第3章50話 ミューズ=ロダ
アルテミアからアーロン=マギア=ボラデルカの話を聞いた時、イロアスは、自分の力だけではこの戦争を止めることは出来ないことを悟った。
まだ救えていない『戦争』、『魔導王』、ミューズの3人をこれから救わなければならない。
『魔導王』を救うには、『戦争』を止め、自分たちフィラウティアの名が持つ業を燃やす必要がある。
ミューズを救うには、亜人たちの憎しみを晴らし、かつ、王朝を滅ぼさないこと。すなわち、戦争の終結。
それらが同時に叶う時、『戦争』は救われる。
自分一人の力では不可能だった。
『冠冷』のような大きな力は自分には無い。居るだけで世界が無視できない存在では無い。
だから、イロアスは彼にも同じ想いを託すのだ。
ミューズ=ロダという親友が、心のままに叫ぶ必要がある。自分を救って欲しいと、亜人を救って欲しいと、そう願う必要があったのだ。
彼は今、叫んでいる。
戦場の憎悪が声をかき消す。
しかし、彼は喉を叩き、叫ぶのだ。
「戦いを、やめてくれ!!」
その願いは、目的は別にあれど、同じ想いを胸に抱いた少女に確かに聞こえた。
もう一人の『戦争』であるアルテミア=ボラデルカに。
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ミューズ=ロダは、戦争や差別を知らない亜人である。
ロダ家はアナトリカ王国の十大貴族であり、王国内において誰かが気安く亜人などと逆らっていい存在では無い。
王国の十大貴族は、千年前の王族が認めた、世界戦争に貢献した十人が発端であり、その家系が現代まで繁栄した。
もちろん、千年の間に入れ替わりもあったが、ロダ家は千年前からずっとアナトリカ王国と共に道を歩んでいる。
ミューズは、そんなロダ家を誇りに思っている。
しかし、世界を知らない。
自分がいる環境が、どれほど恵まれたものなのか、それを初めて知ったのは、他ならない自分の母からだった。
亜人が差別される歴史、今でも忌み嫌われる狼人族、牛人族、狐人族、そして魔人族。
歴史から名を消された偉大な亜人の英雄『王国の牙』カリスト=ロダの覇道。
聞かされた上で、彼は表面上の亜人差別を知った。
知った気になったのだ。
だから、ディコス王朝に来てからは初めて差別を目の当たりにした。知っていたことではあったが、それは彼の心を酷く苦しめ、挙句には同期からも無様な体たらくを叱咤され、あろう事か王朝の貴族を半殺しにした。
情けない話だ。
亜人差別を軽蔑しながら、その実情は初めて目にする。
「ギザ、君は僕を正しいと言ったが、君のその感情も正しいと思う。」
凡そ人として扱われることの無い化け物として、彼らは一切の尊厳を失った。
ギザのように、立ち上がる者がいてもおかしくない。それに、彼は常に亜人を思っていた。それは自分のためではなく、他者のため。
それでも、ミューズは一人の親友のためにギザの手をはらいのけ、その拳を下ろさせようとした。
「君の正しさを否定するのが、亜人の僕であることを許して欲しい。」
憎悪も苦しみも、何を知っている訳でもない。
それでも彼は、亜人なのだ。
「戦いを、やめてくれ!!」
何度叫んだことだろうか。
そろそろ喉から血流してもおかしくは無い。
そんなことは些細なことに過ぎない。
この戦いをとめなければ、世界に未来は無い。それはすなわち、亜人の未来がないことを指す。
その信念を乗せた叫びは、この戦場でたった一人に聞こえていた。
「君!!君が、ミューズ=ロダだね!!」
その出会いは必然だった。
偶然なんかじゃない。イロアスという少年がつなぎとめた、間違いなく起こり得るものとして起きた事象。
それを、ミューズは知っていた。
「僕に、力を貸してくれ。」
「もちろん、そのためにここに来たんだよ。」
「自己紹介は後でだね。僕はどうすればいい。」
「想いを叫んで!!私がみんなに伝える!」
アルテミアは、ミューズに手を差し伸べる。
久しぶりの感覚で、奇妙な感覚だった。
亜人の自分に手を差し伸べる者などいない。そんな中、自分の親友だけが、手を差し伸べてくれたことを思い出した。
「サン、あなたも!!」
さっきぶりの感覚で、奇妙な感覚だった。
差し伸べられた手を振りほどいてきた人生だった。
「あなたの光を、私に貸して。」
サンは、躊躇いなくその手を取った。
ここで、躊躇なくその手を取ることが出来たのは、さっき友達と呼べる存在と出会えたからだろう。
「セア様、私たちは襲い来る敵意を弾きましょう。」
「そうね、あの子が頑張って抑えてるとはいえ、ここは今から目立つもの。」
リアとセアは、イロアスを信じている。
しかし、万が一のために剣を握るのだ。決して誰にも邪魔だてはさせないために。
