第1章10話 鬼ごっこ
イロアスとミューズは入り口からまっすぐ、結界の端を目指して歩みを進めていた。基本的には木の上をとび、凍った地面を踏まないようにしている。
この凍った地面は意外に脆く、走ると氷が割れて足跡がついてしまう。鬼ごっこでそれは不利になる。
孤児院の鬼ごっこでイロアスは学んでいる。鬼は逃げる者の足跡から判断する。そしてそれは木の上も一緒だった。
この木も踏むと足跡が残ってしまうが、地面に残すよりもはるかにマシであるとイロアスとミューズは判断した。
「どんだけ広いんだよこの森。」
「・・・イロアスくん、ストップ。」
またしてもミューズから止まるように指示を受ける。もう3度目の停止。
「・・・いた。あそこだよイロアスくん。」
言われた方向を見ると、狼のような魔獣がいる。あれがモナクシアウルフ。見た目は狼そのものなんだが、毛並みは白く凍っている。
「迂回しよう。」
熊人族のミューズが持つ耳は遠く離れた先の音を聞き分ける。魔獣の音を聞き分け、イロアスの視力で魔獣を発見する。
こうして魔獣を回避しながら、2人は結界の端を目指していた。
その時、上空から声が聞こえた。
「試験開始15分経過。脱落者39名。残り人数62名。」
上空を見ると、何か魔道具を持った蝙蝠のような魔獣が空を飛んでいる。その魔道具からアナウンスが聞こえた。どうやら経過時間ごとに報告してくれるみたいだ。
・・・蝙蝠の横に何か飛んでる。
あぁ、セアだ。上空から俺たちを見守ってくれているんだな。
わずかにイロアスが手を振ると、セアは元気よく手を振り返した。セアの期待にも応えてやりたい。
「まだ結界の端につかないとはね。もっと進もう、イロアスくん。」
「そうだね、行こう。」
39名の脱落者。あれは入り口にいた集団だろう。エナ=アソオスの威圧に実力の差を感じなかったのだろうか。あれに勝つのは不可能に近い。
目指すは逃げ切ることだ。
その言葉通り、2人はさらに奥に進む。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「試験開始15分経過。脱落者39名。残り人数62名」
そのアナウンスを無視し、白銀の森に似合わぬ真紅の髪を揺らしながら、結界に沿って移動する。どうせ脱落者は入り口に屯していた愚か者達だろうから。
故に彼女は結界に沿って走り続け、全体像を把握することに集中していた。
この結界はドーム上に展開されていた。ならば、4分の1も進めばおおよその全体像は把握できる。一般人ならば、円周を回っただけではその円全体を把握するのは難しいだろう。
しかし彼女はプラグマ家である。走りながら頭の中で地図を描くのは簡単と言わざるを得ない。
恐らく逆側に進んだあの『裏切り者』も同じことを考えているだろう。傲慢な態度とは裏腹に考えることは鋭く繊細。自身の家系に次ぐ武の名家プロドシア家の末裔なだけある。
強者ならば、評価しましょう。
そう思い、彼女は結界に沿って動き続ける。鬼より10分先に走り続け、試験時間から計算して森に入ってから25分で、既に3分の1だと思われる地点に到着していた。
彼女はそこで一考する。
「恐らくここがドームの円周3分の1地点で、到着まで25分。ということは、結界を一周するだけで1時間と少しかかる。恐らくあの試験官の方が速く、索敵範囲も上。ほうそれら全て含めて、結界内全てををくまなく探す時間を計算すると、ざっくり2時間ってとこね。・・・あの試験官、本当にナメているわ。」
この試験の制限時間は2時間。それも踏まえて、エナが結界内全てを巡回する時間を2時間とすると、彼は誰かとエンカウントするたびに時間をかけずに魔石を奪えると豪語しているのだ。
これをアナトリカ王国最高峰の名家プラグマ家である彼女からしたらナメていると言わずになんというのだろうか。
汗ひとつ流さず、イロアスとミューズよりも早く移動する彼女は、恐らくこの受験生の中でもトップクラスの実力を誇るだろう。
この時間制限の理由に気づける受験生はそういない。まさにトップクラス。
