第3章57話 リディア=エフェソス
エフェソス家には、代々必ず受け継がれてきた手記がある。
それは、千年間絶えず受け継がれてきた意志であり、願いであった。
たった一人の願い。
血より濃い魂の願い。
この世界に生まれ落ちた双生の幸せを願った、マリエラ=エフェソスの手記である。
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深く深く、大剣は主君を貫いた。
主君から賜った大剣で、主君を貫いた。
だが、それは兼ねてからの願いであり、兼ねてからの想いであり、何よりも主君からの頼みであった。
「お前には・・・迷惑ばかりかける・・・」
「何をおっしゃいますか。私は、そのために居るのです。」
大剣は確かにマギアの体を貫いているが、流血もなければ痛みもない。
リディアの権能『繋ぎ斬る鋏』は、斬りたいものだけを斬る権能。
それは概念でも良く、その時にリディアが望んだものを斬る。
リディアがマギアの胸を貫いた時、王朝中を満たしていた暴走する『厄災』の魔力は一瞬にして消え去った。
「アルテミア様・・・!!」
必死に光魔法で対抗していたサンがアルテミアにすぐ近寄る。
それを背後に、残る最後の敵である狂人に注視するダスカロイ。
「勘弁してくれや、ここまで大それたことして手土産1つとか・・・まぁ、しゃーなしか。王もずーっと足止めされとるし、俺っちのせいじゃないねんな。」
中身のない薄っぺらい言い訳をした後に、クレイブはその背中に力を入れて、真っ黒い翼を出す。羽ばたく音は聞くものを不快にさせた。
「おめでとう王朝諸君。この戦はヌシらの勝利や。だがヌシらが感謝せなアカンのは今も遠い遠いあの砂漠から俺っちに殺意を向けてるイカれた『冠冷』や。」
最早戦場の余波は気にならなくなったが、どう考えても神話級の戦いが革命軍本部の奥で繰り広げられている。それなのに、こっちにまで気を配り続けているのは流石を超えて、化け物と言わざるを得ない。
「ほんじゃ、帰るわ。王もそろそろ帰りそうやし・・・それに、まぁ、絶対に一番回収したかったものは回収できたんや。」
「・・・『厄災の箱』の在処は、君たちは既に知っているものだと思ってたよ。」
「こっちにも色々あるねん。そもそも、『厄災』同士は別に味方っちゅーわけじゃないやんか。ただの利害の一致や。」
最後に睨み合い、クレイブは笑って嗤って、その場を後にした。
遥か向こうの戦いの余波も届かなくなり、その戦場も決着した。
未だに嗤い声が王朝に轟く。
その殺意を覚えるような不気味な声よりも、この場で消えようとしている命に、誰もが目を向ける。
「リディア・・・」
そこには、マギアの頭を膝に乗せて、大剣を胸から抜き捨て、優しく頭を撫でる母の姿があった。
その髪は風に流され、徐々に弱くなる魔力と共に、色鮮やかな金は落ち、誰の目を留めるような美しい紫色の髪色が靡いていた。
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勘違いして欲しくないのは、私が血に囚われて主君に付いて行ってるって思われることかしら。
その手記を見たのは、幼少の頃だった。何歳かは忘れたけど、とても小さかったのを覚えてる。
だからかもしれないけど、手記を読んだ時、涙が止まらなかった。あまりにも悲しいお話で、あまりにも救われない話だったから。
生涯をかけて仕えた双生の幸福を願って、その手記は千年の時を超えた。
傍から見れば、それは血の呪いだの、生き方を決め打ちされる洗脳だの、騒ぎ立てる人もいるだろう。
しかし、エフェソス家にそれを呪いだとか洗脳だとか思う人は一人たりとも居なかった。
だってそうでしょ?
