第3章45話 ギザ
一匹の狼の生涯は、食料も水も無く、綺麗な服も暖かな毛布もない、小さな小さな小屋の中で始まった。
生まれて数年で、2本の足で立ち上がり、飢えを凌ぐために死体を食べて回った。死体を食べる事には、2本の足で立つ頃には慣れていた。
初めて食べた肉は、自分の父親だったから。
次に食べたのは、ここまで世話をしてくれた母親だったから。
食べたくて食べたのでは無いし、食べたくもなかった。吐いて食べて吐いて食べて、それでも狼は飢えを凌がなければならなかった。
これが千年前であったのなら、狼は『厄災』に選ばれる条件の一つを満たし、候補者に上がっていただろう。それほど、人が生み出した悪意を身体全身に受けていた。
そのせいか、狼は他の獣には無い程の魔力を秘めていて、他の獣よりも柔軟な身体と運動能力を持っていた。
治安の悪い貧困街を生きるには、余りに都合の良い力を持っていた。
何をすれば死ぬのか、何をかわせば死なないのか、どうすれば欺けるのか、どうやったら生きていけるのか。
彼の希望のない眼光は、それを見抜ける力があった。
そんな眼で、初めて見た魔法は、この貧困街を区切っている壁に沿って張られた、憎い憎い結界であった。
そしてすぐに、自分が自由に生きていくために、この哀れな獣達を導くためにしなければならないことを理解した。
「・・・殺してやる。この壁の中の全部を壊して、上にいるヤツら全員殺してやる。」
そうして、哀獣は誕生した。
哀れな獣を導く、哀れな獣として。
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ーーギザは、『暴獣』と呼ばれる狼人族である。
その異名は、ディコス王朝を900年の間脅かし続けた『戦争』アーロン=マギア=ボラデルカ率いる革命軍の幹部第一席として、騎士団を1団壊滅させたり、地形を変えるほどの戦いを『大将軍』、『炎鬼』と繰り広げたり、その暴れっぷりから付けられた。
『大将軍』エナリオス=スニオンが名指しで危険分子と判断するほどの実力であり、『炎鬼』ストラトス=アンドラガシマが一対一であれば死を覚悟ると言わさせた獣である。
その出生は貧困街で死を目の当たりにした2匹の獣が子孫を繁栄させるために産み落としただけの存在であり、そこからこの地位まで成り上がったのは、たった一人で生きてきた生存本能と戦闘能力だけ。
そして、その戦闘能力は、戦闘民族してこの世界に愛された狼人族としての本能。
神獣フェンリルの血縁という、魔獣の中でも頂点に立つ4つの種族の1つであり、地上では無二の強さを誇る。
神獣の加護は地上で常に受け続け、恐らく最早伝わってもいないが、大地に接している限り、常に魔力を吸い上げて、再生力に回している。
浮遊している魔法学校フィラウティアで戦うよりも、宮殿のような人工の建物で戦うよりも、外に放り出されて世界の上で戦う方が狼人族は強い。
だが、狼人族は、世界から愛される種族であるが、全ての種族から嫌われる存在でもある。
それは、千年前の世界大戦において、世界に愛されながらも世界を滅ぼす側に加担したことが由来である。
同じ種族として、魔人族、牛人族、狐人族が挙げられるが、特に狼人族は嫌われた。
世界に愛されながら、世界を裏切る。それは、どちらの女神も裏切る結末であり、彼らは孤独な狼の民として全ての種族から嫌われたのだ。
おかしな話だ。
詳細はまだ語る時では無いが、彼らは世界を敵に回したくて加担したわけでもなく、世界に愛されようとして媚びた訳でもない。
かの神獣フェンリルも、その身勝手を許すほど愚かではない。しかし、全ては仕組まれたこと。
カラクリは確かに存在する。しかし、それを現代の者が知る訳もなく、千年前もその真相を知るものは片手で数えれるほどだろう。
これについては、知識欲の権化である初代『魔導王』スコレー=フィラウティアも知ることはなく、世界を見渡す『観測者』ルダスもタイミング悪くその光景を目に写すことは出来なかった。
経緯はどうあれ、狼人族は、世界から愛されながらも世界を滅ぼそうとしたことで、何からも嫌われた。
そして、ギザという現代を生きる狼人族は、再び世界を敵に回す『厄災』に付き、その猛威を振るう。
亜人差別という、亜人と人間の区別を破壊するために。
その裏に、なんとも奇妙な縁として存在するのだ。世界から見放された民が、現代において世界から見放された亜人全てを救おうとしている。
「不思議な獣だ。」
「あァ?何がだよ。」
「貴様は狼人族でありながら、随分と周囲を気にかけるな。特に、あの宮殿で倒れていた亜人のことを。」
「亜人が亜人を気にかけちゃわりィかよ・・・ッて言いたいところだが、そうじャねェのはわかッてる。くだらねェな、俺様は自分のルーツを気にしちャいねェ。」
