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7 春の宵

屋敷に案内したエヴァは出てきた門番に、叔父への連絡と客人の対応を依頼した。


屋敷に入ると、叔父の執務を補佐している側近でもある執事のイアンが出迎えた。

「ようこそスタール辺境伯家へいらっしゃいました。執事のイアンでございます」

「ダキア皇国からきたレイモンド・コーキノス子爵です。私の商会で扱う品物の商談の為、ティフリス王国にやってまいりました。王都に行く前に領主に入国の挨拶をさせて頂きたくお伺いした次第です」


横目で客人を連れてきたエヴァを気にするイアンの視線に気付いたのだろう。

「こちらへ来る途中にエヴァ嬢に偶然お会いしまして、案内をお願いした次第です」

レイモンドがにっこりと笑いながらエヴァの代わりに説明をしてくれた。

「なるほど。承知いたしました。コーキノス子爵様を応接室へ案内いたします。お付きの方は別室でお茶と軽食を用意しますので休憩なさっていてください」

「ご対応に感謝します。国境の山脈を通ってきたので、馬達も疲れているようです。馬も休憩させてあげたいのですが厩舎をお借りすることをお許し願えますか?」

「承知いたしました。すぐに馬丁を呼びます」


イアンは待機している使用人に細々とした指示を出し、レイモンドを応接室へと案内する。

「エヴァ様はどうされますか?」

「まずは一度着替えてくるわ」

ここまで連れてきてしまった手前、叔父にも説明がいるだろう。

エヴァが着替えに部屋へ戻ろうとした時、叔母と頬を染めた従姉妹達が急いだ様子でホールまでやってきた。

窓から姿を見たのだろうか、どうやらレイモンドの美貌に興味を引かれたようだ。


うっとりとした表情でレイモンドの顔を見つめながら挨拶をした義母は

「エヴァは下がって良いわ。そんな森へ行くような格好でお客様の前には立てないでしょう」

エヴァを体よく追い出した。


エヴァは着替えをやめて、屋敷内に入る前に隠した弓矢と野いちごの籠を取りに行くことにした。


門の近くの茂みに隠していた弓矢と籠を持って、厩舎を覗くとルーカスが一頭の黒毛の馬を丁寧にブラッシングしていた。

馬を見つめる瞳は柔らかく慈愛に満ちている。

(ああいう優しい顔もできるんだ)

穏やかな表情をしている端正な顔立ちのルーカスと美しい毛並みの黒毛の馬が並んだ姿は神々しくすらあった。思わず立ち止まって見入ってしまったエヴァの気配に気づいたのか、入口を振り返ったルーカスは無表情の鉄仮面に戻っていた。


「あ……申し訳ありません。お邪魔をするつもりはなかったのです」

「……」

「屋敷内で皆さん休まれています。ルーカス様もよかったら休憩なさってください」

「ありがとう」

「それでは、私はこれで失礼します」


それにしても……二人ともすごい美形よね。何者なんだろう。

ルーカスが、大きな猪を一振りで倒してしまう強さにも驚いたし、他のお付きの人達もまったく隙のない動きをしていた。商人の護衛にしては、統制が取れすぎている。

辺境伯の娘として父からある程度の武術の指導を受けていたエヴァは、武術を普段からしている人かどうかの見極めは所作を見ていれば大抵わかる。

あれはかなりの手練れの集団だわ。

それに……レイモンド様が帯剣していた剣の剣帯に描かれた紋章は……。




いつもは使用人達と一緒に厨房で食事を取っているエヴァが、珍しく叔父一家との夕食に出席するようにと言われた。どうやらレイモンドの一行は、この屋敷に今夜は滞在するようだ。