世界よりも妹の幸せを願って奔走する兄を見れば、誰でも支えたいと思うものじゃない。
例え、『厄災』の一つに名を連ねたとしても、それは誰もが想う愛の一つ。素敵な物語だと、そう思ってしまう。
「マリエラ=エフェソス・・・貴方は、母だったのですね。」
そうして、偉大な先祖マリエラに倣い、リディアは2人の母として、或いは従者として生きていくことを決めた。
決して手記に唆された訳では無い。
決して洗脳を受けた訳じゃない。
自分で決めた道なのだ。
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醜く汚く卑劣で卑怯なボラデルカを殺して、マリエラはエフェソス家の地位を手に入れた。この貴族の地位を磐石なものとした。
光魔法を発現させ、その力を代々残してきた。
紫色の髪を魔法で金髪に染めあげた。
主君のために、その戦力を増やすために、亜人を外に逃がした。奴隷を解放した。
「当代として、私も準備を怠ってはならないわね。」
その意気は、世界中が知っているとある予言も関係していた。
予言の通りであれば、今はあの世界大戦から千年経った世界である。
「東の空に落ちた光は、偶然なんかじゃないわね。」
時は近い。
それは、主君が王朝を滅ぼすのが先か、光の子が現代を駆け巡り『厄災』を打ち倒すのが先か。
兎にも角にも、リディアは歴史に習って奴隷を解放し、その戦力を磐石なものに築く必要があった。
たまに結界の外に出たりして、亜人にも気をかける。
貴族に影で天誅を下し、その奴隷を解放する。
類稀なる才能を持つ者たちを見つけては、主君のために力添えをお願いした。
『暴獣』『彗星』『紫電』はその例である。
さらに何人かの奴隷もエフェソス家に恩があると思い、同じ志を持ってエフェソス家に仕えた。
そんな中、一人だけ不思議な力を持つ女性と出会った。
「長い間謎に包まれていた革命軍の副官が、まさか内部にいたなんてね。これも灯台の導きかしら。」
その女性はトリア。
家名は捨てたと、そう言った。
「私の家名なんて無くたっていいのよ。私は、役目を放棄してしまったから。」
「役目?あなたはさっきから何を言ってるの?」
「ねぇ、探して欲しい奴隷の子供がいるの。一緒に探してくれない?」
「会話が成立してないわね。」
「私は役目を放棄してしまったけど、その子にはしっかりと継いでしまった。継ぐ気なんてなかったのに。あの子を解放しないと、いつか来る終わりの日のために。」
「はぁ、何を言ってるかわからないわね。あなたの言葉は予言みたい。」
「予言ね・・・まぁ、あながち間違いでは無いかしら。」
不思議な女性だったが、リディアは彼女のことを気に入った。
何故ならば、彼女は子どもを等しく愛していたから。
解放した奴隷は子どもが多かった。それはリディアーーいや、エフェソス家が継いできた優しさからだろう。双生を面倒見てきたマリエラの血縁者が子どもに優しくしないなど有り得なかった。
「・・・もしかして、あなたが探してるのは自分の子どもなんて言わないでしょうね。」
「あら、正解よ。」
「トリア、あなたは奴隷の身で子どもを産んだの?」
「そうよ。」
「・・・そう、酷い目にあったものね。」
「いいえ、望んで産んだわ。夫も愛していたわよ。奴隷の身分でも、私には子を成す必要があった。それが私の果たした最後の役目であり、すなわち、放棄した結果。」
「役目とやらから逃げるために、子どもを産んだの。」
「半分は、その気持ちもあったわ。でも、もう半分は違う。灯台がそう導いた。私の子どもが、世界の救済を担う者だと。」
「また予言・・・!!そんなもので、子どもを蔑ろにしないで!!」
「あら、あなたが予言に怒る資格はなくってよ?」
「私は予言なんて信じてないわ。」
「予言に従えば、主君が負けるからかしら?」
「それ以上は怒るわよ。」
「でもねリディア、あなたは予言を信じてる。だって、あなたが誰よりも、あの人が救われて欲しいと願っているから。」
その言葉に、リディアは沈黙してしまった。
それがなんとも、リディアの真理をついた言葉であったから。
「まぁそれでも、予言に逆らって役目を持ち続けることもできた。それは事実。あの子には、あまりにも重荷を背負わせてしまったから、一緒に生きてあげたいのよ。」
「・・・同情はしないわよ。」
「そうね、でも理解はしてくれている。ねぇ、お願いがあるんだけど、いいかしら?」
「何よ、ろくな事じゃ無さそうだけど。」
「あのね、ーーーーー 」
「はぁ!?それはあなたの責務でしょ!!」
「そう言いつつも、あなたは結局みてくれるもの。それも貴方の素敵なところよ、リディア。」
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最後にトリアの生きている姿を見たのは、リディアとトリアが2人で計画した子どもの奴隷の解放戦線の際だった。
無作為に、子どもの奴隷を掻き集めた。
その中に、遂にはトリアの探し求めていた子どもがいた。
最初は歓喜に満ちていた。主君も全力で援護することを約束し、幹部たちもあの厄介な『大将軍』を抑えることを約束してくれた。
作戦が上手くいけば、革命軍にとって、トリアにとって、何よりも良い結果になる。
ーーー作戦が、上手くいけば。
「トリア!!トリア!!目を覚ましてよ!!」
彼女は、遂に見つけた自分の子どもを庇って死んだ。