そのトップクラスの彼女の背後から気配がした。
「・・・さすが『孤独』から生まれた魔獣ってわけね。アタシの速度についてくるとはね。」
どうやら10匹のモナクシアウルフが真紅の髪を追いかけていたらしい。
「群れる獣如きが、逆らうんじゃありません。」
「少し苦戦したわね・・・早くここから離れないと。」
膝に手を当て、若干息を切らす彼女の周囲に、焼け焦げた狼の死体が10体。依然として無傷の彼女は戦闘能力もトップクラスと言わざるを得ないだろう。
それだけに残念であるとしか言えない。
試験開始30分、最悪のエンカウント。
「見事な戦いぶりだったよ。君は今回の受験生の中でも非常に優秀みたいだね、リア=プラグマ。」
最悪の中の最悪。想定していた中で最もあってはならない状況。
戦闘後の鬼とのエンカウント。
「本当に・・・意地の悪い試験官ね。」
白銀の森林から姿を表す紺碧の眼。その姿とともに鳴り響くアナウンス。
「試験開始30分経過。脱落者計68名。残り人数33名。」
この試験官は捕まえながらここまでやってきた。想像以上にずっと速いスピードで森の中を移動している。
「『灼熱』のおじいちゃんの背をちゃんと追えているか見てあげるよ。」
「・・・結構です!!」
リア=プラグマは腰に刺さった2本の剣のうち、一本だけを抜く。それは鍛え上げられた名刀。リアと名の彫られた彼女だけの剣。
その剣に美しい桃色の炎を纏わせ、鬼相手に切り掛かる。
エナ=アソオスも腰に2本の剣を挿しているが、此度の戦いでそれを抜くことはない。目的は胸元についている魔石なのだから。
エナは不敵な笑みをこぼしながらゆらゆらと揺れ、リアの猛攻を交わす。
その気持ちの悪い笑みをぶった斬ってやる。
「炎牙残映」
剣の振り方が変わった。そう感じ取ったエナは一瞬でリアから距離を取る。
「危ない危ない。躱わしたと思い込ませる剣術か。全くもって見事だね、魔石を取る隙がないなぁ。さすがは『朱姫』と呼ばれるだけあるね。」
「その名で呼ばないでくれる?嫌いなの、その呼び名。」
そう言い放ち、再びエナに切り掛かる。
「・・・」
リアの狙いは、
「残灰風花」
隙を作り、逃げること。この技は、場を炎で巻き、相手の目を惑わせるもの。
「バレバレだね。」
「・・・!!」
リアは思わず剣を振り下ろす。エナはそれを楽々と躱わし、魔石に手を伸ばす。
が、すぐに手を引っ込めた。リアの姿は先程までとうってかわって、炎がその可憐な姿を包んでいた。
「丹花の鎧」
「さっきの目眩しといい、今の炎の鎧といい、豊富な技の数々。その年でそこまでやれればおじいちゃんは号泣だろうね。だけどーー」
「悪いけど、ここまでよ。」
リアは話を遮った。確かに彼女はこれ以上エナのお喋りに付き合う必要はない。
そして、戦闘にも付き合う必要はないのだ。
「さよならエナ師団長。また会えるといいですね。」
リアの周囲に炎が渦を巻く。エナはそれを黙って見ていた。先ほどの技とは全く違うことがわかったからだ。
そして炎が空へ昇り、消えた時、そこにリアの姿はなかった。
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時は少しだけ遡り、エナがリアを見つける少し前。
「エナのやつ、結構ガチでやってんな。どんどん脱落者が送られてくるな。」
「初めての試験官ということもあって張り切っているんでござる。それとあとは・・・ああいう性格なので。」
結界の外。そこで結界内の様子を窺っている2人の白いコートを羽織った男女。男の方は飛行船に乗る前に、エナとともにいた鉄製のマスクをした男ーーオル=パントミモス。
もう一人の女性の方は、魔法陣の上にあぐらをかき、タバコを咥えている。
「エナが本気出したらウチの結界が壊れちまうからな、やめてほしいぜ。」
「ご冗談を。あなたの結界がそう易々と壊れるわけないでござる。あなたは歴とした守護の家系ポルタ家の長女なのでござるから。」
「あんな堅苦しいところは嫌いだね。まぁ血はしっかり引いちまったみたいだけどな。こんな立派な結界をはれるようになっちまってよ。」