食堂へ向かうと、すでにレイモンドと叔父が食前酒を飲みながら話している。

挨拶をして席に座ろうとした時、ぎょっとするほど場違いに着飾った叔母と従姉妹達もやってきた。レイモンドへのアピールだろうか。むしろ痛々しくさえある。


夕食が始まると、レイモンドの穏やかな物腰と端正な顔に浮かぶ笑顔に魅了されたのか、叔母と従姉妹達が競うように積極的にレイモンドに話しかけている。

エヴァが積極的にその会話に参加することはない。ただ口と手を動かしながら会話を聞いているだけだ。


「コーキノス子爵様、是非こちらに暫く滞在してくださいな」

叔母が甘ったるい声で、辺境伯領に滞在するよう勧めている。

うっとりとした上目遣いでレイモンドを見つめていた従姉妹達も嬉しそうに「是非!」と声をかけている。

叔母からのサインを読み取ったのだろう。叔父まで叔母を援護し始めた。


「コーキノス子爵様はこの国のどんな商品を取り扱うのでしょうか?この領地には鉱山が多くあり、良質な鉱石が取れるのです。もしご興味があれば、是非見てほしいですな」

「鉱山ですか。興味を惹かれますね。今回何か良い商談があればと思ってやってきたので、お薦めがあれば是非紹介して欲しいです」

「ええ、ええ、ここの鉱石の質は大陸一だと自負しております。よろしければ、明日にでも鉱石発掘所に案内させていただきますよ」

「それは楽しみだ。でも、そんな大切な場所に連れていってもらっても良いのでしょうか」

「もちろんです。聞けば、亡くなった兄とも親しくしてくださっていたとのこと。兄とは商売のことは話していなかったのですか?まぁ、鍛錬鍛錬というばかりで商売については興味なかったですからね」

笑いながら言った叔父の言葉にエヴァは固まる。

(父を侮辱しないで!)


レイモンドは、同性でも見惚れてしまうような見事な笑顔を叔父へと作った。

「クラウス様は素晴らしい方でしたよ。辺境伯として平時の鍛錬がいかに重要かしっかりとした理念を持って体現されていました。私もお話して色々と学んだことが多かったです。金銭のやりとりよりも高潔な精神の話に私も夢中になってしまって。エリザベス様も清廉な方でした。二人が亡くなったと聞き、とても残念です」

レイモンドの言葉にエヴァの胸が震える。叔父の悪意ある言葉をやり込めてくれた。

レイモンドと視線が絡んだ時に、そっと目礼をする。


一瞬固くなった食堂内の空気を壊したのは、無神経な叔母と従姉妹達だった。

「コーキノス子爵様は、王都に行かれるのですか?」

「はい、他の地域も回ってから王都へ行くつもりです」

「私達も二週間後に開かれる王宮舞踏会に参加するため、もうすぐ王都に行くのです。コーキノス子爵様はいつまで王都に滞在されるご予定なのかしら?」

「まだ詳細は決まっていませんが短くはないと思いますよ。そうですか、王宮舞踏会に参加されるのですね」

「ええ、今回はこの娘達の社交デビューを兼ねているんです」

「それは、おめでとうございます。三人とも社交デビューをするのですか?」


エヴァを見たレイモンドに「はい」と答えた。

「舞踏会で王太子の婚約者を決めるだろうとも言われているのですよ。我が娘達も候補に入っているんです」

叔母は「おほほ」と嬉しそうに高笑いした。

美しいレイモンドの笑顔に、顔を赤らめながら叔母と従姉妹達がはしゃいでいる。

その光景をしらけた気持ちで眺めていたエヴァは、デザートが終わると叔父とレイモンドに断りを入れ早々に席を立った。



食堂を出た後、なんとなく気持ちが落ち着かなくて屋敷の外へ出てみた。

春といえど夜風がまだ肌寒い。それが、むしろエヴァには心地よかった。


ふと、レイモンド達が乗ってきた馬達が立派だったことを思い出して、厩舎へと足を向けた。

(毛並みも立派だったわ。軍馬かしら。一度近くでじっくりと眺めてみたいわ)


馬丁達も今は食事の時間でいないのだろう。誰もいないことを確かめてからそっと厩舎の中へ入った。


レイモンド達が乗ってきた馬は一目でわかるほど大きく、毛艶が見事だった。

エヴァが入ってきた気配を感じたのか、草を()んでた馬達が一斉に顔をあげてエヴァを観察するように見つめる。害するものではないと判断してくれたのか、馬達も落ち着いたまま、また草を()み始めた。