「 天上の声を聴け 語りかけるは心 瞳も耳も 誰かに触れようとする手すら不要 ただ世界の声に傾けよ 」
手を繋ぐ3人が、何よりも神々しく光り出す。その光は王朝を覆い、雨によって反射された光がまるでオーロラのように美しく空を飾り付けた。
「ミューズ、あなたの声を、どうかあなたの想いをみんなに。」
辺り一帯を包み込んだ光。それは、2種類の輝かしい光だった。
一つは、名も知らぬ母を想いながら、役目を知らぬ光は彼女の力となる。
もう一つは、本来習得し得ない光であるが、魂を2分割したことによる修復力として芽生えた。世界は選ぶのだ、光魔法を授けるか否かを。
彼女にはその資格があり、いつしか消えゆく者として一時的な修復力として光は授けられた。
「 天使の光臨 」
修復力として与えられたアルテミアの光魔法には、一切の攻撃力は無い。何かを修復するために、その魔法は発動する。
『戦争』としての力である戦場の信念を利用した権能。その一切を逆手に取り、自分の信念を戦場に伝える。
今度こそ、聞こえる。
「君たちは、亜人の英雄を知っているだろうか。」
優しく、優しく、ミューズはそう語りかけた。
もう叫ぶことをしない。彼らの心に寄り添うように、すぐに壊れてしまう彼らの心に、優しく撫でるように声をかけたのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
千年前の世界大戦。それが、亜人が差別される原初の理由。
千年以上前、世界大戦が起きるよりも遥か前に、とある魔獣が進化を遂げた。それは世界に願った結果なのか、ただの魔力暴走による突然変異なのか、それとも創造主の意思が反映したのか、理由は定かでは無い。
ただ、彼女は生まれた。
産声は、人間と呼ばれる種族の言葉ではない。その言語から遠く離れた言葉で、何かに向かって叫んでいるようにも見えたし、何かに向かって感謝を述べているようにも見えた。
彼女は、元の獣じみた身体から、人間のような姿を手に入れた。
一体どうしてその姿になったのか、それはあのスコレーも知りたいところではあるが、兎にも角にも、彼女の存在が世界で初めて観測され、それを人の亜種という意味で、『亜人』と名付けられた。
あくまでも亜種であり、その人を刺すような眼も、空を羽ばたく翼も、肉を切り裂く爪も、荒々しい魔力も、どれもが人に似つかなかった。
故にだろう、彼女を最初に愛したのは、女神ヘレンだった。魔獣という存在を創った、女神ヘレンが彼女を最初に愛したのだ。
それからは、続々と亜人が生まれた。
狼、牛、狐、鬼、熊ーーありとあらゆる種の亜人が誕生した。
それから何年たっただろうか。亜人という種が、当たり前のように存在し始めたのは。
彼らは、魔獣では無い。亜人なのだ。
そうやって、魔獣と亜人の区別がつき始めた頃に、突如として女神は対立した。
そこで見せた亜人の力は壮絶だった。彼らは、強かったのだ。
魔獣を従えて人間を襲う亜人と、魔獣と共に戦う人間を噛み殺す亜人。
敵も見方も、亜人は恐ろしかった。
「亜人の英雄の名前は、カリスト=ロダ。歴史から消された熊人族であり、多くの人類を救った亜人だ。」
ミューズの声は、耳には聞こえなくても、頭に直接語りかけるように聞こえる。
それは言葉だけでなく、ミューズが心の内に秘めた怒りや、哀しさやまでも伝わってくる。
「しかし、現代の歴史に彼の名前が載ることはない。」
まるで傍で語りかけるかのように、少年の言葉はよく聞こえる。
「それは、彼自身がそれを望んだからだ。」
武器を持ち、憎悪に身を焦がす彼らの耳には何も聞こえない。だけど、それが心の内に聞こえるのだ。耳でもなく、目でもなく、心で。
「自分の覇道は亜人の心を躍動させるだろう。ならば、その足跡は消すべきだ。俺の道には、血が流れすぎたのだから。」
亜人の足が止まる。
彼らは、カリスト=ロダを知っている訳では無いし、その言葉を知っている訳では無い。その言葉は紛れもなくロダ家に伝わっているロダ家だけの秘密。
「その牙は肉を裂き、その爪は心臓を抉り、その舌は血を啜り、その眼は見るものを陥れる。ならば、それを隠して生きる事こそが、人類と共に歩む道であり、生命を殺す魔獣との決別。」
亜人たちの手が止まる。
しかし、彼らはまだその言葉に納得していない。
消された英雄の言葉なんぞで、今更止まることなど出来やしないのだ。
「ーーーそれが出来れば、どれだけ楽だったろうか。それが出来るのならば、僕らは差別なんて受けていない!!」
それが、ミューズ=ロダの本音だった。
必死に必死に必死に、必死に声を押し殺して、彼は優しさを表現した。
本音は違うんだ。