子どもの奴隷を解放するために2人で決めた作戦だったのに。
そしてリディアが密かに計画した、トリアと、トリアの子どもを2人で脱出させる算段も破壊された。
死体を革命軍まで持ち帰って、死体の傍で泣き喚いた。こんなにも涙を流したのはいつぶりだろうか。
泣き顔でくしゃくしゃになるリディアを、トリアは笑っていた。何も話さず、何も反応せず、ただリディアに感謝を伝えるように、優しく笑っていたのだ。
「トリア・・・私が、あなたの分まで・・・!!」
それから、あの解放戦線で消えた子どもを探し回った。
絶対に、探さなきゃいけなかった。
初めて会った時から、存在感が薄い子だと思っていたが、発現した魔法を考えると納得がいく、寧ろ恐ろしい才能だとさえも思う。
自分の感知魔法を最大限まで引っ張りあげて、何日も何日もあの子を探し回った。
そしてついに、砂漠の中彷徨う子どもを見つけた。
何とも哀しい目をしているのか。
それもそうだろう、初めて優しくされた人が目の前で死んでしまったのだから。
それに、この子にはそれが誰かわかっていない。
トリアは、自分の子どもだと名乗らなかった。
「・・・あの人は、誰なの・・・教えてよ。」
私に殺意と憎しみを向けながら、この子は私に問いかける。
作戦の立案者だ、王朝の貴族のように振舞った、あの人を死なせてしまった本人だ。何よりも、憎いはずであろうに、この子はその感情よりも答えを欲した。
それでも、答える訳にはいなかった。
役目とやらを放棄した自分への罰か、何が彼女をそうさせたのかはわからない。それでも、彼女はこの子に自分が母だと名乗らなかった。
「あの人はーーーあの人は、あなたを気にかけてくれていたただの奴隷よ。あなたの事を愛していた、ただの奴隷よ。」
本当の母親を知らないで生きてきた子、愛を知らない子。
でも、あなたは誰よりも愛されている。
名乗らなかった母がいるのだ。あなたを誰よりも想った母がいるのだ。
「あのね、あなたが母親になってくれない?」
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光魔法が解けて、金髪は紫色に変わり風に揺られて靡く。
膝の上に頭を乗せるマギアは、まるで子どもに戻ったかのように、千年前の記憶を遡り走り、優しく瞳を閉じる。
静かになった戦場に漂う霧が薄くなり、その中からサンがアルテミアを抱えて、ゆっくりと歩み寄る。
アルテミアは気を失って瞳を閉じて、何かを話すことはなかった。
「サン、アルテミア様をありがとう。」
何よりも優しい声で、リディアはサンに語りかけた。
「その紫色の綺麗な髪・・・」
「サン、アルテミア様を連れてこっちへいらっしゃい。」
そう言うと、サンはリディアと目を合わせて、アルテミアを担いだままリディアの元まで歩き出した。
「アルテミア様も、私の膝上に。」
言葉どおりに従うサン。
アルテミアをリディアの膝の上に乗せて、自分離れようとする。
それを、リディアが抱き寄せた。
「貴方もよ。ここに居なさい。」
サンは、その優しい言葉を知っていた。
「・・・リディア・・・いなくなっちゃうの・・・?」
サンの瞳から、涙がこぼれる。
リディアは涙を優しく撫でるように、サンの頬に手を当てた。
「今ここに主君とアルテミア様がいるのはあなたのおかげ。本当に立派な子。私の自慢の娘。」
サンは、泣き叫んだ。
それは、静かな戦場に響き渡り、誰よりも、何よりも悲しく愛おしく、誰の耳にも届いた。
「・・・イロアスはいるかしら。」
泣き叫ぶサンを抱きしめながら、リディアは落ち着いた優しい声で辺りに声をかけた。
ただただこの光景を黙って見ていたイロアスが、足を引きずりながら前に出る。
「イロアス、あなたに託します。」
「俺は・・・あんたを救えなかった。」
「いいえ、救われたわ。見なさい今の私を。誰よりも幸福に満ちているでしょう?」
ここにいる誰もが、理解していた。
誰よりも幸福に満ちていながら、リディアは誰よりも死に近い。
最早、その命に猶予などないことは、誰もが理解している。
「生きてて、欲しかったよ。」
「それを望むのであれば、あなたはまだまだ強くなる。これから先、あなたが強くなっていく過程で救える者、救えない者、救いたいと思えない者、救われたいと思わない者、何よりもあなたが救えなかったと思っても救われたと思う者、そんな人ばかり出会うでしょう。」
「その時、あなただけは折れてはいけない。全てを救いたいと願うのであれば、例えその結果が望むものでなかったとしても、あなたが折れてしまえば救ってきた全ての者もまた折れる。」
「『英雄』とは、そういうものよ。その覇道を進むと決めたのであれば、振り返らずに前を向きなさい。それだけで、あなたは幾人をも救うのよ。」
イロアスは、ただその言葉を心に刻むかのように、黙って聞き、黙って瞳で答えた。
その答えに満足したかのように、リディアは優しく微笑んだ。
サンを抱きしめ、アルテミアを寝かしつけ、マギアの傷を優しく撫でる。
「アーロン坊ちゃん、アルテミアお嬢様、そしてサン。」
弱く、優しく、か細く、その麗しい声は懐かしい呼び名を混ぜながら、3人に声をかけてーーー
「愛してるわ。」
トリア、私には3人の子どもがいるのよ。
何よりも愛おしい、3人の子どもが。
そうして、一人の母の願いは満たされた。
生涯を3人の子どもに費やした、血の繋がりのない母親の物語は、幸福に満たされてその幕を閉じたのだった。