「唯の亜人の一匹であると?」
「数え方が違ェな。亜人の一人だ。」
亜人差別の撤廃。それを願う亜人は、狼人族以外だと思っていた。どの種族でもいいが、狼人族だけは無いと思っていた。
しかし、現実に目の前の狼は、差別の撤廃を願っている。心の底から、例え一国を落とそうとも。
「殺しはしない。」
「俺は殺すぜ。何せ、『暴獣』だからなァ!?」
スタートダッシュはギザからであった。重力を利用した超スピードでの移動は、ミューズとの相性が悪いと思い使わなかった。
そしてそれは、エナリオス相手には通用すると思ったのだ。近接戦闘を最も得意とするミューズとの戦闘後、ギザは戦闘におけるセンスに磨きがかかっていた。
ーーだが、この王朝最強の名は伊達では無い。
「雨が降っている。これは、先程害鳥と影を打ち下ろした雨だ。」
雨を躱すことは、出来るだろうか。
否である。
既に毛を濡らしてしまった狼は、突如として背後に吹き飛ばされた。そして迫り来るように雨はギザに集中する。
外で何が起きていたのかを知らないが、まさか雨がエナリオスの魔法だとは思わなかった。結界は、亜人を差別し通さないものであり、雨は結界を貫通する。外は雨が降っていると思っても仕方ない。
そこからの修正は早かった。重力で辺り一帯を雨が降らない地帯とする。自分を把握し続ける厄介な波長が無い代わりに、鬱陶しく振り続ける雨を払いのけた。
だが、上に着目し過ぎた。
「地面の乾きはまだない。」
地面を濡らす水が、凝縮して水滴となり、ギザの下顎にヒットする。その推進力は水では無いかのようだが、辺り一帯の地面が乾き、それらを湿らせていた水を限界まで凝縮させたものだとしたら凶器である。
歯を食いしばっていなければ、意思が飛んでいたかもしれないが、そこはギザの反射神経である。
睨みをきかせ走り出す。辺り一帯にある瓦礫を重力で浮かしてエナリオスにぶつける。その速度は生易しいものではなく、速さは隕石に相当する。
だが、まるで水に流れるかのようにそれらはエナリオスに当たらない。しかし、瓦礫で隠れたギザは、エナリオスの死角から重力の槍を放つ。
空間が歪むほどの重力の槍。もちろんこんなものでギザはエナリオスを倒せるとは思っていない。しかし、まさかその槍の先端を、エナリオスが持つ三叉槍の先端が綺麗に合わさり、迎え撃ったのだ。
点と点を、即座に少しのズレもなく合わせる。
「化け物が。」
更に、空間を歪ませるほどの重力と真正面から当たっても刃こぼれひとつも無いあの三叉槍も異常である。
暫く、2人から発する言葉は無かった。
本当の強者同士の戦いには、詠唱の間など無い。迫り来る暴力に対して、かわしながら、走りながら、防ぎながら、詠唱を唱える他ない。
エナリオスも本当は魔法を使うのに詠唱をしたく、その方がもちろん威力が高い。しかし、目の前の獣がそれをさせない。
大したものだと、そう思う。
暴走した獣は、浮遊させる瓦礫を足場にエナリオスに攻撃を仕掛け続ける。確かに、それらはエナリオスが完璧に防いでみせるが、防戦一方であるのは傍から見れば分かることであった。
いつか、攻撃を喰らう。
そのいつかは、すぐにきた。
雨を防ぐということは、『戦争』マギアが仕掛けた影がまた動き出すということ。
その影が、たった2体であるがエナリオスに向かう。
その一瞬の隙を、あの獣が逃すはずもなくーー
『大将軍』エナリオス=スニオンが、余程久しく、血を流す。綺麗に整えられた前髪が斜めに切り落とされ、額から血が流れる。
頭蓋を破壊しようとしたギザの爪には赤い血が滴り落ちる。
ーーーやらかした。
その一瞬の隙を、ギザは決して逃さなかった。
しかし、獣が最も油断する時は、
「・・・その足で走れるか、獣よ。」
獲物を狩るその瞬間であった。
影を盾に上手く隠されたエナリオスの三叉槍は、ギザの右足を抉った。
激闘に次ぐ激闘。
ギザの体は、既に限界であった。
防戦一方とは言ったが、防戦一方の状況に持ち込むしか無かったのだ。少しでも反撃の隙を与えればこうなる。
「ッッックソが。」
吐き出す怒りを、一切無視してエナリオスは距離を詰める。片腕で降っているとは思えない三叉槍が、ギザを襲う。重力で軌道をそらさなければ全てが致命傷。この滑らかな動きにも水魔法が応用されているが、それを済し崩す余裕はなかった。
抉られた右足を庇いながら、それでもエナリオスの猛攻に押されて一歩、また一歩と後退させられる。
そしてーー
「そこは雨が降っているぞ。」
待っていたかのように、王朝を濡らす雨が1点に集中する。
その一粒一粒が、ギザの黒い体毛を赤く染めあげる。
「ク・・ソがッッ・・・!!」
ーーードクン、ドクン、ドクン