「牙を、爪を、舌を、眼を、ひたむきに隠して隠して隠して隠して隠して、それで人間は幸せでも、僕らにとっては窮屈すぎる。」
亜人の心は、気高く燃え上がる。
その言葉は、彼らの復讐心を助長し、剣を握らせ、貴族を殺す糧とする。
燃え上がる炎に、薪を配っているようなものだった。
「だけど!!僕らはその牙と爪と舌と眼で、人を傷つけていい理由にはならない!!」
風が吹く。
魔力を帯びた雨に打たれながら、剣を交える二人の男。
「流れが変わる風だな、マギア。」
「・・・アルテミアァァァ!!なぜ!!なぜ!!なぜ!!なぜそっち側に行くんだ!!」
マギアが敵意をそちらに向けた瞬間を、イロアスは逃さなかった。
重い重い剣が、マギアに振り下ろされる。
飛び散る血は、すぐにマギアの元に戻ろうと地面から消える。
それでも、手応えはあった。
「マギア、回復が遅くなってるぜ?」
亜人は、亜人という種族なのだ。
人では無い。
そもそも差別という言葉自体が間違っている。だって、別物なのだから。
「その牙は、その爪は、誰かを傷つけるためのものですか?その眼は、敵を睨み殺すためにあるのですか?」
「違う、その牙も爪も、誰かを守るためにある。憎しみをぶつけるための都合のいい道具では断じてない!!その在り方こそが、カリスト=ロダの望む平和への道導!!彼が英雄と呼ばれる所以は、誰よりも優しく、誰よりも誇らしく生きたその足跡にある!!」
「目の前の敵しか見えていないのか!!隣に傷つき倒れてるものには目を向けれないのか!!血にまみれた地面の上で、本当に明日を生きようと思うのか!!誰かの怨念を夢に見て孤独な夜は過ごせるのか!!血で汚れたその手で、愛するものに触れることは出来るのか!!」
戦場で叫ぶだけでは、彼の言葉は決して届かなかった。戦火に呑まれ、雄叫びに消され、憎悪に焼かれ、彼の喉を引きちぎるほどの熱い叫びは掻き消されただろう。
誰も彼を見ようとしなかっただろう。
誰一人にも、ミューズ=ロダという亜人の少年の姿は見えなかっただろう。
「・・・お前の勝ちだ、ミューズ=ロダ。」
王朝全てを包んだ光のベールを天に見上げ、止まらぬ血を抑えながら、狼はようやく認めた。
「殺して殺して、生命を奪った先にある平和な世界を、果たして誰が美しいというのか。」
「君たちの生きてきた今までの世界は、暗く、狭く、先の見えない闇だっただろう。手を差し伸べたのは光ではなくとも、善意でなくても、今よりも幸福を願って手を取ったのだろう。それを、僕は間違っているとは思わない。」
「だけど、明日を生きるために共に生きた友が血を流し、横に倒れてもなお突き進むような茨を歩くことを、正しいとは思わない。」
戦場には、最早砂埃一つ上がらず、武器の落ちる音がする。
誰もが目の前の敵を見ずして、その先を見るのだ。
「憎悪の炎を消せとは言わない。人を恨むなとも言わない。それでも、誰かを傷つけてその身を焦がすことよりも、誰かを助けて炎を別な力に回す方が、素敵じゃないか。」
彼らを否定せず、彼らの生きてきた道を見て、ミューズ=ロダは語るのだ。
間違いなんかじゃない。
それでも、もっと素敵な道があるのだと、指し示すのだ。
「その道が怖いというのならば、僕が道を拓こう。誰も行かない道の最先端を僕が歩こう。君たちの恐怖も、憎悪も、期待も、幸せも、何もかも背負って僕が先を行こう。」
「僕の名前はミューズ=ロダ。歴史から名を消した亜人の英雄カリスト=ロダの子孫であり、その覇道の軌跡を覗いた男。そして、英雄となって、今度こそ、亜人が人間と共存できるように、二度と差別されないように、誰にでも幸せを共有出来るように!!僕が誰も歩んだことの無い道を歩こう!!」
亜人は、その手を下ろすのだ。
自分たちを、許してくれる人、背負ってくれる人、幸せを願ってくれる人。
英雄願望は、時に呪いだ。
その道を一度歩めば、二度と後戻りなど出来やしない。
イロアスはその恐れを知らないし、これから先一生知ることもないだろう。
だが、ミューズ=ロダは知っている。それがどれほど無知で末恐ろしい事かを。
ーーー今日、そんな愚か者が、もう一人誕生したのだった。
「力だけが!!英雄の証明ではない!!暗闇に光を照らし、背負った想いを幸福に運び切ることこそ、英雄の証明だ!!」
血だらけで、フラフラで。
それでも、涙一つ流すことなく、声が枯れるまで叫び続けた男の叫びは届いた。
たった一人の亜人の少年の叫びで、ディコス王朝で勃発した亜人戦争は終結を迎えた。
この世界で二人目の、英雄願望を持つ男の誕生と共に、亜人の運命はこれから、大きく変わることになるのだろう。
その大きな大きな一歩目を、踏み出したのだった。




