはあくまで戦闘に於いての話である。目的が殺害ならば、ミストフォロウはゼモニコスをこの上なくやりづらい相手として捉えていただろう。
ミストフォロウが向かった先は、騎士団の指示に従い、まとまっていた受験生の群れ。
受験生は、未熟だ。確かにこの島に来た時点で、何百といた中からは肝が据わった選りすぐりの秀才たちであろう。エナの揺さぶりに屈せず、生半可な者たちは排除された。彼らはここまで、覚悟を持ってきたのだ。
しかし、それは妄想の中の話。現実は残酷で、待ったはない。
彼らの目の前にはS級の犯罪組織『単眼の死角』。眼前で繰り返されるは騎士団との死闘。彼らが想定してきた世界とは一線をかく、本気の命のやり取り。
故に怯え、竦み、狼狽える。訓練など所詮は訓練、妄想は妄想、夢は夢、理想は理想なのだ。
その脆弱な群れに向かって、人の命を奪い続けた手慣れた手つきで暗器を放つ。
死は、迷いなくその首元をなでる。
だが、それは届かなかった。
まさに間一髪、ゼモニコスの結界が間に合う。弱気を守るその騎士道は決して間違っていない。しかし、そのわずかな結界を張る時間さえ、強者同士の戦いでは隙と呼べる。
その騎士道がミストフォロウに自由を許した。受験生に気を取られ、自信を守るための結界が間に合わなかったゼモニコスの懐に入り込んだ。
結界を壊すほどの雷を纏った渾身の一撃が、ゼモニコスに衝撃を与える。
死守していた魔法陣の上から、吹き飛ばされる。
森林を覆うこの巨大な結界は、自身が魔法陣の上から動かないことを制約とした大魔法。その上には現在無人であり、術者は近くにいない。
それが意味する答えはただ一つ。
結界の、無力化である。
ミストフォロウは入念に描かれた魔法陣を消し、騎士団と戦っている仲間を置いて単独でビザル森林内部に侵入する。
「とりあえずは、第一任務クリアっすね。」
そして、異変はすぐに伝染する。
ーービザル森林内部にて
「んー、緊急事態かなぁ?ゼモニコスが結界を解除されたってことは、相当の手だれか。」
ーービザル森林東部にて
「おい、桃髪。これはどういうことだ。」
「サンに聞かれても知らない・・・でも、異常事態に違いない・・・」
ーービザル森林西部にて
「ひ、ひえぇぇぇぇ!!な、何が起こってるんですかぁぁぁ!」
ーービザル森林奥地にて
「結界が・・・消えた?ミューズ、これは一体どういうことだと思う。」
「いや、ありえない・・・ポルタ家の結界だよ。結界外で何かが起こってるんだ。なんたってここは何が起こるかわからない永久凍土スクピディアだよ。」
「・・・なんか聞こえないか、ミューズ。」
「これは・・・魔獣の声?東からだ。」
ーービザル森林上空にて
「ちょっと、蝙蝠ちゃんたち!どこいくのよ!」
上空をゆらゆらと一緒に飛んでいた仲間が東部に移動している。そのいく先を見ると、そこには、あまりにもありえない光景が待っていた。
「嘘でしょ・・・魔獣が、あんなにも違う種の魔獣が群れをなすなんてありえない!」
全ての場所で、混乱に落ちる。
それを天災は待ってはくれない。スクピディア中の魔獣が、群れをなし、ビザル森林に向かって進行している。到着まで、およそ10分。
しかしそれは、懸命に引き延ばされた時間であった。
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「結界の破壊と同時に魔獣をぶち込みたかったんだけどなぁ。君が無駄に頑張ってくれたせいだよぉ。」
魔獣が進行してきた東部方面の奥地。魔獣発生の現場とも言える場所には、一人の男が魔獣の軍に対して立ち塞がり、その周囲には何十体もの魔獣の死体が転がり、山をなしている。それでもあまりに多くの魔獣が続々と進行し続けている。
その男が最前線で魔獣と戦っていたおかげで、この進軍は10分もの遅延を発生してしまった。
それに多少ばかりの苛つきを感じた男が、ついにその男の前に立つ。
余興と思って高みの見物を決め込んでいたが、この男の力量を見誤った。魔力量は大したことないのにも関わらず、進軍を抑えるほどの力。
「余興の道化と思って放っておいたのに、ちょっと調子に乗っちゃったねぇ。」
「・・・その紺碧の眼。知っているでござるよ、『魔王』。」
「覚えてもらっても構わないけど、僕は君を覚えるつもりはないからねぇ。ここで屍を晒せぇ。」