心臓が脈打つ。
それが死だと教えてくれている。
エナリオスは確かに強者であるが、それでもギザという暴れ狂う狼を生きたまま捕獲することは難しい。
これからのために必要だが、最悪、殺しても仕方ないと思っている。
元よりギザはエナリオスの殺さない発言は信じていないが、本当に死を目の当たりにした時、獣はどうするのか。
服従するのか、幸福な時を思い出すのか、暴れ狂い抵抗するのか、泣き喚くのか、逃げ出すのか、それとも自害でもするのか。
ーーードクン、ドクン、ドクン
それとも、更なる進化を遂げるのか。
「臨天ーーー」
「やはり、追い詰められた獣はそれしか出ないだろう。」
追い詰められた獣は、奇跡を起こすことなく肉体に深く深く三叉槍を突きつけられ、血反吐を吐きーー
「ーー臨天魔法。」
「・・・馬鹿な。その状態で何が出来る。」
右足は抉られ、内蔵には槍が刺さっている。最早眼は霞んでエナリオスの輪郭も捉えられていないだろう。血反吐を吐き、呼吸する度に肺が音を立てて激痛を走らせる。
ーーー倒れる訳には、いかない。
ーーーお前なら、わかるだろ。ミューズ=ロダ。
遠く、遠く、その一歩は遠く、だが確実に進んでいた一匹の熊は、遂にはそこに辿り着いた。
それは誰もが決着と言えるほどの景色。黒い狼に深く刺さる三叉槍が、赤く血に塗れている。
「・・・まだだ。まだ、終わっちゃいない。」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ーーギザは、『哀獣』と呼ばれる狼人族である。
もっとも、この呼び方をするのは実際に彼と殺し合いをしたミューズ=ロダだけだが、きっと、誰もが彼を見て思うだろう。
なんて、哀しい獣なのだろうと。
その瞳には一切の揺らぎがなく、透き通っていて美しい。
その毛色は何色にも染めることの出来ない黒であり、我が道を行く彼になんとも似合っている。
何が塞がろうとも切り裂く爪があり、何をも噛み砕く牙がある。
障害を乗り越えるための能力があり、理不尽を押しつぶす重力もある。
その足跡には後退は無く、前に前に進んできた。
だが、彼の後に着いてくる者はいなかった。
それは狼人族だから。
ただそれだけで、この世界で最も差別されるのだ。
結界で阻まれたからなんだと言うのだ、奴隷にされたからなんだと言うのか。
例え亜人でも、彼を敬うものなど、居なかった。
だからこそ、彼の背後を見るものなどいないのだ。こんなにも、傷だらけなのに、誰も見るものなどいなかった。
ーーギザは気にしなかった。
幼少の頃から、ギザが食料を分け与えても、騎士団から命を救っても、宿を貸し与えても、誰からも感謝されることは無かった。
それはその通りだ、結界の外の窮屈で貧困で退屈で危険な場所にいたらそうなる。同じ亜人でも、皆の心は荒み、もはや光などない。
ギザは、それを知っているから気にしなかった。
故に、誰から何かを求めることを否とした。
誰よりも優しい獣。見返りを求めず、ただ己がなすがままに亜人を救い、クズを殺す。
「お前、俺と共に来い。」
誰よりも孤高に戦い続けた狼は、本来であれば『使徒』が気にかけるべき狼は、『戦争』に拾われた。
誰よりも同族が傷つくことを嫌った孤独な狼は、ついぞ邪魔者を殺し続ける道を選んだ。
何よりも優しい狼は、何よりも人を殺し、何よりも亜人を想った。
その道の果てに、何も残らないと知りながらも、今を乗り越えることに必死だった。
「ギザ。貴様にだけ、俺の本当の目的を教えよう。」
「あァ?なんだそれ、王朝を壊すことじャねェのか。」
「それもまた目的の1つであり、最重要事項がアルテミアを救うことということも変わらない。」
「・・・その先ッて話か?」
「そうだ。」
「・・・『戦争』としての本懐か。それとも、お前の本懐か?」
「どちらとも取れる。」
言ってみろと、そう眼で訴えた。
そして、『戦争』なのかマギアなのか、その両者なのか。
はっきりとわからない存在はこう答えたのだ。
「世界を、一つにすることだ。」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「 狼の民は望む 国境無き平原には血は流れぬ 彼の神獣の様に 大地を殺して再び星を創る 」
『暴獣』であり、『哀獣』である。
この狼の目的は、亜人差別の撤廃でありーー
「 大地は死に星は叫ぶ 」
大地を再生する。
世界を再び一つにする。
その先の世界に、人は、亜人はーーいや、もはやその区別すらもないだろう。
誰かが誰かを差別し、侮蔑し、捨てる世界じゃない。皆が手を取り笑い合う世界に。
誰一人として、生きているだけで罪深くないように。
ーーーきっとその世界で、狼は、一人では無いのだから。