エヴァの方へ鼻づらを一生懸命伸ばしている一頭の馬がいる。ルーカスが世話をしていた黒毛の馬だった。

「あなたを触ってもいいの?」

そっと尋ねると、エヴァに鼻を擦り付けるような動作をする。

「触らせてくれるのね。ありがとう」

了解が得られたと解釈して、そっと馬の眉間に手を伸ばす。優しく撫でると、大きな潤んだ瞳がうっとりとした様子でトロンとなっていく様子がなんとも可愛らしい。

「可愛いわね。ここは慣れた?何か不自由はないかしら」

思わずエヴァの頬も緩んでしまう。

されるがままになっている馬を無心で撫でていると、後ろから「誰だ?」と鋭い声が聞こえた。

振り向くと険しい視線でこちらを見つめるルーカスが、厩舎の入り口に立っている。着替えたのだろう。スラリとした体躯に黒いシャツに黒いズボンの軽装姿が様になっていた。


「貴女か」

「勝手に馬に触れてしまい申し訳ありません」

ルーカスは一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに険しい表情に戻るとつかつかと黒毛の馬の側へ歩み寄ってきた。

「噛まれたりはしていないか?」

「いいえ。ずっと大人しく撫でさせてくれていました」

黒毛の馬をエヴァが瞳を細めて見つめると、もっと撫でてとも言うように頭をエヴァの動きが止まった手にぐりぐりと押し当てている。


「そうか……この馬は気性が荒くて、俺にしか触らせない馬だったのに。貴女には触ることを許したんだな」

気性が荒い?

まるで子猫を撫でているかように大人しくされるがままになり、瞳がうっとりと蕩けている目の前の馬をじっと見つめた。


「この馬は……俺が子馬の時から育てたんだ」

エヴァの横にきたルーカスが、ぽつりと何となしに呟いた。

「名前はなんていうのですか?」

「ロシュ」

「ロシュ……綺麗な名前。あなたは黒毛だけれど、赤いという名前なのね」

エヴァがロシュに何気なく返した言葉に、はっとしたようにルーカスがエヴァを見る。

「貴女は古代ダキア語を知っているのか?」

「ええ、私の母がダキア皇国出身だったので、幼い頃に教えてもらいました」

「そうだったのか。俺はロシュの母馬の出産に立ち会ったんだ。ロシュが生まれてほっとして外を見た時、朝焼けで空が真っ赤だったんだ」

「だから(ロシュ)なのね」


名前を呼ばれたからか、さらに甘える仕草をしてくるロシュにエヴァは思わず笑ってしまう。

「ふふふ、私もロシュに会えて嬉しいわ。この国に来てくれてありがとう」


しばらくロシュの美しい毛並みを堪能させてもらった。

「これから屋敷に戻りますか?」

「そうだな……。貴女はこのまま戻るのか?」

「私は夜風にあたりに来たんです。何となくまだ戻りたくなくて。ルーカス様は先に戻っていてください」

「しかし、それは……」

「あ、帰り道はわかりますか? 屋敷までお送りしましょうか」

屈託なく微笑みかけるエヴァを見たルーカスは慌てたように言葉を返す。

「いや、帰り道はわかるが……。いくら敷地内とはいえ、こんな時間に貴女が一人で外にいるのは危ないだろう」

ルーカスの気遣いになぜだか胸が熱くなった。

(今日初めて会った私を心配してくれるような、優しい人なんだな)


「ルーカス様はロシュに会いに来られたんですか?」

「辺境伯の屋敷には素晴らしい薔薇園があると聞いたんだ。散歩を兼ねてロシュの様子を見にきただけだ」

ルーカスがエヴァの問いに少し戸惑いながら答えた。

「薔薇園ですか!ちょうど薔薇が見事に咲いていますよ。よかったら案内しましょうか」


丹精込めてお世話をしている薔薇園に行こうとしていたと聞いた途端、嬉しくなったエヴァは考えるより先に声に出してしまっていた。


一瞬考えるそぶりをしたルーカスが頷く。

「よろしければお願いしたい」


(相変わらず無愛想だけれど、ロシュのおかげかしら。少しだけ雰囲気が柔らかくなった気がするわ)


「はい!それでは参りましょう」

エヴァはにこにことしながらルーカスの瞳を見つめ返した。


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