「さすがは『剛晶』ゼモニコス殿でござる。」
この女性は、十大貴族が一つ、守護の家系ポルタ家が長女ーーゼモニコス=ポルタ。
ポルタ家は国の守護者としてアナトリカ王国に長く仕えてきた一族であり、その中でもゼモニコスの作る結界は、ガラスのように見えて非常に固い。
それによって呼ばれた名は『剛晶』。このガラスのようなドーム状の結界を張っている張本人である。
「・・・また魔獣が中に入ろうとしてんな。オル、頼む。」
「わかったでござる。」
ゼモニコスが結界から魔獣を感知し、オル率いる第2師団の騎士達が狩りに行く。そうしてこの結界は守られている。
この2人がいることによって、指定禁止区域である永久凍土スクピディアで試験を行えているわけである。
オルが魔獣を駆除しに行く直前、ビザル森林から東の方向で凍りついた建造物が崩れ落ちる音がする。
意外に近いな。オルはそう思い、近づくスクピディアの魔獣の撃破の任を全うしようと考える。
「ゼモニコス殿、少し席を外すでござる。」
「気をつけな。奥に行けば行くほど、魔獣は強くなる。」
その忠告に頷き、彼は音の方向へと走り出した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
彼の名前はフェウゴ=ヴァサニス。身長は160、体重50と小柄で、紫のキノコヘアーが特徴的な男の子。眼は前髪でよく見えない。
彼は十大貴族ヴァサニス家の次男であり、同じく十大貴族のカンピア=ミルメクスとは同い年という理由で、顔見知りであった。
そんなカンピアからは、飛行船の中で、試験開始と同時にエナ師団長に特攻し、必ず倒すから力を貸してくれと頼まれた。
しかし、彼は力を貸さなかった。
なぜなら彼は極度のビビリであるからだ。
どんなに小さいことでも、叫び声をあげてしまう。芋虫が自分の部屋にいただけで絶叫してしまうほどだ。
そんな彼が、度々威圧を放ってきた実力者エナ=アソオスと一戦交えるなんて、ましてや倒そうなんてできるはずがなかった。
試験開始と同時に、カンピア率いる39名の受験生を横目に、森の中を魔獣にビビりながら懸命に走ってきたのだ。ビビりすぎてどう走っているのかすらわからない。
奇跡的にエナの進行方向と逸れながら走ることに成功した彼は、今、魔獣に怯え、木の上で落ち着いてしまっている。
この危険地帯での奇跡的な休憩。彼は油断していたのだ。
そんな彼が、今、絶叫するのは仕方ないことである。
息を潜めて隠れていた彼の目の前に、急に炎に巻かれた女の子が現れたのだから。
驚きで、声を上げてしまう彼をどうか許してほしい。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「うるさい!静かにして!せっかく逃げたのにバレてしまうでしょ!」
炎に巻かれた少女ーーリア=プラグマは、叫び声を上げるフェウゴに怒鳴る。
「はぁ、近くにこいつしかいなかったってのはハズレだったわね。」
「リ、リア様!!な、なんでここに、お、おられるんですか!!」
「・・・答える義理はないわ。」
このうるさい金切り声を上げるような男と一緒にいたらデメリットしかない。しかし、ここに飛ぶしかなかった。
あの臆病者に飛ぶよりかは幾分かマシと考えながらも、叫び声で居場所がバレると厄介なので、すぐにここから離れることが最善策。
そう思い、即座に行動を開始しようとするリアは手を引っ張られる。
「お、置いていかないでくださいぃぃぃ!!」
「離しなさい!私は臆病者が大嫌いなんです!!」
実に腹立たしい男だ。十大貴族の名に恥じぬほどの魔力を有しながら、臆病なままでいるこの男は嫌いだ。
無理やり手を離し、リアはすぐさま移動しようとする。
「もう行っちゃうのかい?つれないなぁ。」
あまりにも速すぎる。有り得ない。
対面の木の上にいる男に対して、リアは鳥肌が止まらなくなった。
「さぁ、第2ラウンドといこうか。」
紺碧の眼が、笑っていた。




